MOG777 の回答履歴

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  • 念仏も6万回唱えたら自力じゃないか

    先日、NHKの方丈記のテレビ番組を見てたのですが、 その中で「法然が念仏を6万回唱えたら、それはもう自力じゃないか」という 趣旨の発言があり、たしかにもっともだと思ったのですが 法然はこれについて何か反論してるのでしょうか?

  • 何のために生きるのか

    人間は何のために生きるのか教えて貰えますか。

  • 哲学をする(使う)と言うこと

    見ていただいて、ありがとうございます。 私は以前、哲学を思考し掘り下げて、行動へ繋げていました。 やっていく内に、掘り下げているとき哲学の構造と自己内部の構造が理解できるようになり 哲学者が言わんとするものの真理と在り方と自身の構造が違うところがある場合 よくよく確かめて、納得がいくものだけ自己内部構造の構造改革に使うようになりました。 哲学的理論構造を常に自分の思う(望む)形に変化させいき、自己の確立として使っています。 勿論、自己内部構造が変化すれば言動も変わっていきます。 普段、使うことに対しての深い話しが出ないので、他の皆さんはどう使っているのか気になりました。 ひょっとして、別の使い方があるのかもという疑問もあります。 違う使い方をしてある方、同じ使い方をしてある方。 いろいろな意見や話しを聴いてみたく、質問することにしました。 ご回答のほど、よろしくお願いします。

  • 哲学をする(使う)と言うこと

    見ていただいて、ありがとうございます。 私は以前、哲学を思考し掘り下げて、行動へ繋げていました。 やっていく内に、掘り下げているとき哲学の構造と自己内部の構造が理解できるようになり 哲学者が言わんとするものの真理と在り方と自身の構造が違うところがある場合 よくよく確かめて、納得がいくものだけ自己内部構造の構造改革に使うようになりました。 哲学的理論構造を常に自分の思う(望む)形に変化させいき、自己の確立として使っています。 勿論、自己内部構造が変化すれば言動も変わっていきます。 普段、使うことに対しての深い話しが出ないので、他の皆さんはどう使っているのか気になりました。 ひょっとして、別の使い方があるのかもという疑問もあります。 違う使い方をしてある方、同じ使い方をしてある方。 いろいろな意見や話しを聴いてみたく、質問することにしました。 ご回答のほど、よろしくお願いします。

  • 哲学をする(使う)と言うこと

    見ていただいて、ありがとうございます。 私は以前、哲学を思考し掘り下げて、行動へ繋げていました。 やっていく内に、掘り下げているとき哲学の構造と自己内部の構造が理解できるようになり 哲学者が言わんとするものの真理と在り方と自身の構造が違うところがある場合 よくよく確かめて、納得がいくものだけ自己内部構造の構造改革に使うようになりました。 哲学的理論構造を常に自分の思う(望む)形に変化させいき、自己の確立として使っています。 勿論、自己内部構造が変化すれば言動も変わっていきます。 普段、使うことに対しての深い話しが出ないので、他の皆さんはどう使っているのか気になりました。 ひょっとして、別の使い方があるのかもという疑問もあります。 違う使い方をしてある方、同じ使い方をしてある方。 いろいろな意見や話しを聴いてみたく、質問することにしました。 ご回答のほど、よろしくお願いします。

