nwsaburoo の回答履歴

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  • と、ば、なら、たら 区別は何?

    私は台湾の咲希です、今日本語を勉強しています、文法が間違うところを教えてください。 と、ば、なら、たら 4つの区別は何? いつも間違いました:((

  • と、ば、なら、たら 区別は何?

    私は台湾の咲希です、今日本語を勉強しています、文法が間違うところを教えてください。 と、ば、なら、たら 4つの区別は何? いつも間違いました:((

  • 外国人に日本語の違いが上手く説明できない

    優しかったです。 優しかったんです。 はどう違うの?と聞かれました。 いざ考えると難しくて上手く言えません。 わかりやすく説明する方法は ないでしょうか?

  • 日本語に文法ってあるの

      自慢じゃないけど日本語の文法って習った記憶が全くありません。 もちろん小学校から高校にかけて国語の授業はありうました。 そもそも日本語の文法って確立されたものがあるのか否かさえ分かりません。 果たして日本語は文法的に確立されているのですか。 なぜ日本語文法は表に出てこないのか。 皆さんは日本語の文法を知っていますか。  

  • 日本語の「~んです」について。

    日本語の「~です」と「~んです」は何が違うのでしょうか? 日本語勉強中の外国人の友だちに聞かれたのですが、うまく答えられませんでした。 彼の使っている日本語の教科書には、しょっちゅう「~んです」 が出てくるらしく、「です」と「んです」の違いがよくわからないと言われました。 うまく説明することは可能でしょうか?

  • 日本語の「~んです」について。

    日本語の「~です」と「~んです」は何が違うのでしょうか? 日本語勉強中の外国人の友だちに聞かれたのですが、うまく答えられませんでした。 彼の使っている日本語の教科書には、しょっちゅう「~んです」 が出てくるらしく、「です」と「んです」の違いがよくわからないと言われました。 うまく説明することは可能でしょうか?

  • 「受ける」の受動態は?

    外国人に日本語を教えているうちに、また混乱してしまいました。 「私は彼からのダメージを受けた」という文があります。それを受動態にするならば「私は彼からダメージを与えられた」などでしょうが、相手が「私は彼にダメージを受けられた」と書きました。 私は違和感を覚えていろいろと説明しているうちに混乱してしまい、最終的には「受ける」の受動態はないのではないかということになってしまいました。「受けさせられる」という言葉ならありますが、「受ける」の受動態形とは違うような気もします。 相手が書いたこの文は、受動態の意味としては正しいのでしょうか。また「受ける」の受動態は何なのでしょうか。 いつものことながら日本人として恥ずかしい次第ですが、ご回答いただければ幸いです。

  • 「受ける」の受動態は?

    外国人に日本語を教えているうちに、また混乱してしまいました。 「私は彼からのダメージを受けた」という文があります。それを受動態にするならば「私は彼からダメージを与えられた」などでしょうが、相手が「私は彼にダメージを受けられた」と書きました。 私は違和感を覚えていろいろと説明しているうちに混乱してしまい、最終的には「受ける」の受動態はないのではないかということになってしまいました。「受けさせられる」という言葉ならありますが、「受ける」の受動態形とは違うような気もします。 相手が書いたこの文は、受動態の意味としては正しいのでしょうか。また「受ける」の受動態は何なのでしょうか。 いつものことながら日本人として恥ずかしい次第ですが、ご回答いただければ幸いです。

  • お勧めの日本語文法集を教えてくれませんか

    どうも、はじめまして。 日本語の文法が一から全部載ってるような文法集ないですか? 私外国人で最近日本語忘れ気味でして また一から日本語全部見直そうと思っております なのでできればそういったお勧めの本がありましたら ぜひ教えてください

  • 「に」をつける/つけないのルール?

    ■「に」をつけないと 不自然な名詞(時間を表すもの)。  ・6時、勉強します。    (不自然とまでは言わないのかもしれませんが、違和感はあります。)   ■「に」をつけても、つけなくても、どちらでもOKなもの。  ・月曜日、勉強します。  ・月曜日に、勉強します。 ■「に」をつけると、不自然なもの。  ・毎朝に勉強します。  いろいろあって困っているのですが、  これらを説明できるルールのようなものは、ありますでしょうか?

