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京都は観光で行くのであって住む場所ではない
というのは本当ですか?
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住むにはまあまあ、快適なのでしょうが、まずよそ者を受け入れようとしません。 唯一受け入れるよそ者は、 「高い金を自分たちに払ってくれる客」 だけです。 観光地って大体そんな感じです。特に温泉地。歴史のある別府なんかもそうですね。 (だから、「観光旅行で訪れた〇〇地に一目ぼれして、都会の喧騒に疲れてその土地に移住した」というのが、あちこちで失敗するんです) が、その中でも、かなり露骨に態度に出すのが、京都の人ですね。 歴史が歴史なんで、住む人いちいち一人一人が、すごくプライドが高いんです。 「そないなことも知らへんの?」みたいなことを平気で言います。 仕事で何度か訪れましたが、私はあまり好きな土地ではないですね。
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- staratras
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転勤族として京都市に住んだ経験から言えば、半分は本当で、半分は嘘です。 京都は歴史のある寺社・城郭だけでなく、新しい文化・芸術活動も盛んで、様々な面で奥が深いというか、懐が深い町だと思います。 ただし京都での暮らしや仕事にはあちこちに「オフサイドトラップ」があります。ただしサッカーと違って、オフサイドという反則(京都人にとっての)を犯しても、その場で笛が鳴ったり旗が上がったりせず、あとでやんわりたしなめられることが多いと感じました。 「京都は観光で行くのであって住む場所ではない 」という説が昔から根強くあるのは、東京とも大阪とも違う、この京都独自のしきたりやルールがあるからです。これに注意をはらって尊重できるかどうか、たしなめられたことに気づくかどうかが、真に京都を好きになれるかどうかの分かれ目ではないかと、住んでいて考えました。これができれば、ご質問の説はあてはまりません。 住んでいて痛感したのは、京都はある意味では「最も日本的」な都市である一方、別の意味では「最も非日本的」な都市であるという、矛盾した事実です。 「最も日本的」だとい考えるのはもちろん「伝統的な日本文化の継承」という点です。多数の寺社はもとより、茶道や華道など古くからの文化を受け継いでいます。そうしたものを求めているのであれば、京都観光は好適です。 「最も非日本的」だと思うのは、「大勢に流されず、わが道を行く」という点です。例えば郵便番号簿を見れば、人口約150万人の京都市だけのページ数が、人口約1400万人の東京都全体のページ数の2倍以上になっています。これは京都市の中心部では日本の他のほとんどの都市が行った住居表示を採用せず、昔からの厖大な町名が残っているからです。 歴史に無頓着なよそ者から見れば、例えば「京都市上京区◯◯1丁目2番3号」などという住居表示の方が簡潔で便利だと思いがちですが、京都の人にとってはそれはかえって市街地の中での位置がわからないなど合理的ではなく、むしろ京都式の上る・下るのついた住所のほうが、位置がわかり易く便利なのです。 この伝統を守る姿勢のおかげで、室町時代の終わりにできたと言われるわらべ歌「姉さん六角蛸薬師…」の通りの名前が、(細かな変更はあるにせよ)21世紀にも残っていて、観光の地理案内にも使えます。 こうした「わが道を行く」姿勢など京都特有のものを受け入れ、愛することができれば、京都は観光だけでなく「住むところ」としてもお勧めです。
- 4500rpm
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市内に大型店舗が少ないとかありますが、日常の暮らしは問題ありません ただし、昨今のオーバーツーリズムで、バス移動や外食、老舗の買い物などは、不便になりました。
- FUTATUMITTU
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静けさと落ち着き: 観光地から離れたエリアは静かで、 自然に囲まれています。 教育機関: 京都には有名な大学や研究機関があり、 学問の環境が整っています。 歴史的な街並みと現代的な施設が共存しています。 京都は観光と住む両方の魅力を持つ場所です。