• 締切済み

ジカダンパン(2月3日放送)を見た方へ

 カイロプラクティックに免許制度が無いというので、ちゃんとした制度を確立し、患者さんの安心を確立することを提案するという趣旨でした。免許について法律内容の詳細は私のほうに聞き漏らしがあるかも知れませんが、針灸(そうだったっけかな?)には免許があってその他、人の体に触れるマッサージ治療法には免許制度が無く、(記憶に誤りがあれば訂正してください)番組は特にカイロプラクティックの素人治療の危険性を強調してました。  問題を感じるのは、番組中の討論コーナーで、ある国会議員がこの問題の解決法として前にあげた法律文にカイロプラクティックも認めるという一文を加えれば簡単な事だと発言してる事でした。私は免許制度ができることには賛成ですが、カイロプラクティックは番組中の説明によると、神経系を重視するどうやら”西洋的な発想”によるやり方のようにみえてならないんです。近代日本が西洋医学に信頼を置いている現状からすればカイロプラクティックの免許制度が確立して当たり前と思いますが、針灸にはあるというのでなんだか訳がわからなくなりました。  免許制度をつくるに当たって、針灸のようなものに代表される東洋医学的見地と、今回のようなカイロプラクティックみたいな西洋医学的見地をごっちゃにしてしまうのは、なんだかいいかげんにみえてしょうがない決着の付け方と思いました。双方のよいところをちゃんと研究して、そこで承認されるべきと思うんですが、医療を行う者の資格とはいったい何なのでしょうか。

みんなの回答

  • sinnkyuusi
  • ベストアンサー率19% (639/3298)
回答No.2

こんにちは。鍼灸師です。 実は今朝から『昨日の放送見たか?良い内容だったぞ』と言うメールが、同業の先生達から驚くほど届いています。 番組を観ていなかったもので、先ほど質問を立ち上げて内容を把握しました。 ご質問の内容と#1さんへの補足を読みました。 が、結局何を答えればよいのか、どのような意見を言えば良いのかわかっていないと言うのが正直なところです・・・。←読解力に乏しくて・・・。 ですから、私見としてカイロをどうするべきかについての意見を。 ご指摘の通り、カイロプラクティックは西洋医学(整形外科学)から発展した手技です。西洋・東洋で分ければ西洋医学的な手技療法です。 鍼灸は本来、東洋医学的な治療です。 しかし病院などで行われるような通電治療(はりをして電気を流す治療)はペインクリニックと言われる西洋医学的な根拠に基づいた療法であり、厳密に言うと東洋医学とはいえません(はりを使った物理療法なんですね)。 どちらにも共通する事は、金銭の授受に関係なく、人様にはりや灸をするという行為にはそれぞれ『はり師』『きゅう師』という免許が必要だという事です(ちなみに、医師免許があれば鍼灸施術はOKです)。 その治療内容が東洋医学的か西洋医学的かは、この場合関係ないのです。 ですから、 >免許制度をつくるに当たって、針灸のようなものに代表される東洋医学的見地と、今回のようなカイロプラクティックみたいな西洋医学的見地をごっちゃにしてしまうのは、なんだかいいかげんにみえてしょうがない決着の付け方と思いました。 これに関しては特に問題ないと思います。←個人的な意見です。 問題なのは、 (1)技術を教える側の意識や教育プランに問題がある事(いいかげんな学校も存在するという事) (2)法整備が確立されていない事 (3)国が認める免許がない事 この3点だと思います。 この(1)(2)(3)を順番通り厳密に整備して行き、国自体が責任を持ってカイロプラクターの存在を認めてくれるようにならなければ、今後も施術事故は減らないと思います。 本当に腕の良い施術者もいますが、それは本当に一握りの方だけです。 実際、私のところにもカイロで悪化した患者がやって来る事があります。 でも、「そこへ行くな」とは言えないんです。 患者さん自身の医療機関選択の自由を奪う事になりますから。 というわけで、長くなりすぎたのでこれで失礼します。 どんなご意見が来るか、またのぞきに来ようと思います。

