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何故恋愛ゲームは日本においてそんなにも発展したのか?
現在イギリスの美大にて、 美術概論の授業でファンタジーに関するエッセイを書いています。 海外におけるゲームの人気、需要は日本とさほどかわらないと思うのですが、すくなくともイギリスにおける恋愛ゲームの認知度はかなり低く、(ゲーム科の生徒と話した限りですが)そのようなジャンルの存在自体をおどろかれました。 少なくとも日本におけるような純粋に恋愛そのものだけを楽しむゲームはなかなかないようです。 二次元のキャラクター(現実的な描写でない、漫画的な)に対する日本での人気は、 ヨーロッパのゲームがリアルさに比重をおく事に対してかなりの違いだと思います。 ことアニメ的なものに対するファンタジー、言い換えれば憧れを、日本人は強く持っているのではないでしょうか。 これは私たちが漫画文化をバックグラウンドとして持っている事もあるのでしょうが、 日本人の、「恥の文化」、シャイさも関連してるのではないかと推察しています。(一概に皆がシャイだとは言えませんが) 私たちは一般的には、公の場所で他者に対する愛情を表したりは西洋程はしないと思います。 しかし、恋愛に対する欲求自体は多人種の人たちと同様に持つはずです。 恋愛をゲームで楽しむという事は、他者の目を意識する事なく楽しめるという点で日本人の性質にあうのかも知れないと思っています。 それとも単なるオタク文化を背景に持つ人気なのでしょうか? 現在海外にいる為なかなかそのような考察の為の資料を探すのに苦労しています。 できれば皆さんの見解、もしくはこのような議題について論じているサイトがあれば教えて頂けないでしょうか?
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- natsky
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「アニメ的な非写実的・非立体的なキャラクターを愛する事」と、 「恋愛をゲームで代用して充足を得る事」の2つについて、 日本の文化的特性に基づく幻想と絡めて考察されようとしているのですよね? どのような文脈での「ファンタジー」のエッセイが求められているのか分からないので見当違いでしたら申し訳ないのですが、 上記の2つの幻想は、同根だと思います。 それは、日本の「事象を抽象化したものこそ素晴らしい」というファンタジーです。 例として、 具体的な描写を連ねるよりも、情景や情動が凝縮し象徴された短い語句に共感を託す短歌や俳句があります。また、対象から艶やかさを担う輪郭と色彩をデフォルメして抽出した浮世絵などもそうですね。 アニメ的キャラクターが抽象化の文化という論は、説明を要さないと思います。 もう一方の、恋愛をゲームで代用して充足を得る事がどうして抽象化の文化なのかについては、説明が必要でしょう。 実際の恋愛では例えばどのタイミングでコミュニケーションを図るか、どんなファッションで臨むかなど、様々なプロセスがあり、それを乗り越えて現実的なリターンがあって充足を得るものですが、恋愛ゲームのユーザーは、これらの中で特に中核をなすであろう「会話」や「非日常的で人間関係を発展/変化させる出来事(出会いやデート等)」などを抽出し、擬似的に楽しんでいるのです。これ以外の恋愛のプロセスは、抽象化の美意識の中では蛇足となるので、ゲームとして取り扱われないことになります そしておそらく最も奇異に映るであろう「現実的なリターンが無いこと」についてですが、日本人がなぜ抽象化されたものを審美できるかを論ずる必要があると思います。抽象化されたものを受容しappreciateするためには想像力が不可欠です。想像力によって、現実的なリターンが無い恋愛ゲームをあたかも現実の恋愛のように楽しめるのは、架空の恋愛を想像力によって現実の恋愛の成就のような充足に転化させているのです。 石庭に自然を見出し、短歌から詠み人の人生を思い描く「作り手が抽象化し、受け取り手がそれを想像力で内的に拡大させ、愛でる」という文化が、現代では恋愛ゲームという形で日本的な幻想を体現しているのではないでしょうか。
- aho0xff
- ベストアンサー率12% (218/1771)
大雑把に書けば需要側と供給側で実は別々の理由があり、それが偶然合致してしまった 時期があり、一つのジャンルとして確立してしまった・・・ということだと思います。 ちょっと手前味噌にはなりますが、自分の回答で似たようなことについて過去に 書いた覚えがあるのでURL引っ張ってきました。 主にアダルトゲームの発展の供給側の理由について触れています。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2118061.html そして今度は逆にそれを求める需要側のオタクといわれる人の心理に 触れているページのURLです。 http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/index.htm#otatext 大きく書けば、 供給側としては、ジャンルとしてコストが安く少ない人数で製作可能で 小さい会社にとっては作りやすいジャンルである点。 需要側はこの手のゲームにはまる前段階として現実の女性に対する失望感がある点。 この2つがかみ合ってしまってもう一つのジャンルとして確立してしまったような気がしています。
- mimo11
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あいまいな回答になってしまうかもしれませんが村上龍さんのエッセイでは「自殺よりはセックス」という題名の作品が出されています。 恋愛ゲームについてではありませんが、日本での日本人の社会的評価や甘さなどについて、意見が述べられていて参考になるかもしれません。 もしよろしければ参考にされてはいかがでしょうか?