tumaritou1 の回答履歴

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  • 鬱の方で心理学の勉強をされた方、何をされましたか?

    こんにちは。 ”鬱的患者が心理学の勉強をして自分を理解できるか” などで質問させて頂いたものです。 皆さんの温かいご回答によりとても勇気づけられました。 興味を持ち始めた心理学の勉強をすることにより、自分の考え方の偏りが多少マシになったり、仕事でのストレスを少しでも軽減できればと思います。 そこで、何か通信教育を受けてみようと考えています。 大学の通信教育は少し金額が高いので、新聞に載っている○○キャンとか民間のもので何かないかなと思います。 ・メンタル心理カウンセラー ・メンタルケア心理士 ・メンタル総合心理講座 ・行動心理士 ・准ケアストレスカウンセラー ・メンタルヘルスマネジメント(II種・III種) 調べてみると本と色々な講座があるんですね。 基本的には資格を取るのが目的ではなく、またカウンセラーになるつもりもありません。 一般的な心の動きを知れれば自分の考えの偏りを知るきっかけになるのではないかと思います。 入門書として手始めに何がいいかなど、お勧めの講座などありましたらアドバイス頂ければ幸いです。 自分を見直し、自分が変わるい一年にしたいと思っています。 よろしくお願いします。

  • 自分に自信が持てない人には何が必要でしょう?

    自分に自信が持てない人に  「もっと自分に自信を持て」 と言う事はとても簡単で、ありふれた対応だと思うのですが、 既に本人なりに抜け出そうと努力した後だったりして 大した効果もない言葉で終わる様に見えます。 自分に自信が持てない人には何が必要なのでしょうか? 自信がもてなくなった理由(育った境遇など)との向き合いでしょうか? 自分に出来る事、自分の持っているものを共に数える事でしょうか? 根本的には何が必要なのでしょうか? そして、 どういう面を見れば相手の変化を確認できるものでしょうか?

  • 再生医療実用化後、治せない病気はあると思いますか?

    今後再生医療が全て実用化されたら、 地球上で「全く治療の目途の立っていない病気」にはどのようなものが残ると考えられますか? ※インフルエンザなど病原体の進化に起因するため治療のキリがなくなってしまっているものは話題に上げないこととします。 自分が思いつく限りではトリソミーやターナー症候群のような染色体異常でしょうか…

  • 鬱の人は心理学、哲学、宗教等に興味を持つのはなぜ?

    こんにちは。 別件で質問させて頂いたのですが、ご回答頂いた中で正に自分自身がそうだと思ったけど、 なぜだろうともうことがあったので、あらためてご質問させて頂きます。 これまで、適応障害、鬱病、持続性気分障害、躁鬱病等々診断を受けてきた40前の男です。 社会人になり、理想を求め転職を繰り返してきましたが、その理想も何なのかよくわからず、 やりたいこともよくわからず現在も心療内科に通院中です。 ある質問の中で、 ”昔鬱の方と話をすると必ず出てくるのは心理学、哲学、宗教、心の動きなどですとありました。” まさに、自分もそのような本を探し読んでいます。 自分とは何か、やりがいとは何か、ただ生きているだけでも幸せとよく言われるが、 目標もなくやりたいことも分からず、何のために生きているのかよくわからなくなる。 そんなことを考えすぎているからしんどいんだろうなぁ、 もっと気楽に生きられればいいなぁと思ってはいるんですけど、結局何をしていても こんな考えに戻っちゃうんです。 こういう自分みたいな人がカルト宗教とかいうものに騙されるのかなぁと思います。 なぜ、鬱の方は心理学や哲学や宗教に興味を持つのでしょうか? やはり自分とは何かとか考えすぎているからでしょうか。 別の質問では、私自身はこれを解決するために通信講座でメンタルケア心理士とかなにか 心理学系の通信講座を受け、自分が寛解しないかなと考えています。 (これまで色々な病院に通っていて分かったことですが、自分の場合ですが、薬では治らないこと。 薬を飲んでいても改善した気がせず、色々変えても眠気など副作用が出るばかりでした。 考え方の問題で今はカウンセリングを受けてはいますが、言っていることは分かるのですが どうも考え方を変えれるまでにはいきません) 同じような質問で申し訳ないのですが、 ・なぜ鬱の人が心理学、哲学、宗教などに興味を持つのか ・またもし可能なら鬱を克服された方はどうされたのか 等アドバイスを頂ければ幸いです。 本当に日々の仕事も何とかいけている状態です。 いろんなアドバイス頂ければ幸いです。

