• 締切済み

なぜ人を殺してはいけない?

怖い質問をしてすいません。こういった質問にok waveの皆様はどう回答されるか読んでみたくて質問させていただきます。決して病んでいるわけではありません。 昔、社会保険庁(?)がこれに回答しようとして、答えを出せなかったというのを聞いて興味が沸きました。多くの回答お待ちしております。 余談ですが、現状私の回答は 「自分や知り合いが殺されるのは嫌だ。他にも人を殺さないほうが良い理由はたくさんあるけれど、すべての理由が否定されても人を殺して良い世の中は好きになれなそうだ。」という稚拙なものです。良い悪いじゃなく好き嫌いで答えちゃってる辺りよくないのかなぁと思ったりします。さらに私は死刑には決して反対では無いと言う矛盾もあります。皆さんの回答も完璧じゃなくても共感できるものを読んでみたいと考えていますのでよろしくお願いします。

みんなの回答

  • budouzuki
  • ベストアンサー率18% (4/22)
回答No.16

良心の働きのためです。 良心に「人を殺してはいけない」という決まりがあるからです。 他にも泥棒はいけない、とかもありますね。 この良心の感覚はほぼどの人種でも同じなので、だいたいの法律に共通している部分が多いです。(多少住んでいる社会の影響を受けますので違いが出てくるわけですが。)

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.15

社会学的な観点での回答が多いように感じましたので、いささか天邪鬼(あまのじゃく)な回答をします。 一般的に人は人を殺してはいけませんが、動物は殺してかまいません。 まあ、むやみにその辺の犬や猫を殺すと嫌われますが、私たちは毎日のように牛肉や豚肉、あるいは魚などを食っていきています。 つまり、私たちは他の生き物の命を食い物にして、毎日生きているわけです。 じゃあ、何で人だけ殺しちゃいけないのかって話になるんですが、殺しちゃいけない人と、殺していい他の生物の間に違いがあるかどうかということになるわけです。 この先は宗教あるいは哲学的な価値観が入りますが、多くの宗教では人間は本来、尊い生き物なんだと教えます。現実の自分はとりあえずおいていてですね。 キリスト教などの一神教では、人間は神様が特別に造ったんだから、神様が人を殺しちゃいけないという教えを守らなければいけないと教えますし、仏教では人は仏の子なんだから、無益な殺生は駄目だと説いてるわけです。 他の方の回答にもありますが、「ダメなものはダメ!」という考えの根拠を、そういった価値観によって補うわけです。 ちなみにこの考え方は、社会学的にみてもけっこう重要です。 例えば、民主主義国と共産主義国では、人の生命の重さが明らかに違っています。 社会秩序を守る必要性から、ほとんどの国で政府機関が人を殺すことは認められていますが、民主主義国では宗教やその他の伝統的価値観が憲法や法律となっているため、適切な手続き、もしくは緊急時の対応で無い限り、軍隊や官憲が、そうむやみに人を殺すことはできません。 しかし、人は動物が進化したと哲学的にもそう信じている共産主義国では、その辺の規制が緩く、その国の政権の都合が悪いというだけで、多くの人が投獄て強制収容所に送られたり、もしくはあっさり殺されたりします。 ちなみに欧米諸国で死刑廃止運動が盛んなのは、明らかにキリスト教の影響ですね。 キリスト教では人の生命を扱っていいのは神に限られるため、神ならぬ人が勝手に人の生命を奪っていいのかと考える人が、少なくないからです。 日本でも死刑反対運動は一部でありますが、盛り上がられないのは宗教的・哲学的な裏付けが十分でないからでしょうね。

