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「国に不利益になることはしない」vs「国民に不利益になることはしない」・・・公務員はどっちであるべきか?
外務省幹部が、核密約文書の廃棄を指示したという記事が載りました。 01年頃ですから、だいぶ昔です。 情報公開法の施行によって、「存在しないはずの文書」が将来発覚する事態を恐れたものと見られるということです。 これによって、密約で国民を欺き続けているということと、核の存在を検証する可能性を国民の手から奪ったということも言っています。 さて、この行為を行ったのは国家公務員、しかも中央官庁の人間です。 ここで質問になりますが、廃棄を指示した行為、及び行った行為は、「国の不利益にならないため」です。一方それによって国民が検証できなくなった、知る術がなくなったことは、「国民の不利益になること」です。 公務員は、どっちに軸足を置くべきでしょうか? 国が不利益にならないように公務員が行った行為が、国民に不利益をもたらすことになっても許されますか? 公務員の職務から考えて、この廃棄の指示・行為は、“公務員として当たり前のこと”と言っていいでしょうか? ちなみにソースは朝日ですが、朝日の記事云々とかの議論はなしとします。
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個人的な意見ですよね? 「国家公務員」は「国の不利益にならないため」を志すのが本筋だと思います。 ただ、この件は例としては不適切な感じがしますね。 「文書廃棄をした」ことが「国の不利益にならない」という見解がその国家公務員の認識の低さを物語っている気がします。 「国家の不利益」と「国民の不利益」が背反するケースもあると思いますが、本来は前者を「国家公務員」が、後者を「地方公務員」が担っていると考えるのがわかりやすいと思います。 最近は例外が多いような気がして困惑しています。
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- 4by4-ko
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概念は、国家が在るから国民は存在するし、国民が居なければ国家は成り立ちません。 つまり「国益」と「国民の利益」は同義です。 核搭載の米艦船の寄港や領海通過の容認は、その正誤はさておき日米関係を考えれば、それが国益に沿った判断だったということに異論を挿む余地はないかと思われます。 質問は「密約文書の廃棄」が主旨ですが、そっちの話も同じで、たとえ世論からの批難を避けるための廃棄だったとしても、それが国益から逸脱した行為とは言えないでしょう。 原則に法的拘束力はありませんし、憲法で禁じられてるわけでもないが、一応のわたしの根拠・理由です。 1957年5月7日の参議院で、岸信介総理は「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」と答弁し、5月15日、政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。1959年3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにしていた。 岸総理の答弁から50年経っても、政治家の「核武装“論”をすべき」で、いまだマスコミに大批難される国ですよ(笑) 田原総一郎を真似るつもりはありませんが、非核三原則が守られているなんて、誰も信じていません。 では、わざわざ「こんな建前」を問題として採り上げる意味は?外国が問題視しない「非核三原則」をわざわざ使って叩いてる“輩”も、充分に国民の利益を“損ねている存在”です。 公僕は、国民の奉仕者であることが前提です。 しかし一部の公務員たちの悪行は、胸くそが悪くなるものばかりで、国民の信頼を失うのは当然ですね。 前述の「いまだ大批難される国」にした責任だって、マスコミより政府高官のほうがずっと重いと思います。そういう意味では、彼らは、国益に反する存在だったと捉えて間違いないでしょう。 記事云々とかの議論はなしの忠告を、わたしは守れたでしょうか? 質問者さんが望むアンケとだいぶかけ離れたものになってしまい、申し訳ございません。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 非核三原則は今となっては、実に都合のいい存在となりましたね。 国外においては“唯一の被爆国”をアピールできる材料となり、国内に対しては“核を持たない平和国家”をアピールできます。 もはや形骸化しているという事実はありますが、露呈することでそれを厳然と見せつけられることを恐れたんだと思います。 国益に沿って廃棄することで、核の存在は益々曖昧となり、アメリカの持ち込みをより容易にすることは、「核の傘」という観点から考えたら十分国民の利益にも叶っているといえるのでしょうね。 それが官僚の考え方なのか、と勉強になります。 ありがとうございました。
- yo-ry
