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ドイツ 戦後
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- 強制立ち入りがほとんど行われていないのはなぜなんでしょうか
強制立ち入りがほとんど行われていないのはなぜなんでしょうか いろいろな団体が虐待防止の活動を行っているのになぜ、虐待のうたがいのある児童の確認が徹底的に義務付けられていないのでしょうか。 子どもの命に関わることで、通報も増えてきたのに、「訪問はしたが留守だった」「親が拒否した」などで手遅れになっているケースが多すぎます 目視確認を怠ったら罪になってもおかしくないのではないでしょうか。子どもの命に関わるのですから 親が拒否するなんておかしいし、もしかしたら亡くなっているかもしれません これだけの死者がでているのに法律にがんじがらめの先進国は異常ですよね 今の社会は、あんな酷い親の元に産まれて運が悪かったね かわいそうと済まされている気がしてなりません 見てみぬふりや関わらないことも虐待に加担していると思います 何かできることがあればと思って虐待防止の活動団体を調べましたが、緊迫した怒りなどは感じられず、がっかりしてしまいました。(内容も解らない私の私見です 本当にすみません)なんだか虐待防止のイベントみたいに感じてしまいました 今日にも明日にも失われる命を早急に救う手立てやアクションはないのでしょうか 虐待死のニュースなんて2度と見たくないです
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- kurumimamacyan
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- 日本に心からの謝罪を迫る韓国の真意が理解できません、彼らの真意は何でし
日本に心からの謝罪を迫る韓国の真意が理解できません、彼らの真意は何でしょうか? さらに言えば、日本政府閣僚の全員が長期にわたって、いわゆる謝罪に反する意見を言わなくなる状態がくると本気で思っているのでしょうか? 当時の国際法にのっとった合法的な韓国併合問題、昭和20年までの戦争での徴用、慰安婦問題もすべて同じです。 ※慰安婦問題・・・昭和10年前後までは日本の東北地方の女子はメシが食えず親が身売りをさせた事態もあった時代であることを理解すべきです。 もっと言えば、彼らの精神構造は駄々をこねれば「かわいそうだね」とあやしてもらえる事を期待しているのだろうか、と思えるのです。私流に考えば、当時の世界状態からして、韓国・北朝鮮(それから中国も同じ)は外国から付け込まれるような統治状態、内乱状態であったことを反省すべきと思えます。なお、私は帝国主義の暴力が好きなわけでもなく戦争がすきでもありません。 できれば、リベラルな立場の方の意見が聞きたいです。
- ナポレオンがドイツにもたらした影響を、時代背景を交えて教えていただけい
ナポレオンがドイツにもたらした影響を、時代背景を交えて教えていただけいでしょうか。 教科書を見ても、インターネットで調べてもいまいちわかりません。 よろしくお願い致します。
- 「戦艦大和」・「戦艦武蔵」という新鋭巨大艦を帝国海軍が保有していたこと
「戦艦大和」・「戦艦武蔵」という新鋭巨大艦を帝国海軍が保有していたことを国民は、昭和20年9月の帝国議会で初めて知ったと思うのですが、私の理解は正しいでしょうか。 もし、そうであるのなら、戦時中にその存在を公表しなかったのはなぜですか。 初めての海戦までは敵国に知られたくないので秘密にするのは分かるのですが、マリアナ沖海戦以降も秘密にしておく理由が分かりません。 艦名は発表しなくてもよいですが、 世界一の新鋭巨大戦艦「大和」「武蔵」を保有しているということを国民に知らせた方が、戦意を高揚できると思うのですが・・・。 よろしくお願いします。
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- goo-par1732
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- 太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今で
太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今であれば、ケーブルや衛星を通じた通信が普通であるが、当時、例えば ヨーロッパの領事館、もしくは戦地から現地の情報を伝えたいとき、知りたいとき、最速の通信手段としてはどのようなものがあったのでしょうか できれば詳細に教えてください)
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- kenji85_2009
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- 私は今外貨預金を始めようと思ってるのですが、米ドルやユーロなどたくさん
私は今外貨預金を始めようと思ってるのですが、米ドルやユーロなどたくさんの外貨がありますよね? 初めて外貨預金をするならどの外貨がやりやすいですか? 個人的にはユーロは単位(?)を日本円にすると高いのでユーロが良いのかな…と思ってるんですが…。 良かったら教えてください。
- 英文翻訳をお願いします。
The continental powers had begun the war with trained armies of regulars and reservists, which were wasting assets. Crown Prince Rupprecht of Bavaria wrote, "What remained of the old first-class peace-trained German infantry had been expended on the battlefield". A war of attrition was a logical strategy for Britain against Germany, which was also at war with France and Russia. A school of thought holds that the Battle of the Somme placed unprecedented strain on the German army and that after the battle it was unable to replace casualties like-for-like, which reduced it to a militia. The destruction of German units in battle was made worse by lack of rest. British and French aircraft and long-range guns reached well behind the front-line, where trench-digging and other work meant that troops returned to the line exhausted.
