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- 何のために外国語(英語以外)を?
現在22歳の大学院生の男です。 現在英語はCNNなどのニュースを聞いて理解できるくらいはでき、 他の外国語(ドイツ語、スペイン語など)にもちょこちょこと興味は示してきました。 英語に関しては専門柄、英語の論文を読んだり、趣味のチェスの本を読んだり対戦相手とチャットしたり、 そもそも至るところで必要な言葉ですので今も学習は続けられています。 英語学習のモチベーション持続は比較的容易だと思います。 一方、すでに述べたとおり他の外国語にも興味を示すことはあるのですが どうしても興味というかやる気がが2ヶ月ほどで消失してしまい、 2ヶ月ドイツ語やって、次はフランス語やって、次はスペイン語やって、 またドイツ語に戻って・・・というよくわからない状況が続いています。 もちろん4ヶ月ぶりにドイツ語をやり始めても既に昔覚えたことはかなり忘れており、非効率です。 これは単純に英語以外の言語は知らなくてもさしあたって問題はなく、 日本で生きている限りは必要に迫られることもめったにない(半年に2,3回は在るかもしれない程度) であるということが、モチベーションの持続を難しくしているのだと思います。 (私の場合、複数の言語ができる人をとても格好いいと 思う、ということが最も原始的な動機です。もちろん様々な国の文化や歴史も興味はありますが) ここにはいろんな言語をやっていらっしゃる方がいらっしゃいますが、 みなさまはどのようなことに第2、第3外国語を使っていらっしゃいますか? どのように勉強のモチベーションが続いていらっしゃいますか? 個人的な体験談というかお話を聞いてみたいです。 参考にさせてください。 (学生で、またお金もないので「海外行け」というアドバイスは とりあえずなしでお願いいたします。 大人になってお金持ちになれれば趣味が海外旅行というのもいいですが^^) よろしくお願いいたします。
- 私の考えっておかしいですか?
適菜収氏とニーチェの視点から読み解く、 中高年がタブレットを使用するにあたっての注意点。 あなたはB層ですか?] ■今やネットの世界では、 ユーザーが気軽に動画作品を投稿することができるようになりました。 それを閲覧して、 その動画に対してコメントもできるようになりました。 タブレットの普及は、 専門家ではない一般人がつくった政治的な動画や、 大系的な知識を持たない市井の人が書いた政治的なテキストを 一般の人々が目にする機会を格段に増やしました。 それに付随するかのように、 チンピラ学者動画やテキストも同様に日の目を見るようになりました。 宗教、科学、政治、歴史。 しかし、 それらの殆どは、 特定の思想傾向の持ち主の利益や政治的な動機に沿って恣意的に編集されていることに、 皆様はすでにお気付きだと思います。 自分に都合の悪い情報は排除し、 都合の良い情報だけを拾い集めてそれだけで世界が構成された、 漫画やアニメのように分かりやすい世界観。 ■そうです。 言うに及ばず、 はじめにそのようなサブカルチャー的な手法で宗教と歴史を再構築して、 自前の分りやすい世界解釈を打ち出したのはあのオウム真理教でした。 大系的な知識を持たない人間が都合よく政治や歴史や宗教を語り、 それを宣伝しようとすれば必ずそれはサブカルチャー化します。 失礼な物言いで申し訳ありませんが、 最近の中高年の皆様は精神的に疲れていらっしゃるのでしょうか? 堪え性の無さはまるで青臭い若者です。 恣意的に編集された世界観はあまりにも分かりやすく単純なので、 中高年はどんどんそこに転がり落ちて行きます。 ■『民主主義は反知性である』。 (適菜収) 私はあまり評価してはいませんが、 これから保守系哲学研究者の適菜収氏の視点から、 この問題を解いて行きたいと思います。 ■まず、 知性は分かりやすさを求めません。 反知性は分かりやすさを求めます。 大衆は反知性的です。 意地悪く言えば、 物事をちゃんと考えるだけの知性もなければ、 時間をかけて深く考えるだけの堪え性もない愚かな群衆です。 適菜氏は、 そのような反知性的な大衆のことを『B層』と定義付けました。 元々『B層』とは、 電通が郵政民営化の広報企画にあたって 小泉政権の主な支持基盤として想定した、 「具体的なことはよく分からないが、 小泉のキャラクターを支持する層。」 のことを指して使われた定義です。 電通の戦略は見事に当たりました。 体系的な知識を持たず、 その場の雰囲気や空気で物事を決めるB層。 後期高齢者医療制度には反対だけど小泉政権は支持。 それはそのまま、 日本のTPP参加には反対だけど安倍政権は支持する昨今の 有権者と重なります。 繰り返します。 B層は大系的な知識を持ちません。 その行動原理は自意識の快・不快からの反射的な反応であって、 その中心には熟考や原理原則はありません。 もちろん、 B層には右左問わず学者も評論家も大挙として所属しています。 ■その典型例が原発をめぐる対立でしょう。 B層右派は左派が脱原発だから原発推進を主張し、 B層左派は右派が原発推進だから脱原発を主張しているだけです。 このアンチ主義こそが反知性の最たるものです。 (被災者の生活は置いていかれている。) 残念ながら、 昨今の日本国内での右派と左派の対立や、 それに加えて日本と近隣諸国での政治的、 歴史的対立の多くはB層同士のアンチ主義的対立に過ぎません。 政治家までもが堪え性のない無責任な大衆であるB層に迎合してしまっているのが現状です。 ■適菜氏は、 このような反知性的な薄っぺらなラディカリズムを 痛烈に批判しています。 もちろん、 その批判は右派にも左派にも向けられています。 なぜなら、 B層とは思想的なベクトル(方向)のことを指すのではなく、 知的態度のレベルを指す概念だからです。 もっとわかりやすく言えば、 何を支持するのかではなくどう支持するのか。 それが重要だということです。 ■適菜氏がよく引用する哲学者ニーチェは、 人間として弱い故にルサンチマン(怨嗟)にかられた弱者が、 他者を蔑むことによって自尊心を調達する恥ずべき精神構造を見抜いていました。 もちろん、 ニーチェが理想とした『超人』はそのような弱さとは無縁です。 ナチスはニーチェの超人思想をゲルマン民族の理想の到達点のように掲げましたが、 一次大戦で疲弊しきって自尊心を失っていたドイツ国民が、 ユダヤ人を差別し虐殺することでその自尊心を回復していった その過程こそがニーチェが批判したルサンチマン中心の社会構造の顕現化であり、 その彼らこそがニーチェの定義するところの弱者の群れである『畜群』であったという顛末は、 皮肉の効き過ぎた何とも言えない笑えないものでした。 ■今までの流れを踏まえてまとめますと、 B層を、 『ルサンチマン(怨嗟)を解消するために安易に過激化した、 大系的な知識を持たない弱者の群れ』 であると定義できるでしょう。 