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馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
- 戦場に馬を馳せた若き日々は遠く過ぎ去り、今や天下泰平。髪の毛はすっかり白くなったが、何の因果かこの身は戦国の世を生き延びた。天から与えられた余生だが、楽しいと思えないのはどういう事なのだろうか。
- 伊達政宗が晩年の述懐を詠んだとされる漢詩の冒頭部分を引用している『馬上少年過』というタイトルの短編小説で、若き日の政宗の戦いや政権交代後の人生を描いている。
- 大名家の当主には領民の運命と生活がのし掛かっており、戦国時代の独眼竜も、関ヶ原の合戦後は身を慎んで保身に走ることとなる。しかし、何かを諦めなければならないという現実の中で、人生の本当の意味や幸福を見つけることはできるのか。皆さんが諦めた夢や野望について教えてください。
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明けましておめでとうございます。 僕は少年期より本をあまり読まなくって、歴史書や伝記本も殆ど読んでいません。 今思うと、偉人や英雄にあまり興味がなかったみたいです。 読めばまた違ってたのでしょうが、そう言うことで野望や展望もなく、目の前に現れる道に進み、道沿いの丘に登るという感じでした。 その中で面白く感じた出来事や、興味の出てきた物事の延長線にその時々のターゲットを置き、マイペースで進むという人生でした。 仕事もサラリーマンで、冒険をするより長く務めることに重点を置き、定年まで勤め、人並みの年金を貰ってることで、それなりに満足しています。 物事に疑り深く、それが本当に偉いのか、これが正しいのか、他に方法はないのかと常に疑問を持っていました。 その割に、小さなものや、ちょっとした出来事に、美を発見したり、感動することも多々あります。 そのため、簡単に妄信しない、無理な冒険をしない、する必要が無いという生き方になったのだと思います。 強いて言えば、高校入試の前に、好きだった音楽や美術の道を、選択しなかったこと、妻をめとるとき、妥協のバーを下げたことくらいです。 それで良かったのかと問われれば、良かったと思います。 何故なら、バーを下げなければ、引っかかて転んでいたと思います(笑)。 そして、それほど高くない希望なら、今から設定して、到達することは可能だと思います。 それでは、今年も宜しくお願いします。
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- osarunokagoya2
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突然おじゃまします。脇で読ませていただいて、目頭が熱くなるのは、私も妻の母に対する孝行で、実母に果たせなかった思いを代用した負い目を思い出すからでしょうか。 実の親を艫に70代で亡くして、妻の両親と縁が深かった、半分養子の命みたいな私は、「これでよかったのか?」という思いもありながら、お二人のお話を伺てあらためて、意を強くしました。亡くなった両親にできなかった孝行を妻の親に返して悪いことはなにもない。むしろ先に逝った両親だからこそ、遠慮なく万全を尽くすことができたのだと思います。 私は、友人が母の病気の専門医という幸運にも恵まれ、また、宇部から羽田へ飛行機でくるには格好の場所に居を構えていたこともあって、義母は三カ月に一度の診察とタルセバの処方のために幾度も東京の我が家に滞在していきました。 副作用があってつらい思いをしながら、夫婦で楽しそうに過ごしてくれた義父母との日々は7年にわたるものでしたが、病の治療というには、あまりに楽しく明るい思い出に満ちたものでした。 なにより私に与えていただいたものは、仲睦まじい老夫婦の寄り添う姿でした。こんな風に生きられたら幸福だろうという理想像に思えました。本当にありがたかったです。 両親の不仲な家庭に育ち、自分は絶対仲のいい夫婦を目指すと意気込んで、失敗した私には、「仲良く生きることって、難しくない」という手本をみせてもらったようで、義父母をみていて勇気づけられ、家族の温かみを肌で感じた日々でした。ふと思い出して、余計なことを語ってしまいました。 介護というにはあまりに、のどかな日々で申し訳ないのですが、思い出させていただき改めて感慨にふけりました。 今年の5月には義父の一周忌。丘の上の日の当たる霊園の墓地に墓参りにいくのが楽しみです。 父母の眠る私の故郷の曹洞宗の古刹は、わたしの最も愛する場所ですが、 それとは全く異なる、とても明るく眺めのいい場所なのです。 調子にのって余計な話をしてしまいました。失礼しました。
お礼
ex さん、こんばんは。 >突然おじゃまします。脇で読ませていただいて、目頭が熱くなるのは、私も妻の母に対する孝行で、実母に果たせなかった思いを代用した負い目を思い出すからでしょうか。 孝行・孝養に関しては、年齢的なものそして経験値、その両方があるのではないでしょうか、私だって今の状況が仮に経済的安定がまだ盤石でなかった10年前に訪れていたならば、恐らく今とは違い自分の事情を優先させたろうと思います。 それではいけないのは重々承知ですが、背に腹は代えられなかったかも知れない、つまり或る意味での自己満足・・親孝行とはそういう事でもあるのでしょうね。 >亡くなった両親にできなかった孝行を妻の親に返して悪いことはなにもない。むしろ先に逝った両親だからこそ、遠慮なく万全を尽くすことができたのだと思います。 我が実家と女房の実家へ掛ける比重の割合は、何かを物差しにして按分出来るものではありませんね、例えば家内の母が癌を告知されて以降、私は実家を放ったらかしにして義母の為に奔走しました、つまり時と場合に依るんだろうと思います。 ・・と共に、義理の御両親に対する ex さんのその想いは、奥様に対する愛情の裏返しではないでしょうか、少なくとも私はそうです、家内が大切だからこそその両親へ孝養を尽くす、私にとっては何等難しい事ではありません。 >なにより私に与えていただいたものは、仲睦まじい老夫婦の寄り添う姿でした。こんな風に生きられたら幸福だろうという理想像に思えました。本当にありがたかったです。 私を含め若い頃は、夫婦仲の良し悪しが周囲に対してどういう ハレーション を起こすかへの イマジネーション が無いのでしょう。 ただ ex 家に齎されたのは良い方への波及効果で、義理の御両親の仲睦まじさが ex さんの奥様に与えた影響は恐らく小さいものではなかった、且つそんな奥様を娶られたその延長線上で、 ex さんとしてはその幸せのお裾分けに与っておられる、無論奥様の御両親もそう。 若い世代の結婚離れも実は分からない訳じゃないのです、ただ結婚とは新しい家族が増える事と同義語でもある訳で、義理の両親或いは兄弟に恵まれた際の充足感は倍加する気がします、もっともババを掴んだ時の悲惨さもまたその通りですが。 >両親の不仲な家庭に育ち、自分は絶対仲のいい夫婦を目指すと意気込んで、失敗した私には、「仲良く生きることって、難しくない」という手本をみせてもらったようで、義父母をみていて勇気づけられ、家族の温かみを肌で感じた日々でした。 我が家は逆です、若い頃から両親の仲がとってもいい、うちの母親は先にも申し上げたほどの 悍馬 ですが、その母を 石部金吉 の親父がとっても大事にしました、恐らくその辺りはお妾さんを囲って別宅に住み、祖母に苦労を掛け続けた祖父という反面教師が身近にあったからでしょうが。 家庭よりも仕事・・そんな考え方が主流の時代にあって、親父は出世よりも家族団欒を選んだ人でもありますが、低成長時代を先取りしたそんな生き方・・今思えば中々出来る事ではなかったろうと。 そんな父の口癖が 「 女房・家庭を大事にしない男は小物だ ! 」 というものでしたが、「 女遊びは男の甲斐性 」 ・・に対する アンチテーゼ とも言えるその言葉の意味を、40代半ばにしてやっと悟る事となる馬鹿な私でした。 周囲を見渡してもそうなんですね、いい男・モテる男はやっぱり奥様や家族というものを実に大切にしておりまして。 >今年の5月には義父の一周忌。