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あなたには世界はどう見えていますか?
今、高校生です。 昔は別になんとも思っていなかったのですが、年齢を重ねるごとに色々な社会の表裏が見えてきて複雑な気持ちです。 差別はよくないと言いつつ差別なんてあふれてたり、法律があっても破る人は当然いなくなったりしないのが普通で。 マナーとかなんて、罰則がなければ破る人もいたり当然守る人もいたり。 一応建て前では「これがルール」というのがあるわけですが、「ルールは破るために・・・」とか言い出したらキリが無いしあったとしても何人がそれを破るでしょうか? 自分も学校ではイジメられたりイジメたり、友人に裏切られることもあればそれでも感謝したいことが沢山あったりするし、一概になにが間違っていてなにが正しいのかという感覚が麻痺してきてます。 ここのサイトの質問とかを見ていてもひとつの質問に対して色々な意見があり、慰めや否定・肯定、叱咤激励、罵詈雑言・・・他にも色々な意見が飛び交っています。 自分には信じられないと思っても、それに共感する人もいます。 でも、その中のどれかが正解なのではなく、どの答えも回答してくれた人が考えて(感じて)出してくれた答えじゃないですか。 でも、自分は感情や人の意見に流されやすいので、はっきり自分という物が見えません。 どちらかと言えば、自分の世界はあまりよくないと思うほうです。 人間はとても未完成だとかよく思いますし。 それに、なかなか相手を信じることができません。 相手が何を考えてるのか分かりませんしね。 自分は少し生真面目なのでこの世界が悪いほうに見えるのですが、たぶん人によって世界の見え方が違うと思います。 別に世界各国の現状、とかそういうのじゃなくてあなたはどういう風に世界を感じるのかに興味があります。 よければ教えてください。
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どういう風に世界を感じるか、人によって大分違うでしょうね。 中国の思想ですが、「陰陽」という言葉が私の見ている世界に近いと思います。 または「表裏一体」、でしょうか。 表があれば裏があり、光があれば闇もある。 戦争の感じられないところに手に取る平和を感じられないが、戦争を感じれば初めて平和を感じる。 外が暗いから蛍が光ってると感じ、蛍が光ってるのを確認できるから周りが暗いと感じる。 それらは『陽だから善、陰だから悪』ということではありません。 あくまでこの世界を構成する要素に過ぎず、両要素は対等、同等である、というのが陰陽の考えです。 そして世の中には相対的なものはあっても絶対的なものはなく、常に曖昧で常に均等、対等である、と私は考えています。 分かりにくく言いましたね。 噛み砕いて言うと一概に正しい、間違ってるなんて相対的に人が勝手につけただけだということです。 だからその人にとって正しいと思っていることでも別の人には間違ってる、と言うかもしれません。 例を出して言うと ある人が言います。 『何故人を殺してはいけないの?』 ある人は答えます。 『理屈も何も無い、人は殺してはいけないんです。法律で裁かれるよ』 その答えにまた問いかけます。 『では何故沢山人を殺した戦争の英雄さんは罰されないの?』 何が正しいか間違ってるかなんて人それぞれです。 そして悪いことというのは伝わりやすく、分かりやすいから世界が悪い方に見えますが、表があれば裏もある、世界は悪いのも良いのもどっこいどっこいだと私は考えていますよ。 (というより何が悪い良いなんて一概に決めることなど出来ないから、世界が良いか悪いなんて考えませんね、正直・・) 最後に・・・ >自分は感情や人の意見に流されやすいので、はっきり自分という物が見えません 無人島でずっと暮らすと自我、というものがなくなるそうです。 人は他者を見、自分を見て自分を形成します。 つまり「相対的にあの人たちより自分は優しいと思うから自分は優しい性格だ」、とかですね。 高校生くらいの思春期になると自分の存在が不透明になるときが質問者さんに限らず結構居ます。 他者との触れ合いで自分を見つけてみてください、流されたとしても自分にとってイイ、イヤは分かると思います。 それすらも無かったらそれが自分、という自我にもなると思いますよ^^ 以上が私の世界の見方、でしょうか? 正直それ(世界)が悪い、良いなんて考えません。 自分がいいか、嫌か、の基準で考えてます。 もっとぶっちゃけると世界なんてどうでもいい、と考えてます。(コラ) だって世界は私に関心を寄せていますか?(笑) それぐらいの軽い気持ちで望んだ方がいろいろと楽です、精神的にも^^ こんな感じでしょうか?長々と失礼しました。
