- ベストアンサー
人が宗教にはまるのは何故ですか?
宗教に入信したのは何のためですか? a.心の平安 b.尊敬する先輩や教祖についていく c.人付き合い、サークル的な雰囲気 d.金儲け e.修行、自分を鍛えるため f.苦行 h.家族が信仰者 i.そのほか 目的はなんでしたか? 教えてください。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
hです。 物心がついた時にはもう入ってました。 私自身は神とかあの世などは別段信じていませんが・・・ なのでhは宗教にハマる理由としては薄い気がします。 やめると家族が心配するというかひどく悲しむのでやめるにやめれません。 (理屈が通じないしもうなんというか考え方がそもそも違う) 家族が安心するならいいかという軽い気持ちで家の神棚にお参り(形だけ)は毎日しています。 なのでcな部分もありますね。もうそこで人脈も形成されてしまっているので・・・ あ、変なとこではありませんけどね。神道系です。 教祖もいないし金も全然取られません(笑) 何故ハマるかですが、宗教に依存する事で心の平穏を得る為だと思っています。 祖父母が熱烈な信者なんですが、見ているとつくづくそう思います。 習慣化している部分もあるんでしょうが。
その他の回答 (12)
- jaga262
- ベストアンサー率8% (1/12)
まず宗教ははまるものではなく、信仰するものです。ご質問者はカルトのことを質問されたいのでしょうか・・? 世界中のほとんどの人が、信仰心を持っています。どういうわけか信仰心を馬鹿にする傾向が日本にはあるように感じます。 アンケートに対する答えですが、iその他になります。 事実と思っているからです。キリストが主である。それが事実と思うので、そのことをもっと深く知りたいと思いました。数学者や歴史家がもっと、もっとと研究されるのと同じと思います。
a.心の平安 答えが出ない疑問がいっぱいある。 例えば、どうして自分は産まれてきたのか、みたいな疑問から、どうしても受け入れられないトラウマまで。 そういうのに答えを見つけるには、宗教や超自然しかない。 宗教にはまった経験は無いですが、↑のような理由で、宗教を利用する理由は理解できる。
- Ring53jp
- ベストアンサー率38% (339/871)
私も#9さんと同じ考えです。 i.自分で考える事を怠けるから 自分で物事を考えることに疲れてしまった人間が、 他人に答えを求めるために生まれたのが宗教だと思っています。 その宗教の教義に自分の考えや判断を丸投げできてしまえるのなら、こんなに楽なことはありません。 本当に自分で考える力のある人は、 他人が作った教義などに頼らずとも自分の力で生きていけるものです。 そして、そういう力のない人のために必要なのが宗教なんだと思います。
- sa-roin
- ベストアンサー率18% (17/91)
i.自分で考える事を怠けるから だと思います。 心の不安(a)などが原因で直ぐに、自分で物事を考える事が出来なくな って他人が造った考えに乗っかろうとるするからです。 みんな同じ考え方っておかしいです。 国会の政治だってそうです。政党という集団において、みんな同じ考えのはずがありません。議論一つ一つで賛成派と反対派とが分かれるべきだと思います。 日本人は宗教に無頓着とか言うけど、それこそ日本人のいいところを見えていないと思います。島国でここまで経済大国として成長しやってきたのも、独自の考えがあったからじゃないですか? そして、いまでは他国のいいところも抵抗無く受け入れる事が出来る最高の国です。 集団はリヴァイアサンを生み出し、またリヴァイアサンなしでは集団は成り立ちません。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
h以外。 Byアニゲー信者。 冗談は置いといて、宗教の本心は心の解放。 不安で心が閉じこもった時に解放するための一つの手段。 基本、何でも不安は感じるものです。 今、目の前のパソコンも何時火を拭いたり感電するか分かりません。 でも、そうならないと安心出来ますね? それは、ハードウェア信仰があるから。 だって、パソコンがどんな原理で動いてどんな材料で出来ているんか全く分からない。 でも安心できるのは信仰心が在るから。 車でもひたすらベンツとか、時計ではローレンスとか。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