  • 離人症を改善したり治したいです。

    22才♀です。 高校生の頃、パニック障害で病院に通い始め、その時期に医者からは(離人性障害)だと言われました。 心療内科は薬浸けにされるし(それで何とかメニエール病とかいう病気になりました)、病名がコロコロ変わっていくのでちょっと怖くて、他の内科などに行くと結局心療内科へ回されるので、今では表だった症状が無いので特に通っていません。ド田舎の交通の不便さから近場でカウンセリング受けられる環境でありません。 普段ある症状といえば、月日の移ろいや時間の感覚がない、1日が4~6時間程度、1年が数週間にしか感じない、昨日やつい2時間前の事も遠い過去のように感じる、昨日以前の事実としての記憶や学習した記憶はあるけどそれを懐かしいと浸れるような思い出がありません、 自分の顔が思い浮かべなかったり鏡を見ても知らない人に見えます、足がまるで義足のような地に足が着いていない感覚です、自分の年齢が自覚出来ません(精神年齢が中学高校生のままで停止しているよう)、最近は義眼になったように両目の感覚がなくなりました(視力は健常ですが、見るもの全てに奇妙な違和感を感じる)、後、記憶喪失ではないのに病気発症以前の過去の記憶が殆どありません。 一番古い記憶が中学3年生の1月の記憶です。ちゃんと覚えてます。それ以前はいくつかの印象強い楽しかった思い出しか覚えていません。でも、もっと古い記憶といえば小学校低学年、幼稚園や保育園の記憶は不思議と結構覚えています、楽しい思い出ばかりでした。思い出の中の自分は、ちゃんと自分だという感覚はあります。 その他、病気を発症した頃から毎日欠かさず悪夢を見るようになりました。 あと普段、10秒ぐらい(多分)ふとした瞬間に意識が遠退く事があります。じわじわ遠退くというより、素人のビデオ編集のような違うシーンと違うシーンを歪に貼り合わせたような、その10秒が空白です。(いつも目の前にいた人に、どうしたの?何?という声に呼び戻されます)。 現在の自分は、自分でありながら他人に思えます。他人に憑依して生活しているよう。 現在の環境も、自分にまつわる全てが他人事のようです。 自分では精神病になった原因が思い当たりません。 虐待を受けたとかいじめられた、辛い事件があった訳ではありません。 心が弱いからでしょうか? 原因や克服する術をアドバイス下さい! 体と心がバラバラになってる、別の生き物ようでとても辛いです。

  • 感情の起伏が激しいのを抑える方法

    抑うつ、適応障害と診断された頃から、涙もろくなり、なにも集中できません。 仕事をやめ、実家に帰り、休養していますが、落ち着くことができません。 アドバイスを受けて、必死にどんな自分になりたいのか、何が好きなのか?自信をつける方法は?など考えたり、本をよんで勉強しようと努力していますが、すぐに涙もろくなり、歯に力が入ってしまいます。暴れまくりたくなりますが、必死に堪える毎日です。 ほんとに辛いです。 感情をコントロールできる方法ありましたらお教えください。