丘の上の日の当たる霊園の墓地に墓参りにいくのが楽しみです。 >父母の眠る私の故郷の曹洞宗の古刹は、わたしの最も愛する場所ですが、 それとは全く異なる、とても明るく眺めのいい場所なのです。 何よりの供養ですね、私を含めて肝に命じねばならない、孝行というものは生きている間だけじゃない事をです。 回答ありがとうございました。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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謹んで 皆様の賀寿を 言祝ぎ奉ります。 さても『翁』とは、能楽に先んじて演じられた、式三番と云う祝言ですが、元は高い格式の神事仏事であり、浄め改める儀式。~世阿弥に依れば、魔を祓う調伏の儀。 ~金春禅竹の「明宿集」には“宿神=シャグジ”と呼ばれる星宿の精霊 : 世の此彼を繋ぎ、普く慈愛降り注いで、本来清浄なる心身を取り戻さす、天地の媒介者。~垂迹の示現としては,“法身の大日”と説かれた翁の秘儀口伝 聖徳太子と秦河勝が、岩戸の神楽の旁りを変え “申楽”と名付け、社の“ 後戸”で舞わせた…とも。「翁」は公の羽搏き, 鳥の王、故に ご老体の舞なのだそうで 寿老”といい、人も幾分かは神仙の境遇に入り掛かり、神的で恍惚に成るのは本来、愛でるべきことなのでしょう。 支える身は大変でしょうが、。~ 我が母も、時折ボウッと惚けた様に只佇んでる…、子として愕然とはしますが、嫗神と思えば良いか、慣れました 十年以上前に癌を摘出した時は、離れて暮らしており、兄嫁姑の諍いで自殺未遂も…、心配で、初の事で私も膵炎患い倒れましたが、もう覚悟した。今は同居で母は毎日晩酌(^^;。 くたばる時はしょうがねえや。小津安二郎は「ババアが家で待ってるから…」と付き合い切り上げ帰宅の毎日だったそうで、御家人斬九郎の渡辺謙も「BBA未だ生きてやがる…」との悪態三昧。誰が親孝行なんて言葉を発明しやがった?^^;!孝行する動物など居やしねえ!俺)。まあ、子の義務とするより、権利と考えて為るべき事なのでしょう ~其の渡辺謙が演じた伊達政宗、大河一番人気だそうで、、彼れも父を見殺しのシーンが印象に残ってますぜ。 時代に遅れて来たる者。~大卒後に私はjazzスクール通い、25歳ならギリギリ間に合うと言われ…、ニューロックには遅れたpunk世代、でも単純な作曲じゃ飽き足らない…、処が講師達は曲書けないのね ‼︎、で理論書独学したら面白い様に私は書けた、コツ知らなかっただけで才能はあると自覚し…、30の頃、レコード会社オーディションへ 遅かった!当時悉くが30で年齢制限、ソニは身長制限までしてたな。ま門前払いですわ。LIVEハウスはOKでしたが…、黄金期はstudioシステム座付の作詞曲スタッフも分業だったのにな。~直ぐに心身で闘病、糊口を凌ぐ暮らしに… ~やがてネット空間が開け、其処で自営業も。~良くしたもので其につれてYTube等で音楽やアート市場も世界に開けましたね~、年齢性別関係無い! 🌠 夢の方が夢見てる「作った物を出さなくて良いのか?」と。拾う神あり、 皆様も、何も諦める事はない。買いが付くかは別ですが。~タイムアップ迄は全力尽くす、死ぬ迄は生きるんだなも。~大和には時分の花”あり、古今亭志ん生も奥村土牛も花開いたのは還暦過ぎてからで… 練習で、動画を上げてみました、音楽ではなく映像作品ですが、 🗻 一富士二鷹悪茄子び》将軍家所縁の東叡山の提供だど⁉︎、七里ヶ浜にて、 https://youtu.be/SjUR7WPUCbQ タカ科鷹目の鳶が飛ぶ、1:30から3分間位、富士山を掠めるのは他に出てません、世界初⁈、どって事ないですが、縁起物ですから(^^)。~冒頭の波は材木座、後半は由比ヶ浜~江ノ島浮世絵スライドshow、端折って結構、お気休めに 妹御さんも、どうぞ根詰め過ぎず、御自分の領分は護られる様に願って止みません。~後悔はせぬ様にでしょうが、自責の必要も無い。 心身症の不安障害は私も何度も、、先回りで余計な心配で頭が一杯。複数の思考を忘れる…、financialでも戦場でもサッカーでも…一丸となってパニック!脳もそう。~ 心気が頭部に上気した熱症に悩んで「軟酥の法」を開発したのは、白隠禅師。呼吸で気を下ろしてく…、今だとセロトニン投与で同効果か ⁉︎ 白隠と、横井庄一大軍曹の「もっと困れる」、志ん生の「貧乏自慢」を入院中の母に差し入れたら、部屋中回し読みで全員無事退院したヨ~、困窮時は更なる極限状況に触れて、太っ腹に成ります。考え尽くしたら放下す。 「神は、克服能わぬ試練は、与えられません。(コリント人への手紙1ch10,13節』~キリストも良い事は言ってる哉 頭が一辺倒になったら、風を入れる事です、脳の中に、他の思考を。後戸の爽やかな風を。~私なんぞは嫌な事項に煩わされたら、他の嫌な事も同時に考える。毒を以て毒を、、一辺倒よりはマシ。ヘトヘトになるけど不眠は脱する。 観劇とかは鬱では集中できず、食欲も減退でしょうが、ジョグ、入浴など、「身体の力能を頭脳は知らない。頭脳の力能を身体は知らない」=心身並行論 身体は思惑超えてます!、汗かくと脳の澱がスッカリ削ぎ落ちる事もある。 世界中にある白山信仰、あれも脳内に雪山の、気高い御姿を入れるんですね~、写真イマージュで良い、其の涼気にシナプスが幾分同調するんだな 🏔富士山は日本人、特に関東人の心を大きく下支えしてくれてる気がします。~相模湾で探すと、その頂は思ったより高き所に見えたりして、いつでも其処に在る。~ピント合わす必要も無い、勝手に写ってくれる…有難いこってす。 …でも清水出身のヤーさんは「子供?生み捨てじゃ!、婆あ?山に放下せ!、嬶あ?売り飛ばせ!」と宣ってられましたがね~(^^;。では、御健勝に!
お礼
marc 兄さん おめでとうございます、お礼が遅くなり申し訳ありません、今年も宜しくお願い致します。 >十年以上前に癌を摘出した時は、離れて暮らしており、兄嫁姑の諍いで自殺未遂も…、心配で、初の事で私も膵炎患い倒れましたが、もう覚悟した。今は同居で母は毎日晩酌(^^;。 毎日晩酌なんてそれこそ結構な事じゃないですか、人間食べて飲んでなんぼですから、 まあ年齢的に marc さんも私と同じ悩みを抱えてらっしゃると推察します、互いにもうひと頑張りですね。 さて kamejrou さんも言っておられたが、 「 浜の真砂は尽きるとも、嫁姑諍いの種は尽きまじ 」 ・・と達観する他ないと思うのです、双方に言い分がありますからねぇ、単純にどっちがどうという訳には行かないでしょう。 因みに家内の実家もそうだった、亡くなった義母と兄嫁の折り合いが悪くて間に立つ義兄が可哀想でしたよ、それと滅多に他人の事を悪く言わないうちの家内 唯一の例外が兄嫁でしてね、ただ義母と仲が良かった私はこの兄嫁とも悪くない、要は立場の違いという事なんだろうと思うのです。 >御家人斬九郎の渡辺謙も「BBA未だ生きてやがる…」との悪態三昧。誰が親孝行なんて言葉を発明しやがった?^^;!孝行する動物など居やしねえ!俺)。まあ、子の義務とするより、権利と考えて為るべき事なのでしょう 渡辺謙 の 『 斬九郎 』 ・・良かったですね、気位が高くて浪費家の母親・・ 岸田今日子 さんの為に稼がねばならず、ぶつくさ文句を言いながらも 斬九郎 は母親の為に頑張る、それが親子というものでしょう、未来永劫 親は親・子は子ですから。 それと 辰巳芸者 を演じた 若村麻由美 、私は彼女が好きでしてねぇ、当今あれだけ芸者姿が似合う女優さんは恐らくそうはおられない、惚れ惚れするのです。 ところで私よりも marc さんの方が良く御存じでしょうが、かつての 辰巳 或いは 深川 は、首都高のジャンクションが出来て立ち退きを余儀なくされ、「 辰巳芸者 は江戸の粋 」 ・・ と称された往時の面影は欠片も無い、個人的に少しばかり残念でありまして。 >~其の渡辺謙が演じた伊達政宗、大河一番人気だそうで、、彼れも父を見殺しのシーンが印象に残ってますぜ。 それそれ、私が今一番見たいNHK大河もやっぱり 『 独眼竜 政宗 』、いつぞや kamejrou さんにも申し上げたのですが、随分以前 その完全版 DVD はプレミア扱いで28万円の値が付いていて驚いたのです。 >妹御さんも、どうぞ根詰め過ぎず、御自分の領分は護られる様に願って止みません。~後悔はせぬ様にでしょうが、自責の必要も無い。 恐れ入ります、 marc さんにそう言って頂いて本当にありがたい、うちの妹は幼い頃、欲しいおもちゃを買ってもらえないとデパートの床に寝そべり駄々をこね、テコでも動かないほどの我儘娘だったのですが、それが大人となり必要以上に真面目になって何もかも抱えちゃう、良い意味でのチャランポランさが欲しいのですが。 回答ありがとうございました。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
