• 締切済み

メールと手紙

今日お茶してる時に出た話題です。 同等の内容(それなりに長文)を伝えようと思ったとき、 手段がメール(主にPC)と手紙では出来上がったもの・受ける印象に違いがあると思いますか? 違いがあるかどうか、又はどんな違いがあるかを教えて下さい。 私は小中学生の頃頻繁に手紙を書いていましたが、最近はメールばかりです。 でも、ちょっと手紙をもう一度書いてみたいなと思っていたところだったので興味を持ちました。 私の場合、メールは書いてる最中に、コピペ・移動・追加・削除を繰り返し、理論・構成・表現のテクニックなど左脳的(?)なフィルターが掛かっていく気がします。手紙の場合は、書き始める前の書きたい事のイメージ固め度がメールより高く、書いてる最中もより世界に没頭し右脳的(?)な広がりが大きいかな、と思います。構成はメールよりも荒削りな仕上がりになります。 その時出た意見は「全く同じで違うのは機能・手間・経費+口調だけ」「手紙は相手が内容を理解して受け入れてくれる又は向かい合ってくれるという期待感が大きい」「手紙は詩的でその人の世界・宇宙がある」などがありました。 上記の例えとかぶっていても全然構いません! 思うところを教えて下さい。 メールならでは、手紙ならではのエピソードをおもちでしたら、そちらもぜひ。 人それぞれだと思いますので気軽にレス頂けたらと思います。

みんなの回答

noname#17264
noname#17264
回答No.6

NO2です。 >PCで下書きをするようになって、誤字脱字ナシ!以外に何か変わった点はありましたか? きちんと組み立てた文章になったような気がします。 例えば便箋2枚だと、 その2枚分きっちりと全ての話題をパズルのように組み込めるといった感じです。 以前に比べお高い便箋の‘無駄’がなくなりました(笑) 反面‘遊び’がなくなったような気もしますが・・・・

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.5

>手紙にある「ゆとり」はメールとどんな差異を生むと思いますか? #3ですが、お答えします。やはり読んで字のごとく、あくせくしませんよね。 実を言うと、私はメールものんびりやりとりをするほうなのですが、特に携帯でメールをする方々は、すぐに返事が来ないと、秒単位でイライラする人が多いようですね。まあ、勝手にイライラする分にはいいのですが、中には相手にイライラをぶつける人もいます。やはり常に手元においている(携帯している)機械というものは、そういう気持ちにさせてしまうのかもしれません。 反面、手紙は、郵便屋さんが来る頻度だって限られているし、遅いと分かりきっているから、そこまではイライラしないし、とりわけ最近は、急ぎのものはメールで済ませるので、ますます手紙が「ゆとり」の象徴になっているのかもしれません。

noname#20591
noname#20591
回答No.4

面白い投稿内容でしたので参加させて頂きます。 皆さんと同じで私も以前は文通魔でした。けれどもネット (パソコン)をするようになってからはメール派になりました。 手紙はメールにない温かさを感じます。数枚の便箋に 込められた想いまでもが伝わるようなイメージです。多分 どなたもメールよりも手紙の方が送るにも貰うにしても 喜ばれるでしょう。 しかし、自分の事で申しますと書いている途中からあれも これも伝えたくなってしまい、文章が前後したりと支離 滅裂な文章になってしまいます。メールですと書き直し や挿入でどうにかまとまりますので楽ですね。それと 便箋だと数枚(多くて3枚程度)で疲れてしまいますが メールだとこれまた楽ですね。 それともう1つ。私が思うに、文通の頃よりもメールで やりとりした方が、相手の色々な事が分かるような気が します。文通は日数がかかりますが、メールはほんの 数分。それも早ければ次の日にも送れ、貰えますから 時間がかからない分、内容が濃くなり、頻繁にやりとり 出来るので、文通の頃よりも、近くに感じます。そんな 理由からも、メールと言う手段が使える今の時代もまた 捨てたもんじゃないな…なんて思っています。文通に 限らず、何か名産などを送る時には手紙を添えます。 相手もまたそうです。たまの手書きの手紙は貴重で何度も 読み返してみたり。半々とまではいきませんが、たまには 手書きのお手紙を送るよう心掛けたいと思いました。

-ui-
質問者

お礼

リアルタイムに近いやり取りが出来るからこそ、生まれてくるものってありますね。成る程。 有難うございます!

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.3

手紙は; ○絵や図を自由に描ける。 ○香りや立体を同封できる。 ○届くのに時間が掛かるので、ゆとりを感じる。 ○機械では出せない色彩を使うことができる。 ○温かみがあって人格が伝わる「手書き」という手法を取り入れられる。 ○字に自信がない人は疲れる。 ○きれいな便箋、封筒、切手を使える。 ○コピペなどができないため、返事を書くときに「ところで、前回、あなたが書いてくれた、これこれの件だけど」と長ったらしく書く必要がある。 ○自由な形で保管ができて、持ち歩くのが簡単。 ○最終的には紙のゴミが増える。 メールは; ○速い。 ○速い分、返事が遅れると、中には必要以上に苛立つ人がいる。 ○HPなどのリンクをはれるので情報を伝えるのに便利。 ○漢字を忘れる。 ○キーボードや携帯の文字盤が苦手な人には苦痛。 ○PCは手紙よりも安い(無料)。携帯は電話よりも高い。 ○目に悪い。 ○コピペなどができるため、返事を書くときも 「>こちら北海道も暖かくなってきたよ。 へえ。こちら高知では桜が咲いたよ」 と、大変に便利。 個人的には、普段はPCのメールが便利で好きです。でも、年賀状や誕生日など、季節の便りはカードやハガキのほうが好きです。

