kimosabe の回答履歴

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  • 国語の文法について

    (動詞の活用) 未然形 -ない -う -よう 例書く:書かない、書こう (形容詞の活用) 連用形 -た -ない -なる 例かわいい:かわいかった 、かわいくない、かわいくなる 未然形と連用形どちらにも(-ない)が入っている 何でか分からないです汗 教えて下さい!!!m(._.)m かわいくないというのは未然形じゃないんですか??

  • Chineseに相当する日本語は?

    現代日本語では、英語でChinaと呼ばれる国を中国、Chineseと呼ばれる人々を中国人と呼ぶ事が一般的と思います。 しかし、かの国の歴史を振り返ると中国と言う国は1949年建国の若い国ですし、その国民である中国人も1949年以前には存在しないわけです。 たとえば、1920年当時の事を話すとき、英語ではChina、Chineseを使ってて、清国と清国人を指し示すことになりますが、日本語では清国と、清国人というふううに言い変える必要があるようです。 そこで質問です。 英語のChineseの様に、中国の国名の変遷を問わず通史的に一貫して使用できる国名、国民名は日本語にあるのでしょうか? なお、英語のChinaに相当する中国語は支那で、日本人でも年配の人は支那と呼びましたが、この言葉が使用禁止になっているために、この言葉と同義の代替用語を探しています。

  • 大鏡(時平と道真)のなかに

    時平が、禁制の華美な服装をしてきたので、帝が立腹して、職事呼んで指示する次の箇所があります。 「職事を召して、「世間の過差の制きびしきころ、左大臣の、一の人といひながら、美麗ことのほかにて参れる、便なきことなり。はやくまかり出づべきよし仰せよ。」と仰せられければ、承る職事は、いかなることにかと恐れ思ひけれど、参りて、わななくわななく、しかしかと申しければ、いみじく驚き、かしこまり承りて、」 この中で「いかなることにか」の「に」について教えて下さい。 この「に」は、格助詞ですか?それとも断定の助動詞ですか? どのように考えるのがいいのか、その根拠とか見分け方を教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 大鏡(時平と道真)のなかに

    時平が、禁制の華美な服装をしてきたので、帝が立腹して、職事呼んで指示する次の箇所があります。 「職事を召して、「世間の過差の制きびしきころ、左大臣の、一の人といひながら、美麗ことのほかにて参れる、便なきことなり。はやくまかり出づべきよし仰せよ。」と仰せられければ、承る職事は、いかなることにかと恐れ思ひけれど、参りて、わななくわななく、しかしかと申しければ、いみじく驚き、かしこまり承りて、」 この中で「いかなることにか」の「に」について教えて下さい。 この「に」は、格助詞ですか?それとも断定の助動詞ですか? どのように考えるのがいいのか、その根拠とか見分け方を教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • どうして回答が来ないのかが知りたくなった。

