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LGBT
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- セルフ診断について
最近すごく悩んでいます。 辛いことが立て続けに起こって、辛いです。 あるときネットで調べ物をしていた時精神病のセルフ診断サイトがありました。 やってみたら、適応障害の可能性があると言われました。 ですが、これは信じないほうが賢明ですよね? 昔TikTokをみていて、「ネット診断で重度の鬱と言われた」という趣旨の動画のコメントに「そんなのは診断されたうちに入らない、それで鬱とか舐めるな」みたいなコメントが多く寄せられていました。 わたしはただ病気のせいにしたいだけなのかもしれません。 ただ辛い、タヒにたいというだけで精神病かもと思うのが気持ち悪いです。 性格診断などでも項目を見て、「これ私だ!」となる現象がある、というのを聞いたことがあります。 私もその一種なのでしょうか、 一度精神科に行きたいですが、母は絶対に許してくれないし、そんなことを言ったら何が起こるのかわかりません。 もう何が何だかわかりません。 頼れる人がいません。 私の親は「自分の子供が精神病(LGBT、不登校なども)だなんて嘘に決まっている!そんなものになっているはずがない!」という考えの持ち主です。一般常識、普通の人という昭和社会のレッテルからはみ出してほしくないんだと思います。 体調が悪かったとしても学校を休ませてもらえません。 今私がストレスを感じている原因は学校だとわかっています。 部活も教室も全部嫌です。 セルフ診断について質問しようと思いましたが、書いているうちにわかんなくなってしまいました。すみません。 私と同じような境遇の方、または体験した方がいましたらアドバイスお願いします 回答お願いします
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- 心の病気・メンタルヘルス
- mdmdjaja9999
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- ネガティブな物って本当に悪いものか?
昨今賑わしている「フェミニズム」論争などやアメリカにおける「BLM運動」「LGBT」などの「平等主義」や「いじめ問題」「パワハラ セクハラ」も多くの諸問題が世間を賑わす事も多くなり、これらの「ネガティブ」な物に対して「悪」とした論調が基本的にあるが、果たして本当にこれが「人間社会」という観点で見た場合本当に「悪」と言えるのだろうか? 仮にもしこの全ての問題が解決し、完全なる「平等社会」が実現したとしてそれは人間社会と言う物を本当に豊かにし、争いが無く、人々の心が満たされ、何の不満もない社会が実現すると本当にそうなると思うのでしょうか? 私はむしろ逆で「人間社会」と言う物は「理不尽」が有ってこそ人々は「喜怒哀楽」が醸成され、思い通りにいかないからこそ「人生」と言う物に彩りを与えている物であると思っています。 私は別に「差別」を肯定している訳ではありません。 しかし「差別を無くせ!」という運動には全く同意は出来ません。 個々それぞれが自発的にこの問題を考えて行動すれば良いのであって自然派生的に人間社会に浸透するべきものであって、これらを「運動」「組織」などにより能動的な社会運動にするべきでは無いと考えており、また、それら「ネガティブ」な物にも人間社会においては必要不可欠な要素としての意義も認める客観性も大事であると考えていますが皆さんはどう思いますか?
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- ニュース・時事問題
- hirokironte
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- 渋谷区同性パートナー条例に賛成それとも反対
渋谷区で同性カップルに 権利を与える条例に あなたは賛成しますか、 反対しますか? その根拠(理由)は何ですか? 反対派の主な主張。 1.少子化が進む、 結婚は「男女」のためのもの、 結婚は「子どもを生んで家庭 を育む」ためのもの (同性婚を認めると少子化が加速) 2.憲法違反 3.家族制度の崩壊を招く 4.神に逆らう行為、 自然に反する行為 5.ただ単に気持ち悪い 6.同性婚が認められると なんかもっと厄介なのが出てきそうだ(重婚、獣婚、児童婚etc...) 賛成派の主な主張 1.個人の自由を尊重するので、同性愛者という実際に存在する人たちの幸せを奪ったり、障害を残しておくことに反対。また、同性愛が異質という考え方から解放されなければならない。 2.皆に人権を認めるべきだが、同性婚を認めないことが逆に同性愛者に対する差別を生み、人権侵害につながるのでは。 3.古い考えは捨てて、現実の人間の状態や社会に適応すべく、社会の変化を受け入れるべきだ。現実に存在するようになった同性愛というものは、自然に逆らう行為ではなく、むしろ自然の流れなのではないだろうか。 4.同性婚を認めることのできる新世界をつくる。マイノリティーはいつも新しい、広い見解を持っている。現在はマイノリティーである同性愛者を支持することで人々は新世界が築け、世界観を変え、視野を広げることができる。 5.不妊治療や人工授精などが一般に行われる科学が発達した現代は、原始的な社会のように完全には自然というものに依存していない。家族には父母が必要という昔ながらの家族構成は変化した。もはや子供は異性間の性交によって生まれるものではなくなり、男女という両性がなくとも人工的につくることができるのだから、両親は男女ということに固執す る必要はない。 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申しております! 関連質問。 Okwave lgbtカテゴリー http://okwave.jp/qa/q8950788.html
- 和訳の添削をお願いします!
