- 締切済み
いじめ(冷やかし)と、悪意の曖昧な嘘について
ふと小学校時代を思い返す出来事があったので、 忘れないうちに、ちょっとお尋ねします。 小学生同士って、よく自分の好きな子を教えあって 結束を深めるような風潮があったと思いますし、 今でもそんな気がします。 一方で、話したくない子供に対して 『絶対言わない、約束する。友達なんだから教えてよ?』 みたいな事を言っておきながら、教えた次の日には クラス中に言いふらされて、散々冷やかしを受けるような光景も ありがちな気がします…少なくとも僕はそんな体験をしました。 子供ながらに裏切られた気持ちと、冷やかされるプレッシャーで 僕の中では「いじめられている」としか考えなかったものですが、 人から見て、これは「いじめ」と言えるのでしょうか? また、『言いふらした側』を経験した方には、特に追加で聞きたいのですが 1.嘘をついて、人を騙してることに、罪悪感はありましたか? 2.結果的に裏切る訳ですが、それは聞き出した相手を 「友達となんて思ってない」という解釈で良いのですか? 違うとしたら、なぜ友達を裏切るのですか? 3.なぜ、言いふらして欲しくない話を、嘘ついてまで言いふらす必要が? 4.冷やかしで騒ぎになって、責められる側を見て 「いじめ」という認識は無いのでしょうか? また、冷やかされて困る対象を見てどんな気持ち? (面白い、頑張れ、いい気味など、単純な言葉で) 実際にこの立場でなくても、「自分ならこう思う」とかでも結構ですし、 また小児能科学心理学(小児心理学・発達心理学)に詳しい 専門家の方などからも、意見が聞けると参考になります。 実体験も絡むので、まともな補足やお礼もできる自信はありませんが 皆様、宜しくお願いします・・・・。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kolp
- ベストアンサー率34% (35/102)
>人から見て、これは「いじめ」と言えるのでしょうか? これだけなら、いえないと思う。 自分の小学生の時は(ずいぶん昔)ひやかしたり泣いたり笑ったりかけっこしたり、全部ひっくるめてコミュニケーションだった。 なにぶん子供だから、いろんな子がいて、 ひやかすのが好きな子もいれば、噂が好きな子もいるし、けんかも下らないことでするし、 けんかで上級生に言い過ぎて、言ったそばから後悔して真っ赤になったりとかあった。 よっぽど問題になれば先生が仲裁してくれた。 これが中学・高校ならともかく、小学生のうちはこうゆうコミュニケーション(他人との関わり方?)アリじゃないかと思う。 そうやって覚えてきたからお互い様じゃないかなと思う。 あの頃は単純でよかった(笑)
えと。心理学的側面から。 『言いふらし』は、『秘密とは、他人と共有することで初めて本人に優越感を与える』という心理に基づいて起こるものです。 自分の心の中だけに留められた秘密は、本人になんら優越感を与えませんし、ただプレッシャーになるだけです。 ゆえに、人はプレッシャーに耐えられなくなったときに秘密を漏らし、そして優越感が得られることを覚えたときに言いふらしを繰り返します。 誰も知らない秘密を他人に話すことは、自分だけが知りうる知識を自慢することに等しいのです。 よって、彼らにしてみれば「自分の心を守っている」だけですから、いじめ意識はありませんし、罪悪感もありません。 ただ、子供の場合、その先に絶交という結果が見え隠れしていることに気づけないだけです。
お礼
※締め切り後に追記 時間が経っても他に回答が無いようなので、これで締め切りとします。 なお、kolpさんは回答とは別の意味で、参考になったので次点。 deagleさんの回答は、僕の中でまだ納得できない点が補足にあるので 今回、良回答は「該当なし」とさせて頂きました。 お二方にはこの場を借りて、ご協力感謝致します…ありがとうございました。