isokenさん、明けましておめでとうございます。 父が、大の野球ファンで毎晩プロ野球中継を見ていたせいでしょう。 実は、小学校5年生までは、プロ野球選手になりたいと思っていました。 『巨人軍物語』という本を父親に買ってもらって熟読し、またインフィールドフライやボーク等の細かいルールまで独学で勉強していたものです。 『巨人軍物語』には、東京巨人軍の始まりから沢村栄治や川上哲治の活躍、また王・長島の活躍までドラマチックに書かれていて、あの天才だと思っていた王さんが、荒川コーチとともに実は血のにじむような努力をしていたことを知り、ますますプロ野球への憧れが強くなったものでした。 ただ、机上の理論と実践は違った。 それは、小学校6年生の野球のスポ少(学童野球)で自覚。大フライの落下点が分からないことと、飛んでくる硬いボールに腰が引けてしまっているビビリの根性ナシの自分を発見、それで、多少素質のあった(同時進行させていた)サッカーのスポ少へとシフトチェンジしてしまいましたね(汗) ちなみに、これからの展望ですが、「それからの三国志」以降、また読書にはまっている毎日。 今は、生涯、サッカーと読書を続けたいと思っています。 (みみっちい展望で済みません) サッカー(激しい運動)ができなくなったときは、次は、ヤマハのアルトサックス(中古で充分)を購入し、サックス教室にでも通いたいと思っていますが、これも、机上の理論と実践はかなり違うでしょうね・・・。
お礼
zico さん おめでとうございます、お礼が遅くなり申し訳ありません、今年も宜しくお願い致します。 >父が、大の野球ファンで毎晩プロ野球中継を見ていたせいでしょう。 >実は、小学校5年生までは、プロ野球選手になりたいと思っていました。 >『巨人軍物語』という本を父親に買ってもらって熟読し、またインフィールドフライやボーク等の細かいルールまで独学で勉強していたものです。 スポーツ少年の選択肢が多い昨今とは違い、私がガキの頃はほぼ野球一極集中・・そんな時代だったろうと思います。 V9時代ど真ん中に育った私の夢もプロ野球の選手・・、中学校までは本気で ジャイアンツ のエースか4番になるつもりでした、ただ他校の化け物を見ちゃいますとね、ああ俺程度じゃとても無理だなぁと。 >『巨人軍物語』には、東京巨人軍の始まりから沢村栄治や川上哲治の活躍、また王・長島の活躍までドラマチックに書かれていて、あの天才だと思っていた王さんが、荒川コーチとともに実は血のにじむような努力をしていたことを知り、ますますプロ野球への憧れが強くなったものでした。 沢村栄治 の3段ドロップに 川上哲治 の赤バット、そして何より 燃える男 長嶋茂雄 、そんな4番サード 長嶋 = ミスター が私の永遠のヒーローです、・・ですから彼が巨人の監督を更迭され、渋谷ハチ公前でその号外を握り締めたあの日から、ジャイアンツ愛が憎しみに変わる事となる、ミスターが監督に復帰するまでです。 >ただ、机上の理論と実践は違った。 >それは、小学校6年生の野球のスポ少(学童野球)で自覚。大フライの落下点が分からないことと、飛んでくる硬いボールに腰が引けてしまっているビビリの根性ナシの自分を発見、それで、多少素質のあった(同時進行させていた)サッカーのスポ少へとシフトチェンジしてしまいましたね(汗) 3年がチームを退いて私がエース・ナンバーを付けました、球は滅法速かったのです、ただ典型的なノーコンでしてフォアボールばかり出して勝てない試合が続き、自分からエースを降りてショートに回る事となる。 ところがです、ショートでも同じ癖・・つまり捕球は上手いのですが1塁に大暴投を投げちゃう、ある試合私のサヨナラエラーで負けちゃいまして、監督から 「 それでもキャプテンか 」 ・・と言われましてね、切なかったし情けなかったですねぇ。 そんなこんなで最後はレフトでしたが、外野に回って感じたのはやはり大飛球の判断の難しさでした、あれってやはり慣れでしょうね。 >ちなみに、これからの展望ですが、「それからの三国志」以降、また読書にはまっている毎日。 従来描かれて来た 三国志 は、ほぼどれも 孔明 の死を以って完結に至って来た、故に そこから蜀の滅亡に至る何十年かは、完全なるエア・ポケットでしたが、当著に触れて初めて知る事となりました。 ところでひょっとすると zico さんもお感じなったかも知れませんが、 「 それからの三国志 」 は 吉川英治 氏著 「 三国志 」 のテイストをかなり忠実に受け継いだ作品との印象です。 小は 魏延 を誅殺する顛末、大は 孔明 の死の延長線上にある蜀の滅亡・・或いは必然と言い換えてもいいのでしょうが。 さて 諸葛孔明 ・・彼が傑物だったのはその通りなのでしょう、但し余りにも一人で仕事を抱え込んでしまい、権限の委譲が全く為されておらず且つ人材の育成も不十分、もっともその辺りの蜀の事情に関しては分かり過ぎるほど分かるのですが。 そもそも漢王朝の再興というスローガンが後ろ向きなんですね、言い換えれば時代遅れで人間を動かす動力としては聊か弱かった、今も昔も新しい時代を作る最大の動力は、倫理観では無くてやはり欲なんだろうと思います。 例えば強大な 項羽 に勝利した 漢 の 高祖 劉邦 、本邦に関して言えば、織田家での席次が 4 ~ 5 番手でしかなかったが、天下様の椅子に座った秀吉、その両名とも人間の射幸心というものを求心力にしてますよね、恐らくそれが全て。 結局 馬も人間も同じでしょう、目の前に人参がぶら下がらなきゃ走りはしない、 孔明 というお人は学があり過ぎる故にその辺りの機微に若干欠けていたのかも知れません。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
- ベストアンサー率17% (191/1107)
こんにちはisoken さん まだ開いておりましたのでお邪魔しましたが お礼文を拝見しまして少しまた話しもしたく相変わらず雑談になりますが 運営の方には大目に見て頂くとして ここ何日かフラフラ出掛けたりしておりましたが もう一年とも言えませんで青息吐息なのです 「正月は冥土の旅の一里塚」とは良く言ったものです 今までは明ければ新年の挨拶をと思い質問を立てたものですが もうその元気もありません 今月中にはと思っておりますがどうなることか? お母様の「みなまで言うな」 なるほど、この母にしてこの子があるか? 私はお母様の情の厚さに感服しました Isoken さんが義理人情に拘るのはお母様譲り? 「侠客」と言う言葉は何も男だけのものではありませんでね 心の中に「侠」と言う一文字があれば男も女も関係がないのです 藤純子で「女侠一代」と言う映画もありましたし すぐそう言う話しに結びつける?アハハハ ただ、情の厚さは気性が強いこととも言えるかも知れません 奥様とお母様の話しを伺って Isoken さんが奥様の両親に孝養を尽くすことをまず考えた? 私は池波正太郎さんを思いだしましてね、これが最善でして 池波さんも人生の達人ですから同じように考えられて 奥様の両親に孝養を尽くされた その上で池波さんの老獪なところは二人の共通の敵に自分をしたのですね まあ、嫁姑の関係は男にとっては昔から頭痛の種なのでしょうが Isoken さんの奥様は賢い❗ 私の母親は辰年生まれですから、まあ気性が激しい Isoken さんのお母様と同じで義理人情には厚いのですが私ももて余す 家内は私と同い年で丑年なのですが これが農場にいるようなおとなしい牛ではなく お前はスペインの闘牛か?