  • 「に」をつける/つけないのルール?

    ■「に」をつけないと 不自然な名詞(時間を表すもの)。  ・6時、勉強します。    (不自然とまでは言わないのかもしれませんが、違和感はあります。)   ■「に」をつけても、つけなくても、どちらでもOKなもの。  ・月曜日、勉強します。  ・月曜日に、勉強します。 ■「に」をつけると、不自然なもの。  ・毎朝に勉強します。  いろいろあって困っているのですが、  これらを説明できるルールのようなものは、ありますでしょうか?

  • ~するなら〇○に近づく

    外国人に「次の文の誤っている箇所または不適切な箇所を訂正せよ」という問題を解説しているちに、難しく考えすぎているせいか混乱してしまいました。2問ありますが1問ずつお尋ねします。できましたらこの後すぐに投稿する質問にもご回答いただければ幸いです。 「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、どこをどのように訂正するべきなのでしょうか、または適切な文なのでしょうか。 最初は「英語を勉強すれば~」とか「英語を勉強すると~」にするのかなと思ってしまいましたが、よく考えると「するなら」と「すれば」「すると」は、いずれも同じ意味のような気がします。恥ずかしいことですがそのあたりのことを考えているうちにすっかり混乱して、自分でも何を考えているのかわからなくなってしまいましたので、教えていただきたく存じます。

  • 「ところが」と「でも」の違いが分りません

    英語話者(日本語学習者)から 「"But"をあらわす表現は"ところが"と"でも"だが、使い分けがわからん」 と質問を受けました。 どうこたえていいかわかりません。 「う~ん、日本人の感覚としては"ところが"は正式文書やスピーチにも使えるが "でも"は口語的表現じゃないかな?」と英語で返事をしましたが、わたしは 国語の専門家でないため、イマイチ自信がありません。 「ところが」と「でも」の違いは何でしょうか? 大変失礼ではありますが、回答の際は専門家としての回答か、 一人の日本人としての意見か、一言付け加えて頂ければ幸いに存じます。 よろしくお願いいたします。

  • ~するなら〇○に近づく

    外国人に「次の文の誤っている箇所または不適切な箇所を訂正せよ」という問題を解説しているちに、難しく考えすぎているせいか混乱してしまいました。2問ありますが1問ずつお尋ねします。できましたらこの後すぐに投稿する質問にもご回答いただければ幸いです。 「英語を勉強するなら、交換留学に一歩近づくことになるでしょう」は、どこをどのように訂正するべきなのでしょうか、または適切な文なのでしょうか。 最初は「英語を勉強すれば~」とか「英語を勉強すると~」にするのかなと思ってしまいましたが、よく考えると「するなら」と「すれば」「すると」は、いずれも同じ意味のような気がします。恥ずかしいことですがそのあたりのことを考えているうちにすっかり混乱して、自分でも何を考えているのかわからなくなってしまいましたので、教えていただきたく存じます。

  • 英語で書かれた日本語の文法書で有名な物を教えて

    日本人向けに日本語で書かれた英文法書といえば、『英文法解説』や『ロイヤル英文法』や『詳解英文法』等たくさんありますが、これらに匹敵する英語で書かれた日本語の文法書はありますか?

  • 「~にくい」と「~がたい」の違い

    「~にくい」と「~がたい」は共に動詞の連用形に付いて、「言いにくい」「言いがたい」「理解しにくい」「理解しがたい」のように、派生語を作ることが出来ます。そして、表す意味もかなり近いようです。一方、「分かりにくい」は言いますが、「わかりがたい」はどうも落ち着かないような気がします。「~がたい」のほうが堅いと言うことは知っていますけど。両者の違いを、分かりやすく説明していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

