abc2008 の回答履歴

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  • なぜ、釈迦はブッダと呼ばれるのでしょうか?

     仏教の開祖の釈迦を仏陀(ブッダ)という言い方があり、「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味だ、という言い方を何度か聞いたことがあります。  ウィキペディアでも、仏教を《一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。》と、説明しています。  この場合の「目覚めた人」というのは、人のどのような状態を指しているのでしょうか。  「目覚める」とは、どういう状態から、どういう状態になることを指しているのでしょうか。  ネットサーフィンして少し頑張ってみたつもりですが、仏教関係の教義や真理は、調べれば調べただけ広がってしまい、良い帰結を得ることができません.  一つの帰結を見るには、この、ブッダについて明確に知ることが必要と思われましたので、質問させていただきます。  よろしくお願いします。

  • 法華経について

    日蓮上人を祖とする仏教宗派は法華経を唯一絶対の経典と位置づけておりそれ以外の経典は方便の教えであるから正直に捨てなさいと教えます。それが出来ないのであれば法華経を誹謗している事になるので死後阿鼻地獄に落ちると脅します。そして現代を末法の時代であると迷信染みた事を強調し釈尊に次ぐ本仏日蓮大聖人の言葉を素直に受け入れなさい。本門戒壇之大御本尊を拝みなさい。それこそが唯一の成仏への道であると説きます。 非常に狭い物の見方であり危険だと思います。これではまるで釈尊は絶対神で日蓮上人は預言者、法華経は聖書みたいです。 これが中道を重んじられたお釈迦様のお言葉を綴った経典とはとても思えません。 お釈迦様は無宗教者で理論的思考の持ち主だったそうですが法華経を見る限りとてもそうは思えません。何やら分からない不思議な力や祟りがあると書かれており疑問に感じます。 それでは法華経を支持している天台宗や曹洞宗はその昔なぜ摂受だの折伏だのと騒がなかったのでしょうか?日蓮上人だけが暴走してしまったのでしょうか? 南岳大師や天台大師、日本の伝教大師は法華経至上主義を説かなかったのはなぜでしょうか? 弘法大師は法華経を第三位に位置づけて華厳経を理解する前に理解するように説かれたそうで尊んでいたことは間違いないですが最高の教えとまでは言っていません。 また仏典研究をよくしていた南都六宗は法華経をどのように解釈していたのでしょうか? 不思議でなりません。

  • 仏教の基本について教えて下さい。

    これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。 ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。 しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。 他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。 如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう? そもそも、如来って「悟りを開いた仏」のことだと聞いたことがありますが、このほかにも大日如来、薬師如来などいろんな如来があるようです。 また修行中の仏が菩薩で、こちらも弥勒菩薩や地蔵菩薩など何人もいるようです。 つまり、シッタータを初め様々な「仏」がいて、修行してある者は如来になり、ある者は未だ菩薩だということでしょうか? そうなると、結局仏教って多神教なのでしょうか? あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?

  • 仏陀の思想について

    レポートの参考にしたいので、仏陀の思想について記述をお願いします。

  • 法華経は、偽経?

    下記のサイトに、法華経成立について、ある歴史的考察が書かれています。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html それによると、法華経は、偽の経典だそうです。 お釈迦様の入滅が紀元前543年で、紙の発明が105年です。 紙がそもそも存在しないという影響もあると思いますが、古代インドでは、お釈迦様の説話を500年間に亘り、口伝で忠実に暗唱しており、後にそれを文字として経典にしたのが、パーリー聖典です。 パーリー聖典は、原始仏教の聖典であり、お釈迦様の言葉に最も忠実な内容と言われます。 一方、法華経は、お釈迦様が亡くなって約500年後に、お釈迦様以外の人が自分の説を勝手に書いたものだそうです。 それなのに、法華経がお釈迦様の意思を継ぐ物と主張する人々が居ますが、一体全体、500年前に亡くなった人の意思を、どうやって確かめたのでしょうか。 例えば、現代から見て、織田信長は、500年ほど前の人です。 織田信長の行動に反する内容の物語を、現代人が書けば、それは単に、トンデモ歴史小説と呼ばれるでしょう。 ところが、法華経については、それこそがお釈迦様の意思だと主張する人々がいます。 その根拠は何でしょうか?

  • 法華経は、偽経?

