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「絶対の幸せなど有り得ない」と思いませんか?

今日、ふと思ったのですが、 「絶対の幸せなど有り得ない」 「永遠の幸せなど有り得ない」 と思いませんか? 物事に、陰と陽、表と裏があるように、幸せの裏にも負の感情や状況が隠れているように思います。 例えば、裕福で幸せそうに見える人が借金まみれだったり。 例えば、幸せそうに見える三世代家族の間に嫁姑の確執に代表されるような憎しみの感情が隠れていたり。 また、幸せは永く続くものではないようです。いつ何時次のような不運に巡りあってしまうかわかりません。 ひとつに、地震や台風など天災に呑み込まれてしまう。 ひとつに、突然の事故や犯罪に遭遇してしまう。 ひとつに、重い病に罹ってしまう。 他に、特に何も無くても、幸せに慣れてしまって「幸せ」を幸せと感じられなくなるとか。 だからこそ、ちょっとした幸せを感じられた今日を感謝しながら、今という時を精一杯生きて行く事が大事なのではないでしょうか? 忌憚の無いご意見をお待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#114321
noname#114321
回答No.4

そのとおり。 幸せなんて人それぞれです。 世界の1/3は明日食べるものも不自由しているそうです。 衣食住があり自由があることをすばらしいことだと思えることこそ 幸せです。金なんて使えばオシマイ。貯めてもそれだけ。 どんなことでも前向きに考えることができることが最高の幸せでしょう。 反対にどんなことも不満だらけで、あきらめてばかりの人生は最悪でしょうね。 どんなに金があっても、文句を言う。 恵まれていても自慢ばかりだと人望をなくし、そして不満を募らせる。 経験だけど、14インチのテレビでも大切な人と見た映画は最高だし、 一泊の旅行でも世界一周より幸せを感じます。 50万円もする5.1チャンネルの最高級AVで聴く音楽より、ティーンエイジャーの 頃、ラジオにかじりついて聴いていたヒットソングは心の奥にしみ込んでいます。 幸せと感じる謙虚な心が幸せをよびます。

toby3
質問者

お礼

>50万円もする5.1チャンネルの最高級AVで聴く音楽より、ティーンエイジャーの >頃、ラジオにかじりついて聴いていたヒットソングは心の奥にしみ込んでいます。 モノラルのテープレコーダーに、LPレコードからオリビア・ニュートン・ジョンの歌を一所懸命ダビングして何度も聴いたことを思い出しました。 >幸せと感じる謙虚な心が幸せをよびます。 心に沁みるお言葉、ありがとうございます。 端的に表現されていて、誰にでもわかる言葉だと思います。

その他の回答 (7)

  • ddeenn
  • ベストアンサー率18% (72/381)
回答No.8

「絶対の幸せ・永遠の幸せは有り得ない」 はい。私もそう思います。 だから努力が必要なのでしょうね。 今幸せだと思うなら、この幸せがずっと続くように努力する。 今不幸だと思うなら、幸せになれるように努力する。 日々怠慢だと今ある幸せはいつか無くなるし、不幸は続いていくのでしょう。 何をもって幸せか・不幸かというのは人それぞれなので、一般的な答えとしての回答は出来ませんが、私個人的な意見としての幸せは夫の傍にいられる事です。 天災・事故・犯罪・病にあっても夫が傍にいてくれるなら、乗り越えられると思うので、多分幸せは続くと思います。 ただそれによって互い、もしくはどちらかの命がなくなるなら、それは不幸になります。 きっと幸せと不幸は表裏一体なのだろうと思うので、命なくなるまで日々大切に努力し精進していきたいと思います。

toby3
質問者

お礼

素敵な回答、ありがとうございます。 素晴らしいです。それだけ深い愛情で結ばれたご夫婦の絆をお持ちなら、日々さぞ幸せですよね。 私も私なりに妻と娘を愛しておりますが、連休などで毎日一緒にいるとちょっとわずらわしく感じてしまう事がたまにあったりしちゃいます。やっぱり平日会社に出勤して離れてしまうからこそ、休日一緒に過ごす時間をより大切にしたいと思うようになるみたいです。

