- 締切済み
勉強できれば出来る程
俺様すげえ と自分の能力、思考を過信してしまいそうになりませんか?
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
むしろ逆ではないでしょうか。 「お山の大将」で満足できる性格ならば、ご質問のようなことにもなろうかと思いますが、ほとんどの場合は「より上」を目指します。そうするとその上位の集団には「上には上がいる」ことがほとんどで、つまり自分の能力の限界を知ることになります。もちろんそれは悪いことではなく、そこからその人の本当の勉強が始まると言えるのかもしれません。 ニホンザルのこんな屋外実験がテレビで紹介されていました。サルの手は入るが身体は入らない直径の透明な長いプラスチックの管の中央にサルの好きな果物を置いて、管の外に長い棒を置いておきました。普通のサルは手を伸ばして果物をとろうとしますが手が届かず諦めてしまいました。次の賢いサルは棒を見つけてこれで果物をたぐり寄せようとしました。もう少しで取れそうになったとき、これを見ていたもっと賢いサルは近くにあった手頃な大きさの石を取って管の中の果物にぶつけて、果物を賢いサルがたぐり寄せようとしていたのとは反対側にはじき飛ばし、果物を取って逃げて行きました。 棒を使って果物を取ろうとしていたサルが呆然としていた姿が印象的でした。サルでさえも「上には上がいる」まして人間は…。
過信はしないけど、得した気分になることはある。
- haiji1996
- ベストアンサー率14% (232/1633)
英語だけはいつも学年でトップでした。 でも、私は帰国子女だから、 日本人が海外の学校で、日本語がトップになって当たり前なのと一緒だから、別に自分がすごいとは全く思いませんでした。 でも、勉強を全くしなくても、常に塾でも、学校でも、英語がトップなのは恵まれていたと思います。 同性には容姿で嫉妬される事が多かったけど、英語では男子から嫉妬される事があって、男でもヤキモチやくんだ、と知りました。 でも、何かひとつでも、誰にも負けないものがあるのは、大きな自信になりました。
- Nannette
- ベストアンサー率26% (1499/5697)
わたしは小学校、中学校、女子高、女子大、ついにトップにはなれませんでした。どの学校の どの学年にも、いつも目の上にタンコブ、じゃなかった、もっと成績の良い子がいました。 でも、それでも勉強は好きでしたし、成績も悪くなかったのです。漢字の読み方でも、二次方 程式でも、ほとんど困ったこともありませんでした。 でも自分をスゴいと思ったことだけは一度もありませんでした。過信なんてとんでもないこと。 いくら頑張っても、いつも、もっと成績の良い子が居る…、いつも敗北感と、悔しさと、競争 意識の連続でした。 学校を卒業して何年かたったある日の同期会の席で、たまたま隣に座ったのが、かつて目の上 のタンコブだった子。その子が言ったのです。Nちゃん(わたしのこと)が頑張っているのが 分かっていた、だんだんわたしの実力に迫ってくる、それってとても怖かった…と。 それで分かったのです。実力というものは、成績の良さなんてものは、過信なんかしている場 合じゃないのです。自分自身が追い込まれ、そこから脱する努力をしてはじめて手に出来る能 力なんだ…ってことが。
- stock0315
- ベストアンサー率36% (25/69)
そういう自分の気持ちも利用して、 勉強へのモチベーションにするもんですよ。
天才になって勉強出来てみたいです。 勉強出来る人って尊敬されて幸せそうですね❗
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
本当に頭がいい人なら過信はしません。
- Epsilon03
- ベストアンサー率24% (868/3495)
普段から勉強できるのであれば、普通の事だと思っているでしょうね。 過信する人って山掛けが当たったりして、その時点数が急に上がった事による勘違いを現実と思い込むからでしょう。
- NNN999NNNN
- ベストアンサー率8% (7/79)
そうそういないよ。