    下記のサイトに、法華経成立について、ある歴史的考察が書かれています。 http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html それによると、法華経は、偽の経典だそうです。 お釈迦様の入滅が紀元前543年で、紙の発明が105年です。 紙がそもそも存在しないという影響もあると思いますが、古代インドでは、お釈迦様の説話を500年間に亘り、口伝で忠実に暗唱しており、後にそれを文字として経典にしたのが、パーリー聖典です。 パーリー聖典は、原始仏教の聖典であり、お釈迦様の言葉に最も忠実な内容と言われます。 一方、法華経は、お釈迦様が亡くなって約500年後に、お釈迦様以外の人が自分の説を勝手に書いたものだそうです。 それなのに、法華経がお釈迦様の意思を継ぐ物と主張する人々が居ますが、一体全体、500年前に亡くなった人の意思を、どうやって確かめたのでしょうか。 例えば、現代から見て、織田信長は、500年ほど前の人です。 織田信長の行動に反する内容の物語を、現代人が書けば、それは単に、トンデモ歴史小説と呼ばれるでしょう。 ところが、法華経については、それこそがお釈迦様の意思だと主張する人々がいます。 その根拠は何でしょうか?

  • 心は脳が作り出しているから死んだら全て消える?

    心は脳が作り出していますか? (つまり死んだら心も全て消滅する) それとも心と脳は別であり、 人の寿命が来て脳が死んでも心は生きていますか? (つまり死後の世界がある) 私は迷っています。 中国唐代の禅匠である 黄檗希運禅師の言葉を引用すると 感知されたものは感知するものではありえない。 われわれはいろいろなものを見ることができるが 見るものを見ることができない。 感じるものを感じることはできず、触れるものを触れることはできず、 嗅ぐものを嗅ぐことはできない。 そのように知るもの(心)を知ることはできない。 知る心はさまざまなものを対象的に知ることはできるが、 知る心を対象化して知ることはできない。 だから知るものである心を脳と同じような対象的な存在として扱い、 それを脳と関連づけて〈心は脳の働きだ〉というのは 正確な理解とはいえない。 とあります。 この考えは理解できるのですが、 であれば何故、薬物などを摂取すると (大麻、覚せい剤、シンナー、コカイン、ヘロインなど) 心まで変わってしまうのでしょうか? それは脳に影響を与えるから 心が変わっているのではないでしょうか? そう考えると、心は脳が作り出したもので 死ぬとすべてが消滅する、 というほうがしっくりくる気がします。 答えの出る問いではありませんが みなさんはどうお考えでしょうか? よろしくお願いいたします。

  • 極楽往生するには一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよい

      「善人であれ悪人であれひとたび南無阿弥陀仏と唱えれば皆等しく極楽浄土へ往ける」 親鸞聖人はこのよーに説いております。 極楽往生するには一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよいのであるから、極楽往生するのに戒名するしないは何の意味もありません。 あるいは極楽往生するのに無縁仏になろーがなるまいが何の影響もありません。 往生とは坊主の力を借りて往生させてもらうことではありません。 ただ一度だけ南無阿弥陀仏と唱えればよいのです。 皆もこれについては何の疑いも有りますまい。  

  • 宗教の選択

    嫌なことがたくさんありなにかに縋りたいです。 宗教とは自分が選んで信仰するものではないのでしょうか? 例えば生まれた家が元々キリスト教だったとか。 また宗教活動は何から始めればいいのでしょうか? 仏教やキリスト教の本をみたことがあるのですが教養のない自分にとっては言い回しだったり過去の歴史などよく理解できませんでした。 うまくまとめれないのですが回答お願いします。

  • 仏教の魅力とは?

    昔、私が真面目に仏教の勉強をしていたころ 仏教は仏教で問題が多いことがわかりました。 とにかく批判が多いのです。 特に原始仏教をめぐってです。 大乗仏教の勉強をすると、それは釈迦の本当の教えではない などいわれて相手にされません。 かといって、パーリ語をやって文献学をさかのぼって と思っても、なかなか難しいものがありました。 そもそも、パーリ語の文法書がなぜ日本では 水野弘元さんの古いものしかないんですか? パーリ語を一般人はやるなってことですか? 結局、サンスクリットもパーリ語も漢文もわかりませんよ。 偏った知識で文句を言うわけですよ。 しかし原始仏教にこだわるならさっさと 出家しろよという話になります。 日本では乞食は法律で禁止されています。 乞食行なんて違法なわけです。 原始仏教をそのまま現代の日本で再現したらカルトでしょう。 それなのに釈迦の本当の教えがどうとか うんざりで。 せっかくなのでなにか魅力を教えてください。

  • 法華経の教えを簡単に言うと

    1.生きとし生けるものは全て仏の心がある 2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう この2点でしょうか? どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

  • 宗教の目的は

    宗教の目的はなんですか? やはり、お金を集めやすくしたり、人をまとめやすくする装置ですか?  信仰は後付ですか?