モスクワビエンナーレ(芸術祭)のアーティクルです。 一箇所でも良いので、アドバイス、訂正をいただければと思います。 初心者なのでかなりミスが多いと思いますが…特に中盤以降。 宜しくお願いいたします。 One of the few overt signs of social turmoil in "More Light," the main exhibition of the fifth Moscow Biennale, was contained neatly on a shelf near the show's entrance. For Protest (2012), Irish artist Tom Molloy created a miniaturized mob from hundreds of black-and-white photographs of demonstrators at political rallies. A sign-waving individual had been carefully cut out from each image and folded to stand upright, pop-up-book style. Tea Partiers and fanatical homophobes joined Occupy Wall Street supporters and peace activists in a chorus of contradictory agendas; each message was neutralized within a gray spectrum of visual noise. “More Light” (第5回モスクワビエンナーレ)における展示の中、 社会的混乱を公然と示している数少ない展示作品の1つ”For Protest” が、 エントランス近くの棚に整理されている。 “For Protest”(2012: artist Tom Molloy アイルランド)では、政治的集会に現れるデモの参加者たちの白黒写真 を数百と集めてミニチュアの群衆が設置されている。 (個々の抗議のメッセージは慎重に切り取られ、折りたたんで立ちあがるようセットされている。:飛び出す絵本のように) Tea Partyや狂信的に同性愛嫌悪を訴える参加者たちと、Occupy Wall Streetや平和運動の参加者たちの、 異口同音に食い違った議題が互いに結びつけられており、グレーで分布された視覚的ノイズの中で、各メッセージは相殺されていた。 Staged in the Moscow Manege, a 19th-century building in the shadow of the Kremlin, "More Light" was, overall, anything but noisy. Amid scattered (and unsuccessful) calls by foreign artists for a boycott of the biennial to protest Russia's draconian laws targeting its LGBT community, curator Catherine de Zegher created a visually unified space of quiet contemplation. In contrast to the recent biennials in Istanbul and Porto Alegre, "More Light" was remarkably devoid of anything that could be considered an explicit provocation, save for such expressions of unrest as those rendered with Molloy's aloof skepticism. 19世紀に、旧ソ連政府の陰で立ち上がったモスクワ経済(演出)?のなか、 “More Light”は総体的にみて騒々しいどころのものではなかった。 LGBTコミュニティーに対し過酷なロシアの法律に対抗したビエンナーレのボイコットのために、 外国人アーティストらにより散在した呼びかけのなか、 キュレイターCatherine de Zegher は、視覚的に統一された、静かな、熟慮するための場をつくりだした。 最近開催されたイスタンブールとポルトアレグレ(ブラジル)でのビエンナーレとは対照的に、 ”More Light”では驚くほど、明白な挑発を想起させるものが全くなかった。 (Molloyの懐疑主義から距離を置かれて表現された作品のような社会不安への表現を除いて)While many of the local art galleries hosting satellite biennale programs were forced to announce potentially offensive content with prominently displayed "18+" warnings, the main exhibition, which included work by 72 artists and collectives from more than 40 countries, felt appropriate for all ages: heavy on puppetry and fiber art, and punctuated seemingly at every turn by whimsical wall drawings of zeppelins, butterflies or bicycles by the trio of Andrea Bianconi, Ricardo Lanzarini and Mark Licari. 多くの衛星による(??)ビエンナーレプログラム指揮していた地元のアートギャラリーは、 18禁警告が目立つように掲示された批判を秘めた内容をアナウンスするよう強いられていた。 72人のアーティストと、40か国以上から集められた作品で構成されたメイン展示場は、 全ての年齢に適切だと感じられた。 操り人形(?)やファイバーアートを使いすぎていたし(?)、Andrea Bianconi、Ricardo Lanzrini,、Mark Licartの3人によるツエッペリン、バタフライ、自転車の奇抜なウォールドローイングによって、事あるごとに中断していた。 Invoking Mikhail Bakhtin's notion of the chronotope, the curatorial literature cast the exhibition's tranquil "space-time" as a subtle critique, a stance against a frenzied world sped up by "harmful technology" and rendered placeless by the homogenizing forces of global capitalism. 時空間構造への考えや、キュレーター的な批評を想起させることで、 展示会場の穏やかな自空間を繊細な批評として、また有害なテクノロジーによってスピードアップされ狂ったような世界に対抗するスタンス、世界的な資本主義を均一にしている力により適した場がない描写を表現している。 以上つたない日本語で読みにくいかもしれませんが…宜しくお願いいたします><
