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皆さんは、“カギっ子”でしたか?
“カギっ子”という言葉、懐かしいですね。 今はほとんど使いませんね。 小学校の頃、友達にカギっ子がいて、いつもポケットに家のカギを入れているんです。 当時は、「家のカギを持っていて、自分で開けられる権限がある子供」ということで、すごく憧れましたね。 皆さんは、“カギっ子”でしたか? 周りにも、そういう子がいましたよね?
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鍵っ子でしたよ。 怖がりだったので、日が落ちるのが早い晩秋~冬の家は帰るのが憂鬱で、 家に入った時、寒くて暗い廊下…物音1つ聞こえません。。 「誰か、泥棒が潜んでいたらどうしよう!?」 …とか、ビビリながら自分を鼓舞して家に入っていった記憶があります。 一番参ったのが、夕方5時にやってた 「世にも奇妙な物語」を一人で居る時に見てしまった時!!!! 昔のホラー色が強かった話と、あのテーマソングが私を苦しめました。 家の人が帰ってくるまでコタツから出られませんでしたよ。。。
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- negu
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親が共働きで、学童保育に行くのを拒んだ為、“カギっ子”でした。 当時は、誘拐などの話題があまり無かったので、小学生時代は、紐に通されたカギを首から下げてました。 中学生になった頃からは、お気に入りのキーホルダーにカギを付けて、ポケットに入れて持ち歩きました。 やっぱり、親が共働きの友達は、カギっ子でした。 私の場合は、学校からの帰りだけじゃなく、朝、家を出る時の戸締りもしてました。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 他の方は、帰ってきたら誰もいなくて怖いと言う意見がありましたが、大丈夫だったのでしょうか? 朝も夕も戸締り担当ですか?それは大変ですね。 朝の戸締りは責任重大ですね。 ありがとうございました。
- dell_OK
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私は「カギっ子」ではありませんでした。 ウチは家に誰もいなくてもカギをかけていませんでしたので、カギが不要でした。 周りの子の事は存じませんでしたが、たぶんウチと同じだったと思います。
お礼
カギをかけなくてもいい位、治安が良かったんですね。 もっとも昔はそうでしたね。 「向こう3軒両隣」といって、普段からお付き合いしてるような間柄であれば、不審者はすぐに分かりますね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- SYNTH_001
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自分もカギッ子でしたが、一軒家が並んでいるような住宅地だったので、 いつもすぐ隣の家の子とかと、それこそ夕飯時まで遊び回ってたのであまり寂しいと感じたことは無かったかも。 あと兄が居た事も寂しくなかった要因かなと思います。 親の帰りが遅くなる日はよくケ○タッキー(一応伏字)を買ってきて夕食にしてくれたので、 なんか逆に帰りが遅くなる事を喜んでた節もあります; あれからだいぶ時が過ぎましたが、今でも”カギッ子”もとい”カギ大人”です。 ああ、独り身はツライなぁ…。
お礼
>”カギ大人” カギ大人は結構いますよ。 首都圏でワンルームを借りている人はみなカギ大人ですね。 私もそうですね。 さすがにカギを首から下げることはありません。 回答を頂き、ありがとうございました。
- tips
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こんにちは。 一時的にカギっ子時代はありました。 カギを忘れるとおなかすかせて、玄関で待ってました。 玄関の扉の高いところの上に予備の鍵がかくしてあって隣の方に とってもらって、入ったことはあります。 あと鍵を良く忘れたので、親が 植木鉢の下にも隠したりしていました。 一度だけ、玄関に蜘蛛の巣がはっていて、蜘蛛がいたので とてもこわくて、払うことができず親が帰ってくるまで 待っていたことがあります。 蜘蛛がせっかく作った蜘蛛の巣を壊すのは、蜘蛛にとって ショックな出来事でなんかたたりがあるような気がしたのです。 自分の住んでいた家に塀があって、だれか(勧誘など)が 来ると足と頭が見えるのですが、それがビックリして毎回 カーテンの隙間からじっと見ていた記憶があります。 お勝手口が木のドアで鍵と錠前がフックと輪のようなものだけ、 という簡素なものだったので (お隣の家に夜、変質者が年頃の娘さんの寝ているところをみていた 事件があったので)なんか妙に怖かったです。 夏休みは、「あなたの知らない世界」とかいう番組を 見て後ろを振り返るのが怖かったけど、それが良かったという 記憶もあります。
お礼
私もクモが大嫌いで、巣が張ってあると脇を通れませんでしたね。 一人で留守番をしていると、いろいろ思い巡らせてしまいますね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- A-mizuno
