kimosabe の回答履歴

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  • 助動詞+です‥ これはすべてダメ?

    ● 痛い・です 「形容詞+です」は、取敢えず現在は許容表現とされていますね ( ^^ ところが・・・ ● 痛かっ・た・です これは「形容詞+助動詞+です」なので、NGという説明をよく目にします。 となると・・・ ● 食べ・たい・です (^¬^ ) 「たい」は一応形容詞型の助動詞ですが、形容詞ではありませんから、やはり公式には認め難い表現と言えるのかなぁ・・・? 大いに悩みますね ( ^^;

  • 動詞IIIグループのわかりやすい教え方教えてください。

    動詞IIIグループを分りやすく外国人学習者に教えるこつや方法を教えてください! 外国人にとってグループをIとIIを覚えるのが困難のようですが、 覚えるいい方法、また定着するようにどのようにしたらいいかもお聞きしたいです。 専門家の方にお聞きしたいです。よろしくお願いします。

  • 動詞IIIグループのわかりやすい教え方教えてください。

    動詞IIIグループを分りやすく外国人学習者に教えるこつや方法を教えてください! 外国人にとってグループをIとIIを覚えるのが困難のようですが、 覚えるいい方法、また定着するようにどのようにしたらいいかもお聞きしたいです。 専門家の方にお聞きしたいです。よろしくお願いします。

  • 訓について

    はじめまして、こんにちは! すごく気になってることがあるので相談させてください。 たとえば「万葉集」なんかで、 「君家爾」を、「きみがいへに」と訓をつけるとします。 「きみ」と「いへ」と「に」には対応する漢字があるのに、 「が」だけないですよね。 ここで質問なんですが、この「が」みたいな用法っていったいなんていうのでしょうか? 日本語学の分野なのかなぁ?と思ってこちらの方に質問させていただきました。 よろしくおねがいいたします。

  • 「つなげる」(他動詞)の意味・ニュアンス

     最近テレビなどでもよく使われる「つなげる」という動詞(「つなぐ」の可能動詞とは別)について、「つなぐ」(同じく他動詞)と意味が異なるのか、ニュアンスの差なのか、御意見をお聞かせ下さい。

  • 古代日本語で万葉集などを朗読してるmp3

    古代日本語ではハ音がパ音だったりと、今の日本語といろいろ発音が違いますが、万葉集や古事記、枕草子などの古典をその当時の発音で朗読してる、ネットで気軽に聴けるmp3などがありましたら教えてください。

  • 南総里見八犬伝の文献

    今度ゼミで八犬伝について調べることとなりました。 現在、いろいろと文献を探している最中です。 もし、どなたか参考になりそうな文献を知っていたら教えてください。 ちなみに私は、犬塚信乃について調べる予定です。 お願いします。

  • 古文について

    こんばんは。 古文についての質問なのですが、次のような問題がありました。 (1)後に迎へに 来 む。 (2)春 来 ることをたれか知らまし。 (3)人々絶えずとぶらひ 来。 (4)和泉国に 来 ぬれば……。 (5)いづら、猫は。こちゐて 来。 漢字の「来」の場所のよみがなを答えろ。という問題なのですが、 自分の考え方が曖昧で判別がつきません。 自説としては (1)こ (2)く (3)く (4)き (5)く ですが、恐らく誤答でしょう…。 分かる方いらっしゃれば教えていただけると嬉しいのですが…。 また、判別の仕方なども教えていただければ幸いです。

  • 梶井基次郎の一人称は「わたし」?「わたくし?」

    私は高校の放送部に所属していて、 今度の放送大会(15日)で梶井基次郎の「器楽的幻覚」を朗読することになりました。 顧問の先生に読み方をチェックしてもらっていたところ、 「「私」、は「わたくし」じゃない?」との事。 自分としては、「わたし」の方が語感がいいし、 何より文章のバランスが悪くなってしまうと感じたのですが、 先生は「この時代の人は「わたくし」だと思う」の一点張りでした。 (ちなみに顧問の先生は数学の先生です。) 私は残念ながら文学にあまり詳しくないので、皆さんに質問させて頂きました。 「わたし」か「わたくし」、どちらで読んだ方が良いか、 また、その理由を添えて回答してくださると嬉しいです。 よろしくお願い致します。 参考までに、器楽的幻覚の内容です http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card422.html