  • 暇なときにでも。

       24男です。  私が性格が悪いなぁと感じたのが小学校も卒業を迎える頃で、その頃から一心不乱に良い人を演じようとしていました。一方で元来のプライドの高さと、コンプレクスなどが邪魔したのか、最近我ながら性格がひん曲がってきているのを感じます。  一時期、知的障碍者支援サークルと言うサークルに入っていました。ご飯も一人で食べれない、車椅子も自分でひくことができない、喋れない、身体も自由に動かせない、そんな障碍を抱える人達を相手にレクリエイションを催し、幼児に聞かせるような歌を歌ったり、ほとんど当事者が参加できないような軽いゲームを催したりしていました。多く薄っぺらい笑顔を貼り付けて、楽しそうにしていました。私がそのサークルにいる本質が差別であると感じて、結局やめてしまいました。  私が狂っているだけなんでしょうか? どんなに『いいひと』を見ても「あぁ、無理しているな」と感じます。  子供の無邪気さに嫉妬を覚え、障碍者のおぼつかなさに優越感を覚えて、老人の昔話にうんうんとうなづいたり、精神病を抱える人間に対してわかったように口を開いて頼られることが嬉しく、そして私が綺麗であり得たことが嬉しいのです。  私は狂っていますか?  普通の人は普通に利他的な行動が出来るのですか?   一方でチョンだ在日だと言う人間がいじめは良くないと言います。気持ち悪いと言うだけで虫を殺す人間が猫を殺しちゃおえんと言います。    いい人になることは、他人にとっていい人になることで、自分を一つずつ殺していくことだと感じています、それは間違っていますか? 結局無理していい人を演じる人間しかいないのですか?  人と接すると感じます。私の正義感が人とずれていると。  私は弱い人間が好きです。それは私を映す鏡としてです、異常でしょうか?  本音をつらつらと書きました。気分を害された方、多いかと存じます。個々にお詫び申し上げ、閉めさせていただきます。ご意見いただけたら幸いです。

  • アンダークラスは互いを尊敬しない?

    スレッドを開いて頂きありがとうございます! ポーランドの社会学者ジグムント・バウマンは、その著書『コラテラル・ダメージ』の中でこのような示唆をします。 「アンダークラスの人々は、自分と同じような惨めな状況にいる他者を決して尊敬しない。アンダークラスの人々が集い、協力し、コミュニティを形成することはない。貧困とは、何よりもまず孤立を意味するのである」 バウマンは、孤立するのは貧困者であると指摘します。 そして私が思うに、このような事は「経済的な」貧困者だけに限った事ではないでしょう。 コミュニケーション能力貧困者、容姿貧困者、運動能力貧困者、学歴貧困者、etc... 貧困であると、競争で負けるだけではなく、本来は利害関係や貧富の差が問われないはずの「コミュニティ」への入場さえ制限されてしまうのではないしょうか。とすれば「コミュニティ」とは、本当は存在しないものなのでしょうか? ど素人の回答でも全然ウェルカムです。 ただし、PSYTEXの回答だけは断固お断り致します。 よろしくお願いします!

  • 領土/慰安婦。学校の先生はあてにならない。

    テレビで話題になっている領土問題。 これを学校の先生に聞いたところ、 社会の先生「どっちのものか明確にはわからない」 国語の先生「尖閣諸島は日本のものだが、竹島は韓国のものかもしれん」 数学の先生「どっちも絶対日本のだ」だそうです。 慰安婦問題では、 社会の先生「あったんじゃないかなぁ、たぶん」 国語の先生「絶対あった。だが問題はその行為を強要したかどうかだ」 数学の先生「そんなものはない!それより、国語の先生は国家斉唱しないんだから、そういう先生の話は真に受けない方がなんたらかんたら……」 みんなてんでバラバラな意見で、なにか少しおかしいです。 どうして社会の先生が日本の正しい歴史を知らないのか。 そんなことでは、これから日本を背負っていく私たち生徒に対しての正しい教育が充分にされないじゃないですか。 国語と数学の先生も、何を基準にそんなことを言っているのか全くわかりません。 私も実際、尖閣諸島と竹島は日本のものなんじゃないかなとは思いますが、それは不特定多数の人が書き込むインターネットで、第三者の意見から触発されて出した答えです。 実際にきちんとした嘘偽りのない本や資料をこの目で見たいのですが、なにか良いものを知っていたら教えてほしいです。 どうぞよろしくお願いします。 、

