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宗教についての疑問
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- 信頼性のなさを感じる宗教について
- 宗教を信じる理由について調査
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質問者が選んだベストアンサー
宗教というものは心の平安を持つための道具というもの 生きるために必要と思った時、信じればいいと思う。 どこかの教団に入会するのと信じる行為は違いますね それでその人が幸せになったというのが基準ですね。 人生の基準を変えれば色々な生き方ができますよ
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- zoo-zoo
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知り合いの話。 生まれた子供さんが病気で、どこの病院でも長くは生きられないだろうといわれていたのに、宗教をはじめたら、10歳になり20歳になり、今では就職して社会人。 これだけのご利益(まぁ偶然だと思いますが。。)があったら、宗教のおかげだ!って思っても仕方ないですよね。 最初は、何か頼るものがほしくて、ためしにやってみたという程度だったかと思います。 あとは、現世で不幸な人たちが集まっていて、死後の世界で幸せになろう!みたいな宗教も出会ったことがあります。ただ仲間が欲しい、って理由もあるのかもしれないですね。
- mizu-rin
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宗教の最終形態は「相互扶助」だと感じています。 むかし「ゆりかごから墓場まで」なんてキャッチフレーズが歴史の教科書にありましたが、ようは「ゆりかごから墓場まで」お互いが付き合うために意思と言うか、価値観と言うかをある程度統一する必要があるんだと思います。 その統一要因が「宗教」という教義、教理をもったものなんだと思います。 どんな宗教だってそれ系の「病院」なりをもっていると言うのはまさしく「相互扶助」のほかなりません。 だから、「宗教をやっている」というのは「宗教というフィルターをとおしてその集団に参画している」と言うのが正しいのではないでしょうか? 宗教に信憑性は必要なくて、宗教団体として存在していることが大切なんだと思います。 「病気が治った」といった個別の事象は「病気が治らなかった」ということが隠れてしまって(病気が治らないと「神様のオボシメシ」と言うな名の下にふせられる)プラスの面だけが表に出ただけのことだと思います。 ですから詐欺ではないと思います。 理解する必要もないと思います。
>宗教をやってる方はそこの宗教のどこに惹かれて、 >そこの宗教を信じているのですか? 宗教は「やって」ますが、信じてはいません 初詣やお墓参りには行くけど、それによって偉大なパワーや 精霊がどうこうなると信じてはいないという意味です 宗教=信仰ではなく、私のように信仰は持たずに「行う」だけの人もいれば、 「信じる」だけで行事は一切参加しないという人もいるし、 その形はさまざまだと思うので (実際に太古の昔の宗教でも経典のないものや、行事がないものもあるんです) まあ私にとっては信憑性の問題ではないですね 年の初めに山に登って願い事をしてみたり、 おみくじを引いてみたり.....そういう「行為」が好きになれるかどうかです 改宗する事と病気が完治する事の因果関係は私にもみえませんが、 それはたとえば友達が「私と彼は世界で一番愛し合っていて、いずれは結婚するの」 と言っているのと同じで、 そうかもしれないしそうでないかもしれないけど 本人がそれで幸せなら私も幸せと思えますよ そのカップルがたとえ結婚しなくても「結婚詐欺だ!」とは思いませんしね
- amamamam
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宗教やってます。信じた理由は理論的であるからです。 宗教はその人が実際”教え”を聞かないといい悪い詐欺か詐欺じゃないか分からないと思います。星の数ほど宗教もありそれと同じく教えの数もあるのに実際見聞きもせずに精神修養とか詐欺とかいうのはおかしいと思います。宗教は学問です。科学や他の学問が進む中、宗教も日々進歩するのです。
- localtombi
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「鰯の頭も信心から」と言いますね。 信じる人にとっては対象は何でもいいんです。それがご利益があったとか、なかったとかは本人の問題です。 面白いのは、願掛けに神社とかお寺に行きますね。願いが叶ったらお礼参りをしますが叶わなかったらそのままじゃないですか。うらむわけでもないし、「願いが叶わなかったじゃない」、って言いに行くわけでもありません。 宗教も同じで、良い方向に変わったら宗教のおかげと思う反面、悪いことがあったら宗教のせいにはしませんね。たまたまそうなっても、いいことなら宗教のおかげと思う。 信仰ってそういうものです。