B層にとって手間暇がかかる知性などは面倒なものでしかなく、 必要なのはコンビニエンスに憂さ晴らしができる手段と、 漫画のように分かりやすい世界観と、 自尊心を調達するために必要な蔑む対象だけなのです。 ■さて、 あなたはB層でしょうか? すでにB層の若者に洗脳されてしまっていますか? ■産経新聞でも朝日新聞でも読売新聞でも毎日新聞でも、 それぞれに公正になりきれない領域があります。 その領域こそがそれぞれの新聞の特色なのです。 もちろん、 それは適菜氏にもありますし僕にもあります。 新聞を読むにあたっては、 それぞれの新聞社の公正になりきれない領域さえ知っていれば、 どの新聞を読んでもそれを差っ引いて純粋に情報だけを入手できます。 初歩的な情報リテラシーです。 しかし、 B層によってつくられた動画や書かれたテキストには、 そのようなリテラシーさえも無駄に終わります。 なぜなら、 そこには何もないからです。 あるのは都合の良い知識の継ぎはぎだけで成立した、 単純で分かりやすい漫画のような世界観だけなのです。 ■もし、 あなたが右派で、 最近江藤淳のことを左に思えてきているのなら、 それはあなたがB層右派になってしまっているからです。 もし、 あなたが左派で、 最近吉本隆明のことを右に思えてきているのなら、 それはあたながB層左派になってしまっているからです。 もちろん彼らの思想のすべてが正しいなんてことはあり得ませんが、 彼らの立ち位置は中心からまったく動いていません。 江藤と吉本の対談が面白いのは、 彼らはお互いの主張が相容れなくても対話が成立する 『共通前提』を共有しているからです。 共有された大系的な『知識の公共圏』。 この時代の知識人は、 右翼でも知識の上ではマルクス主義に精通していて、 同じように左翼でも天皇制に精通しているものでした。 ■それに引き換え、 B層は右左問わず体系的な知識を持っていないので、 お互い対話が成立せずに罵り合うことしかできません。 彼らには知的な『共通前提』がないのです。 米国のB層である米キリスト教右派とイスラム圏のB層であるイスラム原理主義者の間に 対話が成立しないのとまったく同じ構造です。 ■中道は地道に獲得された知識と、 積み重ねられた生活から見出された『共通前提』を大切にします。 右派と左派の中にそれぞれの中道があるのではありません。 中道の中に中道右派と中道左派があるのです。 ■確かにB層がつくる政治観や歴史観は分かりやすく過激で面白い。 しかし、 私達は是非と好き嫌いを混同することが許せない成熟した大人であります。 好きだから正しい。 嫌いだから間違っている。 そんな恥知らずな態度は取りません。 B層が導く、 もしくはB層に迎合した政治など、 右に振れようが左に振れようがろくなものではないことは 歴史が証明しています。 今や政治家までもがB層に転落しはじめています。 残念ながら現状のままでのネット選挙はその大きなきっかけとなるでしょう。 単純で都合の良い解決策を求めない事。 単純で都合の良い歴史観を求めない事。 単純で都合の良い世界観を求めない事。 ■世界は複雑怪奇で不条理です。 それを逃げずにありのままに引き受けて真ん中でもって思考し続ける事。 それがB層に落ちない唯一の方法でしょう。
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- mekongelta
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- なぜ「先生」はあんなにも多忙なのか
まず自分は教職員とは全く無縁です。なので、非常 に素朴な疑問として受け取って頂ければ幸いです。 よく報道などでは学校教師の体たらくについて、 嘆かわしい事例が山のように出てきますが、実際の 教職員の知り合いは、皆、給料に比して考えれば 常軌を逸した多忙ぶりです。七時出勤し二十四時 帰宅が当たり前の日々で、公務員の中ではかなり 過酷な労働内容だと思います。 で、話を聞く限りでは、生徒に対する授業やケア 、部活などは業務の半分くらいで、後は県や市の 教育委員会への提出物や先生間の勉強会等に忙殺 されているといった感じでした。 そこで、詳しい方にお伺いしたいのですが、 1)自分の知り合いだけが忙しいのか。 もし違うとすれば、何故日本の教職員はこうも 忙しいのか。 2)1)の最初の質問が妥当する場合、国際比較を 踏まえた時、日本の教職員だけが突出して忙しい のか、それとも違うのか。 2)’この問題で良く巷間に流布している、日教組に 対する思想的封鎖戦術の為に多忙になったという 指摘は、専門的立場から見た場合に支持され得る のか、それともただの言説なのか。 3)現在の忙しさが突出していて、でもしか時代の 業務は楽だったのか。それとも教職員の実務は 戦後一貫してこのレベルの業務量があったのか。 4)学級崩壊(学級統治の崩壊)に直面した場合の 対処法として、実務レベルと文部省レベルで、 どうしてああも見解が違うのか。自分が学級崩壊 に直面した場合に如何なる対処をとるのか。 1)~3)はなるべくなら、ある程度、現実分析や 歴史分析を踏まえた回答があれば嬉しく思います。 4)は直感的なものなので、回答も直感的にして頂い て結構ですし、無縁な方でもよろしくどうぞ。
- 大晦日、お正月の神社のお参り
大晦日、お正月のお参りについてです。 少しややこしい質問かもしれませんが。。。 私は横浜市に住んでいる者です。 31日の大晦日ないし1月1日のお正月は横浜市に残るのですが 2日に実家のある三重県に帰ります。 そして、少し先になりますが2月の半ばに横浜を出て神奈川県外に引っ越します。 実家に住んでいた時は、大晦日は毎年の習慣として神社まで行きお賽銭をして お参りをしていました。 以上、この場合なのですが・・・・ 大晦日の夜か元旦に(大晦日の深夜に行こうとおもっています) 今いる横浜の地元の神社でお参りをした場合 実家に帰ってから地元の神社にお参りはしなくてもいいのでしょうか? または、してもしなくても神道の決まりのうえで問題ないのでしょうか? また、横浜市内の神社に行く場合ですが今住んでいる自宅からなるべく近い神社 (住んでいる区内)に行くのが通常の決まりでしょうか?区外ではダメ? 区内と近隣区だけでおそらく、7~8カ所はあるとおもいます。 どの神社に行けばいいのかわかりません。 (泉、旭、瀬谷など西部の区の真ん中辺に住んでいます) 私は子供の頃から成人してからもお正月のこの神道の行事には、 行ったり行かなかったりしていたのですが、最近は考え方が変わって来て やはり毎年行かなければ日本人として何か空虚な物足りない、日本人としての証明のような そんな心境になるので行くようにしています。 氏神様=地元の守り神ですか?には親に連れられて行っていました。 実家に居た頃は親が何となく行くから近所の人も集って行くから程度で、関心もあまりなかったです。 神道や宗教の決まり、歴史のことはほとんどわかりませんが 以上のことを踏まえて大晦日~三が日のお参りについて ご存じの方ご意見お願い致します。
- これは脈アリなのですか・・・?