  • 今さらですが、「は」と「が」についてです

    先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。    

  • 今さらですが、「は」と「が」についてです

    先ほど、下記のような例文に関して回答を終えた者です。 昔、おじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんは山へ柴刈りに行きました。 おばあさんは川へ洗濯に行きました。 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。 こうした例文に関して、 『未知の場合は「が」で、既知の場合は「は」。既知でも従属節の場合は「が」』という解説を時折見かけますが、これは正しいでしょうか。 個人的には、この解説には普遍性が無いのではないか、つまり、誤った解説ではないだろうか、という疑念を常々持っています。 たとえば、 おじいさんは未知ですが、「おじいさんは山で柴を刈っていた」から始まる物語もあって良いでしょう。 逆に、おじいさんは既知ですが、「家でおじいさんが桃を割りました」という文が続いても自然です。 同じく、おばあさんは既知ですが、「そして、おばあさんが桃太郎を抱きあげました」という文が続いても自然です。 さらに、桃は既知ですが、「その時、桃が急に動いた」という表現もできます。 この場合、「が」を使ったからといって「桃が急に動いた」は従属節ということになるのだろうか? などといった疑念です。 要するに、未知・既知・従属節といった要素だけで「は」と「が」の使い分けを規定するのは無理なのではないだろうか、ということなんですが、みなさんのご見解をお聞かせください。 わたしの知識不足で、上記の解説内容自体を誤解している可能性もありますが、もし、そうであれば、ご指摘いただけると助かります。 蛇足ですが、わたしの個人的な見解は以下のようになりますので、これに関しても何かご意見がございましたらご開陳いただければ有難いと思います。 「は」は主題提起の係助詞です。 「○○は」で始まるのは、「これから、○○に関して述べますが・・・」という意図の文になります。 「が」は特定用法の格助詞です。 「が」が特定するのは主体の場合もありますし、対象の場合もあります。 いずれにせよ、特定する意図のある場合に「が」を使う、という点が重要です。 「おじいさんとおばあさんがいました」という文は、 「おじいさんとおばあさんに関して述べている文ではない」ということに留意が必要です。 では、何に関して述べている文かというと、「いました」という事実に関して述べている文です。 「いた(いました)のは、誰か」ということを特定するために、「おじいさんとおばあさんが」と表現するわけです。 「おじいさんは山へ柴刈りに行きました」は、おじいさんに関して述べている文です。 「(今から)おじいさんに関して述べますが、彼(おじいさん)は山へ柴刈りに行きました」という意味の文です。 「おばあさんは川へ洗濯に行きました」も同様です。 これらの文は、「おじいさん(おばあさん)に関して、これから述べますよ」というのが本質的な意図であり、「柴刈りに行きました」「洗濯に行きました」は、その述べられた内容にすぎません。 つまり、「文の意図・文の構造」としては、あくまでおじいさん(おばあさん)に関して述べる、ということである点が重要です。 「おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃が(1)流れてきました」という文の骨格は「大きな桃が流れてきました」です。 さらに厳密に言うと「流れてきました」です。 「(今から)大きな桃に関して述べますが・・・」という意図ではないので「桃は」とは表現しません。 「流れてきたのは何か」を特定するために「桃が」としているわけです。 従属節の「おばあさんが洗濯をしていると」の場合も同様で、「(今から)おばあさんに関して述べますが・・・」という意図ではありません。 あくまで「洗濯をしていると(桃が流れてきた)」という構造です。 「誰が洗濯をしていたのか」を特定するために「おばあさんが」と表現します。    

  • 主語 その2

    他のところで質問して「(私は)花が好きだ」の主語は「私」だと教えていただきました。 http://okwave.jp/qa/q7866829.html それでは、これと同じ構造と考えられる「私は背が高い」の主語は何なのでしょうか。「私」でしょうか。あるいは、高いのは「背」なので「背」でしょうか。 「山が高い」なら「私は山が高い」とは言わないので「山」が主語でしょうね。 「私はだんごより花が良い」の場合はどうでしょうか。

  • 「花が好きだ」の主語は

    「花がきれいだ」の主語は「花が」であることに間違いないと思いますが、 同じく、主語+形容動詞の構文である「花が好きだ」の主語は、純粋文法的に考えて「花が」でいいのでしょうか。 国文法の問題ですので、「英訳して考えれば~」の回答は不要です。