- SortaNerd
- ベストアンサー率43% (1185/2748)
宗教が信じられないのは私も同じです。信憑性などあるわけがないですよね。どうせ大嘘ですから。 でも 信じることによる「ご利益」というものは確かに存在すると思います。 神に祈ったからきっと救われる、と信じているのは不安にさいなまれるよりも精神衛生上よいことでしょう。 また、神だって無償でご利益を与えてくれるわけではありません。隣人に優しくしろだの罪は犯すなだの色々と注文をつけてきます。これを教徒全員で実行すれば、それだけで幸せになれて皆の団結力が強まります。言い換えればこれが「ご利益」なのかもしれません。 もっとも、その団結力が災いして別の宗教との対立が起こったりするのですが…。 ↓このショートストーリーを読んでみるとあなたの宗教観が変わるかもしれません。 http://hotmark.in/grp/txt/cross_00.php
- sinjou
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お祖母ちゃんが創価学会に入ってますが、息子が統合失調発病して、パジャマ着て寝れない生活が何年も続くわ、周りから遺伝を責められるわ、縋る物がなかったらもう、お祖母ちゃん自身がおかしくなってたんじゃないかなあ・・・と思います。 お祖母ちゃんは元々、お針子さんとして都会で独身で自立した生活を望んでいた人なので、田舎で農家の嫁として陰湿な嫁いびりに遭ったり、若くして腰骨が曲がるなど、耐えられなかったんじゃないかなあと。 大作派なので、政治への関心も強く、社交性に富んでる人なので、当時の世相を考えますと、これしか救いがなかったんじゃないかと思います。朝晩拝んで、健康的な生活サイクル送ってるとは思う。 お祖父さんがお金を握って、お祖母ちゃんは外出も買い物もさせてもらえなかったのです。これじゃあ、誰だっておかしくなりますよ。 核がないと生きていけない人もいるのです。
- shhkmg
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私が入信しているわけじゃないので参考になるかどうか…… もともと、人づてに聞きかじった宗教を頭から信じ込んで入信する人など,タダの一人だっていやしません。人間そこまで純粋じゃないですから。 そもそも宗教が掲げる「教義」と言うのは,一朝一夕で理解出来る程生易しいものではありません。様々な文献や記録をひっくり返し,それが正しい論理に立脚しているかどうか,それを見極めた上で入信する宗教を選択するのがスジというものなのでしょうが、あいにく我々一般市民にそのような時間も無ければ知識もありません。 じゃあ何に惹かれて入信したのかと言えば,それはズバリ勧誘する人の人柄と言うか,オーラみたいなものでしょうね。 勧誘するからには,その宗教の教義を実践することで(←これが重要です。ただ入信して籍を置いただけではダメなのですね)得ることが出来た功徳や利益の体験を元に人に勧めるわけで,でなければ話すことは愚か目も合わせることすら出来ないでしょう。 ですから、勧誘する際には一種の確信と言うか,勢いみたいなのは大いに必要です。回らぬ舌で教義云々を説明するよりも,実体験を元に押した方が相手は聞き入り易いですから。何も宗教に限ったことじゃないでしょ? >私からしてみれば馬鹿らしくて詐欺と変わりないと思うのに。 と思ったその時点で,あなたはその宗教で功徳を得たと思い込んでいる人達を「それは詐欺だ」と立証しなければならない義務が発生します。 彼らは明らかにそうした体験をしている上で行動しているので,まずはこれを否定しなければならないからです。 しかし、きちんとした理論をもって否定出来る「一般市民」はそう多くありません。たいていはあなたみたいに、ただ「気持ち悪い」「胡散臭そう」と言う表面的な感情だけで騒ぎ立てているだけです。これでは相手を屈服させることなんて出来ません。 だいたい今の日本人ほど、宗教に関して無神経と言うか,無頓着な民族はいません。単純に好悪の感情だけで宗教を色眼鏡で見,差別し,隔離しようとします。 そのくせ、毎年元旦には万札握りしめて遠近の神社仏閣に詣で参らせ,クリスマスにはキリスト生誕そっちのけでバカップル共が夜の街に消えて行く。こんな無茶苦茶な文化が他にありますか。 話が逸れましたが,これだけ宗教詐欺が罷り通る世の中で,頭からその宗教に惹かれて入信する者はほぼ皆無です。 しかし、例えそのような状態で入信しようとも,一度その教義を実践して「利益」を得たからこそ、彼らは信仰し続けているのです。 ということで回答はズバリ,「論より証拠」です。 正しい・間違っている云々ではなく,証拠なんです。 証拠の出る宗教こそが正しいのであり,信仰に足る宗教,と言うことです。