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- galluda
- ベストアンサー率35% (440/1242)
がると申します。 そうですねぇ…私にとっての世界とは、まさに「混沌」そのものです。 さまざまなものが入り混じってこその世界なのではないでしょうか? どこぞの考え方なのですが。 「この世に純粋な白はなく。純粋な白だと思うその中にすでに黒がある。 この世に純粋な黒はなく。純粋な黒だと思うその中にすでに白がある。」 奇麗事で固められている世界には数多くの、目を覆いたくなるような汚い話しが転がってます。 虚言を暴力で固めたようなろくでもない世界で、ビックリするほどに素晴らしいものに出会えることもあります。 私は、そんな混沌とした世界を「色眼鏡をつけずに」見据えるだけのものを持ちたい、って思いますね。
お礼
世界はカオスですね。 自分も色眼鏡をつけず世界を見据えたいですね。 結構、難しい質問でしたが皆さん良い回答ありがとうございます。
- hasuha17
- ベストアンサー率44% (48/108)
ひょっとしたらこれから書く考えは、今の今だけの考えで、数秒後には私の考えはすっかり変わってしまうかもしれませんが、お答えさせて頂きます。 私は現在、中学3年生(若輩ながら偉そうでごめんなさい)ですが、月日が過ぎるとともに、それまでは存在すら知らなかった世情が見えてきました。結婚には妥協が少なからずあること、頭の良い人が必ずしも完全無欠な人間的にできている人ではないこと、長く生きていてもいつまでも稚拙な人がいること、恋愛とは想像以上に複雑であること、質問者さんの仰るのと同じようにルールと建前のことなど、細かいことですが、私にはけっこう大きなことでした。 他にもたくさんのことを知ってショックを受けたりしましたが、中でも一番ショックだった、私の恐怖心に根ざしたのは宗教感についてです。 私の家は無信仰なのですが、たまたま身近な人がとある新興宗教の家庭で、「どういう宗教なんだろう」とちょっと気になって勝手に調べてみたことがありました。 そうしたら、私には信じられないような信仰(抽象表現でごめんなさい)をしていて、しかも、それを心から信じていることがわかりました。 だから何、といわれればそれまでなのですが、私には「何故そんなもの信じるの?」という疑念を抱かずにいられませんでした。「信仰は自由だし、本人が幸せならそれでいいのかもしれない」と思って話はしてはいませんが。 それからは、社会科で習う「インドでは牛が神様」とか、「イスラム教では豚を食べちゃいけない」とかに対して「なんで食べないんだ~?おいしいのにー」などと思っていた考えが一変しました。彼らは冗談でなく、本気で実行しているからです。 そういうことを考えると、世界には本当に様々な哲学や考え方が飛び交っているように見えます。混沌とした宇宙みたいに。 だからはっきり言うと、私は世界が得体のしれない恐ろしいものに見えます。 ですが、人間は積極的にお互いにコミュニケーションをとる生き物です。それは、相手に自分の考えを伝えると同時に、相手の考えを理解しようという行為だと私は思っています。 そしてさなかで、独りよがりの状態を抜け、上記のような考えとは違った新しい物の見方、新しい世界の様子を知ることができるかなー? と思っています。 だから、世界はとても恐ろしいですが、それと同時に興味深くもあります。 なんだかよくわからなくなってきましたが、こんな感じでしょうか^^;
お礼
この歳になって思う。 本当に知らなければよかったことが沢山ある。 子供のころとかもっと綺麗な世界を見てたからなぁ。 宗教は確かに難しいですね。 知り合いにも少し変な宗教の人いましたよ。 本人が幸せなら・・・と思ってもなぜか自分の中で釈然としないこととかも沢山あります。 hasuha17さんはよく考えてると思いますよ。 世界に興味をもてているのはいいことです。 物をいろんな角度から見ようという姿勢が良いです。 ありがとうございました。 俺も肉なんで食わないんだ?と昔思ったな(笑)
