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米米クラブの解散理由

米米のファンです。 今回再結成ライブは理由があってチケットとったもののいけなかったんですが、やっぱりすごい歌がウマイし、おもしろいし、こんなバンド日本じゃ他にないよなぁと思います。 今活動しても十分ファンはついていくと思うのですが、当時結構衝撃的に解散しちゃったんですが、解散の理由って何だったんでしょうか? その時はショックで理由まで追求しなかったんですが。 どなたかご存じでしたら教えてください。

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  • tohoho1114
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回答No.1

ウィキより 「1992年、フジテレビ月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌に『君がいるだけで』が起用され、300万枚近くの大ヒットを飛ばすと、米米CLUBの知名度は一気に上昇し、ファン層は拡大、それ以降の曲は広いファン層や売上げを意識したポップな曲・叙情的なバラード曲が多くなっていった。彼らの最大の特徴であり魅力であったコミカルな要素が減り、フロントマンの1人であった小野田の活動は縮小、石井1人がメイン・ボーカルを担当することが多くなった。そうした状況の変化は古巣のファン離れを生じさせ、また、これまではバンド活動を中心に行われてきた石井のアーティスト活動が、映画制作や個展といった公の場に移ったことに対する不信感もファン離れに拍車をかけることとなった。 そうした状況の変化が原因となってか、1995年、当初からのメンバーであったRYO-Jとジョプリン得能が脱退し、メンバー・関係者・ファンに大きなショックを与えた。米米CLUBの基本的姿勢として、すべての楽曲で「作詞・作曲・編曲:米米CLUB」とクレジットし、ギャラを全メンバーできっちり等分するというものがあったが、1993年頃から編曲の名義は個人名も出し、石井の映画主題歌などでは石井個人名義でクレジットする、などの行動があったことにより軋轢が生じたとの見方もある。 2人の脱退をきっかけに次第にバンド活動に困難が生じ、翌1996年には一切のライブ活動を行わず、11月に解散発表、1997年3月5日・6日に東京ドームで行われた「THE LAST SYMPOSIUM」を最後に解散。以後各々ソロ活動に入った。解散コンサート「THE LAST SYMPOSIUM」は「本編2曲で終了」という前代未聞のコンサートだった。しかし、これはBONUS SHOW TIME(米米のコンサートではアンコールの事をこう呼んでいた)の方が受けがいいからとの理由であり、実際は「BONUS SHOW TIME」が2時間以上行われたのだった」 まぁ、これが100%本当だとは言い切れませんが。 この間のヘイヘイヘイでは、石井さんが「別に仲が悪くなったわけじゃない。なんか、自然消滅って感じ」 と言っていました。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%B1%B3CLUB

その他の回答 (1)

  • oru1
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回答No.2

さすがに正確な理由と言うのはメンバー本人達だけしか知らないことですので、メディアなどでメンバーが発言した内容で知るしかないのですが。 ■自分たちの知らないところで「米米」が一人歩きし始め、収集がつかなくなった。 ■てっぺいちゃん自身の映画撮影等ソロ活動の時間が増え、自分自身の活動を広げたいてっぺいちゃんがBONなどに相談。 ■今後の米米の活動をてっぺいちゃんとBONなどが話をしていた時に休止か解散させると言う話が出て、そのまま解散することになった。 少し個人的な見解も入りますが、ステージデザインや衣装、構成など全て自分たちで手作りしていた米米が、大きくなるにつれ、途中から様々なイベンターやらプロモーターなど絡み始めて、自分たちが本当にやりたかったものが見えなくなり、メンバー自身が楽しめなくなっていったようです。 さらにコンサートでは盛り上がりチケットも完売ですが、当時(現在も?)の音楽業界のアーティストの評価基準がCDの売上枚数だったので、当時CDがそれほど売れなかった米米は業界で評価の落ちた扱いを受けていたようです。 それだったらとてっぺいちゃんが個人で自由のきく活動を希望していたようです。 かなり語弊があるかもしれませんが、ラジオなどでてっぺいちゃんやBONさんが話をされていた内容はこんな感じでした。

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