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村上春樹のノーベル賞文学賞受賞について
村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性について、最近、話題になっています。先日も2005年度のアメリカの小説TOP10に『海辺のカフカ』が選ばれたことからも、海外での評価の高さからも、そういう声があってしかるべきだと思います。 しかしながら、私個人の意見としては、彼は受賞できないと思っています。なぜなら、彼の文学は、既定の枠組みには収まりきれない文学的可能性をはらんでいるからです。 川端、大江の両氏の受賞は納得がいきます。文章力、テーマ設定が文句のつけようのないくらい、パーフェクトだからです。しかし、村上春樹はどうか? その点においては、疑問符がつきます。あまりに完璧なものは、時として、古びてしまいます。文学研究において、いまだに文学的可能性を示唆するものとして研究されているノーベル賞受賞の文学者は、私見では、ほとんどいません。 彼の真骨頂は、いまだに定義できない未知の文学性をはらんでいる、という点だと思います。そうであるならば、生きているうちに一等賞をあげてしまうノーベル賞にはふさわしくない、と考えます。よって、「次の日本人のノーベル文学賞は村上春樹だ」というようなナイーブな意見には疑問を抱いてしまうのです。 皆さんの意見はいかがでしょうか。率直な意見をお聞かせ下さい。 (注 他のカテゴリで質問しましたが「アンケート」であることを見逃していました。マルチポスト的になりましたが予めお詫びいたします)
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こんにちは。 村上春樹さんの本をいくつか読んでいると、 なにかどことなく、 自分と対話する材料を提供してくれている気がします。 「文化は個人のものだ」と誰かが言った記憶がありますが、 村上さんの小説を読んでいると、 どう読むのかは個人のものだと投げかけている気がします。 それとともに、 なにか村上さんは日本とか日本人を ここ何年か注目している気がします。 突き抜けていく手前のような気がします。 自分自身にとって村上さんの小説は なんだろ、 自分を包み込むようで、 自分の背中を押してくれるひとつとして存在しているので、 まだ、うーん・・・、 賞はもらってほしくないですー^^
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こんにちは。 その記事はよんでいないのですが、 自分の個人的なかんじだと、賞よりも 彼は、一人一人の読者の中に「入る」ことの できる文学を書くことに注力しているとおもうので もしかりにそのような話があっても いまは、断るのではないかと、おもいます。 なぜなら、賞をとることで ○○賞をとった作家の本だからよんでみよう!と おもって手に取る読者が増えて ある意味、春樹さんが読者を選ぶような状態が 少し崩れるとおもうからです。 今までどおり、ひとりひとりの 心の中で、温まり、流動的なかたまりみたいな ああいう作品をこれからもつくってほしいので 自分は、賞にこだわらないでほしいなと ひそかにおもっています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >彼は、一人一人の読者の中に「入る」ことのできる文学を書くことに注力している この指摘は興味深いですね。彼の文学は確かに、我々の中に入ってきます。彼独特の、強烈なイメージを喚起する不思議な空間…そういう魅力が確かにあります。 私見ですが、仮に受賞したとしたら、彼は断らないと思います。彼はもっと多くの人に、自身の本を読んでもらいたがっているようですし、本を手にとって読むか読まないかはすべて読者にゆだねているからです。だからといって賞にこだわる作品作りをしているとも思いません。ご自身の世界観にかなりこだわっているので。
jojo-jojo-jojoさんの期待している意見であるという自信を全くもてないのですが、ただの「村上春樹ファン」としての感想みたいな物を・・・ 私も彼は受賞しない気がします。というか、そうあって欲しい。彼は今までも賞をあまり受賞してませんよね?その辺が、サルトルみたいに何か信条があって受賞してないんじゃないかな、とタニンには思えるからです。 文学的には、最近作風が最初と若干変わった気がするので、もしかしたら時代に合わせているだけで根底は変わってないかもしれないけど、そこがまだ彼が発展途上なんじゃないか、まだ脱皮中なんじゃないかと思うからです。 という曖昧な見解をしてみました、恥ずかしい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >彼が発展途上なんじゃないか、まだ脱皮中なんじゃないか そうなんですよね、彼はもう60くらいだというのに、その作品がどんどん進化して行っていることに、驚きを隠せずにいられません。『海辺のカフカ』は初期作品とは全然別の次元の作品でありながら、それでも『世界の終わりと…』以来、変わらない何かがあると思います。
補足
彼の作品で「完璧だ!」という「長編」の作品を目にしたことはありますか? あまりないはずです。すべてが大いなる「未完成」の作品であり、そして次から次へと新たな世界を作っていきます。ただ、皆さんは気付いたでしょうか、『アフターダーク』は(内容の面白さは別にして)まったく新しい作品です。文章に「隙」がまったくなく、そして例の「やれやれ」という言葉がまったく使われてない。『スプートニクの恋人』がある意味で実験小説だった(この作品は酷評されましたが)あとで、『海辺のカフカ』。つまり、こんどの長編はかなり期待できるというわけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分と対話する材料を提供してくれている そうですね、読み終わったあとに、ざらざらと何かが残りますね。そのざらざらはふとしたときに思い出されて、「あれはいったいどういう意味だったんだろう」ということを一人一人に強く考えさせるものがあります。一方で「意味がまったく分からない」という意見もしばしば耳にします。つまり、ざらざらが残らない。春樹さんはそれを仕方ないことだと思っていらっしゃるようです。 よくあるように、大きな賞をとると、作品が迎合されてしまいがちですよね。しかし賞は残念ながら、作家が作家として生きていくうえでの「売れるための」補助みたいなものなので、やるというならもらう、という感じはどの作家にしてもあると思います。春樹さんにしてもそれは同じようです。