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私は家に帰ると絶対おばあちゃんが居たので(今も健在です、 カギっ子ではありませんでした。 むしろ鍵を持ちたかった、というパターンです(笑 自分で鍵を開ける、というのは憧れでしたし、 毎日、かわいいストラップで鍵を首からぶら下げている子が友達にいたので、 とても羨ましかったですね(笑 蛇足。 大学1年生になり、鍵を自分で開けることに憧れも何も感じなくなった今現在。 おばあちゃんが入院して家に誰もいないので、外に出るときは自分で鍵を閉め、帰ってきたら自分で鍵を開けます。 めんどくさくて仕方ありません(笑
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 昔は憧れて、今は面倒くさいですか! 成長とともにそうなるものですよね。 ありがとうございました。
「両親が帰ってくるまで、家で待つ」という事につけては私もカギっ子と同じですが、私の実家は超田舎でしたので、家にカギがありませんでした。 一日中誰も家にいないのにカギをかけることがありませんでした。 これはカギっ子と言いませんよね? ただ、みなさんがおっしゃるように寂しいと思った事がなかったです。 単なる「一人でお留守番」は寂しくなくて、どうして「カギを持ってお留守番」は寂しくなるのでしょうかねぇ?私もカギを持っていたら寂しかったのでしょうか?(んなわけないか) 確かにカギっ子という言葉は寂しさを連想させる気がします。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 >確かにカギっ子という言葉は寂しさを連想させる気がします 学校が終わって家に帰ってきて、ひとりでポツンといるイメージがあるのでしょうね。 お留守番という感覚だから、寂しくなるのではないかと思います。 ありがとうございました。
- Nannette
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私もカギッ子に憧れました、それと、定期券を首からさげた子供にも。 その昔のわが家、父がまだ医院を経営していた頃には、母が出かけていても、昼頃から夜までは通いのお手伝いさんがいましたし、夕方までなら看護婦さん(看護師さん)もいましたから、カギというものにはまるで縁がなかったんです。 でもカギっ子になりたくて、たしか叔母から貰った一本のカギ、紐をつけて首から下げて、それでもずいぶん誇らしかったものでした。 わが家に遊びに来ていたカギっ子のC子ちゃん、夕方になっても帰ろうとしない・・・、どうしてと聞いたら、帰っても家が暗くてこわいのよ、いいね、Nちゃんは・・・って。 でも、あの当時の私は、C子ちゃんこそ自由たっぷりの身、暗かったら電灯をつければいいだけの話と、どうして私がうらやましいのか分らなかったし、ひとりの寂しさとかわびしさを十分に分ってあげられなかったみたい。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 カギッ子の帰りたくない気持ち、よく分かりますね。 >定期券を首からさげた子供 そうそう、憧れました。 高校になってようやく定期券を持ちましたが、何となく誇らしげでした。 ありがとうございました。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
こんばんは カギっ子でした 家族が帰ってくるまでの時間って、なんともいえない寂しさがありましたね 家の電気がついてて 料理の匂いが漂ってくる家って 憧れましたね
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 >料理の匂いが漂ってくる その匂いをかいでしまうと、たまらなくなりますね。 カレーの匂いは不思議とそそってしまいます。 “この家では皆で夕飯を食べてるんだ”と思いますね。 ありがとうございました。
- hornet1arm
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こんばんは。 カギっ子でした。 皆様が言ってるように寂しいですし、カギを忘れて行った時は悲惨ですよ。 小学生の頃、鍵を忘れて家の前で親をずっと待ってました。 真冬は寒くて暗くて辛かったです。
お礼
カギを忘れると大変ですね。 前の方にも書きましたが、近所の家で待たせてもらうなんて事はなかったのでしょうか? 昔はそういうコミュニティがあったような気がします。 カギをもう一個、秘密の隠し場所に置いておいたらよかったですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- kinoko-tk
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はい。 『カギっ子』でした。 皆さんが仰る通りさみしいだけでしたよ・・・。
お礼
そうですか、寂しいだけでしたか。 今は寂しい思いをするのが難しい位、街中にはいろいろなものが溢れてますね。 きっと今なら、玄関に座ってゲーム機を夢中でやって帰りを待つんでしょうね。 回答を頂き、ありがとうございました。
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お礼
日が陰ってきた夕暮れに、そんなテレビを見てしまうと怖いですね。 帰ってきたら、明るい番組を見るのが鉄則ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。