safuaransのプロフィール

@safuarans safuarans
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  • 登録日2016/11/13
  • 性別男性
  • 都道府県岡山県
  • 子どもとの入浴

    母親が男の子との入浴で、子どもが小学校高学年以上になっても抵抗を示さない場合、 母親がそろそろ良くないから止めた方がいいとは思うけど、 拒んだら、それはそれで子に寂しい思い(傷付けてしまう)をさせちゃうのかなって。。。 という理由で止められないというのは、 実は母親は子どもと入浴するのもまんざらでもなく、できればずっと続けたいけど、 自分は仕方なくそうしてるという体裁を整えてる(正当化してる)だけですよね? しかも、日頃、自分の過度な溺愛表現、過干渉に気付いてない。

  • プレゼントの渡し方について

    もうすぐ彼の誕生日でプレゼントを渡そうと思っているのですが、良い渡し方が思い浮かばず困っています プレゼントがリュックなので結構なサイズでどうやって持ち運んだらいいか分かりません その日は神戸にデートに行ったあとレストランで食事します 大阪で集合し、神戸で別れるので駅のロッカーに入れるタイミングもなく、実家なので郵送も難しいです 何かいい方法はありますか? 今考えているのはレストランに相談して、郵送して置いといてもらう方法なのですが、レストランからしたらやはり迷惑でしょうか・・・ よろしくお願いいたします

  • イエスの哲学は 《存在》論である。宗教を卒業しよう

     1. アブラム(のちのアブラハム)という人は 或る日 すでに七十歳をすぎているのに 神から――あたかもお告げがあるかのように――      故郷の地を去って 行きなさい。  と言われ そのようにしました。行き先も告げられずに。  2. その子孫としてモーセという男は その神に名を尋ねたとき      《わたしはある》 それが わたしである。     (エフィエー アシェル エフィエー.)  という答えを得たと言います。    3. 伝えによると ダヰデという人は      きょう わたしは おまえを生んだ。  という言葉を その神から聞いたそうです。すでに父母からは生まれているんですけれどねぇ。    4. イザヤという人に到っては 《主なる霊が わたしに臨んだ》と表現する歴史に発展しました。     これは主がわたしに油を注いで      貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね      わたしを遣わして心の傷める者をいやし      捕らわれ人に放免を告げ・・・(中略)・・・るためである。                  (『イザヤ書』61:1-3)  5. その後 さらに時は飛んで イエスという人が出たと言うわけです。  6. イエスが 《自分の育ったナザレに来て いつものとおり安息日に会堂に入り 聖書を朗読しようとして立ち上がった》時のことです。         すると 預言者イザヤの巻き物を渡され 開くと次のように書いてあ     る箇所が目に留まった。       主の霊がわたしに臨み 油をわたしに塗った。       主がわたしを遣わしたのは 貧しい人に福音を伝え        捕らわれ人に解放を・・・告げ知らせるためである。》                   (つまり『イザヤ書』61:1-2)     イエスは巻き物を巻き 係りの者に返して席に坐った。会堂の人びと     は皆 イエスに目を注いでいた。そこでイエスは        ――この聖書のことばは 今日 耳を傾けているあなたたちに        実現した。     と話し始めた。         (ルカ福音4:17-21)  7. 《神と人間――おのおの我れ――とのカカハリ》が――人間の言葉による表現上―― ここまで 及んだのだと捉えます。  8. ひと言で言って 《存在》――《わたしは ある》――をめぐる理論の問題である。そしてこれで 完成だと言ってよいのではないでしょうか。  9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。  10. 十字架上において はりつけになるというコトを みづから欲して そのとおりになったことにおいてだと言います。  11. 生前には かれがユダヤ当局に捕らわれたとき かれを見捨てて逃げた弟子たちも その死後においては かれは 神であったと言い始めたそうです。じっさいイエスは 自分が神だと言っていた。  12. もしかれが 神ではなくただ人間であるだけであったとすれば そのような存在論の実証は もし信念の強い殊勝な人がいれば その限りで誰でも出来ると思われたでしょう。ようやったな 弱い人びとにとって必要があれば また誰かあとに続くだろうとうわさして おしまいである。  13. 存在論は 実証が《完成》していないことになります。アブラハムやモーセらは 自分たちからイザヤらにつらなった存在論の系譜とその言わば悲願は さらに 別の人によって実現するのを待つということになります。  14. もしイエスが 人間ではなく仮りに神であるだけだったとすれば そのままそれは 《うそ》ですから 張り付けの十字架から降りて行って 奇蹟を起こしたということに話は成るのかも分かりません。神のやることはおれたち人間には関係ねえよで おしまいとなります。  15. 父ヨハネと母マリアから生まれた人間であると同時に 聖霊によって身ごもった子つまりキリストと呼ばれる神の子でありみづからも神であると言うというところに その歴史的な一大事件としての《虚構》があり どうもそこで存在論を実証したのではないか。とうわさされているのかも分かりません。  16. アブラハムから始まった神の信仰は 一たんキリストの登場を俟つというかたちのキリスト史観として承け継がれた。そしてそのキリストが出たからにはこの《時を俟つ》キリスト史観は もう要らない。  17. われらが《存在》の成就である。さまざまな《貧困》の解消が 宗教抜きで成されるという課題が残った。  18. 言いかえると このキリスト・イエスをも 宗教の種にして おのれの支配欲を満たそうというヤカラがいつづけているということだ。  ご批判をどうぞ。

  • 穏やかな心で生きるには

    閲覧ありがとうございます。 いつも穏やかな心でありたいです。 どうすればいいのでしょうか、、 対策がわからないのでよく寝てます。 回答よろしくお願いします

  • 【戦争】「戦争は無駄で何の意味もない」

    【戦争】「戦争は無駄で何の意味もない」 戦争は意味があるものなのでしょうか? 戦地に乗り込んで、乗り込まれた側が攻撃して、乗り込んだ側に犠牲者が出て、犠牲者、味方の為に反撃をする。 そもそも乗り込まなければ攻撃を受ける事が無かったのに、わざわざ敵地に乗り込んで攻撃を受けたから反撃をしているというのは正当性に欠けると思います。 乗り込んで味方がやられたからこっちは反撃しているんだ。 最初に攻撃して人を殺したのは敵であって、我々は攻撃を受けなかったら反撃はしなかった。 最初に攻撃した側が悪いと言っているのがアメリカで、 最初に自国に乗り込んで来たのはアメリカの方だと言って、黙ってアメリカに乗っ取られというのか!と現地の人が激怒している。 で、現地の人はアメリカが来るまでは自国は大量殺人兵器は無かったのに、今では自国民が大量殺人兵器を持って武装していてアメリカが来てからもっと治安が悪くなったと言っている。 戦争は兵士の殺し合いだが殺し合っている兵士が死んでも何も変わらないし、憎しみだけ増えていく。 戦争は無駄で意味がないものでは? 戦争自体には意味があるけど、現地で殺し合っている兵士は意味がない無駄なものではないでしょうか。 違いますか? 戦争で何か生み出せましたか?