補足
素早い回答、ありがとうございます! なのに返事が遅れて…面目ない。m(_ _)m > 誰も知らない秘密を他人に話すことは、自分だけが知りうる知識を自慢することに等しいのです。 この心理は、何となくわかるのですが >『秘密とは、他人と共有することで初めて本人に優越感を与える』 > 自分の心の中だけに留められた秘密は、本人になんら優越感を与えませんし ・・・・ここはどうも解せないですね。 秘密を言う側に、言う意思は無いものを…仕方なしに話すのですから 聞き出した側には、「秘密を言った側との共有」が存在します。 人の秘密を知るという、知識・探求欲を満たすというのは 十分に優越感を感じないものでしょうか? 相手を軽んじてるから、大して満たされないのでしょうか? それとも『子供の得る優越感なんて一瞬、あとはプレッシャーのみ』 という解釈ですか? プレッシャーに耐えられないくらいなら、人を裏切るくらいなら 初めから知ろうとしなければいい…幼いながらに傷ついた側として そう考えてしまいます。 いじめ意識は無かろうと、相手を尊厳するという概念が無い故に 罪悪感を持たず、自己満足(自慢)で「言いふらし」が始まる。 ・・・そう解釈してみました。 客観的に見て、これは正論ですか?それとも単なるエゴ? まだ未熟な子供心に、他人への尊厳や自制心を 求めるほうが間違いなのは、よくわかっているのですが…(汗)
お礼
たぶん、最初は些細な冗談のつもりだったと思う。 でも監視する大人が役立たずでは、歯止めが効かなくて 「いじめ」ってものに、発展するのでしょうね? あなたの通っていた学校の先生は、止めてくれたかも知れない。 でも「先を生きる」はずの先生が、従う者にとって 見本となるような先生ばかりとは言えないようです。 あなたの学校に入学していたら、 僕も安心して、楽しい学校生活が送れたかも知れませんね? 恩師と呼べる人を、ぜひ大切にしてあげて下さい。 いい参考になりました♪ 色々長くなったけど、ありがとうございます…。m(_ _)m
補足
>あの頃は単純でよかった(笑) そうですねぇ・・・確かに単純でした(苦笑) でも当時の僕が、少し周りと変わっていたんですよね? 相手を傷つけたくない代わりに、自分も傷つけられたくない。 人付き合いに臆病で、気を遣いすぎていたかも知れない。 正直、今でも何であそこで、言いふらされたのか分からない。 (だから質問してる訳ですが) ただ子供の面白半分の行動は、エスカレートするというか…。 黒板に相合傘…序の口です。 休み時間や廊下ですれ違うと、蒸し返される…まだいいです。 ノートに相合傘の落書き…ちょっとおかしくなってきました。 机が勝手に移動され、好きな子の隣へ。 しかも担任はそれを認知しながら、授業を続行…まともじゃない。 休み時間に5人ばかりで、囲んでド突き回す …ここまで来れば「いじめ」としか見えない。 自制の効かない子供だから、誰かに止めて欲しかった。 人の喧嘩を見て、薄々感じるものがあったから、騒動は避けた。 でも立ちたくない渦中に立たされて、先生は頼りにならなくて 沈黙を守るほど、誰もそっとしてくれなくて・・・。 5人全員叩きのめして、特に言いふらしの張本人は 逃げた女子トイレの中で、鼻血出すほどぶん殴った。 小3の握力でそれだけやったから、相当やったと思う。 親は悪者扱いで、以後しばらく家庭内暴力。 相手の親も来たけど、タイマン張って言い負かした。 (子供に言い負かされて、連れてきた息子に頭を下げさせた あの時の親は、どんな心境なのだろう…?) 先生にも責めたな・・・何であの時、見ぬふりしたかを。 泣いて土下座しても、二度と信じる気にならなかった。 そして担任の消える、5年生のクラス再編成まで 親に暴行受けつつも不登校…。 今思えば、よくあれでグレなかったと思う。