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最近のカバーバージョンに思う事。

このサイトでも話題になっている、例の島谷ひとみさんのシャンプーCMの曲。 曲名、歌手は判明していますので・・・・。 ところで、せっかくいいメロディーの曲で、ウクレレ(ギタレレかな?)を使い何ともいえないシンプルなイメージなのに、何で・・・?。 曲全体を聞かれた方はおわかりと思いますが、せっかくのきれいなメロディーの曲をどうしてんな風に編曲しちゃうの? 最近のこの類のカバーバージョンの曲多いですね。 こんな風に思うのは私だけでしょうか?。 皆さんのご意見お聞かせ下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • doroesute
  • ベストアンサー率42% (80/190)
回答No.3

そのきもち、よくわかります。 はっきりいってカバーをする理由の9割以上が ・「売れない状況を打破して名前を売るため」 ・「無難でハズレが少なく、そこそこの成果が見込めるから」 ・「うまくいけば大ヒットの可能性もあるから」 という後ろ向きなものです。 本当に心の底からリスペクトした上でカバーしたいと 思ってやっている人なんてほんの一握りでしょう。 島谷ひとみも結局は一番売れたのがパピヨンとかいうカバー。 あれをだした後、オリジナルも唄ったけど当然かんばしくない結果で やっぱカバーするか、って感じでカバー曲の恩恵にまたあやかって よりかかったと。 で、若者にうけるにはやっぱりドラムはウチコミでシンセも入れなくちゃ とかいうふるくさい考え方であのような妙な編曲が出来あがったのでしょう。 よく、古きよき時代の名曲を語りつぐとか、21世紀に残すとか ご苦労なことをいいわけにしてますけど あんたらがいちいち歌わんでもちゃんといい歌は残りますよと言いたいですね。 B面曲とかアルバムの中の曲とかまで掘り下げてカバーする人なんて ほとんどいないのも嘆かわしい限り。 音楽を軽々しく考えすぎ。

gokurakuyama
質問者

お礼

doroesute さん、ありがとうございました。 ご自分の意見わかりやすくまとめていただき、共感出来る部分がたくさんありました。 あの曲が私に取っては名曲で、原曲時代も含めて始めて生き返ったと思っていた矢先、CD買ってみてがっくりです。 カバー曲を出す9割が・・・・。ウーーン。 >B面曲とかアルバムの中の曲とかまで掘り下げてカバーする人なんて ほとんどいないのも嘆かわしい限り。 本当にそうですね。手っ取り早いところでとりあえずっていうようなもんですね? カバーするのはあんたの勝手やけど。どうせやるなら原曲を越えるくらいのカバー曲を作れといいたい私です。

その他の回答 (6)

  • miska
  • ベストアンサー率30% (18/60)
回答No.7

#1のものです。 なるほど。元曲の時点でアレンジに不満があり、島谷版でその不満が解消されたかと思ったけど、肩透かしだった、ということなのですね。 う~ん、しかしこれだと、元曲リリースの時点でももしこのページのようなものがあれば同じような不満を訴えていた可能性がありますよね。 カバーであることにはあまり関係がないような印象を受けます。 島谷さんのことはあまりご存知ではないようですが、これまでリリースされた曲の流れを考えると、彼女の曲としては今回のアレンジは極めて正統的だと思えます。 彼女にウクレレソロバージョンを求めるのは、言ってみればうどん屋でラーメンを求めるようなもので… ただ、最近はシングルに別アレンジ版をカップリングすることが多いので、そのようなバージョンをつけるという方向性もあったとは思います。 製作側がそのような需要があることに気がつかなかったのか、主な購買層(つまり彼女のファンですね)は元々そういうアレンジを求めていなかったのか、それはわかりませんが。 # 個人的にはあれば聞いてみたいとは思います カバーについて、#1で書き忘れていたのですが、しばらく前にWhiteberryがJitterin'Jinの「夏祭り」をカバーしてましたよね。 あれ、妙に売れましたが、個人的にはあれこそが意義のないカバーだと思います。 元アーティストよりうまいというわけでもなく、アレンジに特筆するほどの差があるわけでもなく。 素直に元曲聞いたほうがいいよなぁ、なんて。