韓国へ行った時に、泊まらせてもらっていた学生時代にとても仲の良かった友達の弟から、SNSでの友達申請が来て、それから1日に1通程ウェブメールをしています。 彼は私よりも一つ上で、軍隊にいます。 泊まりに行った時のことをその友達の(彼の)お母さんから聞いたらしく、 「母が○○のことを可愛いって言ってたよ。」とか、 話の流れで結婚の話になった時に、 「○○が母さんと会ってから、ずっと日本の人と結婚しろって言ってるよ(笑) 僕もそれでいいと思ってるし(笑)」 と言われました。 正直にとても嬉しかったのですが、これは駆け引きというものですか? たまに2週間くらいぱったりと連絡が無い日もあります。 (軍隊ということもあるでしょうが、実際にその間に記事を書いて更新していたりします。) 私自身の気持ちとしては、話をしていて楽しいし、仕事の休憩中にいつもだいたい決まった時間に来る彼からのメールを期待している自分にも気が付きます。 除隊後に会いたいな、とかも思います。 ちなみに彼は日本に留学していた時に、その親友も交えて挨拶をしたくらいしか面識はありません。 こんなことを言う心理が全く分からないのですが、彼はただの世間話のような感じで話したのですかね? 私の思い上がりでしょうか? 正直、彼の除隊は来年の夏頃なので今すぐどうこう出来る話ではありません。 しかし、彼も私に少しは好意を持ってくれているのですか? それとも、いわゆる駆け引きで、私の出方を待っているのでしょうか? その場合、どんな対応をすれば良いのでしょうか?(返事の言葉など) 親友の弟というのも引っかかります。 まとまらない文で申し訳ないですが、客観的な意見が欲しいです。 嫌韓の方や、歴史上の問題等の意見は申し訳ありませんが、お断りします。 よろしくお願いいたします。
- 宗教についての考え方(複数です)
先日学校で習ったことで、不思議に思ったことが何点かあったので教えてください。 ・ユダヤ教やイスラム教徒の科学者や歴史研究者などでも、 本当に神様が人を作り、 最後はメシアによって救済されると 思っているのでしょうか? 科学者などには宗教を信じている人がいないとも思えないの ですが。。。 ・例えば核爆弾などによって、「終わり」を迎えることの出来る 絶対的な力を持った気になるというようなことだそうですが、 その宗教以外の人(例えば無宗教な 日本人)が発明したものに 対しても、自分たちの宗教の力に結びつけたりするのでしょうか? また、そのときどんな都合のいい考え方により、そう思えるの でしょうか? ・キリスト教といえばキリストの張り付けられた十字架を思い浮かべる のですが、どうして キリストの復活を信じていたくせに、いつまでも 貼り付けっぱなしなのでしょうか? エジプトのミイラみたいに、どうして十字架から下ろして傷の手当てを し、キレイに大切に しないのでしょうか?苦しんだままの格好を 象徴にするのでしょうか? ・そもそもなぜ宗教に入信するのでしょうか? 貧しい国で神に祈るしかもうどうしようもないっていう発展途上国の 女性をテレビで見ましたが、それは何となく分かる気がしました。 一方で、神様なんていない、夢もないと言っている別の発展途上国の 少女も見ました。 (幼い頃から家族を支えるためにごみ拾いをしていました) 現在の日本のように恵まれた条件で生きていくのに、どうして宗教に はまるのでしょうか? (心の隙をつく新興宗教ではなく、キリスト教等のような古くから ある宗教です) 宗教を信じている方を馬鹿にしているとかではなく、純粋に疑問に 思いました。 周りに熱心に何かを信じている人がいないので、教えてください。
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- 【「パッチギ」は日本で朝流(北朝鮮)ブームを起せるのか?】
朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報を読んでいると「パッチギ」の井筒監督が出ていた。 「各分野で活躍する在日同胞たち」の1人として紹介されていた。 すなわち「井筒和幸」の実体は、在日朝鮮人として紹介されていた。 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/01/0501j0915-00001.htm 井筒和幸は映画『東方見聞録』の撮影中に、俳優・林健太郎氏(当時21歳)が死亡事件を起している。 このとき多額の慰謝料債務を背負い、映画監督としての道をも閉ざされかけていた井筒に手を差し伸べたのが、『シネカノン代表の李鳳宇』である。 李鳳宇の父親は朝鮮総連幹部であるため、これを契機に井筒と朝鮮総連との間に深い関わりや、「在日同胞」としてあった絆が深まった言われている。 朝鮮総連といえば、金正日政権の下部組織であり、対日工作機関の役割りを持つ集団である。 そんな集団に関係を持つ井筒であるならば、反日映画の製作を監督を務めても何ら不自然でもない。 また、井筒は在日韓国系の雑誌「民潭」で「パッチギ」について、次のように述べている。 『高校時代、ウリナラの意味を祖国だと教え、その場所に自分たちが息づいていると語ってくれる教師がたくさんいた』 『幼いころから在日との交流もあったというこの土地で歴史感覚を育て、多様な価値観を培っていった』と記しているが、 井筒の正体が「在日」と判れば、これらの論旨は、井筒を偽日本人に偽装していると認識出来る。 http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=6321 李鳳宇自身が、『総連幹部から韓流(韓国)ブームのように、朝流(北朝鮮)ブームはできないか?』と相談を受け、井筒と「パッチギ」を製作したと言っていますが、 「パッチギ」は日本で朝流(北朝鮮)ブームを起せると思いますか?
- 日本の経済を支えているのは女性である
皆さんは、このタイトルを見てどう思いましたか? そんなバカな、と思った人も多いと思いますが、どうしてなのかを説明させてもらいます。 ちなみに僕は素人です。 販売管理については、歴史的に次のように変わってきたといわれています。 1)生産指向 とにかく生産するのだ。生産すれば必ず売れるのだから。 これは、物がない時代の話ですね。 2)販売指向 売れ残るだけ作られているのだから、とにかく売りまくれ。 生産指向に対する反省により生まれたことですが、無理をさせる傾向があったようです。 3)マーケティング指向 売れるものが何かを考えて、作ることをしなければならない。 販売指向に対する反省より生まれたことです。 こう考えると、経済を考える場合、今までは生産側で見ていましたが、消費側で考える必要がある、となるのです。 日本ではGDPを消費で見た場合、統計では個人消費が6割で、企業投資と政府支出が残り半分ずつです。その個人消費を男女別で見た場合(こんな統計はないのですが)、女性が8割(それ以上という人もあります)を占めています。そう、「男は生産、女は消費」の経済構造なのです。 昔に、「21世紀は女性の世紀」という本がでましたが、その通りですね。 それ故、日本経済を伸ばすには、女性に消費してもらわなければならない、となるのですが、女性に対する商売はむずかしいそうです。 (なにしろ「女ごころの経済学」なんて本が出ているくらいですから) 女性(特にOLや女子大生)の消費で大きなウェイトを占めるのが、おしゃれでしょう。 男性の消費というと、どうしても飲む・打つ・買うの方にいってしまう傾向がある(これでは消費でなく浪費ですね)のに対し、おしゃれは文化にも結び付くものだと思います。 そこで、僕は女性には、(女性ならば、本来一番したいことでしょう) 「思い切りおしゃれをして、美人になってほしい」 と思います。 皆さんはこの考えをどう思いますか?