- Aselia
- ベストアンサー率14% (24/163)
世界は悪人のためにできている。 それが真理だと思います。 善人は損をし悪人が得をする。 なんと言うか殺伐とした世界になりつつあるように感じます。 でも、その中に小さな喜びがあるからこそ、そんな世界でも好きになれると思います。 裏を見て汚いとしか思えないと思いますが、少し目を凝らすとその汚れの中にも綺麗な事は存在しています。 砂粒の中から砂金を探すかのような行いですが、目をそむけるばかりが正しい事ではありませんよ。
お礼
多かれ少なかれ人間には善と悪の部分が存在してますからね。 フェアプレーでアンフェアプレーに対抗しても負けるのは必然的ですからね。 悪が得をするとはいえ完全な悪にはなりたくないですね。 財産など目に見える部分で得をしても本当に必要なものが何一つ手に入らない気がしますし。
- resista
- ベストアンサー率25% (117/461)
そりゃ日本悪く見えると思いますよw まあ例えば・・・ ・一部の銀行員では相手の絶対儲けるわけのない話を持っていって利益を上げないといけなかったり (自分の兄貴の過去の話からして) ・地域財政の不正金を焼いたなどの報道があったり (まあ焼いたのは嘘だろうけど・・・) ・親が自分の子供を殺したり(最近多すぎ) ・社会で成功している人は実は頑張って働いた人ばかりでなく むしろゴマすり人間みたいな方が明らかに多い気がする (まあ特に大学とかの教授はその骨頂!!絶対何か間違ってるよな・・・) ・耐震偽造のマンション 正直嫌気がさしまくりで一時期ドイツ、フランス、イタリア辺りに頑張って移住でもしようかな~とか思ってましたw 個人的に思いますが日本人信念といえるものがないような気がします・・・ 誰でも自分なりの信念というものを持っていた方がいいと思います (ああいう人間にはなりたくないとかでもいいから) まあでも日本より最悪なところもあるということは肝に銘じておいたほうがいいです 正直戦争の真っ只中でずっと一生を過ごす人もいるわけですし そういう点では秩序が腐ってきてる世の中(日本)に生まれたとしてもそれは幸福だったと思います まああと気になったんですけど・・・ 相手が信用できないと言う前に相手に自分を信用させる努力をした方がいいです (相手もあなたのことをそう思ってたらいつまでも平行線です) でも凄く自己中心的な人や人の話を聞いてない人に信用してもらおうとしても無駄ってことが多々あるんで注意したがいいです (自分のオヤジがそんな感じ・・・OTZ)
お礼
やっぱり難しいですね。 平和な国とはいえ危ない事件も多いですしね。 >秩序が腐ってきてる世の中(日本)に生まれたとしてもそれは幸福だったと思います 確かに世界的に見ると、かなり恵まれてはいますね。 そのせいで悪い部分に目が行くのかもしれませんが。 信念が無い人が多いということですが、一歩間違えると頑固な人になってしまいそうです。 迷惑な信念を貫かれても困りますからね(笑
こんにちは。立派なコトはいえないですが 同じ高校生の立場から同世代として思うこと として 私はよく「自分が一生懸命まじめに生きていっても誰かに殺されちゃうかもしれないし、損ばっかりするかもしれない。だからいっそのこと自分も卑怯な手を使って生きていったほうが得なのかもしれないなぁ。」と思います。 そんな風に思ってしまうほど、世の中には疑心暗鬼になってしまう要素がたくさんあります。子供が親を殺すとか又はその逆、そんなコトが当たり前になった社会を目の当たりにして、こっちはどうすればいいのかなんてまったくわからないのに、大人は「次の時代は君たちが担っていくんだよ」なんていうものだから、大人になりたくないなとも思います。(私は18歳なので、もうそんなことも言ってられないのですが。。) 正直言って、こんな世の中を担っていける自信もなければ、大人になる自信もないです。 私も自分の意見っていうものがハッキリとはわかりません。だから、この先どうすればいいのかも、わかりません。しかし、生きてくつもりです。質問者さんには完全に固定された存在というものがありますか? 私の場合は両親です。彼らの存在は揺らぐことがないと思っているので、彼らの教えてくれたように、また彼らが社会に希望を抱いているように、私もそうやって生きていきます。 同世代として仕方ないとしても、この社会と一緒に頑張っていきましょう。 ps、生意気なこといってごめんなさい。