noname#3019
質問者

お礼

 僕も”国が責任を持って”免許制度をつくってくれることを望む一人であるので、このことは賛成してるんですね。しかし国側がどのくらい治療法に対して理解というかよく知ったうえで免許制度にするか、不安で不安でならない。この辺のところも番組で詳しく知りたかったわけです。しかしこっちのほうは取材されなくて、お医者さんって信頼できるんだという実感を強く得るにはなにか足りないものを感じました。そこでこちらの質問ではその辺のところを、ちょっとでも洩らしてくれる人がいればな、と思ったのです。それとただ正義の味方ぶってるだけでは、医療を扱う番組としてはダメなんじゃないか、とも思いました。  僕個人が、西洋医学と東洋医学とを分ける発想を知ったのは、故遠藤周作さんと”鍼灸師”である上野圭一さんの本のせいなんです。とくに上野さんの若い頃のエピソード、バイク事故でムチウチ症になりいろんなところをまわってみたがダメだった。彼は鍼灸師である父親への反発から”西洋科学一辺倒”であったため、できれば針など打ちたくないと思っていたらしいんですが、ついに音を上げて父に打ってもらったところ、一時間で治ってしまった、というのです。そこで彼は衝撃を受け、自分もなろうと思ったらしいのです。  お答えにあるペインクリニックというのは麻酔科から発展したものと辞書に出てまして、西洋医学ということは分かりました。でもツボにうつのですか?そうじゃないというなら西洋医学ですが、”鍼灸師”と名乗られてるところをみるとやはりツボにうつのでしょうか。ツボというのは解剖しても出てこないものなんでしょう?やばい、また混乱してきた。という具合なんですよ。生齧りの知識とお思いでしょうが、やはり混乱中です。しかしこの状態じゃまともな質問はできませんね。ちょっと間をおいて何らかの形で出直します。  多分他の方、来られないような気がしますし、立て直しのため閉じますね。ついでに私は以下のような考えの持ち主ですのでお暇だったらのぞいて下さい。  ↓↓  ↓↓  ↓↓ http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=462466  お答えありがとうございました。

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.1

 質問と言うよりは、意見と受け取りましたので その様な主旨で書き込みます。  医療を行う者の資格に関しては、元来は、 患者のため(医療を行う者のスキルの確保)が目的なのでしょうが、 現在の日本では、健康保険制度のために資格(法律・制度)があると感じます。 よって、その医療行為の根幹となる由来よりも健康保険制度の 対象とするか否かの問題だと感じます。  ITに喩えるならインフラにあたる免許制度・研究機関 よりもコンテンツ(診療所の内容・技術・有用性)に重要性を感じます。

noname#3019
質問者

お礼

 医院の技術内容はほんとうに重要ですね。ただそれを受ける僕らとしては、なにも知らないでひたすら受身でいる事もまずいと思います。しかし、じゃあ詳しく病気のことを知ろうと思っても自力ではわかりにくかったり、医者がそういうことを言わなかったりでは、困るのでそういうことをも含めた免許の基準が出来ないかなとも思えました。早速のお答えどうもありがとうございました。

noname#3019
質問者

補足

★★★ できれば他の方々も読んで下さい ★★★  西洋医学も東洋医学もそれなりに有用だというなら、国が双方の在り方を認めて、そこでちゃんと権威付けをする事も大切かなと。(すいません、意見になっちゃってますよね。)というのはインフォームド・コンセントと言われるように、患者と医者が協力して病気と立ち向かいましょう、というスタイルに時代が変わり始めてますでしょう。テレビに出てこられた「被害者」の方の頃(15年前)にはそれが無くて、多分藁をもつかむ心境でそこの医院に飛び込まれたら、椎間板ヘルニアになられてしまった。もし彼女のほうに、自分の抱えている病気に関して何らかの詳しい意識があれば、あわてて評判の医院に飛び込まなくてもよかったはずですね。しかしそういった意識が無い場合、免許というものに威厳があれば、まずはそこにすんなりと頼ってゆけるのではないかとも思えるのです。  質問というのは「免許」というものに対する、国や今回のようなテレビ側の人々の意識のありようはどうなっているかを知りたいのです。(  私もこういった質問で、結構緊張してます。  )国の意識と言いましたが、我々の意識でもあるのですよ。僕は医療に関しては素人だから、どのように啓発されていったらよいか判らないのです。「インフォームド・コンセント」といいつつ実はまだ「知らしむべからず、よらしむべし」という体質を国も僕らも持ち続けるのは、いかがなものかと思うのです。そこで「知らぬ者」としてはどのようにして意識化に勤めてゆかなくてはならないか、いろいろ素人なりに考えるんですがどうにもならない。出来れば病気になる前に意識を持つことが、なった後の覚悟につながるわけでしょう。  そこで、せめて基本となるのが、西洋タイプと東洋タイプと二つあるということを少し前に知ったのです。西洋は”解剖学”が進んで、からだを相当「機能するモノ」として割り切った態度で臨むのです。逆に東洋は「ツボ」に代表されるように、”解剖しても出てこないもの”を当てにするのですが、これが経験的に治るとされている。この二者は根拠がかなり違うらしいのです。それでも双方効果があるというのですから、これらのうちどちらを我々が選択するのか、或いは専門家なら”あなたの場合はこっちがいいよ”とか言ってくれるような、頼もしい存在感が必要なわけです。で、そういう人とちゃんと話し合いが出来ないとまずいわけで、そういう意識のありようを何とかつかめないか、というのも今回の質問のねらいに含めてるつもりです。ですからはっきりこうあるべきだ、とか言うものばかり期待はしてなくて、みなさんどうお感じですか程度のものとも受け取ってくれて結構です。どうかお気軽にどうぞ。いきなり明快な答えが出る事は期待せず、それぞれの意識のありようを知りたいのです。