-ui-
質問者

お礼

箇条書きの分析ありがとうございます! 参考になります。 手紙の >コピペなどができないため・・・ は、なるほど!なるほど!確かに!と笑ってしまいました。 ^ ^ PCの文字列の再利用は有難いですね。

-ui-
質問者

補足

手紙にある「ゆとり」はメールとどんな差異を生むと思いますか? もしお時間がありましたら教えて下さい。

noname#17264
noname#17264
回答No.2

こんばんは。 私もパソコンを始める前は手紙をよく書いていました。 今は何か贈り物に添える手紙程度で、手紙のみというのはほとんどなくなりましたね・・・ また、手紙を書く時も誤字・脱字予防(?)にパソコンで‘下書き’をしてから書くようになりました。 手紙をやり取りしていた友達も今ではメール交換に変わりましたが、 一人だけ未だに手紙をくれる友達がいます。 いつも綺麗な封筒&便箋で、切手も季節に合わせてあります。 時には素敵な香りまで染み込ませてあり、なんだか手紙から人柄が滲み出ているんです。 これはやはり手紙ならではでしょうね。 こういう時代だからこそ‘いいなぁ~’と思います。 それにしても最近手紙を書かないせいか、字が汚くなったような気が・・・

-ui-
質問者

お礼

確かに!封筒や便箋から心配りやセンスを感じたりしますね。 気に入ったレターセットを集めて、人に合わせて、話題に合わせて選んだりするのも楽しい作業でした。 香りもぜひ挑戦してみたいけど、ただ単にそうい事に凝るんじゃなくて 「人柄が滲み出ている」と感じてもらえるような”心配りである事”が大事なんでしょうね。 ありがとうございました。

-ui-
質問者

補足

私も久し振りに手紙を書いてみようと思ったときに、まずPCで下書きをと思いました。 でも、PC下書きの完成度が高ければ高いほど、今までの手紙の感じとは少し違ってしまうかなとも思います。 PCで下書きをするようになって、誤字脱字ナシ!以外に何か変わった点はありましたか? もしお時間がありましたら教えて下さい。

noname#21570
noname#21570
回答No.1

こんばんわ。結構長く生きてる者です(笑) 私はPCが普及する前は手紙魔でした。 書く相手は数人と決まっていたけど今思えばよくまあ書いたと思うくらいしょっちゅう手紙を書いていました。 一方、電話はハッキリした用件がないとなかなかかけませんでした。 電話は相手の都合を考えなければなりませんよね(時間帯その他) でも手紙なら「急がないからゆっくり読んでね」のメッセージがそれだけで込められています。 つまり事務的な連絡に手紙を使う事はありません。 学生時代なら遠慮なく友達と長電話でおしゃべりを楽しんだけど社会人となると相手の時間をそう束縛するわけにいかない。 それで手紙になったわけです。 時代は移り、今はメールの時代。 あんなに手紙魔だった私でさえ今は手紙を書く事はまれになりました。 メールは電話と手紙の両方の機能を兼ね備えていますので。 用件のみの短いメールと手紙代わりの長文メールがそれぞれ電話と手紙の役割を果たしています。 しかし左脳的、右脳的とおっしゃる意味はよくわかります。 手紙は実は「書く」という行為に最も意味があると思います。 相手よりも書き手本人により意義深いものです。 夜、一生懸命書いた長い手紙を結局は出さなかったという経験を何度もしています。 それは「書く」行為によって自分の考えが整理され、自己完結してしまったから、相手に聞いてもらう必要がなくなるからです。 また受け取った側にとって「肉筆」の迫力や味というのは巧妙な言葉の何倍も何かを物語る場合も多いです。 文字から相手の感情や環境を知る事が大いにできますがメールでそれはありません。 実は心身症を患う友人がいたのですが、ある時ひどく乱れた文字と文章の手紙を受け取り、その友人が尋常な状態でない事を知りました。 後日聞いてみると自殺未遂を計って入院する直前の手紙でした。 今でもあの乱れた文字を忘れられません。 それほどに肉筆というのはインパクトがあります。 強く訴えたい感情を伝える時は断然手紙が有利だと思います。 一方メールの気安さも捨てられません。 十数年、年賀状の交換しかしてなかった友人とメールを始めたのがきっかけで頻繁に会うようになりました。 メールがなかったらその友人とは未だ遠いままだったと思いますから、文明の利器もありがたい、と思います。 なんだか支離滅裂になりました。すみません。 今後はどうせなら芸術的価値のある手紙を書けるようになりたいな、と思ってます。 毛筆をはじめとした「書」や「画」を習ってみたいです。 相手の心を和ませる手紙を書けたらいいなあ、と思います。 一方メールは「生活便利ツール」から脱却する事はないでしょうね。

-ui-
質問者

お礼

レス有難うございます。 興味深く何度も読み返させて頂きました。 肉筆のくだりは、私の文通相手(小学生の時引っ越してしまった友人)の書く綺麗で躍動的な文字に、友人の明るく愛嬌がありかつしっかりとした人柄を見ていた事や、ペン書きの誤字を訂正する仕方にさえ、友人らしさを感じ取っていた事を思い出しました。確かに肉筆によって友人の欠片がそこにいたのだと思います。 >毛筆をはじめとした・・・ 素敵ですね。

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