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公教育のよさって、なんでしょうか。

最近、公教育の危機といわれていますが、じゃあ、いったい今いいところを上げるとなんでしょうか。教えてください。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Ama430
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回答No.10

No.8です。 >教育とは何だとお考えですか。 現行の教育基本法の精神を支持しています。 国民が、自己の能力を最大限開花させるためのお手伝いが教育であると考えています。 これと対極にあるのが、「国家に貢献するための教育」で、個性の開花よりも、集団規律に従順であることを求められます。 近年、子ども達の規範意識が低下して教育が荒廃していると指摘されています。 そのために、戦前に行っていたような全体主義教育の復活を願う人も現れてきています。 国会で継続審議になっている教育基本法の変更点は、国家が法律で教育内容を決めるというもので、「愛国心の強制」というような問題がクローズアップされています。 しかし、子ども達の規範意識の低下は、ひとつには、大人社会の反映だと思います。 もうかるためなら何をしても良いというムードは一部に根強く、いわゆる構造改革路線とともにさらに強まってきた感じがしています。 例をあげるなら、姉歯事件、ライブドア事件、村上ファンド事件、など、「規制緩和」の美名で、必要な規制までとりはらって、人に迷惑をかけるお金儲けを合法化してきたという点が特徴です。 もうひとつは、学校現場で、子ども達の「できるようになりたい」という気持ちに応え切れていない実態があり、さらに、地域社会の崩壊がこれに拍車をかけていると思います。 無理矢理法律で強制しなくても、個人の素質が最大限のびる社会では、誰もが社会に貢献することができます。 自分の個性が尊重される中で、おたがいの個性を尊重し合うという態度が育まれるなら、本当に必要なルールは守られるものです。 私たちは、なぜ子ども達が「教育を受ける権利」を充分行使できないのかを真剣に分析する必要があると思います。 そういう視点で教育の現状を見ていくと、 >得たいのしれない言葉が羅列され、一体、どれとどれがくっついて、どうなるのかよくわからない という疑問に対しても、ある程度解答が得られるのではないでしょうか。 すべては、ひとりひとりの「人格の完成」の目標に対する手だてであり、それには共通の教育内容があると同時に、個性に応じた教育内容が工夫されなければならないのです。 教育内容を中身のあるものにする手だてとして、体験的な活動があらためて重視されています。 「心の教育」は、一面では、人間関係をつくる力が低下した子ども達に、机上の空論ではなく、実際生活に生きる人間関係調整能力を身につけさせたいという考え方から出てきたものです。 しかし、一面では、さまざまな教育問題を口実にして、与党や経済界に都合の良い従順な国民づくりをねらうという性格を色濃くもっています。 そのような動機から「心の教育」を推進しようとしても、「教育を受ける権利」をふみにじる結果となり、トラブルはますます深刻化するばかりです。 教育問題をこのような狭いコラムで語り尽くすことはできません。 できれば、質問のポイントを具体的にしぼって投稿されると、だんだんに自分なりの考えがまとまってくるのではないかと思います。 教育について学びたいという真剣な思いに、少しでもお力になれれば幸いです。

toro0425
質問者

補足

有難うございます。とても感謝しております。私は居住地も兵庫県ということもあり、特に体験活動(自然学校があります)に着目しています。実際に街を探検する、地震など震災にあわれた方からの命についての話を聞く、野菜作り、演奏会などを行うことにより、子どもの感性や共感性を高め、子どもの意欲や好奇心を養い、考える力や、判断力など学力の育成に役立ち、それを深めることで、個性につながると期待しています。そして、人や物事についての実感する経験を積み重ね、努力してやりとげることで自信をもつ子どもを育成したい。と考えています。よって、体験活動は心の教育であり、個性や創造性の伸張であり、問題解決能力やコミュニケーション能力を開発することになるのですが、実際、体験をふやすことで、そうした有意義な教育を担えるのでしょうか。もしよろしければ、宜しくお願いいたします。

その他の回答 (10)

  • tetrarch
  • ベストアンサー率21% (123/563)
回答No.11

安い! 近い! 入りやすい! なんだか販売広告みたいですね^^。 重要なのは、試験があり入学する私立は頭のレベルが一定です。公立はとてつもないバラつきです。これにより、一つの社会が出来るのです。良い人が分からない人を教えるかもしれません。そのとき、初歩の初歩すら分からない場合だって考えられます。こうしたとき、教えてもらう人は有益なときです。ついでに、教える側はとてつもなく簡単でうまく教えなくてはいけない、こうした努力が必要になります。こうした人の種類が多いだけ得られるものが多いんです。特に知識でなく体で感覚や体験としてです。    もっとも、公立の必要性は一定以上の学力を国民に持たせることにあります。小ネタとして、昔、外国人がどの地域に行っても読み書きそろばんが出来る国はここだけだ的発言をしています。それほど稀なことであり、それを支えてきたのは強制した義務教育とそれを実現させるための公立の学校があるということに他なりません。現在はしつけを学校に押し付けるおかしな風潮?があり廃れてきていますが、今自分が当たり前に、この回答がかけるのはそうした全国民が教育を受けれたことにあり、今後もこうしたことをやるには次の世代も最低限の知識を全国民レベルで出来ないといけないんです。そのために、お金がないなど諸事情がある人が気軽に入れる公立が絶対に必要なんです。 最後の方は愚痴みたいですね。スイマセン^^。

  • mark-wada
  • ベストアンサー率43% (273/633)
回答No.9

すいません、質問と今までの回答・お礼を読んでいてちょっと分からなくなったのですが。 質問者さんの言う「公教育」とは、 A 公立学校の教育 (←私立学校に対して) B 公の制度の下にある公私立学校の教育 (←塾や家庭教育に対して) どちらの意味なのでしょうか? それと、「小学校」カテゴリーでの質問、ということは、 主に、小学校・小学生年代での問題について、ということですね?

