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只見川ってどこから?
地図を見れば一目瞭然なのですが‥ 以前何かの本で、三條ノ滝以降が本当の只見川であるとの記述を見た記憶があります。確かその本の説明では、ヨッピ川と沼尻川の合流部から同滝までの間は正しくは「赤川」と呼ぶとのことでした。 ちなみに東京の隅田川は元来は鐘ヶ淵の屈曲部から下流を指していたものが、河川法改正で現在では岩淵水門以降に範囲が変わっています。それで、きっとこれもその類なんだろうと思ったのですが、数年前に東電小屋に泊まった際その点をスタッフさんに尋ねたところ、「そんな話は聞いたこともないし、あり得ない」とキッパリ否定されてしまいました ( ^^; それが書かれていた本の名前が思い出せないので再確認も出来ず、以来モヤモヤが続いています。詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください ( ^^
- MockTurtle
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- knfci
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質問者さんの指摘を裏付けているサイトはありますね。 テーマ1がそれです。 http://www.npoars.jp/ars_kyoiku/ars_oze/oze_htm/oze_answer.htm ココに聞いてみれば詳しい回答が得られるかも知れませんよ。
- mat983
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AA%E8%A6%8B%E5%B7%9D 詳しくはありませんが、 「群馬県と福島県の境界にある尾瀬沼に源を発し・・・」 と上記サイトにあります。 参考になるかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに尾瀬沼は只見川のメインの水源なのですが、沼から流れ出す時の名前は「沼尻川」です。これが尾瀬ヶ原でヨッピ川と合流して只見川になります(国土地理院の地図上は)。 私が以前読んだ本の記述では、この合流点から「赤川」となり、更に三條ノ滝を落下したところから只見川になると書かれていたのですが、その真偽を確認したいというのが本質問の趣旨です。 前述の通り東電小屋では過去においてもそういう事実はないと明確に否定されました。東電小屋の次に合流点に近い龍宮小屋では「初めて聞く話だが、調べておく」とのことでしたが、その後回答をもらっていません(多分忘れていると思います)。
補足
国交省の河川事務所に問合わせてみたところ、わざわざ福島県の土木部に照会して回答してくれました。 同県の河川調書(旧河川法に基づく)の記載によれば、只見川は沼尻川と呼ばれる区間を含むそうです。したがってその上流端は尾瀬沼からの流出点ということになるので、Wikipediaの「尾瀬沼に源を発し‥」という記述は間違いではないようです。 しかし、同調書には沼尻川の下流端に関する記載はないようなので、厳密な意味でどこから只見川に名前を変えるかははっきりせず、また問題の赤川に至っては、その名称すら見出せないとのことでした。 こうなると質問の中心は専ら赤川の存在に変わって来ますが、河川台帳にもなければ地図にもないとなると、過去も含めて少なくとも公にその名称で呼ばれていた可能性は限りなく低そうですね。 後は地元の言い伝えが頼りになると思いますが、それがさっぱり‥ ( ^^;
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お礼
ご回答ありがとうございます。わざわざ調べてくださったんですね。 このページは過去に私も見たことがあります。ただ、現在は沼尻川とヨッピ川の合流点を以って只見川になるることは間違いありません。合流点~三條ノ滝間が赤川と呼ばれたのがもし事実であったとしても、それはあくまで過去の話です。それを何の説明も無しに、あたかも今現在そうであるかのような記述している点から考えて、このページは何かの文献の丸写しではないかという疑いを抱きました。 一応問い合わせてみようかとも思ったのですが、これが単なる受売りだとすれば、このサイトの運営者に尋ねても無意味のような気がして見送った経緯があります。 やはり、国土地理院辺りに問い合わせるのが近道かなぁ・・・ 折角ご回答いただいたのに申し訳ありません <(_ _ )>
補足
その後、赤川についての記述を見た本が判明しました。 これです。 ↓ 地球の風 登山ハイク 『尾瀬』 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/30826028 何と、自分が持っている本でした ( ^^;☆baki\(ーー") そこで、さっそく発行元のゼンリンに問合わせてみました。ところが・・・ 同社は山岳関連図書の出版業務はもう止めていて、同書は既に絶版、資料も一切残っていないので回答出来ないとの冷たい返事が‥ (ノ_<。)。。 で、結局ご紹介いただいたA.R.Sさんに問い合わせてみたのですが、同校のウェブサイト掲載の説明は、生物学者の武田久吉氏(1883-1972)監修の本(岩波書店刊)の記述に基づくもので、同氏が既に他界しているため、その真偽については “確認できない!” そうです。 まあ、武田久吉氏は明治から尾瀬と深く関わって来た人ですから、情報元が判っただけでも一応収穫とは言えます。ただ、このサイトにしてもゼンリンの出版物にしても、ソースを明らかにしないまま恰もそれが周知の事実であるかのように記載するのは困りものですね ( ^^;