- 日本も、他敗戦国独伊並みに、核ミサイルのシュエアを
先の戦争の敗戦国、独、伊は、核ミサイルを、自国では開発、製造することは出来ないが、欧米の戦勝国から、購入して、自国の防衛を強化しています。 日本より、自立が、進んでいます、最先端です。 見方によれば、日本は、白人でない、黄色人種として、差別されているようにもみえます。 欧米の戦勝国から、購入していると言うことは、独、伊の所持する量が、欧米の戦勝国が、販売する量に、制限されていると言う事です。 それでも、自国の防衛レベルを、核ミサイルの最先端にしています。 日本の近隣国の共産国、中国、北朝鮮、ロシアは、核保有国です。 特に、中国、北朝鮮は、核ミサイルをチラつかせながら、日本に政治・経済上の譲歩を、強要してきます。 日本の世論は、広島、長崎 の原爆被災の後遺症で、非核三原則を主張します。 非核三原則を主張しても、中国、北朝鮮は、日本に政治・経済上の譲歩を、強要しないと言うことはしません。 逆に、日本は敗戦国だから、戦勝国が、仕返しを恐れ、再軍備が許されていない、この時とばかり、軍事レベルに大差をつけようとしています。 非核三原則を主張しても、敵国が、核ミサイルを使わないと言う、担保はありません。 それどころか、歴史は、その時代の科学の最高レベルを学び、生活を豊かにする努力をした者だけが生き延び、色んな理由を作り、それを怠った国が、滅んで、地球上から消え去っています。 それが、この地上の始まって以来の、掟のようです。 さて、前置きが長くなりましたが、これからが、質問です。 このように、過去の歴史からみたら、非核三原則は、担保のない日本絶滅の政策です。 非核三原則を主張する人達に、科学的、合理的に、日本が絶滅しないという理論が、あるのでしょうか ? 私には、ただ、感情的になっているだけのように見えるのですが。
- 「それでも信用,感謝出来ますか?」
(1)、50年以上に渡り行い続けて来た麻薬ビジネスが、人様の健康と国民の共有財産たる社会保障をブチ壊しにして来たというのに、どうして医師を名乗る白衣を着た人物が、保険医療機関の看板を掲げながら、敷地内で病人相手にヘロインやコカインに匹敵する依存性有毒物の売り込み(麻薬ビジネス)を行っているのでしょうか・・? (2)、健康保険料や国民健康保険税納付者に要らぬ負担を強いると分かっていながら、医療者が麻薬ビジネスを行う事を「やめる義務など無いんじゃ、ボケェ!」だの「利害関係者への説明責任など無いんじゃ。末端職員は勿論、理事長さえ対外的な責任は負わんのじゃ、アホが!」 と宣う医療法人を貴方は健康保険料や国民健康保険税納付者として信頼し感謝出来ますか? 感謝と賛辞又は非難と抗議は下記医療法人まで↓ http://www1.tst.ne.jp/ohkahp/
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- 病院・通院・入院
- hoku10nojidai
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- 何でもやると言う元特殊部隊長は民間人を虐殺せよと命
母国の正式小銃以外の他国の小銃も特殊部隊は熟練しているようですが、敵のやったことに見せかけて村民60人を虐殺しろと言われたら特殊部隊は実行するんですか? 私は北朝鮮の特殊部隊が民間人を拉致したこととアメリカの特殊部隊がビンラディンを暗殺したことしか知らないんですけど歴史上、国際紛争上、特殊部隊が民間人殺害を意図して実行した事例はありますか?
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- noname#224560
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- 日本と同盟を結んだことのある国は?