  • 結局凡人の生涯とは知の不足を埋める作業のみで終わる

    か? 科学者なら感覚としてあるかもしれませんが、 それを知ってる者はこの世界で私一人だけだ、 大袈裟に言えば、こんな『考え』を世界に具現化させたのは人類はじまって以来 私がはじめてだ、 という境地に至るには知の不足をかなり埋めないと至れません。 科学の分野だけにかぎらず、 ここで質問したいのは、 『知る』ということに対する全般の場合、 人類が現在に至るまで知ったすべての内容の集合体をAとする。 任意のaさんのある結論bはすぐさまAに還元されてしまう。 たとえば私が、『女たちや利己的な芸術家連中は、科学に対して嫉妬と感情の調合物のようなものを感じる』 となにか知的な意見cを述べたからといって、このcは集合Aに還元されてしまうだろう。 自分が考えたつもりでもじつはもうとっくにどこのどなたか知らないが他人がもうすでに 考えた結果であることは日常的によく知られている現象です。 ということは、少なくとも知的全般に関しては、大多数はもっぱら人生を自己の不足を 補うことに費やしてるわけですが、 この事実についてどう考えてますか?

  • スピリチュアリストと戦争

    スピリチュアリストという方は死後の世界を信じられ、 平和を求める人だと思っていました。 政治のカテではネトウヨと呼ばれる連中が 韓国とは戦争しろ、中国とは戦争しろ、 漁船は沈めても構わないから徹底的にやれと 無責任な発言が連呼しています。 それはそれで構わないのですが、そのネトウヨに近いと思われる方が スピリチュアルに詳しい回答をしているのに驚きました。 スピリチュアリストとは平和を求める人ではないのでしょうか? 今回はこれを問いたいと思います。 スピリチュアリストの中にも戦争に繋がるような過激な行動を 容認する傾向があるのでしょうか? それともスピリチュアルに詳しいだけで、本人にその気はない? 固定観念が崩れてきているので、宜しくお願いします。

  • スピリチュアリストと戦争

    スピリチュアリストという方は死後の世界を信じられ、 平和を求める人だと思っていました。 政治のカテではネトウヨと呼ばれる連中が 韓国とは戦争しろ、中国とは戦争しろ、 漁船は沈めても構わないから徹底的にやれと 無責任な発言が連呼しています。 それはそれで構わないのですが、そのネトウヨに近いと思われる方が スピリチュアルに詳しい回答をしているのに驚きました。 スピリチュアリストとは平和を求める人ではないのでしょうか? 今回はこれを問いたいと思います。 スピリチュアリストの中にも戦争に繋がるような過激な行動を 容認する傾向があるのでしょうか? それともスピリチュアルに詳しいだけで、本人にその気はない? 固定観念が崩れてきているので、宜しくお願いします。

  • スピリチュアリストと戦争

    スピリチュアリストという方は死後の世界を信じられ、 平和を求める人だと思っていました。 政治のカテではネトウヨと呼ばれる連中が 韓国とは戦争しろ、中国とは戦争しろ、 漁船は沈めても構わないから徹底的にやれと 無責任な発言が連呼しています。 それはそれで構わないのですが、そのネトウヨに近いと思われる方が スピリチュアルに詳しい回答をしているのに驚きました。 スピリチュアリストとは平和を求める人ではないのでしょうか? 今回はこれを問いたいと思います。 スピリチュアリストの中にも戦争に繋がるような過激な行動を 容認する傾向があるのでしょうか? それともスピリチュアルに詳しいだけで、本人にその気はない? 固定観念が崩れてきているので、宜しくお願いします。

  • 何のために他人の痛みを考えるのか?

    よく「他人の痛みを考えるようにしなさい」と親に言われてきた。 だが、何のためにそれを考える必要があるのでしょうか? オスプレイ問題で、沖縄の人が怒っています。 しかし、沖縄の人の気持ちをわかってあげるわけにはいかない。 日米関係が壊れると、日本はどうなるかわからないから、 沖縄の人には辛抱してもらうよりない。 拉致問題も然り。 仮に憲法改正して日本が軍事行動をできる国になったとして、 たたったわずかな拉致被害者のため、日本が北朝鮮と戦争を するわけにはいかない。 拉致被害者の人には辛抱してもらうよりない。 要するに他人の不幸というのは、ある意味見てみぬ振りをする もので、どんな奇麗事言っても所詮は他人事である。 オスプレイが近所にきたら反対するが、他人のところならかまわない。 自分の幸せは、他人の不幸をさけてとおれない。 なぜ他人の痛みを考える必要があるのか? ただの社交辞令か?それとも、自分がいつか不幸な目に あったときに他人の情けをもらうためか? みなさん どーおもいます?