  • 強迫性障害やパニック障害とセロトニンの関係について

    強迫性障害やパニック障害において、SSRI等の抗鬱薬を使用せずに同等の効果が得られる及び病気を完治させる手段はありますでしょうか。 ずばり副作用と離脱症状を回避したいが為の質問です。 そもそも上記の病気の場合にセロトニンの低下を改善することが大きな解決策になるとされる一般的にネットで散見される主張は確かなものなのでしょうか。確かなものであるとすれば、重度の症状を患っていた方が認知行動療法のみで完治したという話を稀に聞きますが、その場合セロトニンとの因果関係が理解できません。認知行動療法を日常で実践することにより、自然とセロトニンの作用を正常にすることを可能にしたのでしょうか。そのような方達は、抗鬱薬はあくまでその場しのぎであり根本的な治療にはならないので使うべきではないと主張されますが、これは医学的根拠のある正しい主張なのでしょうか。 同じ病気でも治療方法は人それぞれということは分かるのですが、その数ある治療方法の整合性に疑問を感じておりますので、ご教示頂ければ幸いです。

  • 学問は人を豊かにするのか?

    学問にそんな力はあると思いますか? 勉強をし知識を蓄える。見聞が広がり人生が豊かになる。 果たしてそうでしょうか? 識字率を高めて国は豊かになったかもしれませんが、犯罪が減ったでしょうか? 差別が減ったでしょうか? 逆に勉強をし知識を蓄えたという自負から、人を見下す心が発生していないでしょうか? 職業に貴賎はなしと言われ、 どのような仕事も社会に必要とされているものであるとされていましたが、 学問を究めた方ほど職業に優劣をつける傾向にある。 アカデミックハラスメントというものあります。 学問を究めた教授や教職員がその権力を濫用して学生や配下の教員に対して行う様々な嫌がらせ行為ですね。 昨今ゆとり教育への不満から、ゆとりだからダメだとか申す者も現れている。 「ゆとりだからダメ」という論拠には、学問は人格形成に役立つと盲目的に信じているのではないのか? しかしながら上記の事例を見る限り、学問に人を豊かにする力は備わっていないように思うのです。 学問に人を豊かにする力はあるのでしょうか? この質問は純粋な疑問であり、 勉強をすることを否定しているのではありません。

  • 精神疾患や精神障害者の方寛解迄どれ位かかりましたか

    この度、私の質問を閲覧して頂いた皆様、初めまして。 私は、最初に行った病院では抑うつ神経症と強迫神経症と不安神経症と診断されましたが全く良くなる気配などがありませんでした。 そして、次に転院した病院では鬱病と診断名が変わったのですが、此処でも全く症状が良くなる気配がありませんでした。 そして、再度違う病院に転院した病院で双極性障害II型と診断され、現在に至ります。 最初の診断を受けてから、現在に至るまで20年近くになりますが、寛解になる気配など一切ありませんでした。 そこで質問なのですが、精神疾患や精神障害を患っていらっしゃった方で、最初に診断を受けてから寛解に至るまで、大体どれ位の期間がかかりましたか? それから現在も、精神疾患を患っていらっしゃる方や精神障害者の方で、寛解を目指して現在も療養中の方は、最初に診断を受けてから何年位経ちますか? 私自身状況が、20年以上も全くと言っていい程変わらず、これから先も全く見えない状態なので、今回質問させて頂きました。 どうか、宜しくお願い致します。

  • 電車の振動を利用した睡眠誘導機械が無いのは何故

    電車の枕木上を滑る定期的な振動とリズミカルな音でついつい睡魔に陥る方は多いし、科学的にも眠気を誘う体感だと思うのですが、この現象を取り入れた睡眠誘導の機械を見たことがありません。不眠で悩む人が多いようですが何故、この現象を利用するような機械を作って売り出さないのでしょうか?