  • 入信したい アドバイスください

    周りに信者がおらず宗教知識もなくどの宗教が良いのかわかりません そもそも入信理由で最も多いのはなんでしょうか? 私は障害者で非常に強いコンプレックスがあり生きる事がとてもつらく、悲観しやすく、人くじけやすい性格でうまく生きる事が出来ないので、助けてほしいという思いで、そこでただ入信がひらめきました。今のままでは死にそうなので入信したいと。 入信の理由にならないでしょうか。 また、入信するのにどのように宗教を選べば良いでしょうか 誰か教えてください。

  • 宗教と哲学は同じものですか?

    それとも異質なものですか? もし 異質であるとすれば 違いは何処にあると思いますか? ・

  • ひとつの宗教のみが正しい根拠とは

     数日前に、ひさびさにひとつの宗教にこり固まっている  人たちと話をしました(論戦?)  日蓮宗系の人たち(女性)で、日本人が全員、法華経に  帰依しなければ日本が滅ぶとのこと。  まあ、そうした信仰そのもは法華経の信者ならば、(過激かどうかの  違いはあるにしても)ありうる話で、目くじらを立てることもありません。    ただ、問題はその根拠です。  その方々にそう主張する根拠を問うと、  自分たちの教団の経典のここに書いてあると  「自分たちの経典」の一節を指し示すのです。  私が「世の中には色々な宗教があり、その数だけ  経典や聖書のたぐいがありますね。その人たちも  あなた方と同じように「自分らの経典」だけを根拠として  自分らが正しいと言い募るならば、その両者のあいだに  どうやって対話が成り立ちますか?  あなたがたは、ほかの人を説得したいんでしょう?  あるいは少なくとも理解してもらいたいんでしょう?  それならば、自分らの経典をいったん離れて  相手の立場にたって、相手にも分かるような  議論の進め方をしなければいけないんじゃないですか?  だからこそ釈迦は「たとえ話」を多用したんじゃないですか?」  と言うと、「いや、自分らの経典が正しいんだから」  とか、なんとか話がそれ以上、かみ合いません。  そこで質問です。  どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?  彼らは他人を説得したり納得させたり  さらには自宗に改宗させたりしようということを  放棄しているのでしょうか?  それぞれの経験と立場でご回答いただければ  幸いです。    

  • 哲学は意味が無いという人への質問

    私は幸福や死後に対する答えに近いものを提供してくれる学問はこれ以外にないと私は感じています。 どうして否定するのでしょうか? 前提として私は死や幸福を扱う哲学に対する否定者について文句を言っています。 ですからそれら以外の哲学を否定する人に関しては思うところはありませんし、私もそういう人達に近いです。 それからこれはお願いなのですが専門用語はできるだけ差し控えてもらいたいです。あまり哲学には詳しくないので

  • 悟りとは成るようになる

    悟りとは生死の問題  心の問題は成るようになる(成るようにしか成らない)自覚することである。。    

  • ブッダ以外で悟りを開いた人はいますか?

    もしいたらすみませんが、あまりブッダ以外で悟りを開いたという人の話を聞いたこと上がりません(訳の分からない新興宗教の教祖連中は除外してください) 大乗仏教理論をまとめたナーガルージュナなども、悟りを開いたという意味には当てはまらないのでしょうか? いないという前提で話させていただきますが、ブッダはすべての人間が悟りを開けると教えているのに、もしブッダ以降今に至るまで第二のブッダがいないのなら、この事自体がブッダの教えは間違っていたという反証になりませんか? この辺の事情についてお詳しい方お願いします。

  • 宗教は必要か?

    自分は生まれてもの心つかないうちに、創価学会に強制入会されていました。それは両親が創価学会員だったからです。 自分は親離れする年齢になって聖書を読み、創造主は存在するのではないかと思うようになりました。それで自分の意思でキリスト教を信じるようになりました。 ですが教会の牧師の聖書観と自分の聖書観は違っていました。自分は牧師が聖書を商売の道具にしていることに気づきました。その後、自分は牧師等とトラブルを起こし教会から去りました。 聖書によって人々をマインド・コントロールし、商売に利用できることを知り、聖書そのものに問題を感じるようになりました。 イエス・キリストの言葉に「敵を愛し迫害する者の為に祈れ」とあります。敵とは悪魔のことだとも言えます。これは神と悪魔の区別をなくすようにと言っていることでもあります。この言葉に自分は感銘を受けています。 イエス・キリストは尊敬できるのですが、自分はキリスト教会にもどる気にはなりません。今自分は創価学会の人からもどるように誘いを受けてますが、どうしたらいいでしょうか?

  • 現在の日本で悟りを開いたお坊さんは何人いますか?

    現在の日本で、いちおうまともな仏教なお寺・宗派に属していて 悟りを開いたとされるお坊さんは全部で何人くらいいるのでしょうか?