  • yungqi
  • ベストアンサー率31% (282/904)
回答No.7

こんばんは。 幸せは自分の心で思う物です。どんな時でも私は幸せだと思い続ける事が出来る人は、それだけで永遠の幸せを手に入れたも同然です。些細な出来事でも喜べる豊かな心を持っていれば、生涯幸せが持続しますよ。大きな幸せは一瞬ですね。でも小さな幸せはずっと命果てるまでありますよ。それを感じ取れるかどうかで、人の一生の満足度は違ってきますよね。 残念ながら、私はまだその感覚が足りないように思います。昔よりも随分改善はされてきたとは思いますが。これからもさらに精進していこうと思っています。 質問者様がラストで、一番納得いく回答をご自分で出していらっしゃるので、その重複のようになってしまいました。すいません。

toby3
質問者

お礼

こんばんは。 > どんな時でも私は幸せだと思い続ける事が出来る人 このような人は悟りの境地に到達できた人で、人間という存在を超越していると思います。凡人の我々の中にはそうは居ないと思います。凡人は日々のちょっとしたことでくよくよしてしまいます。 > 質問者様がラストで、一番納得いく回答をご自分で出していらっしゃるので、その重複のようになってしまいました。 いえ、ご賛同頂きましてありがとうございます。

回答No.6

25♂ 死ぬ間際「私の人生は幸せだった」と思えること ・・・絶対の幸せ そう思えたまま永遠の眠りにつくこと ・・・永遠の幸せ こんな回答だめですか?(笑) 幸せって感じるにはやっぱりそれなりに不幸を知ってる人だと思うので、なかなかずっと幸せでいつづけるのは難しいと思います。 常に生きていること自体に幸せを感じられるといいんですけどね。。。 人間って欲張りだから^^;

toby3
質問者

お礼

人生最後の時にはそうですね。新たな視点を与えてくださり、ありがとうございました。 ただまだ人生先が長いと思うので、日々の幸せをどう感じていくかを皆さんと考えていきたかったのです。 > 常に生きていること自体に幸せを感じられるといいんですけどね。。。 No.3の方が書いて下さっていますが、 No.3> 不幸は心に重くのしかかるのに対して,幸せはそうでもありません。 不幸は時間を経ても不幸のままですが、幸せは時間を経るにつれて慣れてしまい当たり前に感じてしまうようになっちゃうんですよね。この事実を、このスレ立てて改めて再確認しました。 日々の感謝、例えばおしっこが出ることは腎臓が正常に働いてくれているからだ、ああ、ありがたいと思えるようになると 「生きていること自体に幸せを感じられる」ようになってくると思います。お互い生かせて頂いているということに感謝の念を忘れないようにしましょう。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.5

 ある人が言っていました。幸せは探すものではなくて感じるもの。 今の現状にそれを感じる事が大事。  少し回答がずれたかな? (あっ なんか俺ってすげー偉そう。やな奴だね。(笑))

toby3
質問者

お礼

いいえ、全然いやな奴じゃありませんよ。 全然偉そうでもないですよ。真実をありのままに短く表現してくれただけのこととわかっていますよ。ありがとうございました。

回答No.3

>「絶対の幸せなど有り得ない」 >「永遠の幸せなど有り得ない」 これは事実でしょうね。 でも,不幸は心に重くのしかかるのに対して,幸せはそうでもありません。「幸せだと思っていたのに」突然の不幸と言うのが,端的に表していると思います。 でも,ものは考えようです。 幸せの暖かさに浸っているよりも,不幸が起きて初めて「あの頃は幸せだった」と思うなら,今度はその不幸を乗り越えて幸せになるようにすれば良いのではないかと思います。 良い例が「結婚」。結婚したら幸せになる,と思う人はかなりいると思いますが,結婚は生活です。結婚式での「幸せ」は人生では瞬間的なもの。その先に幸せが待っているとは限りません。二人で苦労を乗り越えて,初めて「人生の幸せ」を感じられるのだと思います。