  • 左顔右顔についての質問

    左顔はその人の感情が出ているため左顔を病んでいる時に笑った表情を作る事は難しく右顔は演技(社会に適応するための顔)する顔なので作り笑顔は多少落ち込んでいても右顔ではしやすい。という知識は心理学学んでいる方ならたいてい知っている情報だと思います。 そこで疑問なのです。私は視線恐怖症で他人に見られるとにひどくらんだりひどく驚いたような顔をします。そうすると不思議な事に相手の左顔もまったく同じひどくにらんだ顔やひどく驚いたような顔をします。(思い込みではありません。実験したのですが、私が他人の写真を取る時に相手の顔をみるわけですがそのときにとれた相手の左顔の表情は誰が見ても本人がみてもとても悪い表情をしていました。) その時の私を見た時の気持ちを知るためいろいろ聞いても別に君の表情でそんなに気分を悪くはしてないよといわれます。その発言をいっている左顔を見てもまさしく嘘をついていない顔でした。 それに他人の顔みただけでひどく悪い気分にはならないと思います。 左顔は気持ちがあらわれるにもかかわらず気持ちと左顔が私を見る他人は合っていないです。 そこでの私の見解はこうです 左顔はその人の根底の感情が表れる。だが私の顔を見た時におうじるその人の私に対する悪い感情はあまりにも潜在意識にもぐりすぎているため意識的には感じる事ができないが、無意識のレベルでは相手の感情を見て私を害のあるものと本能的に感じている? どなたかこの疑問について答えてくれる方いますか

  • 現実と虚構

    現実と虚構の違いは何だと思いますか?現実の定義を明確にすることができれば、自動的に虚構の定義も決まると思うのですが、現実が何であるかを知るのは非常に難しいと思います。皆さんは現実をどのように認識していますか。

  • 禅を理解できる本

    今日は。 私は、白隠禅師の本を読み、禅に興味を持ちました。 そして、彼の作った座禅和讃や粉引歌等の歌を歌いながら 日常の作業を行う「動中の工夫」を行ったところ、 頓悟のような心境や、腹に胆力が座ったみたいな感じになって 度胸が付いたようになり、 他人に対する愛情みたいな感情も自然に湧いてきたり 小さな事にこだわらない様な心境になれたりと 不思議なこれまで味わった事のない体験をしました。 そこで、なぜこのような心の変化が起こるのか 科学的に知りたいと思っています。 何か、この辺りの事情を科学的に 理解出来るような本があったら私に教えて下さい。

  • 生きながら死人となりてなりはてて思いのまま・・・

    生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき 至道無難禅師の言葉とのことですが、今朝NHK教育テレビで鈴木大拙を紹介する中で出て来ました。 私は昨年末に妻を亡くし、この世の無常を感じ、"後追い願望"に支配される毎日です。 そして、伊丹十三さんの「楽しいうちに死にたい」とか、「自死という生き方」を著して自死を決行された哲学者、須原一秀氏の主張に気持ちがぴったり合い、彼らに従いたいという気持ちで生きていますが、 この至道無難禅師の言葉は、死の捉え方がちょっと違うように思えました。 生きながら死人となりてなりはてているのに、思いのままにするわざにするワザなんて有り得るのだろうか? しかも、それが「良い」と言ってる。 私は俗人の一般人ですので、成るだけ平易に抽象的な言葉を使わないで、前述の禅師の言葉をもう少し詳しく説明していただけないでしょうか? もう少し考えるきっかけにしたいと思います。 宜しくお願い致します。

  • 何かに心が捕らわれて事実を見失った事はありますか?

    テーマにかいてある通りです。 あるものに執着し過ぎて実際とは違う事を思ってしまい、事実を見失った、という体験はありますか? 難しく考えなくて大丈夫です! お願いします!!!