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具体的な話に関しては分からないのですが、ちょこっと意見を。 国民としては、 「国民に不利益になることはしない」 で欲しいけど、 本来は、 「国に不利益になることはしない」 様に振舞うのが、公務員だろうと思いますね。 ただ、その行為が本当に、国に不利益にならないことならば、 国民にも不利益にならない筈なのでは? 勿論、長い目で見て、の話になりますが。 「公務員」の不利益にならないことならば、 (公務員以外の)国民に不利益をもたらしてしまうことになってしまうかもしれない とは思いますけど。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 >国に不利益にならないことならば、国民にも不利益にならない筈なのでは そうなんですね、きっと根拠はそこだと思います。 核を曖昧にすることが抑止になっていて、結果的に国民にも利益をもたらすということで・・・ ですが、曖昧=非核三原則の逸脱、ということを知られたくなかったのだと思います。 ありがとうございました。
本来、国=国民なので答えるのが難しいのですが。 (企業と消費者みたいに正対してませんから) 国を政府や行政機関と考えた場合。国民に軸足を置くのが当然です。 (一応、主権在民とパンフに記載してしまってるので) ただし、漠然と国民と言っても、一億もいますし、その公務員も実は国民だったりする訳で、トータルで判断して(あるいは将来的に)国民の為になる行為だったと言われたら(経験上、8割方詭弁ですが)仕方無いですね。 歴史の判断に委ねるべきかもしれません。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 >トータルで判断して(あるいは将来的に)国民の為になる行為だったと言われたら そうでしょうね、オープンにすることで日米同盟の安全保障にひびが入ったらそれこそ問題と考えたんでしょうね。 核については、曖昧とするのが最善の方策ということで・・・ そういう意味では廃棄は、「国民のためだった」と言えるかも知れません。 ありがとうございました。
- selm_mles
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公務員は「国民への奉仕者」なので、国民の事を第一に考えるべき なんだと思います。 文書の廃棄も、もしかしたら国民にとって不利益だったからかも しれませんよね。内容はわかりませんが。国際社会で、国の不利益は 国民の不利益になると思いますので。 その文章が公開されたら、どうなっていたんでしょうね。 内容を良く知らないので、その辺を調べてみようと思います。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 もしかしたら組織防衛だったのかも知れません。 非核三原則が形骸化している事実が露呈したら、政権にとって大ダメージですから・・・ オープンにすることの不利益と隠すことの不利益を考えたら、後者の方が安全と考えたのでしょうね。 ありがとうございました。
- QES
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公務員はとありますが 地方自治法では第一条に「住民の福祉の増進を図ることを基本として」とあり地方公務員は住民第一です。 一方国家公務員は直接は住民(国民)と接することが無く、国としての組織の維持が国民のためでもあるという考え方です。 つまりご質問の例では、国の不利益にならないことが国民にとっても不利益に通じるとする考え方をされたのでしょう。
お礼
ここでいう公務員とは国家公務員でした、失礼致しました。 >国としての組織の維持が国民のためでもあるという考え方 なるほど、話はそれますが、特法の天下りが問題になってますが、官僚からすれば特法も「国民のために必要な組織」ということになってしまうんですね。 少なからず税金が投入されてますが、必要かどうかの線引きが曖昧、むしろ必要と思ってるのは官僚、というイメージがあるので、どうも納得がいかないところです。 回答を頂き、ありがとうございました。
- akamanbo
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>どっちに軸足を置くべきでしょうか? 「公務員」なんだから、国とか国民とか抽象的な概念ではなく、法律にもとづかねばならんでしょう。 法律は国民の代表である議員が定めるのであり、国民は国のことを考えている、ということになってますから。 その枠を超えた行動はもはや「公務員だから云々」という物差しでは測れません。 個人の信念の問題です。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 公務員は法律によってのみ拘束されると言いますが、その法律を作るのは国民の信託を受けた議員です。 ということは、結局国民は議員を選ぶことで、間接にせよ公務員の行動規範を信任していることになってしまうんですが、一方で官僚の暴走が止められないというのは歯がゆい感じがします。 ありがとうございました。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 きっと、核の存在を曖昧とすることで、それが国益に通じて、結果的に国民の利益にも通じると考えたのでしょうね。 ですが、非核三原則に明らかに逸脱していることと、国益は同じ価値で語ってはいけないような気がします。 ありがとうございました。