と言うくらいなもので 竜虎、相戦うと言う話しは聞いたことがありますが 竜と牛が向かい合って中空で火花を散らして私は間に入りましてね辛かった でもまあ二人で通じあっていたものもあったのでしょう 先日、母の残した遺書の話しをしましたが 私への言葉より家内にへの言葉のほうが多く私のことを頼むと・・・ 家内に感謝の言葉ばかりで 家内もいつまでもすがって泣いておりましたが お父様、学校にすぐ寄付金? 取りあえずは学校に入れておけば何とかなる このままでは箸にも棒にもかからぬヤクザ者になってしまう お父様、そう考えられたか?さすが親で子を見る目はあるアハハハ 親と言うのはありがたいのです 仰るとおりで子供に親に先立つこれ以上の不幸もありませんが 私が無念なのは両親の血を未来に繋げることが出来なかった これもまた親不孝なことでしょうねえ 妹さんにはお子さんはおられるのでしょうか? おられれば血は繋がっていきますし さて最後に 去年の「女城主 直虎」は私も久し振りの大河ドラマですが面白く観ました 直虎と言う女性を知らないこともありました 井伊直政と言う武将をあのドラマで知った方も多いと思います 今年は西郷隆盛さんで どうしましょうか?と考えておりますが、どうしましょうか?アハハハ Isoken さんは観られる? 口憚った言い方ですが私は西郷さんのことは良く承知しておりますし 海音寺さんの西郷隆盛が下敷きでしょう 私のisoken さんのお付き合いの始まりは 私の歴史カテへの薩摩、西郷さんへの質問からが縁でしたし
お礼
kamejrou さん、こんばんは。 >お母様の「みなまで言うな」 >なるほど、この母にしてこの子があるか? 京マチ子 ・・お袋の事を家内は陰でそう呼んでおりますから、見てくれはそれほど悪くないのだろうと思います、それより何より倅の目から見てすら年老いた今も品が良い、ところが気性的にはまるで 女極道 でありまして、とにかく感情の起伏が激しく、時に依っては男ですら憚られるような 啖呵を切る 、・・とまあそんな感じの女性です。 ただ家内の母が癌となり、医師から余命数ヶ月 ( 結局それから数年生きましたが ) の宣告を受けた時、近親者以外で最も激しく嘆いたのは母でした。 他人様の為に涙を流す事が出来るその点は、人間性を推し量る上で恰好の物差しではないでしょうか、だから風圧を受けながらも家内はお袋と何とかやって来たんだろうと思う、ただ母が病気で弱っている事もあってか、今は結構仲良くやってくれております。 >Isoken さんが奥様の両親に孝養を尽くすことをまず考えた? >私は池波正太郎さんを思いだしましてね、これが最善でして >池波さんも人生の達人ですから同じように考えられて >奥様の両親に孝養を尽くされた >その上で池波さんの老獪なところは二人の共通の敵に自分をしたのですね 池波正太郎 さんのそのお話は、家内から聞いたかも知れません、彼女は 池波 さんの大ファンですから詳しいのです。 さて御存知でしょうが 秋田県 に 玉川温泉 いうのがあります、癌に良いと或る種の虚名を持つ温泉ですが、義母に巣食った癌の転移が一時的に収まり小康状態にあった時、彼女を連れて何度か出掛けました。 医学的な根拠がどうのこうのと仰る方もいるようですが、何せこっちは藁にも縋る思いでそんな事構っちゃいられない、家内の悲しみは私の悲しみでもありますから・・。 ただ義母が逝ってつくづく思うのです、自身に後悔が無いほど孝養を尽くしたのか、もっとしてあげられる事があったんじゃないかと。 >家内は私と同い年で丑年なのですが >これが農場にいるようなおとなしい牛ではなく >お前はスペインの闘牛か?と言うくらいなもので >竜虎、相戦うと言う話しは聞いたことがありますが >竜と牛が向かい合って中空で火花を散らして私は間に入りましてね辛かった >でもまあ二人で通じあっていたものもあったのでしょう >先日、母の残した遺書の話しをしましたが >私への言葉より家内にへの言葉のほうが多く私のことを頼むと・・・ >家内に感謝の言葉ばかりで >家内もいつまでもすがって泣いておりましたが いい話ですねぇ、気持ちが伴わない甘い言葉は幾ら言われても心に響きませんもの、そりゃ感情が行き違い互いに丁々発止やり合う事は時にはあったでしょうが、心に温めていた感謝の言葉を、面と向かって奥様に言えなかった亡きお母様の気持・・、私にはよく分かるのです。 私もきっとそうだと思う、いまわの際にやっと言えるのでしょう、家内への感謝の気持ちが・・。 今思えば 我が家の ガメラ VS ゴジラ は祖母と母の時代でした、祖母は明治生まれの女傑でしたし、母は今申したような女性ですから互いに一歩も退かなかった、ただ仲直りも早かったですよ。 >お父様、学校にすぐ寄付金? >取りあえずは学校に入れておけば何とかなる >このままでは箸にも棒にもかからぬヤクザ者になってしまう >お父様、そう考えられたか?さすが親で子を見る目はあるアハハハ >親と言うのはありがたいのです いやいや・・親父は本当にそんな感じの心配をしていたらしく、笑い事ではないのです、私自身 陰に籠った悪さはして来なかったという自負こそありますが、まあどうしようもない 悪たれ でした、一緒に遊んだ仲間でその道に ゲソをつけたのがおりますから、あのままだと何れ私も手が後ろに回る事になったかも知れません。 それにしても人生の軌道修正に至った メルクマール ・・、私にとっての大学進学とは、普通の人以上に意味が大きかった気がします。 >妹さんにはお子さんはおられるのでしょうか? >おられれば血は繋がっていきますし 妹夫婦も子無しですから、我が家は我々の代で途絶えます、今更言ってもしょうがないのですが、せめて妹に子供がおればと思うと泣けてくるのです。 >今年は西郷隆盛さんで >どうしましょうか?と考えておりますが、どうしましょうか?アハハハ Isoken さんは観られる? >口憚った言い方ですが私は西郷さんのことは良く承知しておりますし 海音寺さんの西郷隆盛が下敷きでしょう 我々が持つ 西郷隆盛 観・・その根っこは、やはり 海音寺潮五郎 さんの影響が大きいのだろうと思います、まあ色々と書いておられるが、今後もあれ以上のものは出ないでしょうね、恐らく。 ところで今日 『 西郷どん 』 の初回を観た感想から申し上げれば、可もなく不可もない・・正直そんなところでありまして、見続けるかどうかは今後の成り行き次第、そういう事になるでしょう。 この点は kamejrou さんにも頷いて頂けると思うのですが、そもそも題材としての 西郷さんは難しいんですよね、 城山 の自刃を含めたその歴史的評価の変遷と大衆的人気が幾重にも折り重なって・・、あまり荒唐無稽なストーリーだと辛いですし・・。 回答ありがとうございました。
- 5mm2
- ベストアンサー率9% (331/3318)
丁寧なお礼、ありがとうございます。 行き当たりばったりの僕の生き方を多少なりともご理解いただき、ホッとしてるとこです。 何かで、男はもっと、女性的な生き方をしたほうが良いというのを聞いて、そんな生き方に傾いてるところもあります。 が、やはり世のため人のために努力して、夢を成就した人には頭が下がります。 実は、昨日見た夢に、isokenさんとカメさんが出てきたのです。 仕事の関係か、あるところを訪ねて行って、受付の女性に通された部屋に入ったら、お二人さんが机を並べていて「いやあ、どうも。」と挨拶してくれたのです。 ただそれだけで、顏も分かりませんでしたが、朝にPCを開いたらお礼が届いてて、奇遇ですね。 これも何かの縁と思っての、お邪魔虫ですので、お礼は結構です。 またマメ知識を宜しくお願いします。
お礼
5mm2 さん、 こんばんは。 >何かで、男はもっと、女性的な生き方をしたほうが良いというのを聞いて、そんな生き方に傾いてるところもあります。 が、やはり世のため人のために努力して、夢を成就した人には頭が下がります。 稀にいるんですよねぇ、実に楽しそうに生きておられる方が、 ジョージ秋山 の 『 浮浪雲 』 ・・あんな感じで。 どう生きたって苦労・災難は勝手にやって来るのでしょうが、その際の受け止め方で随分と変わって来る気がします、そういう人こそ 人生の達人 なんでしょうねぇ・・きっと。 >実は、昨日見た夢に、isokenさんとカメさんが出てきたのです。 >仕事の関係か、あるところを訪ねて行って、受付の女性に通された部屋に入ったら、お二人さんが机を並べていて「いやあ、どうも。」と挨拶してくれたのです。 kamejrou さんと私の2ショットですか ~ 、それにしても凄い夢ですねぇ。 私にとって、当サイトで最も長くお付き合い頂いているのが kamejrou さんです、大変失礼ながら考え方も境遇も随分似ておりましてね、他人の言う事はろくすっぽききもせず、絵に描いたような短気で我儘な私が耳を傾ける数少ないお人です。 さてこれに懲りず、 5mm2 さんにはまたお付き合い願いたいと存じます。 回答ありがとうございました。