  • 鬱病は製薬会社と医者が増やしている

     うつ病とは本来、原因がはっきりしない、或いは脳の病気とする人をうつ病としてきたのに  最近では少し精神的に疲れている人までうつ病と診断を下し、患者もうつ病だからお薬を  飲んでいれば治ると思い込み、中々治らないと嘆く傾向があるようです、本来生きていれば  ストレスにより精神的に疲れる事もあるわけで、原因がはっきりしていて、軽い抑うつの人までお薬 を飲ませる傾向には反対です、本来、これといったストレス、原因もく鬱状態になっている本当の意 味での鬱病の人に世間が間違った認識をすることになり、悪影響もでると思います。ストレス性の 抑うつの強い人の中にはパーソナティー障害的な問題が根幹にある人がいる訳で、パーソナティー 障害的問題を治療しないと抑うつは解消しないわけで、或いは神経質でナイーブな人は抑うつになり 安い訳で、お薬だけを出していても解決しないと思います、製薬会社と医者、懐が暖まるだけで みなさん最近のうつ、うつ病という認識をどう思いますか? ・ http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishidamasaki/20130921-00028302/

  • 修行は自我を無くすのですか?逆に自我発達は?

    宗教のカテゴリが無いみたいなので哲学にしました。 ネットで軽く調べると、禅とか修業とかで自我を超越して 自己を得る?みたいな事が書いてあるのですが、 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089506355 私は心理カウンセラーの資格を持ってますが、昨今の日本 に増えた境界線人格障害は、イド又はエスと呼ばれた動物 的本能と超自我と呼ばれた親の理想という型で出来た優等 生の自分が綱引きをして、真中でそのバランスをとる自我が 未発達なのが特徴で、それにより誰でもあるような同姓・異 性での振った振られたに過剰に反応して、プライドを守るた めに手首を切ったり、男性の場合はイジメ、ハラスメントや DVなどをし、親子間での児童虐待も多々起きてます。動物 的なので子や伴侶への愛情が薄れ、家庭も崩壊したり、浮 気なども増えます。 ネットで見る自我の崩壊は仏教でいう「無」で、元々あると いうかきちんと成長した自我を親が押さえつけるのでは無 く、自分自身で超越をするのが「空」という事でしょうか? だとしたら、日本に増えた境界線人格障害のように自我の 成長が未発達で、元々自分がない人は、禅や修行などで 逆に自我を発見・発掘する事も可能でしょうか? ちなみに私はそれらの病気とは正反対で健康ですが、臨床 心理士によるカウンセリングは数年かかり、費用も数十万 ~百万以上もかかるので、クライアントには勧め難いので、 禅や修業でそれらに効果が少しでもあるようなら、患者さん に勧めたいと思うのです。宜しくご指導ください。

  • 神に近づくには

    神に近づくとはもちろん精神的なことですが、苦しみを多く経験した人は神になれるという言葉もあります。 もしそうであるとき、困苦が続いたあまり、何も感受しない、感じなくなっているような心理状態というように、精神疾患的に何も感じないことと同じになるのでしょうか? 瞑想的な悟りが神に近付く唯一の方法とは私も思ってませんが…つまりは悟りの精神状態はどうなっているのかなあという質問です。

  • 「意思・欲求」とは、何か?説明を希望します。

    「意思・欲求」とは、何か?説明を希望します。

  • 原罪は死語だと思いますが なぜ無くならないのか

     原罪は なぜなおいまだに それが人にはあると言われつづけているのでしょう? ――これが 問いです。  それは もし文献の問題とすれば エレミヤ書31:31以降に《罪は覚えられることはない》であったり《主を知れと言っておしえることはない》であったりと書かれており それは ヘブル書にも取り上げられています。  ▲ (ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~~~~~  もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。  事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。    「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、     新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。    「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、     エジプトの地から導き出した日に、     彼らと結んだ契約のようなものではない。     彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、     わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。    「それらの日の後、わたしが     イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。    「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、     彼らの心にそれを書きつけよう。     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。     彼らはそれぞれ自分の同胞に、     それぞれ自分の兄弟に、     『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。     小さな者から大きな者に至るまで     彼らはすべて、わたしを知るようになり、     わたしは、彼らの不義を赦し、     もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」      (エレミア書 31:31-34)  神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 原罪は なぜなおいまだに それが人にはあると言われつづけているのでしょう?