    7月20日午前8時48分に以下の内容の質問を投稿したのですが、回答が1件も来ません。 *** 【質問タイトル】無意識に浮かび上がる名前と作為体験について 以前、僕が投稿した質問の意味がわからなくて、添削文を本カテゴリでしてもらいました。 それで添削文と自分の中で起きた出来事は合致していると思うのです。 今回は自分の中で起きた出来事を自分の知っている言葉で綴ったものもあります。 僕の中で起きた出来事は以下の内容のものです。 1)電源の付いたテレビ画面をチラ見して、速やかに目をはなそうとしたのに、まるで制限が掛かったように思い通りに出来なかったことが何度かあった。その時放送していたテレビの出演者が、僕のテレビ画面から目をはなそうとするのを阻止しているように感じて、それに抗うように目をはなすと、既知の「テレビのキャスター」という言葉が無意識に、しかも勝手に浮かび上がった。要するに「テレビのキャスター」という言葉は過去にテレビで出演者をそう認識した言葉である。 2)勤務先の喫茶店から帰ってきた直後のことである。パソコンなどの文字を見ていたら、文字が勤務先の利用者さんの顔に見えた。きっと喫茶店で働いた日に見た利用者の顔が頭の中にすっかり焼き付いてしまったのだろう。そして、「ほっとく」「(頭の中に焼き付いているのを)消す」がついた言葉を思い浮かべると、今度は、その利用者さんの名前が無意識にしかも勝手に浮かび上がった。要するにパソコンなどの文字を見て、文字が勤務先の利用者さんの顔に見えたものから、浮かんだ名前だと思う。 3)「どこにも行かない」「4時10分」「あと5分」などの言葉が思い浮かんだ直後に「おい」という幻聴がしたり、近所の飼い犬が実際に吠えたりしたことを感じた。すると直ぐに「どこにも行く」「0時10分」「あとマイナス分」と無意識に、しかも勝手に変換されて浮かんだ感覚があった。直ぐさま言葉は元に戻ったが、今度はそれに逆らおうとする意識が湧き、元の言葉に戻るのを阻止しようとした。その時、僕の小・中学校の時の同級生の名前が無意識に、しかも勝手に浮かび上がった。 4)頭に浮かんだと考えられる言葉がいくつか思い浮かんだり、音楽が再生している時に「おい」と幻聴が聞こえた。そのことがきっかけで頭に言葉がいくつか思い浮かんだり、音楽が再生する機能が中断したような感じがあった。すぐさま、元に戻った感覚があったが、今度はそれに逆らおうとする意識が湧き、元に戻る感覚を阻止しようとした。その時、僕の高校の時の同級生の名前が無意識に、しかも勝手に浮かび上がった。 上記の1)~4)について補足します。 同級生や喫茶店の利用者さん、「テレビのキャスター」という既知の名前、それらの人物名が無意識に、しかも勝手に浮かび上がったということは、自分にとって、まるで何者かに操られたかのように感じられた出来事、即ち“作為体験”だと言えると思います。 (作為体験とは、何者かに自分が操られたように感じることを言います。) 何者かが、あらゆるものに関連づけて人物名を想起させ、自分を操ったように感じられた。 これらは自分が抱える何らかの問題が、症状と結びついて起きたのだと思います。 ここで質問です。 無意識に、しかも勝手に浮かび上がる出来事が、作為体験に繋がったということはありますか? どなたか経験談について詳しくご回答下さい。 (自分と同じように作為体験に既知の人物の名前が関わっていたという内容でも、人物名が関連しないものでも構いません。似たような経験がある方、ご回答よろしくお願いいたします。) *** 要するに僕の中では、自分ではない何かが名前をあらゆるものの何かにくっつけて操ったような感じがしたということが起きたのだと思うのです。 さらに何者かがくっつけた名前の中には、あらゆるものの何かを自分以外の何者かの意のままに勝手に変えたり動かしたりするという意義が込められていたように思ったのです。 最後に質問の意味がわからなくても、わかる範囲で良いので、質問に沿ったご回答をできれば戴けるとありがたいです。 *** 同じような似たような体験をしている方がいないという訳ではないと自分は思うのです。 しかしokwaveでこういう質問をしたら、回答が1件も来なくて不安になりました。 今後も多分okwaveで僕の中で起きた同じ・似た症状を体験した方がいないと思う(質問の意味はだいたいはわかると思う)ので、回答が1件も来ない状態に陥ると思うのです。 でも経験談が知りたい気持ちが僕は強いです。 どなたか、回答が来ない理由などを詳しく教えて下さい。 僕の中で起きた出来事についてはまさに作為体験で何者かに嫌がらせをされたような出来事と言えると思います。 okwaveに質問投稿してすぐに回答が来ないことなどは理解しました。 こういう質問はどこにしたほうが質問に沿った回答が得られると思いますか? どなたかURLを教えて下さると嬉しいのですが・・・ よろしくお願いします!

  • 古典の敬語についての質問です。

    古典の敬語についての質問です。 敬語の区別の仕方がよくわかりません。 動作をする相手、受ける相手・・・・などと説明されたのですが未だに理解できません。 こういう問題の解き方を教えてください。 次の例文から抜き出した敬語が誰から誰への敬意を表すかを答えなさい。 問)) 定頼中納言、たはぶれに小式部内侍に「丹後へつかはしける人は参りにたりや。」と言いいれて・・・ このときの会話文中の「参り」というのが誰から誰の敬意なのかがわかりません。 会話文中なので、話し手から始まるというのはわかるのですが・・・。 わからないことが多いので詳しく説明していただけると大変ありがたいです。 回答お願いいたします。

  • 江戸時代の「ず」の用法

    東海道中膝栗毛の発端の中に「明晩安倍川原におゐて、勝負を決せずとの返事、元来身共も覚悟のまへいかにもと挨拶せし所に、家老中より………」との一文があり、「勝負を決せず」のところに「勝負をしましょう」との頭注があります。(小学館・日本古典文学全集81・東海道中膝栗毛・P29) 私も「勝負をしましょう」の意味だと読んだのですが、エッ?と思い、「ず」をいくつかの辞典で調べたのですが、ちょっとわかりませんでした。 広辞苑に「ず(助動)=むず・うずが転じたもの。「むとす」で意志または推量を表す」との記載があり、「ハイ今朝がけにあいた川だんで、かたくまじやアあぶんない。蓮台でやらずに、おふたりで八百下さいませ」との例文(小学館・日本古典文学全集81・東海道中膝栗毛・P148)が記されているので、「蓮台でやらずに」のところは「蓮台を使って渡りましょう」と読むことになるようです。 この下のwebでは、駿河方言とされています。 http://tokaido.canariya.net/yj-01/hiza-02/24simada.html   頭の中で、なにかしら、「………しようず」で、「………しようと思う」という例があったような感じがしているのですが、はっきり想い出せません。   「ず」を否定ではなく使用する例がありましたら、お教えください。   それがどこかの方言なのか、あるいはある階層にとっては一般的にも使うことがある表現なのかもお教えいただけると幸いです。

