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「冬山登山は悪だ!」

登山のカテからこちらへ移動しました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5777296.html 皆様の忌憚の無いお声を頂ければ・・・と考えておりますので、どうぞヨロシク。 教えて!の形を装って「冬山登山は悪だ!」的な意見を述べる方がいるようですが、 多くの場合無知故の感情論であったり、危険性について本来不可能な比較論に終始したりで、本気で相手にするには馬鹿馬鹿しい気持ちになります。 そこで「冬山登山は悪だ!」的な御意見をお持ちの方にそこに至った心情を教えて頂きたいのですが・・・・。 的確な論旨と偏見の無い認識に裏付けられた御回答には、山屋の心構えとして或は戒めとして真摯に受け止めたいと思います。

noname#109704
noname#109704

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#109229
noname#109229
回答No.2

私自身は、悪だ!と決めつける程ではないのですが、 やはり一部のマナーとか山に対する経験もなければ敬虔な気持ちもない登山家のために、色々な方面に迷惑がかかっているという事でしょうね。 一部のダメスモーカーのせいで全部の喫煙者が非国民扱いされてるのと同じです。 まず、山に限らず、自分が興味のない、あるいは必要のない趣味に対しては否定的になるものです。 また、夢中になれる趣味を持てなかった人は、嫉妬もあって、趣味に夢中になれる人に対して攻撃的になります。(特にこのサイトは) さらに、冬山登山は二重遭難とか救助にかかる税金とか、叩く材料には事欠かないので「冬山登山は悪だ!」的にエスカレートしてしまいます。(マスコミの報道も偏重だとは思うけどね) でもねえ、山に登る人達にとっては、誰からも中々理解してもらえないっていう、そのマイノリティの悲哀というか、疎外感みたいなものが、山に登る魅力と恍惚の源泉なんじゃないの? だから、悪だ!位に叩かれる事で、山への熱意を更に高めようと、こういう質問してる気もしますが・・。

noname#109704
質問者

お礼

適切なご回答ありがとうございました。 更に御意見がございましたなら、ご投稿頂きたく期待致しております。

noname#109704
質問者

補足

ご回答の前半については世間一般的な論調として核心を突かれていると思います。 しかし山屋は此処から何を学ばなければいけないのか、常に堂々巡りに陥ってしまうようです。 ≪でもねえ、山に登る人達にとっては、誰からも中々理解してもらえないっていう、そのマイノリティの悲哀というか、疎外感みたいなものが、 山に登る魅力と恍惚の源泉なんじゃないの? うがった見方だと一蹴することは簡単ですが、何故このような御意見を頂くのか山屋として自分に問うてみるべきだと思います。 しかし、このご意見は人間を「行動」へ向わせる「動機」として登山以外全てに当てはめられる事ではありませんか? ≪だから、悪だ!位に叩かれる事で、山への熱意を更に高めようと、こういう質問してる気もしますが・・。 全くそのような意図は無いのですが、そう受け止められてしまう事をシッカリ自省する必要はあるでしょう。

その他の回答 (3)