  • -NAMI-
  • ベストアンサー率17% (99/572)
回答No.14

一般庶民が秩序を守って穏やかに生活するためのルールではなかろうか? どんなコミュニティでも、家庭でも人が集まると 拘束力は別として、ルールが出来上がっていく。。。 まずは何を決めようかな?と思った時に思い浮かぶのは殺してはいけないこと。 DNAは子孫を残し繁栄することが組み込まれていると考えれば 自然なことかもしれません。 なぜ一般庶民と書いたかというと 戦争ばかり指導しているアメリカ歴代大統領は捕まらないからです。 しかし、教育上教える立場に立った時には 理屈で説明するのは危険らしいのです。 ベストセラーの「国家の品格」では 卑怯な事はしてはいけない、人を殺してはいけない・・・など 大切な価値観とも思えることは、理屈で説明しようとすると失敗する 頭から、駄目な物は駄目なのだ!と言う事が大切だそうで 例として会津藩の教えが載っていました 1つ、年長者の言う事に背いてはならぬ 2つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 3つ、嘘事を言う事はなりませぬ 4つ、卑怯な振りまいをしてはなりませぬ 5つ、弱いものいじめをしてはなりませぬ 6つ、戸外でものを食べてはなりませぬ 7つ、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ ならぬものは、ならぬものです ↑この結びがとても大切だそうです 本当に大切な価値観というのは理屈ではなく押し付けよ。だそうです

  • Gantz10
  • ベストアンサー率17% (20/117)
回答No.13

 よくある疑問ですが、まず前提が間違っています。  「人を殺してはいけない」というテーゼなどありません。  例えば日本国の刑法第199条には次のように書かれています。  「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。」  どこにも「殺してはいけない」などとは書かれておらず、あまつさえ「死刑」と書いてあります。これは、「殺してよい」と言っているわけですね。  従って、本当の問題は、あなた含め「よくある疑問」というほどにこんなテーゼがあると勘違いする人が多いのか、という点です。  こちらの問題に対する答えは、半分は No.9 の通りです。残りの半分は、その知恵が極めて「アタリマエ」という形で浸透しきっているという現状です。特に理論化されたり疑念を抱かれたりということすらされないほど浸透していると、改めて疑問を抱いたとき、答えがなかなか見つからないものなのです。

  • daina_man
  • ベストアンサー率11% (214/1896)
回答No.12

他の人の権利を奪うことだからと考えます。 誰でも生きる権利があります。その権利を奪うことだからいけないことだと思います。

  • 192455631
  • ベストアンサー率12% (204/1573)
回答No.11

きちんと考えるととても難しい問題ですよね。 わたしは数年前ふとしたきっかけで考えたことがあるのですが との時の考えはこうです。 「人間によって作られた社会で、人間らしく生きる為には  人間によって作られたルールを守ることが必要」 わたしの考えでした。

回答No.10

種の保存の為に私たちは生きているんです。 人を殺すと言う行為は人類という種を絶やす大きな要因になります 人を殺しても良いという考えの人は人類という種として壊れていると言っても過言ではありません。

  • gabbin
  • ベストアンサー率9% (3/31)
回答No.9

『人を殺してはいけない。』と、むかしから殆どの社会で定められているのは、 そう定めた方が、社会の秩序が保ちやすいという、経験からきた知恵だと思います。 そう決めてしまったほうが、社会が安定すると、人々が、苦い経験を経て知ったのではないでしょうか。

  • 467594729
  • ベストアンサー率30% (12/39)
回答No.8

私は下記のサイトを読んで、納得しました。

参考URL:
http://bsg.to/mt/archives/200605/2006-05-27T09:50.shtml
回答No.7

#4です。 #4に付け足すなら、本人が「自分が殺されるのは嫌」と考えているだけではなく、他人も同じく「自分が殺されるのは嫌」と考えています。 「もし自分は絶対に殺されないのであれば、他人を殺しても良いの?」とのことですが、この時点で絶対殺されない本人も「もし殺されるとしたら、それは嫌なこと」と考えていますよね。 そして、殺すことが「可能なこと」とそれが「肯定されること」は違います。 これは「警察に絶対捕まらないとしたら、何をしても良いのか?」というのと同じことですね。 たしかに、なんでも出来るかもしれませんが、それが「可能なこと」と「規範的に許されること」とは違うのはご理解いただけますか。

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