電車内の日能研の問題で、「日本と同盟を結んだ国は」というような問題がありました。 実際には、その問いに答えられた世代別の正答率の結果を参考になんか述べよ云々という問題です。 2017年01月明治大学付属明治中学校【社会】 | 日能研 http://www.nichinoken.co.jp/shikakumaru/201701_sh/ この問題自体は重要では無いので忘れていただいてもかまいません。この問題自体は中学入試つまり小学生向けの問題のネタなので、「ドイツとイタリア」が一応の正解だと思いますが、建国以来全期間を通してその二国だけと言えるのかと電車内で私は少し悩みました。 今の日米同盟は?日ソ不可侵条約は?このどちらも同盟とは言えないのかとか、 白村江の戦いは百済との同盟をもとに参戦したんじゃなかったっけとか、 第一次世界大戦のとき?は日英同盟とかなかったっけ?とか 満州とは同盟とかなかったっけとか…。 日本と同盟を結んだことのある国を教えてください。 ドイツとイタリア以外にもありますか? よろしくお願いします。
- 高校の世界史の内容の細かさ?について
高校の世界史の内容の細かさ?について フランス革命とかって内容が他と比べてけっこう細かくて内容が濃い気がします 教科書のページや問題集のまとめの部分の多さだけで比較するなら第1次世界対戦や第2次世界史対戦より多い気がします なぜフランス革命は他と比べてけっこう細かいのですか? それだけ重要な内容だからですか? 内容の規模で言ったら第一次世界対戦や第二次世界対戦の方が大きい気がしますが
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- noname#240297
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- 歴史との向き合い方
本日9月2日は、72年前に大日本帝国が連合国に降伏調印した日。もちろん降伏の意志を示したのは8月15日であり、それ以降も攻めてきて終戦のドサクサに領土と人命を奪ったソ連の所業は許せませんが、世界的には9月2日が終戦日であり、玉音放送のあった8月15日を終戦日としている所に、当時の日本人にとっての太平洋戦争というものがよく表れている気がします。 私は日本の近現代史に興味があり、太平洋戦争とその敗戦を避ける道はなかったのか、他に選べた道筋はなかったのかとよく夢想したのですが、それは現代の視点によって考えられるのであって、結局は歴史は「なるようになった」のだと思います。歴史を学ぶ意義は、そこから教訓を得て未来に生かす事でしょう。私の世代は日教組の教育方針によって、「日本はアジアで悪い事をした」「戦争末期の悲惨さ、空襲や原爆の恐ろしさ」といったトラウマを叩き込まれて「だから戦争はいけない」という結論を教え込まれました。そうゆう、総力戦や核兵器による戦争の結果を教えるのも大切ではありますが、「どうして戦争が始まり敗戦に至ったか」という方向から学ぶ事も大切だと思うのです。ヒトラーや東條英機がいたから戦争が始まったわけじゃありません。政治経済、資源や中国大陸の利権など、当時の色んな力学が働いて戦争は起こるべくして起きたのだと思います。現代では核の抑止力によって先進国間ではもう昔のような戦争は起きませんが、それ以外では人間はアホな事を繰り返しています。歴史は繰り返すと言っても、技術の発達や世界の体制の変化によってまったく同じ繰り返しにはならず、どう歴史の教訓を生かすかというのはなかなか難しいですが、我が国だけで310万人の犠牲者の霊に報いるためにも、考え続けなければいけないと思うのです。 戦争の当事者はもうじきみなさんこの世を去りますし、正直もう、加害者意識・被害者意識といったものはどうでもよく、さりとて自分の国の歴史の上に自分は立っているので、自分の国の歴史をよく理解し、また戦った相手国の都合もよく理解する事が今を生きる人の使命だと思うのです。 常々私は、自分の子供に日本の近現代史をどう伝えればいいのか考えていたのですが、先日逆に娘の方から「これ面白いよ」と薦められて読んでいる本があります。 「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」 http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/ 今まであまり知らなかった広範囲な視点で、わかりやすく書かれていて、とても面白いです。また、娘の中学の歴史のテストを見ると、昔のように暗記していれば答えられるような問題は少なく、因果関係を考察させ文章で答える形になっていて、歴史教育も変わってきたなぁと感じました。 ・・・ええと、長くなりましたが、ここで個々の具体的な歴史や歴史観を話し合うつもりはありません。歴史との向き合い方について、思うところのある方は語っていただければと思います。
- 満州国で溥儀は尊敬されてたんですか?
溥儀は関東軍の傀儡と言われていますが 曲がりなりにも満州国の皇帝です 軍人は影では悪口を言っていても 溥儀の前に出れば礼儀正しくしたと思います 溥儀は実際 軍人の間では尊敬されてたんでしょうか?
