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陰と陽,幸せと不幸せ
陰と陽について質問があります. 宇宙は全て陰と陽から成っていると捉えることができると思います.例えば,原子を構成する原子核と電子,電気のプラスとマイナス,光と闇,また人間においても,個々人の性格のなかには陰の部分と陽の部分があると思います.また,美輪明宏さんの言うような,人生は正と負の法則が存在するということとか. つまり,この世のすべては,陰と陽が上手くバランスを保っていると解釈しても過言ではないかと思います. そこで,ひとつ疑問に思ったのですが,陰と陽かバランスを取りながら成っていると仮定すると,人間の幸と不幸も当然,バランスが保てれていると思います.そうすると,幸せに暮らしたいと思って,努力し,幸せに感じたとしても,その幸福度の大きさと同じくらいの不幸が待っているということでしょうか? つまり,幸せの時があってもその度合いが小さければ経験する不幸せの度合いも小さく,逆に,経験する幸せの度合いが強ければ強いほど,その強さと同じ不幸せな経験が訪れるということでしょうか? そうすると,少し幸せかなあと思うくらいの人生を生きる方があるいみ楽なような気がしました. ふと思ったので,質問させていただきました.この質問文を見て深刻な印象を持つ方もいらっしゃると思うのですが,あ特に悩んでいるから質問したわけでなく,陰と陽,幸せと不幸せについてふと興味を持ったので質問した次第です. どうぞよろしくお願いいたします.
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- rikamizuok77
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はじめまして。 自分自身が学んでいること、捉えているレベルではありますが、回答させていただきます。 宇宙にはゼロの法則というものがあり、、プラスとマイナス、陰と陽、女性と男性、善と悪、ネガとポジ、破壊と創造…のように、 相反するものによって、葛藤と摩擦を繰り返しながら、お互いが近づいていき、究極のゼロになろうとして、打ち消し合う瞬間に、正真正銘の無にはなりきれず、「わずかな揺らぎ」が生じます。 そのことによって、破壊と創造の原則に従って、新たな創造と価値が生まれ進化に方向付けられているという法則です。 地球も宇宙の一部ですから、この法則が適用されます。 おっしゃる通り、幸福も不幸もバランスをとっているとは思います。 ただ、幸福、不幸という感情は、他者との比較や優劣の中から生まれ出るものと思います。 もし、地球上でたった1人の人間だとしたら、自然環境に対して、雨だから、暑いから、寒いから、と文句言えないし感情も出ません。 もし、少し幸せにしたいなということですから、 どんなことが起こっても、無条件で受け入れていくことで感謝と喜びで生きていく自助努力ができれば、自分から能動的に幸せを創り出すことができると思うんです。 法則、原則ではバランスをとりますが、ご自身の捉え方でいかようにも幸せを目指せるのではないでしょうか? お読みくださり、ありがとうございました。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
No5、 人生の出発点には裕福や貧困など、宿命的な家庭の事情が在ります。 何を基準に捉えようとするかで、見えてくる陰陽にも違いがあります。 自分の人生をかえりみるにしても、 社会の平均値を基準にするか、 出生時の家庭事情を基準にするか、 その捉え方によって、自分が感じ取る幸福感にも違いが現れる筈です。 貧困家庭に生まれて今は人並みの生活を送れるようになった事をどう捉えるか? 社会の平均を基準に、自分の生活は苦労の連続だったと捉えるか、 出生時の貧困を基準に、人並みの生活を得られて幸福な人生だと捉えるか、 …そこには陰も陽も存在したことが理解できると思います。 丸山明宏は人生を送り始めた時、その陰影の捉え方に苦悶しただろうと思います。 三輪明宏は人生を送ってきて、一筋の光明にも幸福感を見出せたのだろうと思います。 コンピュータは「-と+」の「陰陽」ではなく「1と0」の「行って来い」で成り立ってます。 そこには電気のマイナスが生じることでプラスが発生する「陰陽」の捉え方が応用されてます。 宇宙の収縮も拡大も、ブラックホールもビッグバンも、 陰と陽の行って来いによって過去と未来の時間が存在してるという、哲学的な捉え方が学者の頭にはあるのかもしれません。 世界は全てにおいて陰陽が存在して、 その捉え方によって「陰」と認識するか「陽」と認識するか、 基準の置き方次第では「陰」にも「陽」にも、更には「矛盾」にもなるかと思います。 …以上、我ながら語彙不足のまま難しい事を回答してしまいました。 理解できない部分は流して下さい。
お礼
丁寧にご回答頂きありがとうございました.