- 恋愛とセクシャルについての悩み
はじめまして、高校生の女です。 最近恋愛やセクシャルのことについて悩んでおりまして、皆様のご意見をお聞かせいただけたらと思い質問致しました。 ※申し訳ございませんが、長文です。 自分がレズビアンなのか、バイセクシャルなのか、aセクシャルなのか、はたまた思い込みなだけなのか、よくわからなくなってしまいました。 私の恋愛・性的な特徴について箇条書きで挙げますと、 ・小さな頃から恋愛感情を持ったことがない →可愛い女の子や綺麗な男の子は好き。ただしそこから付き合いたいとか、ずっと一緒にいたいとか、そんな気持ちに発展しない ・男性恐怖症有り ・好意を持ってくれた男性と距離が近づくと離れたくなる ・恋人関係には憧れるけれど、もしそういった関係を築くならプラトニックなものがいいなと思うことが多い ・性欲はある(興奮することがある)けれど、行為をすることに対して抵抗がある、想像ができない →しかし憧れ?がないわけではない ・女の子となら手を繋ぐ、ハグをするのは普通にできる、しかしキスは無理 ・恋人の方々がよく抱きついたまま寝る、ということを耳にしますが想像するとなんだか気持ち悪かった(特に男性) ・二次元限定で、ほのぼのとした百合やBLが好き(過激なものは受け付けません) ・LGBTなどのセクシャルマイノリティには肯定的 ぱっと思いつくのはこのような感じでした。 恋愛経験はございませんのでただ単に経験不足によるものなのかな、とも思うのですが…それだけでは腑に落ちないのです。 何か思うところがございましたら、些細なことでも構いませんので教えていただけると幸いです。 よろしくお願い致します。 p.s.ビアンとaセク、バイとaセクが成り立たないことは存じておりますが、私の中にそれぞれの特徴があるような気が致しまして冒頭にビアン、バイ、aセクを書かせていただきました。 ご覧いただいたセクマイの方々に誤解を産ませてしまったら申し訳ございません。
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- LGBTQ
- rlartnrgne21
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- なぜ、Aセクシャルって知名度が低いのでしょうか?
なぜ、Aセクシャルは知名度が低くあまり話題にならないのでしょう? LGBTというジャンルでも、レズビアン・ゲイセクシャル・バイセクシャル・トランスセクシャル、はよく話題にされますが、Aセクシャルは入っていません。 実はAセクシャルって、セクシャルマイノリティの中では意外にも多数派だと感じました。 今、絶食系男子という、異性に興味のない男性が4人に1人はいると、ググると出てきました。 そもそも、異性愛にせよ同性愛にせよ、男女両方のそこそこ親密なプライベートな友人が継続的にいてから、確定するものです。 性は本能、子孫を残すのは本能、と言えど、それはあくまで、外向的な関係がある程度男女両方と出てきてから、起きる物です。 一方の性別の人としか関わっていない、プライベートな人間関係がすごく少ない。 こんな人が異性にも同性にも惹かれる訳がありません。 恐らく、同性は自分という存在が含まれますし、後腐れのない友人関係は同性の方が作りやすいので、多分異性の方が意外にも惹かれにくいんじゃないかと思います。 でもそんな中「両方の人間関係が満遍なくある」ことを前提に、前述の本能が本当に開花し、その結果異性に惹かれる人が多いというだけの訳なので、そうじゃない人もいる以上、異性に興味が無い、同性にも性的な意味での興味はない。 こんな人はたくさんいることは想像に難くありません。 特に今はコロナ禍でテレワークだのリモートなんたらだのと言われているので、人間関係は希薄になることが多いでしょう。 オタク気質の人は一人の時間が好きだから、人とあまり関わりたくない人もいるでしょう。 男子校や女子校に行っている人は、思春期に両性の友人ができる機会が少ないので、アンバランスになるでしょう。 その結果、恋愛に興味の全然ない、異性に興味の全然ない人って結構いるはずです。 けど、Aセクシャルはなぜ意外と知名度が低く話題にされないのでしょう? セクシャルマイノリティの中では多分かなり多いと思うのですがなぜでしょうか?
- 「ゲイの友達がほしい」という女がウザいです
「ゲイの友達がほしい」って言う女の気持ちが全く理解できません。何を考えてるんですか? 私はゲイです。 時々、「ゲイの友達がほしい」って言う女がいますが、ゲイを見下してバカにしてるとしか思えません。 友達になった人がゲイだったけど、何も気にせず友達として付き合い続けてる。 というなら理解できます。 でも、友達になる前に「ゲイかどうか」というフィルターかけて、何様?って感じです。 よく、「男と女の両方の気持ちが分かってるから、恋愛相談できる」とか、「ファッションチェックしてもらえる」とか言いますけど、ゲイが全員恋愛相談に的確に答えられて、ファッションチェックできるほどセンスあると思ってるんですか? というより、友達じゃなく便利使いできる存在が欲しいだけですよね? 「相談にも真摯に答えてくれて、ファッションの相談にも乗ってもらえる」なら、ゲイかどうか関係ないですよね? なのにどうして、「ゲイ」というフィルターかけるんでしょうか? そもそも、相談にのってくれる友達がいないんでしょうか? そういう女が欲しいのって、友達じゃなくて以下なんですよね? (1)他人に自慢できる、見映えがするイケメンかおネエタレントみたいに面白いゲイ (他人に自慢できない奴はいらない) (2)「ゲイの友達がいる、他とは違うワタシ」というステータス (3)「LGBTに分け隔てなく付き合っているカッコいいワタシ」というステータス 結局、他とは違うワタシを演出するためのマウンティングの材料が欲しいだけなんですよね? 理解あるフリしてるけど、他人のジェンダーをマウンティングの材料にしてる時点で偏見の塊です。 最近では観光バーではないゲイバーにずけずけ入って騒ぐ女がいますけど、はっきり言ってウザすぎです。 「ゲイバーで飲んでるワタシ、カッコいい!」と自惚れてる感じがして、バカらしくなります。 そういった女が帰ったあと、「きっと友達いなくて一人きりで寂しい負け犬人生を送ってるんだろうね」と皆でバカにして笑ってます。 「ゲイの友達がほしい」って言う女って本当にウザんですけど、一体何考えてるんだるんですか?