gokurakuyama
質問者

お礼

miskaさん、再びありがとうございます。 島谷さんの歌唱力ならばこそ、シンセバージョンを越えて突き進んで欲しかったとCDを聞いてみて思います。 もともと女性ボーカルは大好きでして、古くは大橋淳子、庄野真代、鈴木しょう子、須藤薫、彩 恵津子や 種 とも子を良く聞きました。 この欄をお借りして延べ7人の回答者に一言御礼申し上げます事、お許し下さい。 miskaさんごめんなさいね。 私のわがままな質問、我見にお付き合いいただいて誠にありがとうございます。 元来、音楽は「自分の好み」の範囲で納めるべきとは私の持論でもあります。 実は私の家の近くに、たまたま同い年の仲がいいCM専門のテレビデレィクターなる者がいまして、先日一緒に酒を飲みこの類のCMの話題になりました。 その親友が言いますには、CMを企画、提案するときに、一番決定権を持つのはCMのスポンサーや制作大手企業の部長クラスで、どうしても懐かしい曲を使えば「取り上げてもらえる確率が大きいんだ」と。 「CMの企画案や、出演者の人選などどうでもいい場面がままある」 「それがあれや、これやと徹夜で議論して企画した制作側としては、たえられないんだけど」というような話でした。 やはりと思う反面、それとあの原曲か、あのアレンジで彼女が歌うという話は別なのでは・・・。 というような話になった結果で質問したのでした。 その酒の席での結論は、カバーリングするのならとことん、中途半端はやめて徹底的にやってしまえ。 現代風に受ける事を考えずに・・・・。突き進めって事に落ち着きました。 しめくくりにとりとめなくなりましたがお許しを・・・。 あのCMがこんなに話題になる事で、制作者は「我が意を得たり」と一人で喜んでいるのだろうね。とは二人の最終結論でした。 音楽好きの私はそれで閉めたいとは思いませんが。 本当にそれぞれのお方ありがとうございました。 音楽に対する質問は又立ち上げますので、その時はどうぞよろしくお願いします。

noname#3165
noname#3165
回答No.6

天国の階段はレッドツェッペリンだよ。 ↑ 父親が好きだから知ってるだけですが・・・。 ディープパープルはスモークオンザウォータとかバーンとかハイウェイスターとかだよ。 俺はリアルタイムでは第9期からのディープパープルしか知らないんだ。 ちなみに  この前、第10期になったばかりです。 ※ウクレレだけでもいいかもしれないけど多分聴いていてある程度のときが立つと飽きてしまう人が多いのでは? カラオケでも歌いづらそうだし。 歌は皆が歌いやすいのがいいにきまってますし。 ↑ クオリティーばかり求めて聴く人を楽しませない独りよがりのアレンジャーよりかよっぽどましでは? アレンジャーだけではなく作曲者とかも同様では? でも大衆的な歌も嫌いなんだけどね・・・。 わがままな世間の需要ってやつかな?

gokurakuyama
質問者

お礼

大変失礼しました。 レッドツェッペリンとディープパープルごっちゃになっていました。 スモークオンザウォータそうそう、何せ25年ほど前の事なんで・・・。(汗~) これに懲りずに立ち寄り下さい。

noname#3165
noname#3165
回答No.5

う~ん。 俺は好きだけどなぁ・・・。 CMとCDどっちも。 島谷のファンじゃないけど。 NO#3の人の意見は一般人のくせに決め付けているのが気に食わない感じですね。 古きよき時代の曲だってある程度の時間が経てば一部の人しか知らなくなっていくでしょう。 それは今回のこの曲で証明されました。 なぜなら最初に聴いたときはカバーだと思わなかったですし。 過去のいい曲を歌い有名になれればカバーしたことは大成功に終わったって事ですし。 NO#1の人が言っているように同じ曲を出すなら違うようなアレンジでないと出す意味がないような気がします。 俺は昔のハードロックバンドが好きなんですがライブアルバムを買うのが楽しみです。 俺の好きなバンドとはディープパープルというバンドなのですが。 毎回ライブをするたびに編曲が違うからです。 と、こんな感じで、曲の雰囲気が違うのを楽しんだりするのもなかなか楽しいです。 ちなみに日本のバンドはほとんどライブでも原曲に近いのであまり楽しくありません。 オット!話しがそれましたが島谷のやつは最初の雰囲気がもうすこし続くとよかったと思いましたが。 あの編曲でも満足ですよ。 俺はね。