- もし日本が第2次世界大戦開戦となったパール・ハーバ
もし日本が第2次世界大戦開戦となったパール・ハーバー奇襲攻撃を実行せずに欧米列強の植民地になっていたら日本も世界ももっと発展していたのでしょうか? いまの香港とかは欧米列強に無条件降伏して本国の中国より経済発展している。 そして日本も東南アジアの植民地化について「欧米列強の植民地化から開放してあげた恩人であると思って欲しい」とか「日本が植民地化しなくても欧米列強に植民地化されていた」とか「日本が植民地化してあげたおかげで原始時代のような生活環境から近代化させてあげたので恩を感じて欲しい」とか言っています。 でも日本が第2次世界大戦をやった理由は経済制裁で石油の輸入が難しくなっていずれ日本から攻撃しなくても欧米列強が日本に攻めてきて植民地化する流れだったのでどの道、戦争になっていたとか言います。 でも矛盾してますよね。 日本は植民地化から開放してあげて植民地化してあげて経済発展させてあげたというのに、自分のところが植民地化されかけたら全力で戦争をした。 植民地化されて経済発展するなら日本もすなおに欧米列強の植民地化になっていれば第2次世界大戦もなく日本も世界ももっと発展していたのかなとふと思いました。 まあ日本の日本が植民地化してあげて経済発展させてやったというのは矛盾してますよ。 そう思いませんか?
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- 国際問題
- auhuaweinova2
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- 日本への移民
海外から日本への研修生員(後に移民)が増えると、 海外人の生まれてからの生活習慣環境と日本古来の 生活習慣環境が異なるため、日本での生活が上手く いかないと日本の印象が悪くなり、祖国へ帰って大 人になっても日本での印象は直らないと思います。 さらに、行方不明の外国人が増え日本に潜伏してい れば仲間同士組織(地下組織)を作り、国内テロや 暴動を引き起こす。その時の警察・自衛隊は重要施 設「原子力発電所・石油コンビナート・各放送局・ 国会議事堂等」を守れるだろうか。平和惚けしてい る国民の皆様は「そんなことはあり得ない想定外」 と笑って酒を飲んで歌っていることでしょう。 本当に問題は無いでしょうか、皆様にお聞きします。
- 英文を訳して下さい。
After the war, the Reichsarchiv historians wrote that the Franco-British armies conducted attacks from 17 December, between Arras and Armentières. By 20 December, Allied attacks had been contained but skirmishing continued around Carency, Ecurie, Neuve Chapelle and La Bassée. On 1 January 1915, the 6th Army near Arras, was ordered to capture the chapel on the Lorette Spur with the XIV Corps, after which VII Corps would join the attack on either side of La Bassée Canal, from Givenchy to Cuinchy but lack of resources led to a costly stalemate by February 1915. Subsequent operations Main article: Battle of Neuve Chapelle At 7:30 a.m. on 10 March, the British began a thirty-five minute artillery bombardment by 90 18-pounder field guns of the Indian Corps and IV Corps, on the German wire around the village of Neuve Chapelle, which was destroyed within ten minutes. The remaining fifteen 18-pounder batteries, six 6-inch howitzer siege batteries and six QF 4.5-inch howitzer batteries, fired on the German front-line trenches which were 3 ft (0.91 m) deep, with breastworks 4 ft (1.2 m) high. The German fortifications were demolished by the howitzer bombardment, which was followed by an infantry assault at 8:05 a.m. German defences in the centre were quickly overrun on a 1,600 yd (1,500 m) front and Neuve Chapelle village was captured by 10:00 a.m. On the left of the attack, two companies of the German Jäger Battalion 11 with c. 200 men and a machine-gun, delayed the advance for more than six hours until forced to retreat, which stopped the advance. Although aerial photography had been useful, it was unable to efficiently identify the enemy's strong defensive points. Primitive communications also meant that the British commanders had been unable to keep in touch with each other and the attack became disorganised which disrupted the delivery of supplies. On 12 March, German forces commanded by Crown Prince Rupprecht, launched a counter-attack which failed but forced the British to use most of their artillery ammunition; the British offensive was postponed on 13 March and abandoned two days later. The Battle of Hill 60 (17 April – 7 May 1915) took place near Hill 60 south of Ypres on the Western Front, during the First World War. Hill 60 had been captured by the German 30th Division on 11 November 1914, during the First Battle of Ypres (19 October – 22 November 1914). Initial French preparations to raid the hill were continued by the British 28th Division, which took over the line in February 1915 and then by the 5th Division. The plan was expanded into an ambitious attempt to capture the hill, despite advice that Hill 60 could not be held unless the nearby Caterpillar ridge was also occupied. It was found that Hill 60 was the only place in the area not waterlogged and a French 3 ft × 2 ft (0.91 m × 0.61 m) mine gallery was extended. The Battle of Hill 60