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- LGBTQ
- noname#244586
- 回答数4
- 2~30年後、社会の価値観はどう変化するでしょう?
以下は特に目を通さずに想像を書いて下さって構いません。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 60年前は親や教師が男児を叩いて躾ける事が普通で茶飯事でしたが 今では虐待として通報され出頭させられる時代になりました。 40年前は今では考えられない程飲酒運転に寛容な社会でした。 30年前は社内の若い女性の体に触れるセクハラが横行していました。 2~30年前は今より圧倒的にタバコに寛容な社会でした。 パワハラ、アルコールハラスメント、色々と社会は変わりました。 「やる側の仕方ない理由」に寛容で共感する社会から、 「やられる側の苦痛」に共感し許さない社会に変わった様に見えます。 泣き寝入りさせられ続けたやられる側の恨み苦しみが やる側に止めどなく逆流し続けている様にすら見えるものもあります。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - それはともかく、今現在私が感じる変化の兆しとしては、 ・問題のある人格を親の躾け方の所為だけにする人が減少傾向にある。 ・問題のある人格を本人だけの所為にする人が減少傾向にある。 (幼少期の家庭環境や発達障害などの影響を一考する人の増加。) ・男だろ女だろという発言に冷めた眼差しを向ける若者が増加。 ・LGBTに対し気持ち悪いと言う人を許さない傾向の増加。 ・認知症など脳の機能障害からの行動への理解の微妙な増加傾向。 などです。 今の若者が50代になるとかなり世論の風向きが変わりそうにも思えます。 2~30年後、社会の価値観はどう変化していると思いますか?
- 締切済み
- その他(恋愛・人生相談)
- noname#228046
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- 否定的な家族に疲れる。
妹のことなんですが、とにかく否定ばかりで気持ちが疲れます。生前の母親もそうでしたが。 自分の事でなくとも否定の言葉ってゲンナリしません?多分言わないようにはできないので聞いても疲れない方法はありませんか? とにかく差別意識の塊(LGBTは頭おかしい人がなる病気など平気で言う) 決められた形以外に対してキレる(例えば派手な女子高生とかに対して、これで学生かよなど) テレビなどで東大生や公務員の話題が出るとただ勉強ができただけでうざいと悪口(その人たちの何を知っていると言うのか) 個性的な格好の人を見ると、頭悪そうとか性格悪そうとか、よくあんなの着れるよねと言う(好きな服を着て何が悪い) 太っている人がオシャレしてると、デブなのによくオシャレするなぁとか言う(自分も太っているのに) バイトが使えねぇと毎日愚痴る(自分もバイト。前職で威張りおばさんに虐められたのに、今度は若い子が多いところで逆に威張っているらしく多分職場ではうざいバイトリーダーパターン) 口を開けば99%ネガティブな話。 しんどくて流そうとすると、聞いてる?と言わんばかりに様子を伺ってくるのもうるさい。 白か黒かでグレーがないのもなんだか疲れる。 余談ですが ちなみに話を聞いていないことが多々あって、そのときは私が用事があって話しかけてもスルーです。 車とかで会話をしていても、集中モード?に入ると突然スルー。 スマホをいじっているときは特に耳にすら引っかかってない様子。 壁に話しかけているようで虚しいしムカつくんです。
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- BlueBlue71
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- 「召使いでいて」と、ノンケに散々な振られ方。それで
