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あなたにとって親子の愛情は打算?!
「エゴイズム」や「打算」の定義には個人差があります。 あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか? それとも考えませんか? 親が自身の子に愛情を注ぐのは、 自分の子孫を残すための無意識の本能です。 皆さんはこのような無意識的行動も、 「エゴイズム」の定義の中に含めますか?
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親になって四半世紀以上たつ者ですが…、 そうですね…自分の血を引く生物に対する愛情(本能)ですので、無意識のエゴといってもいいかもしれませんね。 ですが、 >あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか? 考えません。 エゴは、打算とは違うと思います。 打算で子を育てるというと…「この子は将来、大実業家になり、親に莫大な恩返しをしてくれるだろうから(それを見込んで)一所懸命育てよう」 というようなことだと思っています。 私を含め、たいていの親は、そういうことを思って子を育ててはいないと思います。
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>あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか? >それとも考えませんか? 子供を“自分の”「損得の道具」とは考えたくもありません。(できません!!) >親が自身の子に愛情を注ぐのは、 >自分の子孫を残すための無意識の本能です “自分の子孫を残すための”が余計ではないでしょうか? さらに“本能”なのでしょうか? (心理学は分かりません。ただ、人間と動物を同一視するのは、どうなのでしょうか?) 『親は自分の子に、無意識のうちに愛情を注いでしまう』ではないでしょうか? >皆さんはこのような無意識的行動も、 >「エゴイズム」の定義の中に含めますか? 『親は自分の子に、無意識のうちに愛情を注いでしまう』 これは、「エゴイズム」(利己主義)というよりも「利他主義」ではないかと思います。 偉そうに大変失礼致しました。<(_ _)>
お礼
ご回答ありがとうございました。
- dell_OK
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打算と言う言葉は使いませんが、 のちのち養ってもらうつもりで、 それなりの愛情は注ぐと思います。 そのような計算や計画なしで、 自然にわいてくる愛情や、無意識の本能は、 たぶん、私には希薄だと思います。 私を養わせるためのエゴイズムではあっても、 無意識的行動はエゴイズムではないと思う。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >無意識的行動はエゴイズムではないと思う。 なるほど。無意識的行動をエゴイズムに含めない訳ですね。
無意識の本能が「エゴ」であるならば、それらの根源である、 宇宙の存在そのものが「エゴ」であることになりそうです。 そう思ったら、宇宙にも「エゴ」があるのかもしれない。 そう疑問に思うのが妥当です。 質問の趣旨から言うと、宇宙にも「打算」があるのかもしれない。 ということにも繋がるかもしれませんね。 思いっきり拡大解釈して捉えてみましたが、 宇宙に「打算」や「エゴ」があるって考えるのは、 夢がなくて楽しくないから、考えません。 だから、親が子に注ぐ愛情も「打算」や「エゴ」だと思うと味気ないから、考えないですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- youchan37
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エゴイズムの定義は、まぁ曖昧さもあるとしておきましょう。 それだけで延々とした議論に発展する危険もありそうです。 無意識の本能により、親が子を育てる。 それが無ければ、子は育たない。最悪死んでしまう。 よってこれは、一方的な親のエゴイズムではないと。まずは考えることができると思います。 又、前後しましたが、親が子に注ぐ愛情が打算か否か。 二分論で決めようとすれば、それは無理です。そう決めようとすること自体が、甘えでしょう。 打算の愛もあるでしょう。無償の愛もあるでしょう。どちらか100%の親なんて、まずいないです。 両方ある。後はバランス、程度問題となると。それだけのことだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
>「エゴイズム」や「打算」の定義には個人差があります。 「エゴイズム」の定義は一般に使われているのは定説外。 個人差が大きく定義不能なものを物差しにはできないでしょう。 >親が自身の子に愛情を注ぐのは、 >自分の子孫を残すための無意識の本能です。 愛情が本能ならば虐待や子殺しは起きないでしょう。 人類における愛情は本能ではなく、体験から会得するものにしか過ぎない。 子孫を残す性本能も男女を引き寄せあう事でしかなく、 性行為自体は学習無しでは不可能である。 動物園の類人猿はビデオで教育しないと性行為ができない。 「打算」があるものは「愛」ではないが、 養育には「打算」が含まれる場合もある。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- maimai1313
- ベストアンサー率50% (4/8)
私はまだ親になっていないので 子供の立場からしか意見は言えませんが、 私の回答は 親が子に注ぐ愛情は打算もしくはエゴイズム で無いことを願う。 ですね。 少しズルイですか?^^; 子供が産まれるということは もちろん自然に湧き出てくるわけではないから 両親の性行為があるわけで、 産まれるということは両親の望みの元に成り立ちますから その『赤ちゃんが欲しい』という思いを エゴイズムと呼ぶことは不可能ではないと思います。 ただ、それは悪意でないことがほとんどだと思うので、 このような純粋な感情は 私個人としてはエゴイズムとは呼ばないです。 無償の愛と呼びたいです。 ただ親がエゴイズムでないつもりでも 子供は親のエゴだ!と感じる時もあるでしょうし、 中には子供を言いなりにさせようとしたりする親もいますから、 そのような行為にはエゴイズムが含まれると思います。 難しいですね^^; 希望としては親は『産まれてきてくれてありがとう』 という気持ちで無償の愛を注ぐべきだと思います。 まとまりのないあいまいな回答で申し訳ないですが、 私の結論としては 親が子に注ぐ愛情は無償の愛であるべきである。 しかし、親によっては打算・エゴイズムに走ってしまうこともある。 無意識行動をエゴイズムの中に含めるというよりは 無意識行動の中に、時にエゴイズムが生まれる可能性はある と考えます(^-^)
補足
ご回答ありがとうございました。 ところで、 >中には子供を言いなりにさせようとしたりする親もいますから、 >そのような行為にはエゴイズムが含まれると思います。 これが行き過ぎると、虐待につながりかねません。 最近は児童虐待も問題になっていますね。
お礼
ご回答ありがとうございました。