gokurakuyama
質問者

お礼

umatotoroさん、ありがとうございます。 反論で申し訳ないのですが、ライブで持ち歌を編曲変えて演奏するのと今回の話は根本的に違うと思います。 そして、原曲にも決して私は満足していませんでした。 ただCMを聞いて「原曲が生き返った」と感動した次第です。 >過去のいい曲を歌い有名になれればカバーしたことは大成功に終わったって事ですし。 このあたりがくせ者なんですよね。 過去のいい曲は記憶に残る曲=メロディーがいい。 そのままカバーする=でも、それではカバーの意味がなくなるから、ある程度現代風にアレンジする(シンセを入れたり、テンポを変えてみる)=ある程度売れる。 皆さんの回答をみてもそんな図式があるように思えます。 私はちょっと違ってせっかくカバーするのなら、原曲を越えるくらいのアレンジでやって欲しい。 あのウクレレ一本であんなに言い旋律を復活させてるのだから、シンセとか使わずに最後までやってみろよ。 と思うのですが・・・・。 でも、ここまで書けば好みの問題ですよね。 良くわかっているつもりではいるのですけど・・・・・・。 最後にディープパープルの話が出ましたが「天国への階段」でしたっけ。いいですよね。 それから、20年以上前でしたから出てきませんが「炎の・・・・」 一時聞き込みましたよ。

  • jo_
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.4

CMを最初に見た時は、きっとこのままのアレンジでは発売しないだろうなぁ・・・とは 何となく思ってましたが、やっぱりって感じです^^; 皆さんも書いている通り『好み』っていうのが一番ポイントだとは思いますけど・・・。 私の中ではこのアレンジはいいんじゃないのかな?って思います。 原曲は聞いたことがないのでわからないんですが、『島谷ひとみ』の声質にちゃんとはまっていると思いました。 (実は、パピヨンの前から聞いていたアーティストなんですが、最初に気に入ったのって彼女の声なんです^^;) いろんな芸能人がヒット曲を歌う某番組を見てると、歌と声があってなかったりで(それ以前の問題なのもありますが・・・爆) なんかチグハグした感じに聞こえます。 今回の『亜麻色の・・・』は島谷ひとみの声がちゃんと生きてるし、個人的には合格点だと思ってます。 (原曲を知らないからこういう見え方になってしまうとは思いますが) ・・・でも、一度フルコーラスでアンプラグドなバージョンを聞いてみたいですね(笑) で、、、歌のほうですね。 メロディーラインも昔の(失礼^^;)歌とは思えないくらいアレンジとはまっているし やっぱり『いい歌』であることに間違いはないと思います。 どんなアレンジでもいけるということは時代に左右されない(大げさかも)、ある種スタンダードな感じがするんですけどどうでしょう? 個人的にはいろんなヒトによっていろんな解釈のされ方で聞くのって結構好きなので こういう歌はどんどん世に出て行ってもいいと思います。 まぁ歌えば誰でもいいって訳ではないですけどね^^; あと、最近ちょっと出過ぎ・・・とも思います(苦笑)←これが行き過ぎると『歌えば誰でも・・・』現象になっちゃうんですよね~ 最後に、、、No.3の方のカバーをする理由・・・確かにそれはあると思います。 でも、実際、カップリング/B面の歌やアルバム曲って、大半は原曲を歌ってる人のファンでないと分からないから 言わなければカバーって気付いてもらえないんじゃないかな・・・?って思います。 逆にそれではカバーされたほうの方があまりに忍びないと思ってしまうのは私だけでしょうか??^^; (代表曲以外のカバーを否定している訳ではないです・・・念のため)

gokurakuyama
質問者

お礼

joさん、ありがとうございます。 やはり人それぞれで好みの問題なのは良くわかります。 島谷ひとみさんに関しては私は全然知らない歌手なので、どうこういうつもりはもうとうございません。 ただ原曲を越えるアレンジで「オーッ。いい感じ」って思ってたんですが・・・。 声が生きてるとかそういう問題じゃないので・・・。 確かに島谷ひとみさんはいい声ですよね・・・・・・・・・・・・。 私に取っては誰が歌っていようと・・・・。 カバーリングの最終目的はどんなんでしょうか? 自分の個性と言い切ってしまうのなら、カバーリングではなしにオリジナルで・・・・。と思うのは私だけでしょうか? 決してもともとのビレッジシンガース(アッ。言っちゃった)の原曲に満足していない私の意見です。