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
No1、 そうです。 指摘のような実質トータルでプラスの場合でも、「±0」に戻った時点で振り返ってみれば、 そこには「得した気分」と「損した気分」で「行って来い」が存在することを伝えたかったのですが、 …上手く伝えられませんでした。 貧乏(0)から出発して「好景気と努力」の末、今は大富豪で「幸福」を味わっていても、 「不況や失敗」で財産が無くなれば、その時には元(0)に戻ったと思うよりも先に、 それまでの裕福な生活を忘れて「不幸」のドン底感を味わうでしょう。 更に、先回答は自分の事についてだけだったので、 ここでは自分の「陰と陽」に対して、そこには誰かの「陽と陰」が在る事を加えます。 自分が「拾った」裏には誰かが「落とした」事実が有ります。 「ネコババ」すれば「罪」が生まれます。 「謝礼が入る」には落とし主の「散財」が必要です。 ギャンブルで「勝った」陰では誰かが「損」してます。 夜の繁華街で「散財」すれば商売してる人が「儲け」ます。 「財布がカラッポ」になったのは、「誰かが手にした」のでしょう。 自分が「トータルでプラス」なら、その裏には多くの人の「トータルがマイナス」として存在してるはずです。 語彙不足と言葉足らずで説明が下手ですが、 …この回答なら少しは理解できるかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます. >自分が「トータルでプラス」なら、その裏には多くの人の >「トータルがマイナス」として存在してるはずです。 この部分が,陰と陽の法則に対する解釈について,回答者様と私とで違うように思います.つまり,「この世は陰と陽でできている」ではなく,「この世の全て,すなわち全体かつその各々においてもそれらは陰と陽でできており,バランスを保っている」と私は考えております. つまり,原子はその一つ一つが,原子核と電子で構成されている.電気は,ある回路ではプラスしかないということはなく,一個一個の回路で,プラスとプラスとマイナスがあります.とするならば,人間でも全人類をひとつとしたときには,ポジティブな人もいればネガティブな人もいる,金持ちの人もいれば貧乏な人もいる,であり,個々人をそれぞれひとつで見た場合には,誰しもがその人生には闇と光が存在する,といえると思います.美輪明宏さんの正負の法則もこれに当たります.そうすると,ある人はトータルでプラス,つまり,ある人の人生はトータルで陽とすることには,陰と陽の法則に例外を認めてしまうことになってしまいます.
補足
お礼コメントの続きです. >貧乏から出発して「好景気と努力」の末、今は大富豪で「幸福」を >味わっていても、「不況や失敗」で財産が無くなれば、その時には >元に戻ったと思うよりも先に、それまでの裕福な生活を忘れて >「不幸」のドン底感を味わうでしょう。 としますと,誰しも,幸福の絶頂を味わえば,その度合と同じくらいに不幸の絶頂を必ず体験するという,まさしく陰と陽の法則にあてはまりますね.で,そこで思ったのが,質問文にも書いてあるような, 「幸せの時があってもその度合いが小さければ経験する不幸せの度合いも小さく,逆に,経験する幸せの度合いが強ければ強いほど,その強さと同じ不幸せな経験が訪れる.とすると,少し幸せかなあと思うくらいの人生を生きる方があるいみ楽なような気がしました.」 なのかなあと思ったのですが,回答者様はどのように思われますか?
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11120/34615)
厭世的に受け取れるかもしれませんが、不幸があるから、幸せがあるわけでございましょ? 今の日本の「若い」と呼ばれる世代の人が「生きている幸せ」を感じることは、ありません。なぜならそれは当たり前のことだからです。10代、20代の人が病気で死ぬっていうのは滅多にない。30年くらい昔まではたまにあった、事故で死ぬということも最近はほとんどなくなりました。水泳の池江璃花子選手が白血病になり、最近復帰に向けて歩き始めています。昭和の頃だったら、あの年齢で白血病だったら助かりませんでした。「夭折の天才」と呼ばれていたでしょう。 明石家さんまさんは「生きてるだけでまるもうけ」という価値観を持っていることは有名です。でもさんまさんの生い立ちははっきりいって不幸です。小さいうちに生みの母を亡くし、後からやってきた継母はさんまさんのことが気に入らず、無視していたそうです。さんまさんが冗談を磨いたのは「継母の気を引くため」に必死に考えたことだったんですよ。継母はさんまさんの弟にあたる自分の連れ子を溺愛していたそうですが、その弟さんは冗談好きの兄であるさんまさんが大好きで、とても慕っていたことがさんまさんの救いでもありました。しかしその弟さんを下積み時代に火事で失ってしまいます。事故死の扱いですが、状況から自殺の可能性もあったということです。そんなつらい生い立ちがあるからこその「生きてるだけでまるもうけ」なのです。 冬が厳しいからこそ、春がありがたいのです。
お礼
>今の日本の「若い」と呼ばれる世代の人が「生きている幸せ」を >感じることは、ありません。 それが真実であるかどうかは置いておいて.仮に「今の日本の「若い」と呼ばれる世代の人が「生きている幸せを感じることは、ありません。」が正しいと仮定します.また,事実として,若い人の中には不幸を感じている人がたくさんいます.精神病や自殺率が証明しています. ここで,矛盾が生じます.つまり,上記の仮定と事実に基づくと,日本の若い人には,陽は無くて陰があるということになってしまい,前提条件である「万物は陰と陽から成り立っていて,かつバランスを取っている」が崩れます. そうすると,必然的にあなたの「今の日本の「若い」と呼ばれる世代の人が「生きている幸せを感じることは、ありません。」が間違っているか,前提条件である「万物は陰と陽から成り立っていて,かつバランスを取っている」が間違っているかのどちらかになります.どちらが正しいかは証明できないですが,「万物は陰と陽から成り立っていて,かつバランスを取っている」の方が正しいように思います.