noname#120325
noname#120325
回答No.4

えーとですねー。その前のものとかも見たんですがー。ちょっと話がずれちゃうかなーと思うんですがー。 正直なところをいいますとねー。 「どーでもいい」んです。そんなこと。そういう連中って、世の中にいてもいなくてもどーでもいい人間たち、とゆー感じ。あっ、いえいえ私がそー思ってるってことじゃなくてですねー、みんな、だいたいそーゆー感覚なんじゃないかなー、と。 なので、繰り返し何度も質問してるのを見て、「あほちゃうこいつ。んなん、どーでもいいんだよ。んなの、世の中とはなーんの関係もないんだよ。うぜえな」みたいな感じ、なんじゃないかなぁ、と。あっ、いえいえ。私がそー思うんじゃなくてねー。みんな正直なところ、そーゆー感じかなー、と。 登山が、人の注目を集めたのは、もー何十年も前でしょーきっと。個人的にですが、植村さんが亡くなって、冒険としての登山は日本から消えたんですよきっと。残っているのは、レジャーとしての登山だけ。冒険としての登山は、もー死んだんです。例えば、大昔は、車で走るってことはそれだけで大冒険でしたが、今じゃ「車に乗って出かける」っての日常ですよねー。車自体は今だってとっても危険ですよー。毎年、何千人も事故で死んでますよー。でも、クルマに乗ることはもー冒険じゃないですねー。 登山は、今も沢山の人がやってますが、それはレジャーなんですねー。で、冬山だろーが、チョモランマ登頂だろうが、それはもー既に冒険じゃなくて、ただのレジャーなんですよー。少なくとも、ふつーの人にとってはね。死と隣り合わせだろーが、毎年遭難する人がいよーが、そんなのは関係ないです。危険なレジャーは山ほどありますからねー。 例えばですねー、車って、フツーの人にとっては日常であって冒険でもなんでもないですねー。でも、例えば改造したり、峠をせめたり、首都高を真夜中にとんでもないスピードで走ったりしてスリルを求める人、いますねー。で、そーゆー無茶やる人が事故ったら、「好き勝手やって勝手に怪我したり死んだりして、救急車も税金で動いてるんだぞ。こんな連中のために無駄金使うなんて!」とみんな思いますねー。あなたも思うでしょー? 登山も同じですよー。毎年、大勢の人たちがレジャーとしての登山を楽しんでますねー。ところが、中には、わざわざ危険を求めて冬山だのに出かける人もいる。それって、車の「やたら危険を求める迷惑な人達」と同じですねー。「そうじゃない」って否定しますかー? でもねー、登山は、もはや「冒険」じゃなくて、ただのレジャーなんですよー。危険を求める意義なんてないんです。あるのは、ただ単に「あなた個人にとってはまだ冒険だ」ってだけでねー。社会における冒険としての意義は、もはや登山というジャンルにはないんです。 どのようなジャンルであれ、「個人として」冒険を求めることはできます。でも、それはあくまで個人の問題であって、それを自分以外の人間に「理解しろ」というのは間違ってますよー。社会で許容されるのは、それがあくまで「社会における冒険としての意義」を認められている場合のみですよー。 例えば、フェルマーの定理(数学の難題でしたねー)の証明は、それは偉大なる冒険でした。それは、そのためにどれだけ税金を使い、どれだけ人材を投入しても、人は文句を言わなかった。なぜなら、それは、社会における冒険としての意義があったからです。けれど、数学を何も知らない人が、税金を投入して一人で研究して、ピタゴラスの定理を再発見しても、だれもそんなものには意義は認めない。当然、「税金泥棒」といわれる。その人にとって、それは数学上の大冒険だったけれど、社会においてはもはやそんなものは冒険ではない。 冬山登山。それは既に冒険でもなんでもない、ただのレジャーなのに、それを冒険だと錯覚している人がいる。そこに、受け止め方の違いがあるんじゃないかなーと思うですよー。

noname#109704
質問者

お礼

丁寧な御回答を頂きありがとうございます。 補足等ご意見のつけたしがありましたなら、 再度ご回答頂きたくお待ちしております。

noname#109704
質問者

補足

冬山登山を「冒険」と考えるかどうかは、人それぞれに意見の異なる事だとは思います。 山屋を冬山に向わせる「動機」が極めて「個人的」である限り、社会一般に理解を求める事は無理かも知れません。 その点ではviolini様の意見に同感です。 程度にもよりますが、日本国内のポピュラーな冬山登山は危険なものでは無く、従って危険を求めに行くものでもありません。 しかしそれを危険なものにしてしまうのは山屋個人の「資質」なのではないでしょうか?。 そのあたりをこのアンケートにより明確に認識できたなら・・・・と考えております。

  • inaken11
  • ベストアンサー率16% (1013/6245)
回答No.3

技術、計画性、決断力、先見性のない人は行かないでくれ。

noname#109704
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 inaken11様には更なる自論を頂戴致したく思います。

noname#109704
質問者

補足

全くその通りです。 しかしそれを誰が判断するのでしょう? このご意見は永遠の課題になりつつありますが、常に入り口部分にて混沌となり具体的な方向性さえ見出されてはいないようです。

noname#108634
noname#108634
回答No.1

ふっ。  例え、アンケートにしようが、 『冬山登山は悪だ!』と言うほど、愚かではありません。  所詮、愚か者は愚か者よのう・・・。

noname#109704
質問者

お礼

noronoro22さんは山屋ですか? その無頼な回答と、高度感のある写真。 いいですね、とても素晴らしいです。 ありがとうございます。

noname#109704
質問者

補足

noname#108634様 お礼欄にてお名前を間違えましたようです。 大変失礼を致しました。 申し訳ありませんでしたお詫び申し上げます。 此処は残雪期のヤツ赤でしょうか? 虚無的なご回答を頂きましたが、相当場数を踏まれているものと推察致します。 是非noname#108634様がその境地に至る迄の、実体験に裏付けされた御意見を頂きたくお願い申し上げます。

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