- 投稿削除メガネ(@chacha0035)
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isoken先生こんばんは! 今年もよろしくお願いします。(主にエロ話をw) え~と、回答なんですが、 私は夢とか野望とか持ってない、つまらない人生をここまで送ってきたんですよね~。 だからなんの努力もしてないから、今ここで「私の諦めた夢はですね・・・」なんて語れやしません。 な~んか流されるまま、ここまで来ちゃったって感じですw まぁ、中学生の頃はAV男優になりたいって願望はありましたけどww まぁ、そんな私なんですが、 今は小さい夢を持ってまして、今の仕事を独立したいなぁ~って。 現在は準備段階ですので、もしかしたら数年後「諦めた夢」として回答させて頂くかもしれませんww なんか無理やりの回答でしたが、いつものことですw isoken先生、今年もよろしくお願いします!(敬礼)
お礼
chacha 師匠 おめでとうございます、お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでしたが、今年も宜しくお願い致します。 それにしても随分とお見限りでしたね、きっと忙しくしておられらたんでしょうが、私は無論の事、 クオリティ が高い師匠のエロ質問をお待ちの常連さんも多いと思いますよ。 >まぁ、そんな私なんですが、 >今は小さい夢を持ってまして、今の仕事を独立したいなぁ~って。 >現在は準備段階ですので、もしかしたら数年後「諦めた夢」として回答させて頂くかもしれませんww 決して小さくないですよ・・立派な夢だと私は思う、ただ 師匠の人生に責任を持てませんから、以下 飽く迄も第三者の勝手な独り言としてお聞き頂きたいが、そりゃ家族は大事です・・それ以上のものは無いと断言していいでしょう。 ただ男として生まれたからには、人生に一度ぐらい勝負を賭けてもいいんじゃないか・・正直そう思わないでもない、先に行って後悔しない為にもです。 「 米の飯とお天道様は付いて回る 」 と言いますしね、駄目だったら土方でもクズ拾いでも何でもして、家族を食わせりゃいいじゃないですか。 さて 人生の テイクオフ に成功し 大輪の花 を咲かせる為の第一歩、 chacha 師匠 にとってそんな1年になる事・・願って止みません。 回答ありがとうございました。
- osarunokagoya2
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浅草の話で思い出しました。 そうそう、年末にmichiyoさんがお薦めの「吉原炎上」(ドラマ版)を観ました。意外なハッピーエンドにじんときました。映画のほうはみていませんが、大火以降吉原の面影が消えたのははじめて知りました。大門やお歯黒ドブなど今はないですから、貴重な映像作品ですね。蛇足ですが。
お礼
続けて参ります。 >浅草の話で思い出しました。 浅草は往年の輝きを完全に取り戻したのではないでしょうか、殊に目に付くのが外国人観光客、ただその点に関して個人経営の飲食店の店主は皆一様に困っているようです、「 一人一品 注文願います 」 といった風な日本語・英語・中国語を併記した張り紙が目に付きましてね。 つまりどういう事か・・例えば寿司屋としましょう、お昼夕刻の書き入れ時に外国人 ( 特に中国系が多いのだそうです ) が2~3人で来店し、客単価が高いはずのカウンターに座ってその人数で巻物を一本だけ注文して居座ってしまう。 勿論悪気は無いのでしょうし、文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、店側からすると体のいい営業妨害に他ならないのは確か、浅草の寿司屋2店舗の店主からそう聞きました。 実は全く同じ事を、昨年 軽井沢 にある イタリアン の オーナー から聞きましてね、興味深く拝聴したのです。 >そうそう、年末にmichiyoさんがお薦めの「吉原炎上」(ドラマ版)を観ました。意外なハッピーエンドにじんときました。映画のほうはみていませんが、大火以降吉原の面影が消えたのははじめて知りました。大門やお歯黒ドブなど今はないですから、貴重な映像作品ですね。蛇足ですが。 私は ex さんとは逆で、映画の 『 吉原炎上 』 しか知りませんが、主演の 名取裕子 さんと 二宮さよ子 さんの迫真の濡れ場には、生唾を飲み込みました。 それにしてもあの 五社英雄 さんという監督は、その手の濡れ場を撮らせたら本当に名人ですねぇ。 さて私が大学に入学した当時、 名取裕子 さんは4年に在学しておられましてね、時々学食で見掛けたものですが、当初彼女は女子アナ志望だったらしいですね。 それが幸か不幸かさるミス・コンで 古手川祐子 さんに次いで準優勝し、芸能界デビューを果たす事となる、彼女の高校の後輩でクラスメイトだった奴が、そんな事を言っておりました。( 因みにそいつは卒業後の一時期、荻野目慶子 のマネージャーをやっておりましたが・・ ) 回答ありがとうございました。
- osarunokagoya2
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(1)物体Aの周りを円形軌道で回るBがあるとき、物体A自体ももうひとつの物体αの周囲を円軌道を描いて回っているならば、Bを観測者とした場合のAおよびαの動きは、どう表されるか。 (2)極性分子であるH20(水)のクラスターを電荷をもった個体高分子に接することで、電気分解できるのではないか。 高校時代は、突然降ってわいた妄想にとらわれる少年でした。 理論物理学を目指して、物質世界と精神のエネルギーの統一理論を確立したいと考えていました。ただ、高等数学は苦手で模型をつくるのが得意な私は、理学部でなく工学部建築学課に進みました。恩師である進路指導の教諭が「君は、19歳の性欲がどれほど強いものか想像できるか?」と言わなければ、私は一浪して京大物理学課をドンキホーテさながら目指していたことでしょう。 水の極性分子の模型は、かの中松義郎さんに会う機会にお見せしたら、ドクター中松はやおらビデオカメラを取り出し私の説明を録画しはじめました。 とにかくこの世の基本構造、基本原理を究明したいという「野望」を抱いていました。 しかし、ご案内の通り、ふくよかな胸や女心の謎の探究に興味を奪われ、宇宙の真理や忘れされれ子牛の炭火焼きやブルゴーニュのワインの深淵な世界も探究しなくていいのか?と次々と湧いてくる興味関心に夢中になりながら生きてまいりました。 今、わかったことは、 「現実逃避ではなく、(やりたいことと「逃げ」は混同しやすい)自分のやりたいことをやる」ことが、自分らしい生き方なのだということです。 思いつき癖はいまでも治らず、先日も、やっと払い終わったマンションを売却して自分が賃借人なって家賃を払えば65歳から85歳まで家賃を払っておつりがくることに気付き「リースバック」妄想にとりつかれました。 もちろん、物件が高い資産性があって立地条件がいいこと、スター■イカなど阿漕な買取業者に叩かれることなく、相続税対策・ハイパーインフレ対策として金融資産を収益不動産に替えたい需要を狙う前提です。 昨年末、isokenさんのお出ましを待って、相談しようと思っていたら、それどころではないご様子。そこで、我が心の師、藤巻健史さんの本を読んでみたらわかった次第。 国家財政が破綻して円暴落・ハイパーインフレが起きるかもしれない時代に不動産を売るなど暴挙の極み。老後資金など今からでも遅くないからせっせと稼げ。 そういう結論です。なにしろ私がカネを持ったら5000万や9000万のカネは10年と立たずに使い切るでしょう。そこにハイパーインフレが来たら、あーあ。泣きっ面にハチ。ドル建てMMFでも買っておくか、ミャンマーあたりに移住するか。 閑話休題。そうそう青雲の志でなくて馬上少年過ぐでしたね。 私の憧れた人生は安藤忠雄さんが実践してみせてくれました。一歳下の隈研吾もそこそこ頑張っている。でも建築家は女優のカミサン貰うとか余裕かまさなくちゃ嘘。安藤さんは偉い。あういうのは100年に一人でいい。 夢は、だれかが代わりに自分が描いた夢の100倍のスケールで実現してくれたら、妙にすがすがしいものなのですね。安藤さんは拍手。ありがとう。です。 物理学者?山内堯彦(小柴昌俊教授の先輩格)クラスにならない限り夢は果たせません。 今でも山内先生の随筆『雑草』は私の本棚に鎮座しています。 isokenさん、どうかお身体に気を付けてお過ごしください。ご夫婦仲良く、お元気で。 今年も浅学菲才の私にいろいろ教えてください。