- 初めましてばしこといいます。高校一年生からジムに入ってk-1で活躍出来
初めましてばしこといいます。高校一年生からジムに入ってk-1で活躍出来るような選手になることは可能でしょうか??私は中学生のころサッカーをしていたので体力と蹴りと体の強さには自信があります。私の友人はアパレルショップを経営していて私はそのアパレルショップを有名にすると約束しました、だからまずは私が有名な人にならないとだめなんです!! それに私はサラリーマンの生き方を否定するわけではありませんが、サラリーマンみたいに普通の人生を送るのではなくたくさんの人に尊敬されて歴史に残るようなすごい人に成りたいんです、それに私はk-1が大好きです、辛い練習にも耐えます! 話が変わりますが、私は最初サッカーで日本代表になる事が夢で今の高校に入学してサッカー部に入りました、でも私はサッカー部の中で一番下手でした。私よりもっともっと上手い選手が同級生にいるのに同じ練習をしていってもその人を超えられないし私は日本代表にはなれないと思いました、なにより私はサッカーをやり始めるのが遅すぎたのかと思いますだから、私は誰よりもサッカーを練習しようと考え高校を中退しようと思いましたが、入学金なども払っていますし親にも迷惑をかけているのでそれはあきらめました。そこで私が好きなものは何かと考えたときにすぐ頭に思いついたのがk-1でした。ボクシングですが内藤大助さんは、高校卒業後からボクシングをはじめ世界制覇をしたと聞き私も本気で頑張ればk-1で活躍できる人になれるかもと思い今回質問しました。 やる気はあります!本当に夢を叶えたいです!長くなりましたが回答よろしくお願いいたします!!
- 「男らしさ」「女らしさ」は贅沢ではないか?と思う
「男らしさ」「女らしさ」のような固定的性別役割分担は一種の贅沢では?と感じますがどうですか? 最近では古代の大型動物の狩りには女性も結構な割合が参加していたらしいという研究もでましたし、専業主婦が増えたのは大正時代?とか戦後に定着したとかも良く聞く話です。 育児についても人類は長らく父親や母親など関係なく地域で子育てしてました。 こう考えると「男らしさ」「女らしさ」は社会制度が整備されたり経済が豊かになったから出来るというある意味では人類にとって贅沢な生活スタイルと考えることは出来ないでしょうか? 逆に考えて昔の貧しい人はそうではなかったと推測はできないでしょうか? 外で稼ぐのは男性の甲斐性だの力仕事は男性がやるべきだの、女性は家を守り家事育児をするだのとそんな事は昔の人ほど言っていられなかった、男とか女とか関係なくできる人がやるしかなかった、男女で役割分担をする余裕なんて殆どなかった、そのような推定は出来ませんか? もちろん固定的性別役割分担を肯定するわけではありませんし合理的だとも思いません ここで逆に考えると個人の適性を無視した不効率的なものが固定的性別役割分担と仮定すると逆に言って、「男はこれ、女はこれ」という発想がある程度の社会的な安定を前提にしている、すなわち人類の歴史を遡るほど男女の役割分担は行うことが難しくなる・・・ というような推定は出来ないでしょうか? 現実に日本社会では専業主婦が減っています。 これは女性の社会進出やジェンダー平等政策の影響と考えることも出来ると思いますが 日本社会での所得が減ったためまた昔のような夫婦共働きが復権してきたという発想も可能ではありませんか?
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- noname#260648
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- 日独伊三国軍事同盟の締結日について
日独伊三国軍事同盟は1940年9月27日締結されました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4#9%E6%9C%88 しかし、ネット上にはウィキペディアを含め 1940年9月20日説が多くあります。 https://search.auone.jp/?q=%22%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%90%8C%E7%9B%9F%22+%229%E6%9C%8820%E6%97%A5%22&client=kddi-auone&sr=0101&ie=UTF-8 これだけあればきっと何かの理由があるのだと思いますが、 的を得た説明が見つかりません。 自分では、1940年9月19日日本の御前会議で天皇の承認が得られた翌日ですので、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F#%E5%90%8C%E7%9B%9F%E7%B7%A0%E7%B5%90 何か実質的なやりとりがあったのではないかと類推しています。 外交では文書の交換(調印)と効力の発生が異なることはよくあります。 実は、1940年9月21日は、「東京五輪」開催予定日で、 https://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF#%E5%AE%9F%E6%96%BD%E4%BA%88%E5%AE%9A%E7%AB%B6%E6%8A%80 1940年9月20日は麻生太郎の誕生日です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E ここらも何かの関係を感じます。 いずれにしても歴史的に重要な事案です。 わかりやすい説明をよろしくお願いします。
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- dester2015
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- 最も優秀な人種は白人ではないですか?
白人は他の人種より優秀だと思うのですが、皆さんはどう思いますか? 私は父が日本人で母がイングランド人なので、白人の血が入っています。 なので自慢といえば自慢になってしまうかもしれませんが、普通に考えて白人は優秀ではないかと思います。 理由は以下で。 1.容姿 長身で手脚が長く彫りの深い顔に金髪の容姿が洗練されて見えて美しいと思います。 レオナルド・ディカプリオとビョルン・アンドレセンのようなハンサムは白人にしか生まれないのではと思います。 世界の王室の王子も白人は美しいですよね。 イギリス王室は世界中で人気があって常に注目されています。 モナコのアンドレア王子はテレビで紹介された程の美男子です。 容姿が美しいのもDNAが優れていると思うから優秀な要素だと思います。 白人の俳優が主演のハリウッド映画や白人の歌手やバンドが言語の壁を越えて世界中で注目されて人気があるのも白人は美しいからこそと言えます。 白人の見た目が最も人類として理想なビジュアルだと思います。 2.言語 白人の言語は世界中に広まっていますよね。 中南米の大半の国はスペイン語が公用語でアフリカの大半の国はフランス語が公用語でブラジルはポルトガル語の国で英語は共通言語で世界中で使われています。 ドイツ語も上記の言語と比べたら規模が小さいけど、本国以外ではオーストリア、スイス、ルクセンブルクなど、同じヨーロッパですが、複数の国で使われてますよね。 さらに白人の言語である英語もフランス語もスペイン語もイタリア語もドイツ語など大半の言語の文はアルファベットで構造されるという共通点があります。 しかしアジアの言語である日本語や中国語や韓国語を話すのはアジアだけで、本国以外話す国は他にないですよね。 同じく漢字や平仮名やハングルなんて日本語と中国語と韓国語ぐらいしか使われていない。 3.文明 TV、映画、レーダー、インターネット、車、飛行機、原子爆弾、電話、ラジオ、電気、医学、蓄音機、憲法や三権分立の概念、宇宙開発、アルファベット。 これらは全て白人が生み出した物です。 それでも僕が知っている程度でこんなのは氷山の一角。 まだまだキリがないほどあるでしょう。 歴史に残るような作曲家、小説家、科学者は白人が多い。 小説はアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、ジョン・スタインベックなど。 作曲家はモーツァルト、ベートーヴェン、バッハ、ショパン、チャイコフスキーなど。 