toby3
質問者

お礼

おっしゃる通りですね。 >でも,不幸は心に重くのしかかるのに対して, >幸せはそうでもありません。「幸せだと思っていたのに」 >突然の不幸と言うのが,端的に表していると思います。 そう言われると突然の幸せってあんまり聞きませんね。 忘れていた宝くじが当たるとか。でも宝くじの大当たりは不幸の始まりかもしれないので要注意です。 >幸せの暖かさに浸っているよりも,不幸が起きて初めて >「あの頃は幸せだった」と思うなら,今度はその不幸を >乗り越えて幸せになるようにすれば良いのではないかと思います。 なるほどです。ありがとうございました。

  • 3yzu
  • ベストアンサー率22% (88/395)
回答No.2

こんにちは。 >ちょっとした幸せを感じられた今日を感謝しながら、今という時を精一杯生きて行く事が大事なのではないでしょうか? 今回の御質問は、質問者様の中で回答が出ているので、あまり意味が無いように思われますが・・・。質問者様のお考えには賛成です。 「絶対の幸せ」「永遠の幸せ」などを考え出すと、観念の無限ループに陥ります。言葉遊びのようなものですから正解はありえません。 (御質問文の趣旨とちょっと逸れますが) 故に「絶対幸福」「絶対真理」へ至る道などを示す・与えることなど出来はしないのですから、そのような言説を唱えている新興宗教などはまやかしということになります。 病気や貧困などが自分の存在の不安定感を増す側面があることは否めません。しかし、それに乗じて絶対的な幸福へ導かんとする存在はたいへん怪しいものと認識すべきでしょう。 人間存在の不安定感を多少なりとも埋めるために「信仰」はあって良いと思います。但し、「信仰」は「薬」のようなもので、適量は効果的でも、過剰摂取は、(精神的な)健康を阻害するものです。 「神」の名の下に民間人の大量虐殺を行った超大国、殉教を唱い自爆テロを止めない彼の宗教、死を与えることによって救いを説き化学物質を使用して多数の死傷者を出したあの先鋭的新興宗教。これらは「薬」の過剰摂取による副作用に見えて仕方ありません。 無宗教であるとしながら適度な信仰に囲まれて生活出来ている現在の日本(いろいろ問題はありますが)が私は好きです。

toby3
質問者

お礼

>(御質問文の趣旨とちょっと逸れますが) いえいえ、他の方のご意見を拝聴したかったので、質問ではなく、「特設アンケート」で投稿させて頂いたのです。正に回答者さんのようなお考えをお聞きしたかったのです。 > 適度な信仰に囲まれて生活出来ている現在の日本 なるほど、そういう見方はできますね。キリスト教VSイスラム教の十字軍以来の諍いに巻き込まれずに済んでいる日本は幸せな国なんですよね。(とはいえイラクに自衛隊を駐留させて、やや巻き込まれつつあるという見方もできますが) ご回答、ありがとうございました。

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.1

人によって幸せの感じ方や尺度が違うと思うのでその人が、「自分は幸せだ」って思えば幸せということかと思います。 したがって、誰にも当てはまる「絶対的な幸せ」「永遠の幸せ」というもの自体はあり得ないと思います。 その時々に「自分は幸せだ」と思うだけです。 “幸せ”に絶対的な定義は無いと思います。

toby3
質問者

お礼

早朝の回答、ありがとうございます。 はい、その通りだと思います。 ”幸せ”は向こうからやってくるものではなく、自分で感じるものなんですよね。「だめんずうぉーかー」な人で、はたから見ると気の毒にって思う人でも、とうの本人は幸せを感じてたりするわけですよね。

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