「召使いでいて」と、ノンケに散々な振られ方。それでもまだ好きな場合は こんにちは。先日、3年間片思いしていた親友(お互い18、彼はLGBTに偏見がない)に告白し、 「いままで距離が近いところにいて馬鹿みたいなことしていたし、友達としかみてなかったから恋愛対象としてみたくない。これはこれからも変わらない」 「今は恋人を作る気がない」 「友達のままでいて」と振られました。 しかしあろうことか、「これからは召使いとして俺のそばにいて」などとも言ってきました。 さすがに頭に来たので、しばらく冷たい態度を取っていたところ、明らかに悲しそうな態度になり、さらに「お前が必要なんだ」「恋人じゃなくて友達でいてほしい」と言われました。 そのくせ、こちらが折衷案として友達以上恋人未満の関係をお願いしても、意味が分からないと一蹴されたので、僕は「じゃあもう君のこと忘れるね、さようなら」を最後に言って別れました。(一種の駆け引きですが) ですが喧嘩別れみたいな感じになって後味悪かったので、その日のうちにLINEで「今までありがとう」と伝えると、彼からすぐに返信が届き、さらに関係のない話題まで振られ続けており、縁を切ろうとも切れないので困っています。 正直彼のことが諦められないです。また、「付き合えないけど俺に尽くせ」という態度も気に食わないです。 正直彼は僕に依存している節も結構あります。ちなみに彼は恋愛経験0で、人の心情に疎くやや独善的でもあります。どうすれば彼との恋愛が叶うのでしょうか。
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- LGBTQ
- asdfghjkl1119
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- 死刑制度について
お国柄からか、中国の死刑執行時の映像は銃殺によるものです。 頭を撃ち抜いて、その亡骸は遺族に渡されることなく埋葬される ようですが。 中国の死刑執行率は世界No1だそうです。 これは、社会主義制度維持のため、経済犯(強盗、窃盗、賄賂など) 政治犯(国家反逆罪、国家転覆罪など)を断罪するためと言われています。 しかし、冤罪も多く正義に反する法律もあるようで、これは妬みや 恨みによるものも多くあるようですが。 日本の社会主義者に多く見られる、天国のような国造りというのは こういう裏の縛り付けがあってのことだと思います。 つまり、死刑制度には反対しない、憲法を守れ。というのはこれも 維持しろ。ということでしょう。 新型コロナウイルスで国が揺らいでいる時に、何を言っているか。 とも言われそうですが。感染者を放置するようなことがあっては 国としての体制もガタついてしまいます。 其処の辺をはっきりしない野党、特に共産党や社民党はどう考えて いるのでしょうか。 めんどくさい。とか思っているなら論外です。国造りはめんどくさい ものです。それをお花畑のように自らの理想を語るのはよしましょう。 まず、犯罪者の権利、冤罪か否かを事実に則して明らかにする。 重病者には手厚い看護をする。ということを忘れてはいけません。 どうも、この人たちは忘れがちで、何十年もLGBTの問題を棚上げ にしたり、内臓移植の問題も棚上げにしたり。 結局、なにもできないことが明らかだから国民も呆れ果てているの ではないでしょうか どう思いますか。
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- 政治
- taikobow909
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- 同性の親友に告白しようか迷ってます。高3で春から大
同性の親友に告白しようか迷ってます。高3で春から大学生になる者です。 彼との関係は、 ・高校(男子校)からの親友で、大学(共学)も一緒 ・彼とは親友くらいの距離感(みんなで会って遊ぶ、たまに2人でライブに行く、LINEなども連絡がメインerc.) ・彼のことを好きなのは高1の時彼に気づかれてる →その後一時期ホモ扱いされた ・だが新高3の春に身体の関係を持った →高3の秋に、 あれは興味本位だったと彼から説明され、「これ以上ああいうことをすると深みにハマりそうだから辞めよう」と言われた ・その2ヶ月後にLGBTに理解が出てきたと発言→しかしやはり「彼女ほしい」と言う ですが、年が開けてから彼が以前よりもさらに好意的になり、告白が行けるんじゃないか ?と思ってしまいます。理由として ・彼から4日に1度の頻度で定期的に連絡が来るようになった(内容も雑談) ・1週間に1度、二人きりで遊び ?デート ?する(喫茶やご飯、散歩など) ・次会う時にもう一度肌を重ねる予定 彼はモテるので大学ですぐ彼女を作るか不安になってしまいます。また彼とは学部が違い、彼の学部は美女が多いらしいのでますます不安です。(僕の勝手ですが) 彼は、卒業で寂しいから上のような言動を取るのか(大学は同じですが)、それとも彼への告白が成功する可能性があるのか、どちらでしょうか ?告白することへの賛成や反対を教えて欲しいです。また、成功率はどれくらいだと思いますか ?