  • 古文の、会話文中の敬意の対象について

    問題集をやっていて、腑に落ちないところがありました。 栄花物語・月の宴からの出題で、八の宮が后の宮の見舞いに行く直前、八の宮が宰相に「どのように言ったらいいか」と尋ね、宰相が答える会話のシーンです。 「(八の宮が宰相から)『御悩みのよし承りてなんとこそは、申し給はめ』など教へられて・・・」 (訳:「『ご病気のよしをうかがいまして』と申し上げなさったらよいでしょう」などと教えられて) この本文の「承りて」「申し」「給は」が、誰の誰に対する敬意表現なのかという設問でした。 解答では 「承りて」 八の宮→后の宮 「申し」宰相→后の宮 「給は」宰相→八の宮 でした。 どれも動作主は八の宮なのに、なぜ「承りて」が八の宮からの敬意、「申し」が宰相からの敬意なのかが分かりませんでした。 (「給は」は、訳したときの感覚でなんとなく正解できましたが・・・) 正解への導き方も教えてくださるとありがたいです。

  • 日本語の一人称代名詞「僕」の用法?についてお詳しい方 教えて下さい

    日常生活を営んでいて(←大袈裟な表現 すみません)「僕」と言う 一人称代名詞は、それを言う人間の年齢や社会的地位?によっては 違和感を覚えます。 小学生以下の男の子が「僕」と言うのは当たり前ですが、違和感ありません。 (当方 小さな会社を営んでますが)当方と取引している会社の若い 営業マンの男性が「僕 明日 出張でお邪魔します」というのも それほど違和感はありません。 当方の仕事上の取引先で、60歳を超えてて(まことに本人には失礼な 表現ながら)それほど教養・社会的地位がないお方で決まって自分の ことを「僕」と称する場合、聞いてて違和感を覚えます。 「僕」と称するご本人は、ご自分のことをある程度ソフィスティケートされた人間と思っていらっしゃって「僕」と言う表現をされてるのかも しれませんが。 人間を職業や社会的地位で差別する意図はありませんが、中高年の男性がご自分を「僕」と称する場合は、そのお方がある程度「社会的地位の あるお方」以外の場合は違和感を覚えます。 日本語の一人称代名詞は難しいでですね。 この分野にお詳しい方のご意見を承りたいです。

  • 正しいアクセントは‥?

    ゴーヤー(和名ツルレイシ)の正しいアクセントを教えてください。

  • 正しいアクセントは‥?

    ゴーヤー(和名ツルレイシ)の正しいアクセントを教えてください。

  • 正しいアクセントは‥?

    ゴーヤー(和名ツルレイシ)の正しいアクセントを教えてください。

  • ツヅミとツツミ

    鼓はツヅミと発音し、堤はツツミと発音すると思いますが、堤がツヅミと発音(連濁)しないのは何か理由があるのでしょうか。

  • 受身

    こんにちは。 いつもこのサイトでいろんな知識を得ることができって感謝してます。 今日は日本語の文法について聞きたいことがあります。 例文 1) あの橋が完工されると移動時間が2時間ぐらい短縮されます。 上の例文には二つの受身が使ってます。韓国語ではこの場合”完工すると”と”短縮します”の形で使うと文法的に正しくない表現です。 でも日本語では下のように使ってもいいですよね。 例文 2) あの橋が完工すると移動時間が2時間ぐらい短縮します。 このように受身形で使わなくても受身の意味で解釈される動詞は特に決めてますか。それとも大部分の動詞がそのように解釈できますか。 お返事お願いします。(^^)

  • 「自ら」と「自ずから」に関して

    手元の辞典によると 「みずから」は「身つから」で「自ら」、「おのずから」は「己つから」で「自ずから」と表記するそうです。 「みずから」は「身つから」で「おのずから」は「己つから」なのは容易に納得できます。しかし、「みずから」は「自ら」で「おのずから」は「自ずから」と表記するのは、容易には納得できません。 「みずから」を「自ずから」、「おのずから」を「自ら」と定めなかった合理的理由があるのですか。それとも何らかの方法で識別したいというだけで理由といえる理由はないのですか。 合理的な理由を資料に基づいて述べることが可能な場合のみ、ご回答戴きたく思います。 よろしくお願いします。