お礼
おめでとうございます ex さん、お礼が遅くなり大変失礼しました、今年も宜しくお願い致します。 難しい話は全てスルーするお礼になりますが・・すみません、何しろそっち方面は皆目何も分からないものですから。 >思いつき癖はいまでも治らず、先日も、やっと払い終わったマンションを売却して自分が賃借人なって家賃を払えば65歳から85歳まで家賃を払っておつりがくることに気付き「リースバック」妄想にとりつかれました。 もちろん、物件が高い資産性があって立地条件がいいこと、スター■イカなど阿漕な買取業者に叩かれることなく、相続税対策・ハイパーインフレ対策として金融資産を収益不動産に替えたい需要を狙う前提です。 以前言っておられた リバース・モーゲージ ですが、マンションに関しては ex 邸の如き最高の立地とトップクラスの居住環境に於いてすら、融資額が評価額の max 50 % 程度と聞きますから恐らく論外でしょう。 さて 新興の 不動産ベンチャー と称されるあそこですよね、 虎ノ門 辺りに本社を構える・・、噂でちらっと聞いた事がある。 何でもトップが ゴールドマンサックス 出身だそうですから、バブルが弾けて以降、虫食いとなった都内不動産の バルクセール や、倒産したゴルフ場を買い叩き経費を極限にまで圧縮して日銭を稼ぐ一方で、その持ち株会社を上場させてその キャピタル・ゲイン で儲けたりしたんでしょう、不動産 インベストメント のプロ中のプロなんだろうと思います。 ただこの御時世で利益率が破格の 20 % 台後半・・、その先にあるものが果てして何であるのか、恐らく ex さんのお考えの通りでしょう。 >昨年末、isokenさんのお出ましを待って、相談しようと思っていたら、それどころではないご様子。そこで、我が心の師、藤巻健史さんの本を読んでみたらわかった次第。 デフレ時代の資産運用は辛いものがありますよね、その点は私も全く同じですが、私如きが ex さんのお役に立てるはずもない、自慢じゃありませんが、不動産・株その他でいい思いをした事が一度もありませんし、細々と家賃収入を得ている不動産に至っては 利回りが涙の 0 % 台、つまり キャピタル・ゲイン とは無縁の人間ですから。 但しひょっとすると近い将来訪れるかも知れない、インフレに対する リスク・ヘッジ 、その点にのみ唯一意義を見出して所有し続けているのですが。 >国家財政が破綻して円暴落・ハイパーインフレが起きるかもしれない時代に不動産を売るなど暴挙の極み。老後資金など今からでも遅くないからせっせと稼げ。 説得力のある論旨だと思いますよ、マネタリーベース が年間80兆円規模・・、これだけ通貨量を増やしても一向にインフレ傾向を見せませんから今の段階では何とも言えませんが、個人的にはいつ何時 インフレ ( それも 安倍さん が意図する 2 ~ 3 % を遥かに超える )が来てもおかしくはない土壌は既に出来上がってると見ます。 ・・と同時に、お金持ちは既に インフレ Jアラート の警報を察知しているようでありまして、不動産や株式への投資に本腰を入れ出している資産家も何人か知っております、もっと低リスクの J - REIT ( 不動産投資信託 ) 辺りも込みで・・。 >そういう結論です。なにしろ私がカネを持ったら5000万や9000万のカネは10年と立たずに使い切るでしょう。そこにハイパーインフレが来たら、あーあ。泣きっ面にハチ。ドル建てMMFでも買っておくか、ミャンマーあたりに移住するか。 バブルの頃のように、現評価額の 2 ~ 3 倍もの抵当権を設定する無茶な時代は2度と来ないでしょうが、適度な資産インフレには期待したいですよねぇ、 ex さんがお住まいの 港区 或いは 中央区 辺りは、マンションの リセール・バリュー の高騰が期待出来る、例外的な地域かも知れませんね。 それにしても ex さんが、インフレ懸念を先取りしておられるとは意外でした、いや・・さすがというべきか。 それにしても 高インフレ 時代を生き残る キーワード は借金と現物所有、その点は私も肝に銘じているのです。 >isokenさん、どうかお身体に気を付けてお過ごしください。ご夫婦仲良く、お元気で。 暖かい激励の御言葉・・本当にありがとうございます、私が倒れてしまっては我が家が崩壊しますから、頑張らねば。 ただ夫婦仲の良さは唯一の取柄です、他は何もありませんが、 ex さんも奥様共々健康にお過ごし下さい。 回答ありがとうございました。
- kamejrou
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こんにちはisoken さん 今のisoken さんの状況では新年の挨拶と言う訳にもいきませんでしょうし どうかまあ健康には気をつけられて Isoken さんと言う一家の大黒柱が揺らげば家そのものが揺らいでしまう 今、質問を眺めておりまして一安心しております 親しい人間には余り見せませんが時にきつい一面は私も良く承知してますし 「馬上少年過ぐ」 司馬遼太郎さんの短編でしたか? Isoken さんと伊達正宗の話しをするのも随分と久しいのですが この正宗の詩は私の世代の人間には実感として胸をうつのです これは恐らくsqさんなどもそうでしょう 仕事、仕事の仕事人間でしたが私世代の人間は皆そうです ですから男の育児休暇などと聞くと時代は変わったと思うのですが 今、自分の昔を振り返りますと はて?仕事より大切なもの、時間があったのではなかったか?❗ そう思うことはあります まあ別に悔いもありませんが 私は夢を諦めると言うことはありませんでした 自分の思うように生きてこれましたし 前にどなたかの質問でisoken さんがあの学校の入試問題は特殊だから 良く知ってることと笑いながら眺めていましたが 私が受検に失敗しても北海道に帰らなかったのはそれが理由です 札幌にだって予備校は沢山ありました 私はここの予備校でなければと我が儘を言いまして 父親も「好きにしろ」と許してくれましたが一人息子ですから 仕方ないと思ったのでしょうねえ まあこの予備校の一年のことはisoken さんには何度か話してますし 良くご存知 サラリーマン時代は本当に好き勝手していました またそれが許される時代でもありましたし 会社が倒産した時は、俺のせいかな? 本当に思いましたからねえアハハハ 会社が倒産してからは私はサラリーマン生活を続ける積もりはありませんでしたし 自分で何かを始めたい 商いと言うのはそこに売り買いする物がある訳で 昨今のように小さな部屋でPC があれば出来る時代でもありませんから 全て現金決済です それで頂くものは手形ですから中には180日と言うサイトのものもある 運転資金が回らない 私と言う人間に信用がありませんから 会社勤めの頃はブイブイ言っておりましたが会社あっての自分であったか? 思い知らされました 母親が親父の残した小金を持っておりましてね 「お袋、頼む❗」 また❓とか言われて母親と家内には本当に苦労をかけたのです 仕事も何とか軌道にのりまして会社に信用もついた さて、親孝行の真似事でもしようか? そう思っておりましたら先日も言いましたが 逝かれてしまい 「長いあいだありがとう 感謝してる」 親とは子供が元気で頑張ってる姿を見ている事で嬉しいのでしょうかねえ? 何やらとりとめのない回答になりましたが ここいらで
お礼