  • 本当に現代文ができません。

    こんにちは。理系の大学に通うものです。 受験に失敗した原因である論理力の弱さを克服し、英語でもTOEICで高得点を目指すため、現代文を勉強しているのですが、大学入試の教材「システム現代文」の内容がなかなか理解できません。評論でさえ正解できないし、解説読んでも分からないことがあります。 そこで、中学生用の教材を始めようと思ったのですが、何かお勧めの教材はありますか。

  • (日本語)程度表現がない言葉について

    私は程度表現がない言葉は文脈、状況によって意味合いが変わるという考えを持っています。 具体例として、アンケートなどでよく 1.非常に重要である 2.重要である 3.どちらでもない 4.重要ではない 5.全く重要ではない このような選択肢を見かけますが、私はこの場合の「重要である」や「重要ではない」は「どちらかというと重要であるor重要ではない」という弱い程度を意味していると思います。 反対に、「憲法は重要である!」と言った場合、ここでの「重要である」は「非常に重要である」という強い程度を意味していると思います。 他には、「間違えたところを直す」という文があった場合、この「直す」はただ直すことを意味しているのであってどの程度直すかは不明と考えるのが妥当のように思います。 このように程度表現がない言葉は文脈、状況によって程度を意味したりしなかったり、程度が強かったり弱かったりするのではないでしょうか? 皆さんの考え、意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

  • どういう文章で質問したら回答がつきやすくなるか。

    ★テレビ画面に視線が行った時に起きた出来事である。テレビ画面から目を離したかったのに、離すことができなくなったこと、離す動作が勝手に止まったことがあった。そういう時に自分の意思でテレビから目を離すと「テレビのキャスター」という言葉が勝手に浮かんだ。要するにこういうことは頭の中で起きた出来事だと思う。《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》だと思う。 ★印の文章について、《記憶にあった言葉を使って操られた感じ》を下記の解釈の表現に書き換えててもらいたいのです。   ・被害感情を無くした表現 こういう質問を『心理学』カテゴリに投稿してみたのですが、2時間以上経っても回答が1件も来ない状況でした。 意味不明な部分があるなら、どこが意味不明なのか疑問に思いました。 どのような質問の仕方が回答がつきやすくなるかを教えて下さい!

  • 回答が来なくて腹が立った

    http://okwave.jp/qa/q7981344.html のご質問投稿、回答が昨日から1件も来ないです。 「何通来てるの?」とひらめくことに対し幻聴がしたせいで「マイナス通」と言い聞かされ、それが当たったせいかもしれない。 車の音でokwaveを閲覧する前に来てないと浮かんだのも当たった。 耳をふさぐ寸前だったのに・・・ なぜ来ないか、どういうふうに質問すれば回答がつきやすくなるのかを教えて下さい! 実際は日本、外国、全部なおせない、操れないけどそう感じたと言うことです。 この質問は『国語』カテにずっと残っていてほしいです。

  • 「瞳を自由に動かすのを止められた」を言い換えたい

    以前OKWaveで《眼球の動きを止められた感じがした》および《目の動きを中心に合わせられた感じがした》という表現を書き換えて下さいと質問しました。 要するに「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない表現に書き換えて下さいと質問したということです。 その時、僕はテレビ番組の内容に興味を示してなかったし、テレビ番組から目をはなしたかったりしたのに、目をはなすことができなかったことを書きました。 僕は《眼球の動きを止められた感じがした》、《目の動きを中心に合わせられた感じがした》のは両方ともあったと思うのです。 《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》ということだと思うのです。 別に目が釘付けになったり、凝視していた訳ではありません。 酒に酔って1点を見つめる状態(=目を据える)になった訳でもありません。 要するに何も具体的な対象を見る行為ではない「眼球(=瞳)が動かなくなる」状態、ということが起きていたのです。 まばたきをしたりする動きも止められた感じがあったかと思うのです。 目をパッチリ開けた状態であって、《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》ということだと思うのです。 この場合の書き換え表現ってどうなるのでしょうか? 要は《瞳を自由に動かすのを止められた感じがあった》は文中に「~れる」「~られる」の助動詞が使われていて、これを書き換えてもらいたいのです。 「~れる」「~られる」の助動詞が使われてない言い回しに書き換えてもらいたいし、「~れる」「~られる」の助動詞が使われた別の言い回しも知りたいのです。 できれば複数とか、知る範囲で全部書いていただきたいです。 先月でも同様の質問をしました。 「テレビに映っていたアナウンサーの顔を見て、食い入るようにその画面を見つめていた」訳ではないと思うのです。 要するに勝手に、意に反して起きた出来事なのです。

