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日本の皆さん駄菓子屋の思い出を教えて頂けませんか
日本語を勉強中の中国人です。日本の駄菓子屋についてのドキュメンタリー番組を見て、日本の駄菓子屋について大変興味を持てるようになりました。昔中国もそれに似ている感じのお店がありましたので、とても懐かしくなりました。日本の皆さんの駄菓子屋についての思い出をもっと知りたいので、もう少し教えていただけませんか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
駄菓子屋さんは、子供(主に小学生)のコミュニケーションの場でもありました。 昔は、塾へ行く子供も、ほとんどなく。学年の異なる子供たちが、知らないどうしでも会話をし、駄菓子屋のおばさんが、仲を取り持ったり、「宿題やったか」「もう、これ以上買ったら、いかんよ」「小遣いをもっと大事にせんと」など、学校では教えてくれない、躾けや、マナーなども、教えてくれたものでした。プロ野球のチームや選手もよく知っていて、会話が上手でした。
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- ithi
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awayuki_china さん、こんばんは。 駄菓子屋ですか?とても懐かしい話題ですね。私の近所にも1,2軒ありましたが、30年以上前につぶれてしまいました。今はスーパーの敷地か何かになっているはずです。 時々、10円の飴玉をそこで買って食べていましたっけ。くじはいつもはずれだったっけな。
- 96megabrown
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うまい棒を買ってポケットに入れたまま公園で遊んで、 気がついたときには、うまい棒が袋の中でボロボロになってしまったことがありました。 そのボロボロのうまい棒を食べてむせて、ゲホゲホ言ってたアホなこどもでした。
- 19690318
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上手く文章を書かれていますね 昔は今のようにコンビニや大型スーパーは無く、街の隅々に老夫婦が経営する小さな商店がありました。 駄菓子専門や家庭商品と一緒のお店、小学校の近くには文房具屋さんがあってそこでも駄菓子を売っていました。 駄菓子屋さんは、中流家庭から裕福ではない家庭の子供の社交場でした。 金持ちの子供は駄菓子屋には行かず、自宅でおやつを食べます。 大抵、店主はやさしいおばあちゃんで、そこでほかの子供と接したり、ばあちゃんの昔話を聞いたりして、ある意味の社会勉強の場でもあったような気がします。 使うお金は30円から100円。 チューインガムやメンコ、小さな瓶に入った炭酸飲料、また10円くじなどに夢中になっていました。 今でも探せば結構駄菓子屋さんは残ってますよ。今も昔も子供たちが夢中になる風景は変わりませんね。
こんにちは そのドキュメンタリー私も見ました。 小さい頃にイチゴ味のザラメがついたキャンディを よく買ってもらっていました。 4個入って10円のフーセンガムとか 昔からの定番の駄菓子が沢山あります。 駄菓子のおばちゃんは、ときどきおまけをくれて 小銭を握ってお使いに行くのは とても楽しみでした。
- donguri_boy
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値段などはすっかり忘れてしまいましたが、手のひらサイズのシャベルで一杯いくら、という量り売りしていた、カレー風味のあられのような スナック菓子のようなモノですね。 新聞紙で封筒を作っていて、それに入れてくれました。 一度コンビニで似たようなお菓子を見つけて、懐かしくて買ってしまいました^^
- night5544
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小学生の頃、近所に駄菓子屋があって、よく妹や友達とお菓子を買いに行ってました。 一番思い出深いのは、お菓子のおまけについていたタトゥーシールですね。お風呂に入ると2日~2週間で剥がれるものだったので、それが面白くて貼って遊んでました。
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お礼
No.5さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。皆さん、短い時間ですが、たくさんのご回答をくださりまして誠にありがとうございます。日本の駄菓子屋に対する認識が深まりました。大変助かりました。心から厚くお礼申し上げます。