科学者はアインシュタイン、オッペンハイマー、ノーベルなど。 ノーベル賞の創始者だって白人のアルフレッド・ノーベルで科学も医療も小説も音楽もどの分野でも最先端は白人が築いた物。 スポーツだってほとんどの競技は白人が開発した物が多いですよね。 そのスポーツだって優秀でオリンピックは毎回、欧米諸国が金メダルを占めている事実。 アメリカ、ロシア、オーストラリア、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなど欧米が毎回メダルを独占。 野球、サッカー、テニス、F1、競泳、ボクシング、プロレス、アメフトのQBなど。 これらは白人が別格の強さを見せていますよね。 椅子に座って、テーブルで食事して、コーヒーを飲んで、スーツを着て仕事するという生活スタイルだって西洋が発祥。 多くの有色人種の国々はこういった西洋の習慣を真似ているのが現状。 4.国力 先進国の大半は欧米諸国が占めていますよね。 G8に至っては日本以外欧米諸国です。 一人あたりのGDPが世界一のルクセンブルクはドイツ人が住む国です。 北欧は福祉が盛んで住みやすい国ランキングでトップに君臨していますよね。 以上の事を考えると白人は美しく頭も優れていて体も丈夫で強いとすべての面で優れていると思います。
- 【中国経済は2008年の北京五輪で終わる。独裁政権は経済が破綻し、社会が混乱したとき必ず軍事的冒険主義に出る。】
『石原都知事がNYで講演 アメリカが責任果たさぬなら核保有も』 訪米中の石原慎太郎都知事は17日、ニューヨーク市内で今後の日米関係と対中国政策について講演し、日本の有事に際し米国が日米安保条約に基づいた責任を果たさない場合「日本は自分で自分を守る努力をする。 米国が懸念している核保有につながるかもしれない」と明言した。 石原知事は「米国にとって日本の存在感が軽いものになっている」と指摘し、「日米両国の将来は中国をどう認識して評価するかが重要だ」と対中政策がカギを握ると強調した。 そのうえで「中国の経済は2008年の北京五輪までしか持たないとの見解で英エコノミスト誌の編集長と一致した」と述べ、 「独裁政権は経済が破綻し、社会が混乱したとき必ず軍事的冒険主義に出てくる。 それは台湾や尖閣諸島に向けられるかもしれない」と予測。 尖閣諸島有事の際に「米国が日米安保の元でどれだけ責任を持つかきわめて疑問だ」と不信感を示した。 (産経新聞)http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070518/usa070518006.htm 中国共産党による発展途上国を含む石油外交のすさまじさが、「五輪破綻」の予兆の1つといえます。 中国共産党の無謀かつ無計画性と、将来、ポッカリ空くであろう国策の「穴」を何で補おうとしているのか? その「答え」は、中国共産党の歴史から容易に推測できます。 中国共産党は背伸びに、また背伸びを繰り返していますが、メッキはいつか剥がれ、虚飾は破綻を招く。 その臨界点が北京五輪とする石原氏と英エコノミスト誌の編集長の指摘は的を得ているのでしょうか? 欧米の投資家は中国に見切りをつけて、南アフリカなどに投資の標的を移行しているようですね。 ブラジルにもアメリカの資源開発の手が伸びています。 ブラジルは将来にわたって、新エネルギーの産油国になる可能性を内包しています。 その後の2010年の上海万博までは、破綻を繕いながら、何とか「中国」の現体制の維持に努めるでしょうが、問題は、その後です。 中国共産党の軍事侵攻は起こるのでしょうか? その時に、国力を消耗したアメリカが、台湾・尖閣諸島に援軍を出せるのでしょうか? 尖閣諸島・沖縄戦争の際に、アメリカは日米安保の元で、どれだけ責任を持つのでしょうか?
- 真相を探るにはどうしたらいい、テレビは役に立たない
私は日本に報道の自由などないと思っています。 私は80年代頃に働いていた会社の社長が台湾人だった事もあり、台湾に興味を持つようになりました。 そんなある日私は、ある人から台湾人の原爆被爆者の話を聞いたのをきっかけに、その人達に関する事を調べようと思いたち、大型書店や古本屋街などを回り、文献、資料を探し続けました。 しかしどこを探しても台湾人被爆者に関する文献がまったくなかったのです。 その当時は、NHKを始め民放テレビ局、新聞媒体などは、コリアンの原爆被爆者の事を盛んに取り上げ社会問題化させていて、よく元野球選手の張本勲さんなどの被爆体験なども紹介したりもしていました。 私は、そのようなメディアの報道姿勢を見ていて、『どうしてコリアンの被爆者ばかりを取り上げるのか?』、『なぜ台湾人被爆者を無視、そして差別するのか?』などと感じ、メディアに対して不信感ばかりが募るようになりました。 その一方で、本当は台湾人被爆者なんていないのかな、などの思いも頭を過りました。 その後は、インターネットが普及するようになり、検索などをして調べたりもしたのですが、台湾人被爆者に関する資料などは一切見つけられませんでした。 そして最近の事、新聞の新刊本紹介の欄に西日本新聞社が出版した本で台湾人被爆者問題を取り上げた本がある事を知り、私は早速Amazonで本の事を調べ、そして厚生労働省のホームページなどもチェックする事で、台湾人被爆者の人達が実際に存在し、今でも何人かの方は生きておられる事を知りました。 その資料を見つけた時私は、『ほーら、やっぱり台湾人被爆者はいたんだ。メディアはずっとこの事実を隠していたんだ。』などと思ったのでした。 事情通のみなさん、メディアが報道した事実の真偽を確かめる事は出来るかもしれませんが、事実そのものを隠されてしまったら国民は知りようがありません。 メディアが隠した歴史的事実を知る方法などはあるのでしょうか? 私はあれ以来日本のメディアが、「昔、韓国、朝鮮で、」などと言い出したら、台湾にも同様な事があるのにメディアは隠しているのではと嗅ぎまわるようになりました。
- 日本維新の会とは別に第3極の結集を目指す新党の動き
日本維新の会とは別に「第3極」勢力の結集を目指し、滋賀県の嘉田知事を中心に、新党結成を模索していることがわかりました。26日午後5時半ごろ、嘉田知事は 「3.11以降、初めての国政選挙です。それだけに私は大変、この国での原子力の政策議論、そして国民が参加した国民的議論に期待をしております。また、維新の会と太陽の党合併後、橋下氏の脱原発のトーンが若干後退したように見え、このことが今回の動きの背景に無いとは言えません」と述べました。 国民の生活が第一の小沢代表は 「新しい党をつくられて、そしてもし仮に呼びかけがあれば、その政策・主張を検討して、そのうえで対応を決めていくということで」と言っていますし、党所属の立候補予定者に対し、現時点での選挙用ポスターなどの印刷を中断するよう指示しており、党名変更などを見据えた動きも見せています。 嘉田知事は27日、あらためて会見を行うことになっていますが、こうした中、日本維新の会の松井幹事長は、衆院選出馬を要請していた東国原前宮崎県知事について、 「前向きな返事をもらった」と話しました。多くの党が入り乱れ、しのぎを削る師走選挙、その動きは、さらに加速度を増しているようです。 これまで一度も負けたことの無い橋下維新の会が、太陽の党といった、ちっぽけな勢力を取り込むことによって初の敗北ともなりかねないほど劣勢に立っています。これひとえに、石原慎太郎を買いかぶりすぎたからだとも思え、日本の構造改革が、また一歩遠のいたかのようにも見えます。 最後の大物(石原慎太郎)しかし思い起こせば彼の政治家人生は負けの歴史で、他の自民党政治家と一線を隔する部分は見当たらず、青島幸男が都知事選に立候補しないと聞いて初めて名乗りをあげて当選した人ですし、今回も勝ちに行くなら、橋下徹と大阪市民を説得して橋下擁立を目指すべきだったはずですし、ドッコイセと椅子に座ったのはよろしいとして、その後の短い選挙準備期間に何ら国民に対するメッセージは無く、ただただ、国民を迷子にさせる方向にへと向かわせているように思います。 維新の会が攻勢に転じれる方法を、どなたか教えてください。
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- angel25gt
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- 12月の年中行事は以下のほかに何がありますか?