  • 頂点を極めた、その先の世界とは。

    羽生という将棋の第一人者のインタビューがありました。 その時の発言です。 正確ではありませんが、趣旨は合っていると思います。 「七冠をとったとき、将棋の頂点を極めたという想いがあったが  その先の世界があることも解った。  その世界に行こうと想えば行けるけれど、帰って来られないような  気がする」   この「先の世界」とは何だと思います。 色々考えてみたのですが、どうもしっくりする答えがみつかりません。 推測で結構ですので、意見をいただけると嬉しいです。

  • なぜ日本人はだまされやすい

                     なぜ日本人はだまされやすい 儲け話、投資、振り込め詐欺などのニュースはあとを絶ちませんね。なぜだまされるのでしょう。だまされる方も悪いとも言われますがこの点を分析したものは少ない、と思います。 人を疑う、疑われた、という言葉には強い非難が込められていますが、これは日本独特の文化でしょうか。身の潔白を証明するためには命も厭わない民族はまれでないでしょうか。『まず疑ってかかれ、信じるからだまされるのだ』というのが世界の主流と思われます。 海外に住むとだますことに罪悪感を感じないのかと思うことは少なくありません(感じないのでしょう)。『日本人をだますの簡単』と自慢げにいうフィリピン女、だましを指摘すると『旦那は目が高い』と澄ましていう中国人。(なおインチキの語源は、フィリピンでよくだまされる日本人が何故かとたずねると『この店のオウナーがインチク=中国人だから』が日本語のインチキになったといわれる) 考えてみれば疑うことは大切でないでしょうか。『すべてのことを疑ってゆくと残ったものは、疑っている自分』というデカルトの哲学が思い浮かびます。疑わしいものを除いてゆくと疑っている自分が存在していることは疑いがない、自分が存在しないと疑うことができないということでしょうか。 日本にも『人をみたら泥棒と思え』という言葉があるのにだまされる人は多いですね。だましは聞くだけでも不快、いい対策ありませんか。

  • 人間はなぜ合理的に行動できないのか

    私の質問に興味を持って頂きありがとうございます。 人は、なぜ合理的に行動できないのでしょうか。 例えば、自分に当たりの厳しいAという人物がいると仮定します。自分からAに優しく接していけば、Aもそれに呼応して優しくなっていく可能性は高いです。 しかし、実際には自分に対して当たりの厳しい人には優しく接する事の出来ない人が社会には多くいるでしょう。 ちゃちなプライドを捨てればハッピーな結果になるのに、なぜ人は合理的な行動ができないのでしょうか。

  • 日本人の良心

    「昭和史20の争点」(秦郁彦編 文春文庫)のなかで、「日本の戦後補償はドイツに及ばないのか」という章があり、そこにナチス・ドイツによる強制連行の末の従軍慰安所の存在が記されています。 ドイツでは「戦後、良心にしたがって補償に積極的に取り組んだわけではなく、問題化したものについてだけそのつど取り組んできた」そして「国家賠償ができない事情から、ユダヤ人を中心に個人補償を行った」とのこと。 「強制売春の被害者としてドイツ政府から補償を受けた例は一件もない」。 また、「ドイツでは、強制売春婦(慰安婦)の問題は、今でもタブー視されている、というより、社会的に無視されている。」 一方、日本は「国家間の賠償で決着させたため、補償金を直接受け取れない戦争被害者個人には今に至るまで不満があるのも事実である」。 また、「日本にあってドイツにない特徴としては、問題がまず国内から持ち出される点があげられる。ふり返れば、慰安婦も国内で問題とされた。」 従軍慰安婦の中には実際多数の日本人従軍慰安婦がいたはずですが、無視されて今に至っています。 あくまで朝鮮人従軍慰安婦を念頭においていました。不思議な話です。 国家間賠償で決着させたにもかかわらず、あえて日本国内で問題提起することで示した「日本人の良心」とはいったい何だったのでしょうか。