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- 恋愛相談
- asdfghjkl1119
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- requiring employees to do
NHK実践ビジネス英語2017年6月号Lesson 6(5)のCollinsさんの台詞からです。 分詞構文Keeping +主節(仮定法過去might do away with)+分詞構文requiringという構成の文だと思いますがよくわかりません。 分詞構文(1):Keeping in line with an increased focus on movement, be in line with …と合致[一致]している 「身体を動かすことへの関心が高まっているので、それに合わせて、」 主節(仮定法過去):office buildings might do away with elevators, do away with 廃止する 「オフィスビルはエレベーターをなくしていますかもしれませんよ。」 分詞構文(2):requiring employees who need to ascend a few floors to do it via the stairs. ascend a few floors 数階上がる 「数階上に行く必要がある場合は、階段で行くことを従業員に求める、というわけです。」 [質問1] 前後の分詞構文は両方とも意味上を持たない(いわゆる独立分詞構文ではない)ので、それらの主語は両方とも、主節の主語office buildingsでしょうか? また、分詞構文(1)は、理由「~なので」を表し、分詞構文(2)は、結果の状態「(そして)~した」という用法でしょうか? [質問2] LGBT movementsなどの場合は、通常、複数形なので、この場合は。movementと単数無冠詞だから抽象名詞で、テキスト訳通り「身体の動き」ということでしょうか? [質問3] 分詞構文(2)はrequiring employees to do it via the stairsが本体だと思いますが、requiring employees /who need to ascend a few floors/ to do it via the stairs. このto do itはその前のto ascend a few floorsを2回繰り返すのを避けるため用いられていると思うのですが、do=ascendでit=a few floorsと分解するとitが複数形を指すことになってしまいます。 “You can do it!” “No, I can’t.”でお馴染みのお父さんに励まされている子供が泣きながら答えるシーンに登場する”do it”だと思いますが、to do it=to ascend a few floorsとまとめて考えるべきでしょうか?今まで、考えてもみなかったのですが、たまたま、不定詞句が連続しているので考え込んでいます。 Collins: Keeping in line with an increased focus on movement, office buildings might do away with elevators, requiring employees who need to ascend a few floors to do it via the stairs. @2017年6月L6(5) ※OKWAVEより補足:テーマ「実践ビジネス英語」から投稿された質問です。
- 考え方を見直すべき?
私は幼い頃から男女の違いを全く考えずに人と接しています。 だから幼いころに父から女のくせに!と言われていたことがとても嫌でした。 私は男友達といる方が楽で楽しかったし、話が合うのですが、年齢が上がるにつれて女子の目が鋭くなってきて、怖くなり、中学から高校生までは少しずつ距離を話し始めていました。女子の目はなくなったものの、女社会に呑まれる苦しさやキツさ、自分の中にあるモヤのようなものは消えませんでした。 そんなときLGBTという言葉を知り、私は自分の性別について向き合うことが増えました。 しかし自分の性別が男と言えるほどの自信もなく、また女だとも思いたくないんです。どうしても中性、というのが1番しっくりきてしまいます。 大学では私は他の人からの目から離れて、一旦自分の意思で動いてみようと思い、性別を気にせずに話が合う人と話していました。その中の一人(男性)から家に来ないかと言われました。 その相手からは、気の合う友達ができてよかったと言われたのもあり、私は相手も私と同じような考えを持っていると思って、家に行ってしまいました。 その結果、そういう雰囲気の一歩手前までいってしまいました。 (詳しくは私のもう一つの質問から→https://sp.okwave.jp/qa/q9999223.html) 2日ほど経った今でも私の中で驚きと恐怖が入り混じり続けて居ます。 私の考えが甘かったことに深く反省しています。 私は相手に私の考えを押し付けたから、結果的に私が傷つくことになってしまったのだとも思います。 私が恋愛を求めていない人には、最低限のマナー(男性の家に行かないなど)を守り、少しでも恋愛やHに繋がりそうな場合、その人には近づかない。 それを徹底していれば、私はこのまま性別問わず友人をつくることを辞めなくても、自分の楽な人間関係を続けても、大丈夫と思いますか。 あと私はただの男好きなのでしょうか?男友達と話したり、どこかに行く方が楽だと思うのはやっぱり少し変ですか?
- 同性ペアが合法的にペアの遺伝子的子孫を残す方法