以前11月の年中行事について質問したのですが(http://okwave.jp/qa/q8766464.html)、 今回は12月の年中行事について質問いたします。 まず、12月の記念日や年中行事を思いつくままに書いてみたらこうなりました。 〔汎世界的なもの〕 1日:世界エイズデー 10日:国際人権デー 13日:聖ルチア祭 20日頃:冬至 24日~26日:クリスマス関連(イブ、クリスマス、ボクシングデー) 31日:大晦日 〔日本のもの〕 8日:針供養(地域による) 23日:天皇誕生日 11月に比べて12月の年中行事は少ないように思えます。目立つのはクリスマスくらい。 大晦日だって、あれはお正月イブと言うべきものであって、12月のイベントというよりは1月のイベントを先取りしたものと言ってもよいくらいでしょう。 実際に12月には行事が少ないのか、それとも私が知らない年中行事がまだたくさんあるのかは分かりません。 上記のもののほかに12月には世界各地でどんな記念日や年中行事があるでしょうか。 なお、http://okwave.jp/qa/q8766464.htmlと同様に、いくつかの条件を付けます。 ・日本にこだわらず(というよりむしろ日本はシカトしてほしい)世界各地の記念日や行事を紹介してほしい。 ・太陽暦の12月に行われる。宗教上の暦や現地の暦法において12月以外の月に開催されるものであっても、太陽暦で12月であればよい。 ・毎年の12月に開催されており、今後もその予定である。 ・「世界の広範な地域にわたって祝われたり認知されたりしている」「一都市または一部地域でのみの開催だが、世界に報道されるなどして知名度が高いとみなされる」のいずれかである。 ・歴史的・宗教的・文化的・自然科学的な意義や理由があっての上で12月に開催されているものであり、ダジャレや掛詞で定められたものや、商品の販促のために設置されたようなものは除く。 ・11月の年中行事について質問したとき、「ユネスコ憲章記念日」や「ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日」なども11月の行事であるにもかかわらず、どなたも答えてくれませんでした(あとから自分で調べてその存在に気づきました)。今回の質問ではこのような記念日や行事についてのご回答もあることを期待しております。
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- 炭素固定技術(CCS)は温暖化対策に有効か?
過去80万年間、大気中のCO2濃度は180~300ppm間で変動しており、特に、過去1万年間は260~280ppmで、ほぼ一定の濃度でした。この極めて安定した気候の恵まれ、人類は永永と歴史を刻んできました。 ところが、160年前頃から化石燃料を大量に消費するようになると、CO2濃度は、急激に上昇しだして、2012年には393ppm(温室効果ガス濃度430ppm、CO2の10%増)に達しました。 しかも、現在の温室効果ガス濃度は年間2.2ppmで増加中なので、あと10年足らずで「2.0℃以下」の条件である450ppmをオーバーしてしまいます。 それで、IPCC第5次評価報告書では、すぐにはできないが、今世紀後半にはオーバした分を人為的に回収して450ppmに戻すとしています。 しかし、現在世界で年間318億トン(2011年、日本は3.7%)排出しているCO2を回収するには、日本だけでも、1年分で東京ドーム130杯分の炭素貯蔵施設が必要になります。 (計算根拠:CO2の炭素換算0.273、炭素比重2.0トン/m3、東京ドーム124万m3) 原発事故以来、日本人は「数万年に一度活動する可能性がある活断層が明日動くかもしれない」と危惧して原発の稼動を遅らせる一方、一刻の余裕もない「気候変動」には目をつぶり、年間3兆円もの化石燃料を輸入して、近い将来回収しなければならないCO2を12億800トン(※)も多く排出しました。 (※:2010年度からの2年間の増加分) IPCC第2作業部会報告書(報道発表資料・2014.3.31・文部科学省・経済産業省・気象庁・環境省)には、「3℃以上の気温上昇で氷床の消失による大規模で不可逆的な海面上昇の可能性がある」 として約7.0mの海面上昇を予測しており、今を生きる私たちには、地球温暖化、原発、地震、経済等のあらゆるリスクを網羅して検討し、総合的視野に立った最善の政策判断が求められています。 しかし、南米やシベリアの森林も大量伐採が進んでいますし、人類もエネルギーを渇望する欲望はますます加速し、温暖化は嘘だという悪質なデマも足を引っ張るので温暖化対策はなかなか効果が上がりません。 それで、現在切り札と考えられている火力発電所などの発生源でCO2を固形化して排出を抑える技術ですが、上記のように簡単に試算してもかなり問題があるように思いますが、いかがでしょうか。
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- 「負けの美学」は人間が持つ概念として誤りではないのでしょうか?
