「桜田門外の変」で有名なあの井伊直弼は、なんと十四男でしかも側室の子供だったために養子の行き先さえありませんでした。側室の子供とはいえ藩主の息子ではあるので、どこでもいいというわけにもいかないのです。
とはいえ一応藩主の息子ではあったのでとりあえず食うに困ることはありませんでした。しかし、仕事がない。働きたくても働く場所を与えられないニートだったのです。とりあえず屋敷だけは与えられましたが、その屋敷に自ら「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けました。花を咲かせることもなく埋もれて終わる我が身を自嘲したのです。
あの高杉晋作の辞世の句といわれるのが、「おもしろき こともなき世を おもしろく」です。詩の才能があった彼は都々逸なんかを数多く残しているのですが、だいたいは厭世的というか退廃的というか、有名な「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」なんてのは退廃的な世界観ですよね。辞世の句にはそんな彼の価値観がよく現れていて、彼にとっては平和で安定した社会というのは「面白くない」だったのではないかなと思います。
あとは、文学史には詳しくないけれど、大正時代あたりの文士には痛々しい重度の中二病患者がゾロゾロいると思います。坂口安吾なんかも、確か戦争に向かっていく当時の社会に背を向けて(というか、彼の典型的オタク気質では性格的に体育会系のノリの極みである軍国主義はなじみたくてもなじめなかったと思いますけれど)、俺は一人生き残って日本の最後を見届けるのだみたいなことを書き残していたと思います。
ファンには悪いけど、「人間失格」なんて「ボク、居場所がどこにもなかったんスよ」って告白記だといってもいいと思いますしね。
いつの時代も、どこの国でも、文才のある社会不適合者が書き残したものを読むと「俺には居場所がないんスよ」みたいなのが多いですね。李白の作品にもそんな感じのがあるでしょ。てか、あの人が落ちぶれたのは完全に自業自得なんですけどね。
お礼
贅沢な悩みといことですね。 ありがとうございました。
補足
生きるためにしなければならないことが減った結果、くだらないことを感じる余地がでてきたのですな。