- ponyo7
- ベストアンサー率18% (134/725)
No2です。 陰の考え方をする人もいれば陽の考え方をする人もいるということでは質問者様の考えと同じなのかもわかりません。
お礼
ご回答ありがとうございます. まず「この世の全ておよびその各々は陰と陽から成っている」ということを前提とします.全人類をひとつのものと考えた場合,全人類は陰と陽で構成され,それゆえ,陰に該当する人もいれば陽に該当する人もいると言えます.また,ある人間一人をあるひとつのものと考えた場合,より具体的には,ある人間一人のその人のマインドをあるひとつと考えた場合,そこにはポジティブなマインド(陽)とネガティブなマインド(陰)が共存しているはずです.ということを踏まえると,個々人のマインドをポジティブ(陽)のみで構成することは,前提条件に反するので,不可能と言えます. では,前提条件である「この世の全ておよびその各々は陰と陽から成っている」がそもそも間違っているのではないか,という仮説が生まれます.その仮説の一つして,「人間のマインドに限っては,その前提条件に必ずしも当てはまるわけでは無いという例外が存在する」が考えられますが,ちょっと強引な感じがします.そうすると真実は何なのか,とても気になります.
- ponyo7
- ベストアンサー率18% (134/725)
陰と陽はその人の考え方ひとつで全て陽にも全て陰にも変えられます。 何か不幸があってもそれは自分がそれを乗り越えられるように与えられた試練だと考えると自分を育てるプラスになります。 良いことがあってもこんなところで運を使ってしまってチクショーなんて考えていると全てが陰になります。 全てをポジティブに考えると人生全てが陽になります。 私の考えでは人が成長するときは苦しんでいるときです。いろいろ考え、試行錯誤して乗り越え成長していきます。楽しい時は早く過ぎ、心は豊かになりますが反面自分を弱くすることもあります。 昔の武士で山中氏が「南無八幡大菩薩!我に艱難辛苦を与えたまえ」と言ったのは人としての成長を願ったものと考えています。
お礼
ご意見ありがとうございます.回答者様のご見解,尊重いたします.ただ,疑問に思うのが,「全てをポジティブに考えると人生全てが陽になります。」ということは,陰と陽は,この世のすべてを支配しているが,”人間のマインドだけは例外”である,ということになり,違和感が残ります...
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
例えば、 今を基準として… 午前中に散歩してたら100万円拾いました。(+100) こいつは儲けたと思ったけど、 ネコババしてバレたら逮捕されると思い残念な思いになりました。(-100) 仕方なく交番に届けたら拾い主が現れて謝礼10万円貰いました。(+10) 今度こそ本当に自分の物だと思って午後から競艇に行ったら、なんと大当たり、90万円増えてて100万円になりました。(+90=100) さて懐が温かくなり気も大きくなり夜の繁華街に繰り出してドンチャン騒ぎの末10万円使いました。(-10=90) 気持ちよくなり、まだ90万円有ると思いながらフラフラ歩いているうちに…気が付いたらなんと朝の路上に寝ていて、アラ不思議90万円入ってる筈の財布は何故かカラッポです。(-90=0) さて、昨日の事は何だったのだろうか? 夢だったのか現実なのか、不思議な経験をしてしまいました。(±0) なんか、 いくら得した(+)のか、 いくら損した(-)のか、 変な気分です。 …そんな感じなのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。なるほどです。ただ一つ気になったのは、それだと、スタート地点に対して、陽の方にしか針が触れていないと思います。つまり、0→100→0→10→100→90→0というふうに。これだと平均を取ると、ゼロではなくてプラスなので、前提が崩れてしまいます。
お礼
丁寧にご回答頂きありがとうございました.