戸塚宏氏は万人が自分の教育を受けるべきと思っている
戸塚ヨットスクールの問題、映画『平成ジレンマ』等から
(非行 引きこもり等)
世間から匙を投げられた人を扱うにはあのやり方しかないと云う人も
極稀に居られる事は伺われた事です。
唯、講演会や番組の対談で議論が炎上するのは、
批判されると「黙れ」「お前らに解るか」と云います。
多分、批判される要因は
① 戸塚ヨットスクールに入る人と、一般の家庭や学校の人は違うと
思うが、戸塚校長がヨットスクールのやり方で、家庭や学校でも行わないといけない等と云っている事
② 戸塚ヨットスクールの意義を評価した上で、「違う教育方針は認めないのですか?」「合う人は良いが合わない人も居る、合わない人は違う環境で(甘やかすのではなく)身を立てれたらそれでいい」
と云う意見にも「黙れ」と云っていたと思います。
③ ああしないと云う事を聞かない人が極少数ですが居るのは確かですが、その様な中に「普通のヨットスクールだと思って入校した人」も居り、訓練は別として、スクール内で苛めを奨励させ、耐えれないと「弱い」で片付けている処も問題かと思います。
戸塚校長は
① あのヨットスクールのやり方、極稀にああするしかない人も居りますがその人達に限定されるものなのでしょうか?
万人があの環境で行い、適応できないと「弱い」と云う事に成るのでしょうか?
② 体罰の問題、肯定派である島根の開星高校の教員だった
野々村直通氏が「口で云って聞く生徒や、別に殴らなくても良い生徒には手を上げませんよ、唯そんな生徒ばかりではないですから」
と云っておりましたが、戸塚校長は「そんな奴は弱い、鍛えてやっている」「それに耐えたものだけが生き残れる、脱落すればそれまで」
と云う感覚なのでしょうか?
この辺りの事をご回答戴きたいと思います。