おめでとうございます kamejrou さん、お礼が遅くなり大変失礼しました、今年も宜しくお願い致します。 ところで、お気遣い頂き恐縮しております。 家内の方と併せ、年寄りを4人抱えた我が家の行く末には、常に不安を感じて参りました、ただ年齢から来る衰えは如何ともし難い・・と、目を瞑り耳を塞いで来たのはその通りだったろうと思います、いざその時が来るまでは・・。 何年か前・・、数年に及ぶ凄まじい闘病生活の果てに先ずは義母が逝きました、次いで80歳の声を聞き母がさる病に侵され更には父が・・、そんな状況の折も折 頼みの綱の妹が寝込んでしまい、正直 頭を抱える毎日。 激情家である反面、脳が実に自分に都合良く作用して、良くも悪くも・・私は抱え込まないタイプ、ところがうちの妹は正反対でありまして、その真面目さ故に、自分の病気と両親の事でノイローゼ気味なのです。 さて父は真面目一方の 石部金吉 、一方の母は、今も昔も大輪のひまわりのような女性です、幼かった私が、父親が経営する会社が倒産した友人の窮状を告げると、みなまで言うなとばかり、彼に飯を食わせ・私と同じ洋服を与え・祭りの日にはこっそり倅の私と同額の小遣いを渡す・・そんな人でした。 だからファンが多く昔から近所の奥様方のボス的存在です、ただそんなタイプにありがちな愛憎の深さのようなものも併せ持つ人で、私自身が辟易とする好き嫌いの多さと気性の激しさの幾分かは、その母親譲りなんだろうと思うのです。 その激しさ故に母と私の家内とは反りが合わなかった、家内は賢い女ですから愚痴も言わなきゃ無論悪口も言わない、ただまあ分かりますよね・・夫婦ですから。 典型的な 江戸っ子 気質である母は、口は恐ろしく悪いが腹の中は真っ白な人、その点を倅の私はよく分かっておりますから、家内にはただ一言 「 我慢しろ!、お前の両親も大切にするから 」 ・・と申し渡した、或いは亭主失格だったかも知れませんが、それから二人の関係が良くなったのも事実です。 >「馬上少年過ぐ」 >司馬遼太郎さんの短編でしたか? >Isoken さんと伊達正宗の話しをするのも随分と久しいのですが >この正宗の詩は私の世代の人間には実感として胸をうつのです >これは恐らくsqさんなどもそうでしょう 豊臣恩顧そして徳川譜代の将にも勿論苦労はあったでしょう、・・でなければそう簡単に大名になれる訳がない、ただ彼等の本質はサラリーマンですよね、つまり 伊達政宗 を始めとする地付き大名とは、置かれた環境も逞しさも違う・・そんな気がしてしまうのです。 そんな戦いの日々に身を置き続けた彼が、ふと振り返り書き綴った感慨・・、だから余計に読む側の胸を打つってのはあるでしょう。 >前にどなたかの質問でisoken さんがあの学校の入試問題は特殊だから 良く知ってることと笑いながら眺めていましたが 慶応 と並ぶ私大の雄 早稲田 は、やはり特別な存在なんだろうと思います、その校風はともかく実は私もあの エンジ の スクールカラー に憧れた一人でした。 ところでこれは何度か述べていると思いますが、私の受験は現在の 「 センター試験 」 の前身に当る 「 共通一次試験 」 の導入初年度、つまりそれまで旧一期校・二期校と、2度のチャンスがあった国立大学が僅かな例外を除き一発勝負となった、それが何を意味するかはお分かりでしょう。 早い話・・地方の受験生が国立大学離れを起こし、東京の有名私大への一極集中を招いたのです。 且つ私大の競争率の高さが、自然・・数校の併願へと向かわせた、中でも ミッション 系共学校の倍率は、軒並み40倍近いという大変な事になりました、 早慶上智 辺りはともかく、ここいらだったら何とかなると多くの受験生が思ったのでしょう、私にはいい迷惑でしたが。 ところが 早慶上智 の滑り止めを想定していたクラスの大学で、死屍累々の惨状を呈す事となる、そりゃそうですね、名目競争率40倍・実質でも10倍の狭き門と成りましたから。 そんな中、ろくすっぽ勉強をしなかった私に出番がある訳がない、当然ながらそう思いまして、3大学6学科を受けはしたが、早稲田予備校・早稲田学院のパンフレットも取り寄せてあったのです、全部滑ったら翌年は 早稲田 を受けるつもりで。 ところが世の中とは分からないもので、発表の1校目が合格しておりまして、うちの両親は私の学力・・それ以上に浪人したって勉強などするはずもない我が倅の何たるかを知り尽くしておりますから、倅の気が変わらぬうちにと、直ぐさま入学金と御丁寧に任意の寄付金まで払い込んでしまい退路を断たれた、それがあの大学へ進学した真相の全てです、もっとも母がOGというのもあるにはありましたが・・。 >サラリーマン時代は本当に好き勝手していました >またそれが許される時代でもありましたし >会社が倒産した時は、俺のせいかな? >本当に思いましたからねえアハハハ ひょっとしたら倒産まであるかもな?・・、大手準大手の倒産が相次ぎ想像もしていなかった金融機関冬の時代を迎えたあの時に、その点を考えなかったら嘘になります。 莫大な公的資金を注入されましたし、俗に言う BIS 規制 = 自己資本比率 を堅持して、 ユニバーサル・バンキング を継続する為に、良心の全てを封印して「 貸し剥がし 」 に奔走した事もありです、故に運転資金の枯渇が齎す黒字倒産というものは随分と見て来ました、決して綺麗事を言うつもりはありません。 >親とは子供が元気で頑張ってる姿を見ている事で嬉しいのでしょうかねえ? 順番を違えて子供が先に逝く事以上の親不孝は無いと思います、私も逆縁だけは避けたい、親の最期を見届けてせめて自分の代だけは祭祀を絶やさないのが、子として出来る唯一の務めである限りは・・。 回答ありがとうございました。
- sqqrcxvx
- ベストアンサー率9% (84/911)
謹賀新年 昨年はたいへんお世話になりました 今年も宜しくお願い致します >不楽是如何 私の人生そのものです。 >さて 如何に崇高な理想そして夢も、眼前の食わねば・食わさねばならないと言う現実の前では無力でありましょう、人間誰しも霞を喰って生きる訳には参りませんから・・、そうこうする内に山っ気その他諸々が去勢されて 「 馬上少年過ぎる 」 事となる、或いはそれが人生というものの正体なのかも知れませんね。 私の宮仕え人生を的確に表現しておられます。 >皆様が諦めた夢・野望・展望その他ありましたら、お聞かせ下さい。 私は東海道新幹線が停まる街に住んでいます。家が高台にある関係で北・東・西に山並みが見え、東を除いて頂上付近は冠雪しています。南は海(港)で、南風が強い日には汽笛(霧笛)が聞こえます。 生粋の東京っ子であられるisokenさんのお話を興味深く読んでいます。 私も転勤族でしたからいろいろな街に住みましたが、東京に勤務した事はありません。今も所用で時々東京へは出かけますが。 東京・・何時行っても不思議と他人ばかりの冷たい街とは思えません。信じて頂けないかも知れませんが何か懐かしい想いに捉われます。自分の思い込みかも知れませんが、DNAに組み込まれたものがあると思っています。祖先は江戸時代200年以上に渡り江戸住まいでした。幕府の下級武士として貧乏生活をしていたようです。 それが江戸三大改革の最終に当たる天保の改革で、今の言葉でいうリストラ・出向・転籍でしょうか、幕府の財政難を理由に某藩へ移籍してくれと。そこが今自分が居る街です。 思えば我が家の「プライドはあるがお金はない」は江戸以来という事になり、年季が入っています(笑)。 明治になり徴兵令が施行されます。公方様の御家人が何故薩長の兵隊にならなくてはいけないんだ、と名字を変えて徴兵を逃れようとします。時代は変わったのにそれに追いついていけない守旧派なんですね我が家は。旧姓は私も知っています。 さて現在に話しを戻すと 一つのところに勤め続け定年になった際、結構な役職で子会社への斡旋を受け、伝統企業は義理人情に篤いなと感じました。私ごときが話すよりもisokenさんはこの辺り良くご存知かと思います。新興勢力は冷たいでしょうねきっと。 ただご承知の如く、子会社勤務は順番ですので一定期限が来ると去らなくてはなりません。今は引退しています。 今朝もSantanaのアルバムを聴いていました。ヘンなオールドマンですね。 年末に、Kさんへの回答を読みました。 私もこういう年ですから、あれを読む前から思いを為してはいましたが。 心よりお見舞い申し上げます。
お礼