  • 「鮮きものこそ候はね」の意味は

    鮮(あざらけ)きもの こそ候(そうら)わね と読むと思いますが、どう訳せばよいでしょうか。 文は 「自慢の夏大根引きてまゐらせむ」 と続きます。

  • 「私」と「自分」の違いについて

    日本語の質問です。 「私」と「自分」の違いは何でしょうか? 例えば (1) 私は その本を持っている。 (2) 自分は その本を持っている。 とした場合、(1)と(2)の文では何が違うでしょうか? 日本語に詳しい方、宜しくお願います。

  • 「歩こう」の「う」の品詞とその解説をお願いします。

    あるテキストで、「歩こう」の「う」は活用する付属語(助動詞?)となっていたのですが、本当に助動詞の場合どう活用するのか分かりません。 ご回答よろしくお願いします。

  • 「自分」の用法について

    日本語の質問です。 「自分」という言葉の用法について質問が御座います。 「自分」という言葉は、一人称代名詞や再帰代名詞以外にも 己を客観的に記述する言葉として用いる用法も有りますか? 例えば 「自分は その本の内容を理解している」 という文章があったときに、どうも この「自分」が一人称代名詞には感じられないですし 再帰代名詞としても感じられないというか、語り手が己の状態を客観的に記述するときに、 「自分」という言葉を用いている気がします。 宜しくお願いします。m(__)m

  • 暗号文を作ってほしい

    カテゴリ違いでしたら済みません。 私は現在、携帯小説を書いています。 『何の変哲もない手紙だと思っていたが、 実はその文章には「5年後に来い」というメッセージが隠されていた!』 というストーリー展開をしたいのですが、 私の拙い頭では、文に潜ませると言っても、横読み・ななめ読みくらいしか思いつきません。 その手紙の書き手は、頭が切れる人物という設定なので、 このままでは、とても恥ずかしい内容になってしまいます。 時代は明治20年あたり。 手紙は縦書きで、書き手は初老の男性。 難易度は、読んだその場で隠された言葉を理解できる、 しかし、横読み・ななめ読みよりは頭を使う程度。 伝えたい言葉は「5年後」 以上から文章を作って頂けませんか? 文の長さは長短問いません。 また、文章作成でなくとも、こんな種類の暗号もあるよ!など、 暗号作成のヒントを知っている方は、ぜひとも教えて頂きたいです。 初投稿のため勝手が分からず、 もし何か失礼なことをしていたら申し訳ありません。 どうかよろしくお願いします。

  • 「四つの言葉が次々に・・・」について

    『国語』カテゴリで、回答をもらった後、お礼と補足をしましたが再回答が来なかったので質問を締め切りました。 新たに質問させていただきます。 ★12月19日(水)朝洗濯物を干している間に起きた出来事である。頭の中に「許さんぞ」「ある」「“あ”をなおした」「チャーチル」という言葉が浮かんだ。 ↑の文(=★印の文)に関して、“四つの言葉が次々に思い浮かんだ、とすればいいのでは”という回答を戴いたのですが、満足しません。 それと、僕はここで複数質問です。 【A】「許さんぞ」と言葉が浮かんだ数分後に「ある」と言葉が浮かび、数十秒後に「“あ”をなおした」と言葉が浮かんだ。  そして「“あ”をなおした」と言う言葉が浮かんだ数分後に「チャーチル」という言葉が浮かんだということが起きた。  なので同時および連続で浮かんだとは言えないと思った。 ―――という解釈である場合でも‘四つの言葉が次々に思い浮かんだ”というふうにすれば良いというのは正しいですか? 【B】「四つの言葉が次々に思い浮かんだ」、「四つの言葉が次々に浮かんだ」 ―――それぞれの言葉の意味を教えて下さい。 よろしくお願いします!

  • 「花が好きだ」の主語は

    「花がきれいだ」の主語は「花が」であることに間違いないと思いますが、 同じく、主語+形容動詞の構文である「花が好きだ」の主語は、純粋文法的に考えて「花が」でいいのでしょうか。 国文法の問題ですので、「英訳して考えれば~」の回答は不要です。

  • 短歌で「…とふ」の使い方

    「…という」を略して「…とふ」と使うことがあります。 「…ということらしいよ」というように伝聞を表す時使うと 理解していたのですが単に 「…という」という時にも使われるものでしょうか?