  • maruru01
  • ベストアンサー率51% (1179/2272)
回答No.2

こんにちは。maruru01です。 基本的にはNo.1の人の言うように好みの問題なんですけどね。 もちろん、元の曲に思い入れのある人にとって気に入らない別アレンジというのはあまりいい気はしないでしょうね。 だから、アレンジや歌い手が違う時点で別の楽曲だと思うのが無難だと思いますよ。 例えば、南沙織の17才と森高千里の17才は別の曲だと私は思っています。 また、この「亜麻色の髪の乙女」を知らなかった人が、これを機に元歌を聴いて好きになるということもあるかも知れません。 ふざけたり茶化したりしない限り、いろいろな歌い手やアレンジャーによるカバーバージョンが出るのは、元の歌にとってもいい事だと私は思っていますよ。 では。

gokurakuyama
質問者

お礼

maruru01さん、ありがとうございます。 >元の曲に思い入れのある人にとって気に入らない別アレンジというのはあまりいい気はしないでしょうね。 No,1の回答者方へのお礼の欄にも書きましたが、ちょっと違う私自身の思い入れが原曲、カバー曲両方にありました。 >南沙織の17才と森高千里の17才は別の曲だと私は思っています。 >いろいろな歌い手やアレンジャーによるカバーバージョンが出るのは、元の歌にとってもいい事だと私は思っていますよ。 なるほどそういう受け取り方も確かにありますよね。 そのお陰で原曲を聞く人が増えるのもいいですね。

  • miska
  • ベストアンサー率30% (18/60)
回答No.1

結局は好みの問題になると思いますが… むしろ、当時そのままの演奏(編曲)でカバーすることに意義があるのだろうか?と思います。 2002年バージョン、島谷バージョンの亜麻色を歌うことにこそリリースする意味があるんじゃないかと。 ノスタルジーを目的とした、例えばMi-Keのカバーリングなどとは方向性が違うわけです。 最近の同じようなアプローチでは、globeの「Stop! In the Name of Love」がありましたが、最初にサビだけ聞いたときにはかなり心配になりました。 しかし、全体を通して聞いてみて、すっかりglobe色の曲になっていたことに安堵しました。双方のファンとして。 まあ、話題性だけを考えて、たいした歌唱力もない芸人に坂本九をカバーさせたりするのはどうか、とは思いますけどね。

gokurakuyama
質問者

お礼

miskaさん、ありがとうございます。 思わず拍手しちゃいました。 >話題性だけを考えて、たいした歌唱力もない芸人に坂本九をカバーさせたりするのはどうか、とは思いますけどね。 まさしくその通り「的を射た答え」です。 あの度下手(失礼)の歌唱力で歌うなよ!と思います。 >むしろ、当時そのままの演奏(編曲)でカバーすることに意義があるのだろうか?と思います。 2002年バージョン、島谷バージョンの亜麻色を歌うことにこそリリースする意味があるんじゃないかと。 失礼をお許し下さいね。 たぶんどなたかからこういうお答えが帰ってくるとは思っていました。 miskaさんは、あるGSが歌っていた「あの曲の原曲」はご存じだと思います。 私の質問の書き方が不十分で申し訳ございません。 私はリアルタイムで多少聞けた年代ですが、実はあの原曲そのものもアレンジあたりがあまりどうかな?と思ってたのです。 GSソングにありがちなのですが、せっかくメロディーも詩も曲調もいいのに、やたら当時の海外バンド(ビートルズくらいかな?)の変なまねに走っているようにも思いました。 ですから逆に言えば、あのCM聞いて「オーッ。あの歌がここで始めて生き返った」と思ったのです。 でも最終的にはmiskaさんがおっしゃる通り「好みの問題」なのですね。 とりとめもなく長い話になり恐縮でした。 又、気が向いたらお立ち寄り下さい。

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