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日本の学校国語教育に足りないと思うものは?

日本の学校国語教育に足りないものは何だと思いますか? 皆様からの意見をお待ちいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#84871
noname#84871
回答No.2

面白さ。実用性。 どんな素晴らしい文学であろうと立派な論文であろうと入り口が難解であればそこで「嫌いなもの」になってしまいます。 (「読書感想文」で読書を嫌いになるケースも多くあります。) 極端な話、今の時代であれば漫画から入ってもいいと思っています。 実は私自身が小学生の頃からの本の虫(漫画8:活字2)で学校や公立の図書館に入り浸りで国語、現国だけは得意だったもので・・・。 そういう割には回答文が下手なのは置いといてください。(笑) (あくまで試験用のレベルに限ります。) カリキュラムで足りないと思うのは「会話」です。 会社で人材育成関係の職に数年就いていましたが、ある程度の大学を出た方でも「会話」になると甚だ頼りなく感じる部分が多く、新入社員育成コースに「会話」のカリキュラムを入れざるを得ないという現実がありました。 実際には使う機会の少ない英語の授業における会話は皆、声高に必要性を主張するのに国語のソレには触れないことには以前から違和感を持っています。 私は「読書を面白いと思わせるカリキュラム」、「その場に合わせた会話ができるだけのスキルを身につけるカリキュラム」この2点にもっと重きを置いて欲しいと考えます。 正直なところビジネス文書になれば今の時代、一から書き上げる能力はそれほど必要は無く、その職の中で前例に基づいて要点だけまとめれば事は足りることが多いでしょう。 趣味で楽しんだり、物書きとして生きていくには、それ以上が必要になりますがそこは教育で画一的に与える事ができる範疇を超えていると思います。 全くの私見ではありますが。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私も読書感想文が大嫌いでした。今でも大嫌いです。感想という情緒的で抽象的なものを書くのは大の苦手です。 それ以外の文章も子供時代はダメでした。 ただしこちらは今はまあまあ書けます。 学校の国語教育は感想文ばかり書かせますが、 理論的で筋道立てた文章を書く練習をする機会は、 中高ですらほとんど無かったように思います。 その為、私たち文章構成は学校を卒業してから 手探りで身に付けました。 困ったものですね…。 あと、おっしゃる通り日本人は 音声言語を軽視し過ぎのように思います。 外国語のおしゃべり会話能力がどうこうなどと 言っている場合ではありません。 そんなものはやりたい人が趣味で 英会話スクールにでも行ってやればいいと思います。 それよりも学校国語教育の場で、 単なるおしゃべりではない 説得力のあるスピーチを行う習慣や能力を身に付ける場を、 諸外国並みに設けて欲しいものですね。

その他の回答 (4)

noname#83410
noname#83410
回答No.5

能、狂言、歌舞伎、落語など、日本の文芸に触れる機会。 狂言はかろうじて小学校高学年で取り上げられていますが、それでも小学校6年間を通して1単元やるかやらないかです。 とばしてしまう学校もあると聞きます。 他の授業では触れる機会がありませんし、受け継がれている日本語を学ぶ機会でもあると思います。 古典文学は授業でやりますが、ただの暗記大会になってしまっています。 楽しく日本の文化に触れられればいいのに…と思います。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 確かに古典の授業がつまらないですよね。

  • jumpup
  • ベストアンサー率14% (64/443)
回答No.4

言葉は本来”聞く・話す”ものである。 外国に通じない「和製英語」が日本教育をどれだけダメにした事か。 撲滅すべきである。 具体的な事例は以下の通り × パトリオット・ミサイル→○ ペイトリオット・ミサイル × パナソニック→○ ペイナソニック × デビッド・ベッカム→○ デイヴィッド・ベッカム 

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.3

文学作品を楽しむ心が足りないと思います。 主に大学生から学ぶ 「その文章を読んでどのように魅力や芸術性を感じたか」 ということについて、小学生くらいから学んでも良いと思います。 あと、もっと文章を書くべきです。 読むことより書くことが不足していると思います。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 他の方とは異なった意見ですね。 もっと文章を書くべきだというのは私も同感です。

  • kendosanko
  • ベストアンサー率35% (815/2303)
回答No.1

日本の国語教育は文学鑑賞や漢字の習得に偏りすぎで、 論理の構成に対する訓練がおろそかになっています。 文学の充実よりも、 ジャーナリストのようなきっちりとした文章を書く訓練を。 著作権の関係で難しいかも知れませんが、 題材としては、フィクションよりもノンフィクション、 実用系のビジネス文章、新聞などに比重をおくべきです。 文豪を育てるよりも、 社会のために役に立つ国語教育になるべきです。 これは、英文学の読解偏重になっている今の英語教育 についても同じです。 文学偏重の教育が、学校の国語や英語の実用性を ゆがめているともいえます。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 特に冒頭部分で述べられた部分については、 私も普段から同じ不満を持っていて、賛同できました。 漢字の習得については実用的で大切だと私は思いますが、 文学作品の鑑賞に時間を割きすぎていると思います。 論理的に話し、論理的に書くという言語出力能力が、 学校では身に付けられないことがほとんどです。 また、これは学校教育の問題のみならず、 日本語という言語の特質によるものかもしれませんが、 文字言語を偏重し、音声言語を軽視し過ぎていますね。 概して日本人は母語でさえスピーチが苦手なのは、 これらが要因だとよく言われていますよね…。

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