「負けの美学」は人間が持つ概念として誤りではないのでしょうか? 「負けの美学」という言葉について、長文でうまくまとめきれていないのですがもやもやしているので質問させて下さい。 カテゴリー「哲学」「国語」に質問すべきような内容の質問なのですが、歴史カテゴリーに質問したのは、過去事例から本質を探れるかと思った為です。どなたかご意見頂ける方がいらっしゃいましたらご教授頂きたく、宜しくお願い申し上げます。 負けの美学なるものがどうして存在するのか、理解できません。 負けが確定してしまった後では、それはどうしようも無いので美学を発動せざるを得ないという理解はしています。しかしそれより前の時点で、勝負をする段になった時、本来であれば勝つ事、あるいは負けない事を前提にして挑むべきで、「負けの美学」という負けを前提とした言葉が一般的な認知に伴い、ごく普通の市民権を得ているようで下記のようなある種の気持ち悪さを感じるのです。 ・本来なら美しさなど二の次で勝利せねばならない。「こういう理由があるから負けても良い」という理解は余裕のある贅沢な感覚であって、人間の根本の選択肢にあるのは危険である。 ・敗北というマイナスの重要事項が「美しさ」によって問題点をぼやかされているように思える。 第二次世界大戦で、日本を守る為に青年が特攻隊として散り、そこには「戦争には負けるが特攻により講和で3:7を引き出す事ができる」などという考えがあったという事を引き合いに出せば、これは「負けの美学」であり、これはこれで大変立派であると後世の私は思うのだけれども、視点を変えて言うと、これは負ける事が確定したからそう言う事を考えなければならなかった事情が背景にあり、敗北の美学を出す前に、勝つ(あるいは負けない)算段を立てておくべきだったと(当時は仕方の無い面はあったと思いますが)。そして圧倒的な戦力差ががあると分析ができていても尚、「座して死を待つよりも~」と言う美学で突っ込んで行ってしまった。 以上は結果論なのですが、それでは歴史を反省にして、今現在の我々としては継続して国際社会で手を打ち続けるべきで、そうした場合に政治の基盤である国民の理解が「負けの美学」を肯定的に捉えてしまっているのは、戦前とは違った意味で大変危険なのではないかと思うのです。 乱暴に言ってしまえば「負けてもそれは美しいから戦争へ突っ込んで行ってしまえ」という空気が醸成されたのが戦前で、「負けたとしても利害が複雑に絡むので外交はある程度負けてもいい」というのが現在の日本であり、そうした国民の勝敗に対する根底の認識の甘さが現在の領土問題や国際問題に関わる日本の弱腰姿勢を構成する基盤としての危険性を多分に含んでいる可能性があるのではないかと危惧しているのです。 他にも雑感を書くと、 ・本来なら敗北から立ち上がっていく所までを礼賛すべきだが、「負けの美学」という言葉を出すと、敗北した、美しかった、終わり。で済まされているように思える。 あるいは視点を変えて ・スポーツなどで負けた姿は美しいけれども、それを負けの美学と混同しているのを見受ける。「負けの美学」と「good loser」はそれぞれ主観と客観の言葉であって、別物。 ・美学なるものは己が内に定めるエゴや規律、哲学や気構え・覚悟なのであって、人間として持つべきそれは「負け」を選択すべきでは無い。 という部分で「負けてもそのままでいい」という空気を許容するならまだしも、それが是であるという社会を気味悪く思っているのです。 本来であれば「今回の勝負に負けたけれども、次の勝負では別の手段でやっちゃる」的なエネルギーがあるべきはず、と自分勝手に思っているのですが、「負けの美学」という言葉を是に取る空気により、結果としてマイナスの空気が社会を覆っているように思えてならないのです。 戦国時代は致し方の無い「セカンドベスト」的な選択肢が「負けの美学」に通ずる事もあったり、あるいは「負けるのは悔しいが、結果は残したるわー」という部分があって美学にもなったのでしょうが、現在は人にあきらめという感情が入り、その代わり悔しさという感情が取り払われてしまった結果、従来の負けの美学とは違った意味で使用されているように思われるのです。 そこで質問させて頂きたいのが下記になります。 1.「負けの美学」を持って戦った過去事例はどのようなものなのでしょうか? またその負けは事前に防げなかったのでしょうか? 2.その「負けの美学」はどのような「良い結果」を残したのでしょうか? 3.転じて「負けの美学」の言葉の本質はどのようなものなのでしょうか? 4.現代の我々はどう捉えるべきなのでしょうか? 負けの美学を持つべきなのでしょうか?
- 幕末・維新を動かしたエネルギー
徒然にというか、うとうととしながら、ふと、幕末・維新を動かしたエネルギーは一体何だったのか?という疑問が湧いてきました。もちろん、幕末・維新を動かしたエネルギーといっても単純ではないと思います。エネルギー同士ぶつかり合うこともあっただろうし、交錯することもあったと思います。 それで、ほんのちょっぴり歴史を楽しんでいる程度の少ない知識の中で、自分なりに少し考えて、思い浮かんだのが次の5点です。 (1) 外様大名と藩士の恨み すぐに思い浮かんだのが、「薩長土肥」ということでした。それで調べてみると、4藩とも、いわゆる「外様大名」でした。それで関ヶ原の合戦以降、2百数十年間、恨みを持ち続けたのかも知れないということです。 ただ疑問もあります。 ア) 江戸城では、外様大名は、常に末席だったということを聞いたことがありますが、戦に負ければ、生かされているだけでありがたい、冷遇されるのは当たり前で、この程度のことで、「恨み」が原動力になるとは?とても考えられません。それとも江戸幕府は、外様大名に対して、2百数十年間、恨みを持ち続けられるような待遇をしてきたのだろうか?という疑問です。 イ) それと、もしそうであれば、「薩長土肥」に限らず、他の外様大名も、団結して歩調を合わせたのではないか?と思うのですか、「薩長土肥」の藩同士の関係においても、また、それぞれの藩の内部においても、必ずしも1枚岩ではなかったと歴史本を読むと理解できます。 ウ) また、他の外様藩から抜きん出たのは、この4藩に何か共通点があるのだろうか?という疑問も生じました。確かに、この4藩から、明治政府の要人を多く輩出していますが、だからといって、明治になってから、この要人達に、幕末・維新を動かしたエネルギーというものが、今ひとつ感じられません。彼らも大変だったと思いますし、表現は適切ではないと思いますが、勝てば官軍的、派閥的、官僚的、利己的な考え方が支配していて、本当にこの人達が、エネルギーになり得たのか?という疑問が生じます。根拠はありません……私のゆがんだ見方かも知れません。ただ漠然と。 (2) 幕府擁護派の抵抗 「薩長土肥」に討幕のエネルギーがあったとすれば、当然、それに抵抗するエネルギーがあったからこそ、動乱の幕末維新史が形成されたのだろう?いうくらいの知識しかありませんが。 ただ、幕末期、「江戸城の存在がずいぶん薄いなぁ」という印象を持っています。このあたり、幕府擁護派に何か方策はなかったのか?という疑問があります。もしも、幕府が江戸ではなく、京都か大阪にあったら?展開も変わっていたかもなどとも想像します。それとも、開国について、朝廷にお伺いを立てた時点で、「江戸は終わった」ということなのか?という疑問も湧いてきます。 (3) ペリーの来航 幕末史は、おおむね、ペリーの来航に始まると理解しています。 ただ、幕末・維新を動かしたエネルギーというよりも、欧米の植民地主義的な海外進出という大きな潮流がペリーの来航によって日本にも訪れ、それに巻き込まれざるを得なかったのではないか?明治政府の誕生は、この大きな潮流と、幕末・維新の動乱の中での、たまたまの結果に過ぎなかったのか?