toro0425
質問者

補足

わかりにくい質問で申し訳ありません。どちらかというとBということです。そして、対象は小学生です。

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.8

「教育を受ける権利」というと、「学校なんてできれば行きたくないよ」という声が聞こえてきそうです。 しかし、現行の教育基本法は、国民が、自分の素質を最大限に発揮するために、「教育を受ける権利」を認めています。 個人の成長よりも、国の政策に従順な国民の育成を優先した結果、歯止めなく侵略戦争にのめりこんでいった反省から教育基本法は制定されたからです。 個人個人が「人格を完成」することで、国家としても、優秀な人材を得て発展するので、税金を使って公教育を行っているのです。 公教育の良いところは、貧乏でもチャンスがあるということの他に、「学校の宣伝のために部活をがんばる」「学校の宣伝のために有名大学に進学する」というような「不純」な目的に縛られず、本人の成長を第一に考えた教育が行われることにあったはずです。 現在では、その色彩は、かなり失われていますが、それでも、塾・予備校に比べて、多少はマシと言えると思います。

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。私は、今教育について勉強中の者ですが、最近いろいろわからないことがたくさん出てきます。私は、教育とは、自分のよさを認識し、伸ばす努力をし、自立をすること。他人と協調できるようになること。と考えていますが、教育とは何だとお考えですか。また、教育というと、個性や自主性、好奇心ややる気、創造性、思考力、問題解決能力、意欲、体験学習に、心の教育などなど、どれも似たような、得たいのしれない言葉が羅列され、一体、どれとどれがくっついて、どうなるのかよくわからない、頭が混乱しております。また、よろしければご指導ください。

  • Kitami
  • ベストアンサー率25% (9/36)
回答No.7

公教育のいいところは全国一律に誰にでも安価で、一定水準の教育を提供することだと思います。しかし、現在、教科書無償制度の撤廃の検討や国や自治体の教育予算の削減などにより、受益者(保護者や学生)の負担が増大し「安価」でなくなってきています。また、「一定水準」についても、ゆとり教育や教員の資質の低下などによる公立と私立の教育サービスの格差が生じている問題などがあります。これらのことが公教育の危機にあたるのではないでしょうか。

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。もしよろしければ、公教育の必要性などもご意見伺えればうれしいです。

  • harun1
  • ベストアンサー率60% (927/1535)
回答No.6

教育委員をしています ご質問の「公教育の危機」と「公教育のいいところ」とは全く次元の違うテーマだと思います。 「公教育の危機」の持つ意味合いも状況によって違ってきます。 私たち教育委員は、「公教育の危機」を {国の財政が破綻し、充分な教育予算が組めず、必要な教育を受けさせることができない意味} で使っています。 評論家の方々は、「学力低下」や「学級崩壊」などに警鐘を鳴らす意味で使っています。 さて、「公」の対義語は「私」ですが、「公教育のいいところ」を挙げるより、「私教育」しか無い状況を考えた方が わかり易いとと思います。 明治になるまで、教育は一部の人しか受けられない時代でした。 いまでも、教育を全く受けられない子どもがいる国があります。 「公教育」が存在しない社会も現実にはあります。 善し悪しは別として、現在の日本を築き上げたのは「公教育」の効果では無いでしょうか。 ついでですが、「公立」「私立」に関係なく義務教育期間中は「公費(税金)」が投入されています。 私学と言えども「公教育」の一部を担っています。 また、教育基本法第6条では、学校教育を行う学校を「 公の性質をもつ」と規定しているため、「学校教育」すべてを「公教育」と言う事もあります。      

toro0425
質問者

お礼

ありがとうございます。もしよろしければ、「これからの公教育に求められるもの」についていかが、お考えでしょうか。宜しくお願いいたします。

  • 2018
  • ベストアンサー率22% (240/1058)
回答No.5

やはり、授業料の安さ、近い、一定のレベルまでは、授業で教えることになっている(子供が吸収できているかは別ですが)。でしょうね。 特に低学年では、早く帰れるので、遊ぶ時間が多いってくらいでしょうか?

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。全ての子どもが吸収できるかが難しいですよね。

  • tgrace
  • ベストアンサー率41% (97/233)
回答No.4

公立小学校の良い点・・・(私立に比べ)・・ 都内在住者です(他県だと事情が違うかもしれません)。 「いいところ」・・・無理矢理かもしれませんが。 1.授業料などが、実質無料(給食費などの諸費用はありますが、月1万円以下と私立に比べ激安!)。 2.家から近いため、通学時間が短縮でき、その分、趣味などに時間を費やせる。 3.近所の友人と知り合える。 4.学校での勉強は、先生の技量により、さまざま(行っても大して意味がないレベルから、蔭山式学習法などを取り入れて全校で学力向上に努めているなど)。しかし、私立ほど、高い要求がない分、家庭で最高レベルの学習に興じたり、遊びオンリーに徹したり、ある程度の自由がある。

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。やはり、お金がかからないことが一番よいところですよね。

回答No.3

私立以上に様々な家庭環境の人がいる、そういう中で学ぶ意義も大きいと思います。

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。本当に色々の家庭がありますよね。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.2

税金で殆どの費用を賄うので、保護者の収入の影響の差が少なく、教師への最低限の給与が保障され、全国一律な教育を行える。(均一性)

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。機会の均等ですよね。

  • bullfrog
  • ベストアンサー率22% (302/1370)
回答No.1

金が無くても教育が受けられること。 極端な話、実習費や給食費を払わなくても放り出されることはない。

toro0425
質問者

お礼

有難うございます。本当に、給食費を払わない方、いらっしゃいますね。