今流行りのLGBT問題についてですが、もし同性婚が解禁されたとして、しかし標準的な同性婚ペアの場合であればそのペアの遺伝子を引き継ぐ子供は通常ではできないわけですよね? しかし同性ペア間の子供が非常に強く、深刻に望まれるケースがあるようです。 そこで考えてみたのですが、レズペアとホモペアが同性婚を開始する前に、或いはした後でもそれを解消して、まずは男女同士で名目上結婚します。 これは同性婚ではなく異性婚になりますが、結婚生活の中では不倫関係になりますが、レズペア同士・ホモペア同士で熱い愛を交わしてる最中に、熱い愛の最後だけ異性婚の結婚相手にするとします。結婚関係なので当たり前のことです。 これを片方に男児、もう片方に女児が出来るまで続けます。 その後男女の結婚は解消して、目的の同性婚をします。 その際には子供は両ペアに分けて養育されるのか、どにかく極めて当たり前に合法的にレズペア・ホモペアの子供ができます。 そして男児と女児が18歳以上(又は16歳以上)になったら二人を結婚させます。それまでは許嫁として教育していきます。 この二人に子供を作らせるのですが、ここで初めて同性婚同士の遺伝子が交じり合うわけで、出産の時には4人が集まって感激の涙がちょちょぎれること請け合いです。 どうですかね? 必ずしもレズペアとホモペアのクワッドでなくとも良いと思いますが、遺伝子的な問題や法的な問題がなかったら80代独身男性の私が同性婚したレズペアに男児と女児を生ませてあげるのですが、基本的に美人レズペアとの同居が希望です。
- 消えてなくなりたいです
高校までいじめられた経験を持つ大学二年の女です。 両親、親族からも虐待を受けてきました。 人に気を使う性格になってしまいました。 上記のことがトラウマで自殺未遂も何回もあります。 去年は自分なりに頑張って大学のカウンセラーに行ったり親に本音を話したり(理解はされずおきらめました)バイトをしたりしました。 親友も出来ました。 しかし、今年に入りまた自殺願望が出てきて大学に行けなくなりました。 語学が好きで必修の英語のほかにロシア語を取りました。 英語は学内の外人の先生と話せるようところに行こうと思っているのですがなかなか一歩が踏み出せず。 明日ロシア語の講義が第15回中六回目があるのですが私は最初三回は出たのですが二週間連続休んでしまい。行きにくいです。 気分が落ち込んでいたためです。たぶん不安障害があります。 でも、好きだから行こうと思うのですがアルファベットとかも全然覚えてないし何よりこわい。 行きたいのに。 今週は頑張ろうとまずは、講義に全部出て今日は英会話にも行き自分のやりたいことのために動いています。 あとは、金曜日には個人的に仲良くなった講師の先生と食事に行きます。 実は、私は女ですが女性が好きなレズビアンで今週の土曜日には関西大学のLGBTのサークルに説明を聞いてきます。 このように自分なりに動き始めたのですがロシア語を考えると不安で今も寝れません。まだロシア語は間に合うと思いますか? 単位の休みは大丈夫です。それに、またトラウマ出てきたら止まってしまうのではないかと思い不安です。 みなさんの意見を聞かせて下さい
- 締切済み
- その他(恋愛・人生相談)
- noname#178885
- 回答数1
- マイノリティとしての生き方を参考にさせてください
閲覧ありがとうございます。 少し同性愛的な要素を 含んでいるので 苦手な方はご遠慮ください。 私は、中学の頃に同性が好きだ ということに気づきました。 それから、自分をゲイだと思いつつ それを受け入れることに悩みながら 今に至っています。 一時期はそういう自分が嫌で 親に迷惑をかけるようなことを していましたが、今は落ち着き 客観視することができています。 しかし、どうしても人に 壁を作ってしまう癖が残り 人間関係は疎遠にしてしまうことが 多いです。 ただ、私には やりたいことがあります。 ノリがよいわけでもないですし 話術に長けてるわけでもないですから 今は時期尚早かもしれませんが LGBTで悩んでいる方の支援を 将来的にしていきたいんです。 どんな形でもいいから 我慢して生きる人が少しでも 解放されて生きていける場所を 増やしたいと思っています。 綺麗事なのは自覚してますが 貢献することができたら それに越したことはないです。 そんなことを考えてるなかでも まだまだ自分は未熟です。 本当にまだまだです。 ですから、少しでもたくさんの方々にご意見をいただき、吸収したいと思い、質問しました。 どんなことでも構いません。 私は○○だけどこう思う こうした方がいい これが好き、嫌い こういう人生だった、人生にしたい など、些細なことでも自分がセクシャルマイノリティとして感じていることをそのまま書いて頂けると嬉しいです。 ヘテロの方も同様です。 ただ、差別的な発言は回答される方の不快にも繫がるかもしれませんので、控えて頂けると嬉しく思います。 長文で長々と失礼致しました。 たくさんのご回答お待ちしてます。
- 去年の1~3冊