  • 日本人の良心

    「昭和史20の争点」(秦郁彦編 文春文庫)のなかで、「日本の戦後補償はドイツに及ばないのか」という章があり、そこにナチス・ドイツによる強制連行の末の従軍慰安所の存在が記されています。 ドイツでは「戦後、良心にしたがって補償に積極的に取り組んだわけではなく、問題化したものについてだけそのつど取り組んできた」そして「国家賠償ができない事情から、ユダヤ人を中心に個人補償を行った」とのこと。 「強制売春の被害者としてドイツ政府から補償を受けた例は一件もない」。 また、「ドイツでは、強制売春婦(慰安婦)の問題は、今でもタブー視されている、というより、社会的に無視されている。」 一方、日本は「国家間の賠償で決着させたため、補償金を直接受け取れない戦争被害者個人には今に至るまで不満があるのも事実である」。 また、「日本にあってドイツにない特徴としては、問題がまず国内から持ち出される点があげられる。ふり返れば、慰安婦も国内で問題とされた。」 従軍慰安婦の中には実際多数の日本人従軍慰安婦がいたはずですが、無視されて今に至っています。 あくまで朝鮮人従軍慰安婦を念頭においていました。不思議な話です。 国家間賠償で決着させたにもかかわらず、あえて日本国内で問題提起することで示した「日本人の良心」とはいったい何だったのでしょうか。

  • 日本人の良心

    「昭和史20の争点」(秦郁彦編 文春文庫)のなかで、「日本の戦後補償はドイツに及ばないのか」という章があり、そこにナチス・ドイツによる強制連行の末の従軍慰安所の存在が記されています。 ドイツでは「戦後、良心にしたがって補償に積極的に取り組んだわけではなく、問題化したものについてだけそのつど取り組んできた」そして「国家賠償ができない事情から、ユダヤ人を中心に個人補償を行った」とのこと。 「強制売春の被害者としてドイツ政府から補償を受けた例は一件もない」。 また、「ドイツでは、強制売春婦(慰安婦)の問題は、今でもタブー視されている、というより、社会的に無視されている。」 一方、日本は「国家間の賠償で決着させたため、補償金を直接受け取れない戦争被害者個人には今に至るまで不満があるのも事実である」。 また、「日本にあってドイツにない特徴としては、問題がまず国内から持ち出される点があげられる。ふり返れば、慰安婦も国内で問題とされた。」 従軍慰安婦の中には実際多数の日本人従軍慰安婦がいたはずですが、無視されて今に至っています。 あくまで朝鮮人従軍慰安婦を念頭においていました。不思議な話です。 国家間賠償で決着させたにもかかわらず、あえて日本国内で問題提起することで示した「日本人の良心」とはいったい何だったのでしょうか。

  • 仏教の魅力とは?

    昔、私が真面目に仏教の勉強をしていたころ 仏教は仏教で問題が多いことがわかりました。 とにかく批判が多いのです。 特に原始仏教をめぐってです。 大乗仏教の勉強をすると、それは釈迦の本当の教えではない などいわれて相手にされません。 かといって、パーリ語をやって文献学をさかのぼって と思っても、なかなか難しいものがありました。 そもそも、パーリ語の文法書がなぜ日本では 水野弘元さんの古いものしかないんですか? パーリ語を一般人はやるなってことですか? 結局、サンスクリットもパーリ語も漢文もわかりませんよ。 偏った知識で文句を言うわけですよ。 しかし原始仏教にこだわるならさっさと 出家しろよという話になります。 日本では乞食は法律で禁止されています。 乞食行なんて違法なわけです。 原始仏教をそのまま現代の日本で再現したらカルトでしょう。 それなのに釈迦の本当の教えがどうとか うんざりで。 せっかくなのでなにか魅力を教えてください。