おめでとうございます sq さん、旧年中は色々と御指導賜りましたが、今年も宜しくお願い致します。 >私は東海道新幹線が停まる街に住んでいます。家が高台にある関係で北・東・西に山並みが見え、東を除いて頂上付近は冠雪しています。南は海(港)で、南風が強い日には汽笛(霧笛)が聞こえます。 それがどこなのか見当も付きませんが、良いところにお住まいで何よりです。 >生粋の東京っ子であられるisokenさんのお話を興味深く読んでいます。 私も転勤族でしたからいろいろな街に住みましたが、東京に勤務した事はありません。今も所用で時々東京へは出かけますが。 家内と二人して、先ほど 浅草寺 に初詣に参りましたが、やっぱり浅草の正月はいいですねぇ、 「 誰が出てるのかな? 」 ・・そう思いつつ 浅草演芸場 の看板をチラ見すると、どうやら今日は 林家木久扇 師匠だったようですが。 その後 伝法院通り をぶらぶらし 「 浅草メンチ 」 に並んだ大行列を横目に見て 仲見世に入り、参拝を済ませた後は 「 天健 ( てんたけ ) 」 という小奇麗でも広くもないが、あの界隈では有名な天婦羅屋さんでビールと熱燗を頂きながら かき揚げ丼 に舌鼓を打ち、 その後は浅草の喧騒を離れ 菊水通り にある「 菊丸 」という甘味処であんみつを頂いて帰宅しました。 >東京・・何時行っても不思議と他人ばかりの冷たい街とは思えません。信じて頂けないかも知れませんが何か懐かしい想いに捉われます。自分の思い込みかも知れませんが、DNAに組み込まれたものがあると思っています。祖先は江戸時代200年以上に渡り江戸住まいでした。幕府の下級武士として貧乏生活をしていたようです。 合理的な説明は不可能ですが、 俗に言う 「 DNA が疼く 」 ・・これは確実にあるのだろうと思います。 ただ 江戸に由来する DNA は、私なんぞよりも sq さんの方が遥かに濃い、その点は申し上げておきたい、・・というのも我が家は西の方の某藩士の末裔でありまして、御先祖様が江戸勤番を命じられたのが 元禄 を少し下がった頃、つまり元を辿ればお上りさんです、江戸開闢以来の sq 家とは比べ物になりませんから。 >それが江戸三大改革の最終に当たる天保の改革で、今の言葉でいうリストラ・出向・転籍でしょうか、幕府の財政難を理由に某藩へ移籍してくれと。そこが今自分が居る街です。 天保の改革 と言えば 水野忠邦 ・・、言わば 松平定信 の系譜を引く清廉ではあるが無能な為政者の典型ですよねぇ、それにしても幕臣の転籍ですか、そんな歴史的経緯があったとは知りもしませんでした、実に勉強になります・・と同時に、我が国の戦後教育のいい加減さにも思いを馳せてしまうのです。 ・・というのも、私が子供の頃の歴史教科書では、江戸の中後期に行われた3大改革は絶賛され、そのリーダーは神格化されていた記憶がありますが、重農主義をベースにし且つ奢侈を禁じるというのは、市中に出回る金の循環を阻害し、更に物価の統制をも意図するとなれば、現在で言うところのデフレを助長する典型的な政策でしかない。 例えば 重商主義的 藩財政改革 を押し進め、積年の借財を一挙に返済したのみならず蔵に山高く小判を積む事となり、それを討幕の原資とした 薩摩藩 や 長州藩 他の雄藩との比較に於いてどうだったろう、幕府が瓦解に至る幾許かの原因は経済的失敗に依るものではないか、私などはそう考えてしまうのです。 >思えば我が家の「プライドはあるがお金はない」は江戸以来という事になり、年季が入っています(笑)。 御謙遜はともかくとして、 sq さんが文章に醸し出すどこか シニカル な雰囲気は、 江戸 という世界的な大都会に培われた エスプリ そのものではないでしょうか、それも大変失礼ながら講釈の中の 大久保彦左衛門 的とでも申しましょうか・・、後は御賢察頂ければ何ともありがたいのですが。 >明治になり徴兵令が施行されます。公方様の御家人が何故薩長の兵隊にならなくてはいけないんだ、と名字を変えて徴兵を逃れようとします。時代は変わったのにそれに追いついていけない守旧派なんですね我が家は。旧姓は私も知っています。 元が幕臣であれば、転籍した先は譜代大名という事でしょうね、そりゃ薩長に組して戦う事に疑問を感じるのは当然であったろうと思います。 因みにその点でも我が家は正反対、元々扶持を頂戴していたのが勤王藩でありましたから、我が御先祖様はそのまま横滑りして維新政府の軍隊に組み込まれ、以降職業軍人の道をまっしぐら、嫌でも何でも鉄砲を担がねばならなかった、太平洋戦争の敗戦を以って漸くその呪縛から解き放たれる事と相成った次第です。 >さて現在に話しを戻すと >一つのところに勤め続け定年になった際、結構な役職で子会社への斡旋を受け、伝統企業は義理人情に篤いなと感じました。私ごときが話すよりもisokenさんはこの辺り良くご存知かと思います。新興勢力は冷たいでしょうねきっと。 お陰様でと申しましょうか、 sq さんと同様 何の苦労も無く横滑りさせてもらいました、ありがたい事です。 ところで仰る通りで、新旧で相当な違いがあるようです、そもそも歴史を有する大企業には、子会社・系列会社の椅子に対する既得権がありますものね。 >今朝もSantanaのアルバムを聴いていました。ヘンなオールドマンです ね。 1980年代の初頭 六本木の サーファー・ディスコ に入り浸り、金も無いのに享楽的日々に明け暮れていた私のお気に入りが、アルバム 『 シャンゴ 』 に挿入された「 ホールド・オン 」 という曲でした、今でも大好きです。 >年末に、Kさんへの回答を読みました。 >私もこういう年ですから、あれを読む前から思いを為してはいましたが。 >心よりお見舞い申し上げます。 sq さんにまでご心配頂きまして恐縮です、もっとも親父の方は最悪の事態を脱し快方に向かっており、ほぼ心配はないのですが、妹が深刻な状況でしてね、ほぼ寝たきり状態なのです。 10日後に迎える誕生日で彼女はやっと54歳、至らなかった兄貴としては目下こいつの事が心配でなりません、今日も生れて初めての大金をお賽銭箱に投げ入れ、後ろの大混雑を無視して、うちの家族そして家内の家族の事を一生懸命拝んで参りました。 回答ありがとうございます。
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お礼
おめでとうございます 5mm2 さん、お礼が遅くなり大変失礼しました、今年も宜しくお願い致します。 >僕は少年期より本をあまり読まなくって、歴史書や伝記本も殆ど読んでいません。 >今思うと、偉人や英雄にあまり興味がなかったみたいです。 私は逆で、読書の取っ掛かりが偉人伝・英雄伝の類でした、叔母からプレゼントされた或る本が切っ掛けで、以降 ナポレオン・湯川秀樹・シュヴァイツァー etc を読み漁る事となる。 思えば 末は博士か大臣か・・、明治を起源とするそんな意味合いの パラダイム が、まだ完全に過去の遺物になってはいなかった、そんな時代であったろうと思います。 >その中で面白く感じた出来事や、興味の出てきた物事の延長線にその時々のターゲットを置き、マイペースで進むという人生でした。 人生という ロング・パット は、丹念にグリーンの傾斜を読み 決め打ちする実に能動的な人間と、全面的に感性に頼り 転がるボールに身を任せる ( 無論私はこちらのタイプです ) 、2種類があるんだろうと思います。 例えば中学高校の同級生に、船乗りになると宣言して男がおりました、高校を卒業して以降全く付き合いがありませんでしたからその間の紆余曲折は分かりませんが、その念願が叶い MOの豪華客船 「 飛鳥 II 」 の機関長となった。 彼なんかは、自らが描いた人生の到達地点から逆算して、何をどうすればいいかを着実に詰めて行き、且つその果実を手にした稀有な例だろうと思います。 >何故なら、バーを下げなければ、引っかかて転んでいたと思います(笑)。 >そして、それほど高くない希望なら、今から設定して、到達することは可能だと思います。 5mm2 さんの行き方が、人生を楽しむ王道ではないでしょうか、世間には自らの境遇に常に不満を抱き、他人とのちょっとした差異を妬みやっかむ人もおられるようですが、恐らく不幸な事なんだろうと思います。 目先の何かに喜びを見出す事が出来る・・その点は、或る種の能力なのかも知れませんね。 回答ありがとうございました。