みなさん、こんにちは。 いつも似たような質問でスミマセン。 『去年読んだ本の中で良かったものを1~3冊紹介してください』 なお、去年発売された本という意味ではありません。お読みになった本で構いません。ジャンルは問いませんが、質問者の読む範囲を超えている場合、お礼は簡単なものになります。ゴメンナサイ(汗) ご回答内容は転載しませんが、去年刊行の本を挙げられた場合、その本を他所で紹介することがあるかもしれません。ご了承を。 1.『喜べ、幸いなる魂よ』 佐藤亜紀 主人公の元カノにして生涯の憧れの君、ヤネケ・ファンデールに惚れました。 頭脳明晰な人でなしですが、とても惹かれるものを持っています。このキャラだけでも TOPの価値あり。作者お見事。舞台は恐怖政治前夜のベルギーの地方都市に在る商家。 キリスト教の女性団体ベギン会のくだりを交え、どこかほのぼのと話は進みます。 2.『フラン キス シュタイン Frankissstein』 ジャネット・ウィンターソン 大人の愛に関するバカ騒ぎ。と見せかけてLGBTへの不理解や人造人間の問題を エグく掘り下げていきます。SFやファンタジーの姿を借りた文芸の代表。 この著者はLをテーマに問題作を次々放っています。 3.『ドードー鳥と孤独鳥』 川端裕人 書きたいことのある作家は幸いである。これはその典型。 人間が絶滅させた生き物に自らと友人を重ねる。女の子目線で柔らかくしても 中身は専門書顔負け。ポケモンじゃない、アリスとドラえもんだけじゃない ドードーを知れ! 番外 絵本 『袋鼠親爺の手練猫名簿』(ほるぷ出版) T・S・エリオット ミュージカル、キャッツの事実上の原作。多士済々の猫たちが大暴れ。 猫好きもそうでない人もドーゾ。 尚、質問者はこれから正月休み。お礼は遅くなるかもしれません。ゴメンナサイ。
- 惹かれている既婚同性との関係について。
当方30代後半の男で、同性愛者になります。ご理解ください。仕事で知り合った4歳下の既婚・二人の子持ち男性に、仕事上最後に会う日に社外の敷地に呼ばれ、「仕事以外で今後も会いたい」と言われました。業務の専門内容ではなく、ただ食事に行ったり、映画を見たり二人で出かけたいとのこと。 当初かなり驚いたのですが、自分でもなぜかどうしても人間関係を続けたいと思い、二人で水族館に行ったり、何もなくても食事やウィンドウショッピング、お茶などを続けています。彼は間違いなく私が少なくとも同性愛の気があることに気づいていると思います。 正直、会うに連れ、一人の人間として今後も会い続けたいという思いがあります。相手に激しく性的欲情はしません。たとえ、相手が両性愛の気があり抑圧しているものを私との外出で満たしているのだとしても、私はいわば友人として、形としてはデートのような行為になりますが、会って話していたい思いがあります。相手は人間的に尊敬しているから(会いたい)、と言います。ただこの年齢の男二人がする一般的行動パターンではなく、怪しいと思う人は怪しいと感じるような気がします。またマルチ商法勧誘のような悪巧みは一切ないと思います。 以上からお聞きしたいのですが、私のしていることは心理的不倫でしょうか。相手が両性愛者かは分かりません。ただ正直、性的にお互い気持ちが通いあうのが分かる瞬間というのがあり、それは正直居ごこち良く感じてしまいます。体よくフェードアウトして関係を解消すべきでしょうか(社会倫理的に)。それとも性的感情さえ波立たなければ、このまま気楽に会い続けても全く問題ないでしょうか。話せる人がおらず悩んでいます。長くなりましたがご意見よろしくお願いします。(あえて一般論を聞きたく、LGBT以外のカテゴリーに投稿いたします)
- ニッポンはマイノリティを「否定」、「黙殺」するのか
日本人は、日本社会のなかで生を営むマイノリティ集団―たとえば、在日コリアンや在日中国人などの、外国につながりをもつ人々、同和地区につながりをもつ人々、アイヌの人々、ハンセン病患者、エイズ患者、LGBT関係者、障碍者、被爆者、水俣病関係者など―の存在を、どのようなものとして受けとめられているのでしょうか? ・日本社会の構成員であり、彼ら、彼女らにたいする差別や偏見を許してはならない。 ・日本社会の構成員ではあるが、社会の「表舞台」には立ってほしくない存在である。 ・日本社会の構成員ではあるが、彼ら、彼女らのアイデンティティについては、認めたくない、あるいは、共感できない部分が存在する。 ・日本社会の構成員として認めたくない。できれば、彼ら、彼女らの存在は「否定」、あるいは、「黙殺」したい。 先日の、ある地方公共団体の市会議員による、日本社会における先住民族の存在を「否定」することを意図した発言が、現在も大きな議論をよんでいます。当人の真意は、社会福祉政策による恩恵を必要としている人々がかかえる諸問題を提起したかったことでした。しかしながら、当人の先住民族やマイノリティ集団にたいする基本的な知識、認識が著しく欠如していたことから、多くの人々は彼の発言を問題発言として受けとめ、「舌禍事件」へと発展しました。 社会福祉政策がかかえる諸問題について論じたいのであれば、わざわざ先住民族の「存在」について触れ、それを強調する必要はあったのでしょうか。先住民族が直面している問題をふくめて、日本社会においては、マイノリティ集団にたいする批判のなかには、日本社会の「構造」がマイノリティ集団に悪影響をもたらしたといった見方ではなく、マイノリティ集団みずからの「精神的な問題」であるという指摘が少なくありません。こういった問題が論じられるたびに、「個人の問題」―たとえば、差別や偏見の問題であれば、差別や偏見をする人々や、それを受けとめる人々の「心の問題」であることが強調されるように―であることが「強調」されます。 わたし自身、外国につながりをもつ立場で日本社会のなかで生を営んでいます。この市会議員の「問題発言」は、わたしにとっては、極めて衝撃的なものでした。彼自身のマイノリティ集団にたいする浅はかな知識、理解の程度のみならず、彼が世間に向けて発信した「メッセージ」の裏側で、彼自身の「真意」に、先住民族の存在を認めたくないという<強い考え>があることを読みとったとき、心の底から怒りがこみあげてきました。こういった存在を知るたびに、わたしは、わたしのような外国につながりをもつ人々は、日本の市民権を持っていても、決して日本社会では歓迎されない存在であることを悟るのです。
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