お礼
奇遇ですね。 自分も同い年です。 やっぱり考えてることも似てますね。 悪人なんて数が多くなればそっちが正義になるわけで。 自分が馬鹿を見るのも嫌ですけど、「やられる前にやる」というのも相手を不幸にしかねないので、間を取るようにしてます。 次の時代を担うと言っても今の大人も担えてない人は多いですし、無理してになおうとすることないです。 多かれ少なかれ担うことにはなると思いますし。 両親や尊敬する人の言うことを信じてきましたが、最近理想が強すぎるきがしてしまっていたので。 世界はどんどん変わってますしね。 ある程度は仕方ないかもしれません。 >ps、生意気なこといってごめんなさい。 全然そんな風には思いませんでしたが。 回答してもらって感謝してますよ? ありがとうございます。
- shigure33
- ベストアンサー率11% (17/146)
僕も人間は未完成…と言うか不完全なものだと思いますよ。 その不完全な人間が作り上げているのがこの世の中です。不完全なものになってしまっているのは…仕方ない事なのでしょう。 数式のように明確な答えがあればいいのですけどね。でも僕自身矛盾を抱えてますので『唯一の正解』等と言うのは中々導き出せず、複数の答え中からよりベターなものを選んでいる(つもり?)です。 でも間違っちゃう事、多いんですよねぇ^^;)
お礼
完全なんて理想ですね。 どこかで不具合がでてくる。 明確な答えが無いからこそできることもあるとは思いますけど。 >でも間違っちゃう事、多いんですよねぇ^^;) そうですね。 本当になんででしょうか?
- tmaru1221
- ベストアンサー率14% (53/368)
自分は流れやすい人間だということを自分自身が知っているあなたは、もうそれで十分だと思います。 人間はとても未完成だと思っているあなたはすばらしいと思います。 まだ、高校生なんですよね。いろいろな失敗をしたほうがいいです。そこから学べることはたくさんあります。 最終的には、どれがよくてどれがよくないか自分自身で判断するものです。その判断が間違っていたとしても気にする必要はありません。その失敗を次にいかせばそれでいいんです。 というように、僕は常にポジティブに生きていっています。 こんなアドバイスでどうでしょうか?
お礼
けっこう優柔不断なんですよね。 失敗するのはやっぱり怖いです。 でも、そうしないと前進できませんしね。 回答ありがとうございました。
- sat4
- ベストアンサー率38% (100/262)
私は、世の中というものは、 良いことと悪いこと、楽しいことと悲しいこと などなどが ボーダレスにかつ無限に広がっているように思えます。 黒から白へ、赤から青へ色が境目なしに変化しながら無限に広がっている感じです。 また、時代と共に、例えば正義といったものの価値観も変化していますし、 その時代、その時代で、上記のイメージでいうと、色の明るさ暗さが変化するような そんなイメージです。 従って、そうしたボーダレスな世の中で、自分はどこに位置を取るかということは 重要だと考えています。 例えば、絶対的な正義という基準がないにしても、 白は白であって、灰色を白と言わないのと同じで 自分は、世の中のほとんどの人が正しいと考える行動を取ろうと思っています。 もっとも、多くの人が灰色と感じるものを白と感じる人がいるのと同様、 多くの人が悪いと感じていることをそう感じない人も一部にいますよね。 そうならないように、自分自身が気をつけたり、多くの人の意見を聞いたり、 そういうことが世の中だと思っています。 分かりづらい例えですみません。
お礼
sat4さんは柔軟な考え方ですね。 移り変わっていく世界の中で適応していく感じ。 確かに多くの人が感じることが正しいと思うのが一番いいことなのかもしれません。 自分は時々、「でも本当にそうなのか?」とか考えてしまうんですが。 回答ありがとうございました。
お礼
なかなかためになる面白い文章ですね。 確かに世界なんて自分の感じ方で変わる物。 その人が良いと思えば良い。 悪いと思えば悪くなるものです。 命の重さは同じだという人がいます。 しかし、人間以外の動物を殺しても罪は軽い。 植物や昆虫は所有物とかでなければ罪に問われないですから。 いい加減でむちゃくちゃな世界ですしね。 回答ありがとうございました。