  • 「満ちる」と「満つ」の文法と慣用に関して

    次は同義両活用について述べた文章の一節です。出典、吉川泰雄著「つなぐ」と「つなげる」 通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。通用する「足りる」に対して、四段の「足る」にも<取るに足らん><足ることを知るものはさいわいだ>などと言う。西方のことばの侵入や慣用語的な言い方である。通用の「借りる」に対し、<人手を借らんでも>と言うことのあるのも西方のことばの侵入であろう。通用の「飽きる」に対する、「飽く」は、副詞の「あくまで」を引くまでもなく、<飽きも飽かれもせぬ仲>と言い、なかば西方ふうに、<飽いてしまった>と言うこともあるようだ。 さて、質問です。 >>通用する「満ちる」に対して、四段活用の「満つ」にも、慣用的用法として、<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>などの用途がある。 ここの一句の文意が読み取れません。<定員に満たない><意に満たぬやつ><一歳に満たない子>の、どれもが文法には外れているが慣用上は認められている、と読むのが素直なのだと思います。しかし、そう読むと別の疑問が生じます。 1 <定員に満たない>と<一歳に満たない子>について。 著者は、これらを文法に外れていると述べているのですか。「満つ」の未然形に打ち消しの助動詞「ない」が接続していると考えると文法に合っていませんか。文語の「満つ」と口語の「ない」が混交しているのが、いけないのですか。それとも、ここに誤りがあるとは述べていないのでしょうか。文意が掴めません。 2 <意に満たぬやつ>について。 文法上は「満つ」の連用形に「ぬ」が接続したもので、正しくは<意に満ちぬやつ>だと考えます。著者も、そう述べているのだと考えます。著者の主張は別の所にありますか。 よろしくお願いします。 なお、勘違い、錯覚などは何方様にもあることで回答に誤りがあることは一向に気にしません。むしろ、皆で協力して真理に迫ることこそ理想です。ただ、文法は高度に論理の世界です。詩歌の鑑賞と違って論証なしに感覚で処理されては困ります。日本人の平均を大幅には下回らない程度の読解力と論理的思考力とをもち、かつ、ご自身の言語感覚だけに頼るのではなく、広く日本人全体の言語事情に目配りのできる柔軟な姿勢のある方の回答を希望します。別段、難しい注文をつけているのではありません。これまで、凡そ延べ420人のお世話になりましたが困った回答者は天文と物理と国語に各一人だけでした。3/420に該当しない方は大歓迎です。重ねて申します。回答に誤りを含むこと自体には一向に気にしません。ある程度、怪しい部分を嗅ぎ分ける本能が備わっていますし、皆で訂正していけばよいことです。

  • (昭和10年代の文法)「さして」と「させて」

    降りさして下さい。過ごさして戴いた。飛ばさしておく。止まらしておく。等々。 従来、これらに出合うたびに鬱陶しく感じ、何処の方言だ?と思ったりしていました。この度、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C に出合い、昭和10年代には、これでよかったことを知って納得しました。ここまではよいのですが、文法の上からは説明が付けられません。 今日の「降りさせて」の場合、自己流ながら「降りる(上一)の未然形」に下一型の助動詞「させる」の連用形が接続したものとして説明が付きます。 昭和10年代の「降りさして」の場合、どう説明されるのですか。単純に助動詞「させる」がなく「さしる」があったというだけの話ですか。 よろしくお願いします。

  • 「横綱朝青龍」で一つの単語か?

    国文法は得意なほうだと思っていたのですが、ふと疑問点が浮かびました。 中学校辺りで、「次の文を、単語(※)に分けなさい。」というような問題は、テストに出てくることと思います。 (※:辞書の見出しになる語という意味ではありません。) 「環境破壊の抑止は人間社会における重要課題である。」 においては、 「環境破壊」、「人間社会」、「重要課題」は、それ以上分けずに一単語として扱いますよね? では、 「横綱朝青龍の中日八日目の対戦相手は西前頭三枚目栃乃洋であります。」 という文を単語に区切るときはどうでしょう。 「対戦相手」は一単語として扱うのはわかりますが、 「横綱朝青龍」、「中日八日目」、「西前頭三枚目栃乃洋」 は、それぞれ単語なのでしょうか? それとも、「横綱」、「朝青龍」のように、まだ分ける余地があるのでしょうか? 「悪法“生類憐みの令”は、時の征夷大将軍徳川綱吉のもとで制定された。」 における 「悪法“生類憐みの令”」や「時の征夷大将軍徳川綱吉」については、どうでしょうか?