- 締切済み
アーティストであろうがアスリートであろうがアイドルであろうがメディアに
アーティストであろうがアスリートであろうがアイドルであろうがメディアに写る虚ろな表情や真に迫るような表情と、彼等の実際は浅はかで意義の薄いコメントや歌詞は釣り合ってないように思います(小栗旬とかとくに目につきます)。愚かなしつけ、教育のもとに生まれた脆弱な大衆は彼等を真に受けてしまい、しかも祭り立て現在の教養の無いバカ社会の規範を形成しているようにも思います。 個人の一意見にすぎないのですが、日本社会の特徴として取り合えず結論付けたいと思っています。 この事に対して賛成反対意見を訊きたいです。とくにミーハーな方とかの意見があればうれしいです。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- zki-yumi
- ベストアンサー率29% (83/277)
回答No.1
残念ながら芸能界はそういうところです。 そういう人たちで構成されている業界ですから、仕方ありません。 そして、大昔から大衆とは愚かなものであり、その中から一握りの 賢い人間が出てくるのだと思っています。 ただ、日本に関して特に思うことは、日本人は自分の哲学を持っている人が 他国に比べて少ないのではないか?ということです。 自分自身の中に絶対的なものが存在しないため、いつも社会と自分を照らし合わせ、 相対的に物事を判断する癖がついているのではないかと感じています。 ですから、全体を見たときにバラつきが少なく標準偏差が小さくなり、 そこから外れる者は叩かれる。そういう国民性を形成しているのではないでしょうか。
お礼
アメリカや欧州も愚衆なのでしょうが、おそらく貴方が言ったように主体性のなさが日本社会の器を小さくしてるんでしょうね。国の中でこそ一定の評価を持つが国際、学問など客観に晒されると実に脆くそんな自国が嫌になります。それに、その大衆意識の低さが一握りの賢者の質を上抑えする事になるのが懸念されます。 外人が言う「japanese!」って言葉には主体性のない、頼りない「間抜け」や「腑抜け」というニュアンスがこめられているように思えてしまうのも嫌です。やっぱ平和がいけないのでしょうかね?恵まれている事を良い事に保守に徹して自らを肯定するような最近の国民性は卑しいと言うかあざといと言うか・・・。太った豚が深刻な顔して目の前の餌を貪り食う様な愚かしいイメージです。しかし、多様性の考えから、この愚かな社会でもその上に文化を積み重ねて行くと正統性を帯びて行くってのがとても悲しく虚しいです。とにかく回答ありがとうございました。