あるいは、日本なるがゆえの独自の選択の結果、あるいは切り開いてきた明治だったのか?という疑問が生じました。 (4) 江戸幕府なり、幕藩体制の体制疲労 室町幕府も、江戸幕府とおおむね同じ期間成立していますが、江戸幕府は、室町幕府とは、比較にならないほど安定していたと想像します。15代将軍慶喜の行動如何によって、多少延命されたかも知れませんし、全く異なった時代が到来したかも知れません。 ただ、ペリーの来航はひとつのきっかけであって、そもそも江戸幕府なり、幕藩体制が、世の中の流れについて行ってなかった、あるいは仕組み自体が古くなっており、ペリーの来航には関係なく早晩倒れる運命にあった。 これについては、無知なる者の単なる想像で、疑問も生じません。(*^_^*) (5) 尊皇攘夷思想 これも、私にはよく分かりません。一貫していたわけではなく、変動が激しいですよね。安政の大獄や桜田門外の変ばかりでなく、多くの出来事に関係していると思いますが、どのように影響したのか理解できていません。それに、尊皇攘夷と一言で言っても、「尊皇」と「攘夷」を分けて考えないと幕末・維新の理解が難しいのかな?という気もします。 質問、お願いは、次の2点です。 (1) 上記5点について、認識の誤りがあればご指摘願います。合わせて上記の文中、「?」のついているところについて、ご意見等いただければ、なおありがたいです。 (2) 私の考えた上記5点の他に、幕末・維新を動かしたと思われるエネルギーについて、あなたのお考えを教えて下さい。 なお、この質問については、できるだけ多くの方の異なったご意見をお伺いし、今後、日本史や幕末・維新を考える上での参考にしたいと考えておりますので、ご回答の有無、多少にかかわらず、4月5日(日)までは、締め切らないでご回答をお待ちいたします。よろしくお願いいたします。
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- noname#228965
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- 書籍の価値をお教え下さい
自宅を整理していましたら下記の書籍が出てまいりました。廃棄するには偲びず保管しております。 価値のある本であれば何方かにお譲りしたいと思っております。 なお、下記リストは左から、書名・著者名・編纂者名・発行所・発行年月日の順に記載しています。 新法學全集I 第一回配本 美濃部達吉 末弘嚴太郎 (株)日本法論社 昭和11年6月3日発行 箱付 東宮御渡歐記 坤の巻 溝口白羊 (株)日本法論社 大正10年9月15日十七版 箱付き 講談全集 赤穂義士本傳 野間清治 大日本雄辯會講談社 昭和四年1月5日発行 箱付き 赤穂義士銘々傳 赤穂義士外傳 漫晝講座 第一巻 岡本一平他 日本漫晝會 建設社 昭和8年十二月十日発行 箱付き 漫晝講座 第二巻 細木原青起他 日本漫晝會 建設社 昭和9年二月四日発行 箱付き 破産法和議法概論 岩本勇次郎 (株)巖松堂書店 大正15年九月二十日発行 箱付き 決定版 人生劇場上巻 尾崎士郎 新潮社 昭和13年十一月五日二十三版 箱付き 青春篇 愛欲篇 筆の華 高木斐川 玉井清文堂 大正12年一月二十五日十九版 箱付き 大日本思想全集 第十五巻 上村 吉田書店 昭和8年一月十五日発行 箱付き 頼山陽集 附 竹内式部・山縣大貳 明治大帝 附 明治美談 長谷川卓郎 大日本雄辯會講談社 昭和2年十一月一日発行 箱付き 評判講談全集 第一巻 野間清治 大日本雄辯會講談社 昭和5年九月二十日発行 箱付き 非売品 評判講談全集 第二巻 野間清治 大日本雄辯會講談社 昭和5年十一月十日発行 箱付き 非売品 評判講談全集 第三巻 野間清治 大日本雄辯會講談社 昭和5年十二月十日発行 箱付き 非売品 銀行法規堤要 全 帝國地方行政学会 帝國地方行政学会 大正11年一月十五日三版 箱付き 受験参考 答案式 英文法 粹 坂本潔 慶文堂書店 大正15年十一月十日発行 箱付き 妙音 後藤静香 希望社出版部 昭和4年八月十五日改訂七版 箱付き 長編三人全集 第八巻 星の使者・白虹 加藤武雄 新潮社 昭和6年一月5日発行 箱付き 非売品 長編三人全集 第十巻 静かなる曙 三光鳥 中村武羅夫 新潮社 昭和5年九月五日発行 箱付き 非売品 産業組合人國記上巻 山椒彈 大貫書房 昭和17年一月二十五日発行 箱付き みヽずのたはこと 徳富健次郎 新橋堂書店 他 大正3年九月五日五十版 箱付き 美の思索 池島重信他 教材社 昭和18年十月二十日発行 一粒の麥 賀川豊彦 大日本雄辯會講談社 昭和8年六月二十五日百八十一版 あの事件の思出を語る 森田英亮 金星堂 昭和14年4月二十日発行 武蔵國都幾山 慈光寺略誌 都幾山 慈光寺 都幾山 慈光寺 大正2年一月十八日発行 群像 第一巻 第一号 高橋清次 大日本雄辯會講談社昭和21年十月一日発行 産業組合國民讀本 有元英夫 更正社 昭和10年三月二十三日発行 心の糧 鉄道人と讀書 東京鐵道局 東京鐵道局 昭和16年七月十五日発行 學生自習 新式大辭典 馬渕冷佑 福島徳平 田中宋栄堂 昭和3年三月二十日発行 増訂改版 新論理學網要 全 川合貞一 慶應義塾出版局 昭和3年4月一日十三版 近代日本文学全集11正岡子規集 正岡子規 改造社 昭和3年五月一日発行 通俗財話 東京朝日新聞社 東京朝日新聞社 大正12年五月十三日発行 臨時資金調整法に依る事業資金の調整に就て 産業組合金融統制圑 昭和15年十月 歴史小説 甲越陣中訓 野村政夫 牧書房 昭和18年四月二十日再版 改正租税法規 山一證券(株) 山一證券(株) 昭和15年四月十日発行 非売品 特殊株式の研究 山一證券(株) 山一證券(株) 昭和8年六月三十日発行 外を観よ内を観よ 長島隆二 關東印刷(株) 大正9年三月十日再版 縣政物語 伊東圭一郎 世界社 昭和3年二月十二日発行 伯爵平田東助傳 加藤房蔵 平田伯傳記編纂事務所 昭和2年六月十日発行 非売品 解剖時代 5月號 解剖時代社 昭和10年五月一日発行 新約聖書 日本聖書協会 昭和24年十一月三十日発行 トランプ必勝法訣 片山與三吉 富文館 昭和3年十二月一日発行 中掌 法律要覧 梶康郎 帝國講學會 大正15年十二月十日再版 箱付き及び箱なし 野草・野鳥 雑記 揃 柳田國男 甲鳥書林 昭和16年一月三十日二刷 箱付き 權威講解 第二巻 後藤静香 希望社出版部 昭和4年六月二十三日十五版 詳解漢和大辞典 服部宇之吉・小柳司氣太 日清印刷(株) 大正14年七月十日参百六拾八発行 辭林改訂版 第二十三版 金澤庄三郎 (株)三省堂 明治44年四月八日発行 WORLD HISTORY WEBSTER REVISED 新英和大辭典 研究社 昭和2年四月五日二十版 POLITICAL THOUGHT IN ENGLAND 袖珍コンサイス和英辭典 石川林四郎 (株)三省堂 昭和4年五月二十日六十六版 雙解 獨和小辭典 片山正雄 南江堂 昭和4年九月五日二版 日本 六法全書 井上圓三 清水書店 大正3年十二月五日六訂十八版 ペン字入 實用書翰辭典 佐山順吉 成昭堂 昭和10年二月二十五日7版 六法全書 事項索引及参照条文付 末川博 岩波書店 昭和8年三月十五日四版 新英和小辭典 研究社辭書部 研究社 昭和6年九月一日二十一版 最新研究 英語の文法 學び方と應用の仕方 小野圭次郎 山海堂出版部 昭和3年五月十二日五十一版 埼玉 治産 第一號~第百六十二號 産業組合中央會埼玉支會 ひも綴じ 以上よろしくお願いいたします。
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