悟り(自覚・平たく言えば判った)に達する為です(人は耐え難い苦しみに会った時自分の力では解決できない苦しみに出会った時或は人生に疑問を持った時等々)宗教に目がいきます 耐え難い苦しみも解決できない苦しみも人生の疑問もこれ全て心の問題です。あの世が有るとか無いとかも心が感じるものです。 仏教は心とは何ぞやと追究したものです。そして心と言うものを悟る・自覚する・平たく言えば判ったとなるわけです ちなみに私の悟の境地は心の問題は解決不可能と自覚・他力本願と言うところでしょうか(他力本願はあくまでも心の問題です、心が苦しかろうが絶望であろうが外の事は自分でやるのです)それが救いといわれれば心とは現実と理想が離れるように出来てます、違う言い方をすれが人は(心は)悩むように出来てます。これは事実ですから、事実に帰依するという所でしょうか。 ちなみに人生に行き詰る人は内向的な人が多く考え込んでしまうんですね、考えても答えは出ないんですね、出たと思ってもまた悩むものです、のん気な人は外に気持ちがいきますから考える事は考えますが悩みが有っても生活します、いつともなく悩みを忘れたり、悩みは悩みであるのですが時が経つにつれ悩みが悩みでくなり生活していきます。 話が少しそれました失礼しました。
こんにちは。 i、かなぁ。 強いて言えば全て当てはまるし、全て当てはまらないようにも思います。 入信っていう言葉が当てはまるかどうか分かりません。 帰依しています。 私は日本の一般的な宗教、浄土真宗に帰依しています。 そこに、あったから空気の様なもの。というのが一番の答えかもしれません。 小さい頃は子ども会で「心づくりの会」というのがあって(こちらはお西さんの行事だったよですが)行くと蓮如聖人のお話しを聞けて、その後お菓子がもらえました。 宗教を意識しだしたのは、高校が仏教高(浄土真宗本願寺派)だったからです。授業で天上天下唯我独尊という言葉から始まって色々習いました。 空気の様な存在だったのが、私の生活の中での考えの一つ一つの端々に、仏教だったり神道だったり、キリスト教だったりの教えがあることに気づきました。 「クリスチャンネームが格好良いから、カトリックに帰依しちゃおうかしら」なんて思った時期もありましたが、やはり悪人正機説は強かったなぁ(笑 宗教があるから私があるというよりも、私の中の色々な部分を見て「ああ、これが宗教なんだ」って思ったとい感じです。 私は「私は無宗教。宗教なんて気持ち悪い。宗教を信じなければ生きていけない人がかわいそう」って堂々言ってのけてしまう日本人にちょっと恐怖を感じます。 まぁ、殆どの人が「無宗教」ではなく「宗教に無頓着」なんですけれどね。
- Peace2007
- ベストアンサー率57% (16/28)
私の周りにも何人かいますがaとcですね。 サークルのように結構な頻度で集まって遊びに行ってます。 aは心の安定というよりは信じるものがほしいんじゃないかと思います。 以前いじわるで教義の矛盾点を片っ端から突いたんですが そうしたら「私はわからないからもっと上の人に聞いて」 といわれました。「間違ってるとは思わないのか?」と 聞いたんですがそんなことは全く考えていないようです。 そのときその人は心底信じてるのではなく 疑いながらも無理やり信じてるという感じでした。 きっと人間関係が宗教内で完結してるから失うのが 怖いんだなと思いましたね。
- koko_u_
- ベストアンサー率18% (459/2509)
>koko_u_様が信じる教えは「死後の救済」を主目的とするものなのですね。 いちおう補足すると、死後の憂いがなくなることで「心の平安」などが得られるのです。現世利益などしょせんは副産物です。 宗教は人の努力をもって叶わない部分にこそ力を発揮するべきなのです。 金儲けがしたいなら働けばよいのです。
- jackee
- ベストアンサー率4% (2/42)
a.心の平安 私は入っていませんが、気が向いたら教会に通っています。 これは高校がプロテスタント系だったからその続きみたいな感じですね。 教会も高校で月に一回はいってこい。といわれたとこなので、変なのとこではないはず…? ただ、それを表立っていえません。正直教会に通ってるといっただけでオウム信者のように扱われるので辛いというか…。
- 1
- 2
お礼
質問を締め切ろうと思い、良回答を選ぶ際、皆さんの回答を改めて読ませて頂きました。 どれも本当に参考になる回答ばかりで、優劣なんてつけられません。 本当に。 皆さん全員にポイントという形はないですが、20という風に思っておいて下さいませ。 どうかどうかご理解下さい。 皆さんのアドバイスや回答を参考にさせて頂き、自分で答えを見つけるつもりです。 まだまだ先になりそうですが・・。 また、わからないこと、質問させて頂くと思います。 その時はどうか宜しくお願い致します。 本当に有難う御座いました