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少数民族

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  • リンカーンについてまとめてみました。

    リンカーンについて小説風にまとめてみました。前半が普通のリンカーン像、後半が暗い一面に焦点を当てたリンカーンです。世界史はあまり得意でないので間違い等あるかと思います。間違い等ございましたら、どうかご指摘ください。よろしくお願いします。以下です。 幌馬車は、西へ西へと進む。 開拓者精神、フロンティアスピリット。彼らは森を切り開き、田畑にした。 ある家族にも子供が生まれた。 少年はエーブと名付けられた。 正直者のエーブは、やさしく力も強く、よく手伝いもした。周囲から感心される子供へと育っていった。 ある日、エーブは恐ろしい光景に遭遇した。市場で彼が見たもの。 それは黒人の親子が奴隷として売られていくところだった。 奴隷商人は鞭を手にしていた。 母親と、まだ年端もいかない子供。奴隷商人は、泣きながら子供に抱き付く母親をちぎるように引き離し、泣き叫ぶ二人を別の男へと売ったのだった。 エーブの耳にいつまでも残っていた。 連行されながら、絶叫し我が子の名を叫ぶ母親の声が。 母親に泣き叫ぶ子供の声が。 言葉は分からなくても、何を言っているのかは十分分かる。 「お母さん、お母さん」 母と子はそれぞれ別の買い手に売り飛ばされてしまった。 「同じ人間が奴隷として売られていくなんて、なんて酷いんだろう」 エーブは幼心に誓った。 「こんなことがあっちゃいけない。いつか、絶対に奴隷制度をなくすんだ」 やがてエーブも大人になった。 彼は大統領になっていた。エイブラハム・リンカーン。奴隷を解放した大統領だ。 その頃には、北部では奴隷制度廃止運動も盛りあがってきていた。 リンカーンは奴隷制を悲しみながらも、アメリカが南北に分かれてしまうことを懸念していた。大統領の就任式が行われた時、リンカーンはこう演説した。 「私は今ある奴隷制度には干渉しません。でも、どの州も勝手に合衆国を脱退することは認めません。しかし諸君(南部所連合を指す)のほうから侵略しないかぎり戦争になることはありません」 リンカーンは、そう宣言した。 しかし南部の者は、それに対して猛烈に反対した。南部には広大な綿花畑がある。 黒人奴隷は朝から晩まで、家畜のように働かされていた。そして奴隷抜きでは、綿花畑(プランテーションといいます)は成り立たないと彼らは考えていた(注・参照) 恐れていたことがおこった。 南部の独立宣言だった。 リンカーンは思った。「絶対にアメリカを分断させてはならない」 彼は苦渋の決断をした。戦争だった。 南北戦争が始まった。 戦争は残酷な反面、経済を発展させる側面を持っている。 この戦争によって、ライフル銃、物資を運ぶための鉄道、電信技術等も発展した。 戦争から二年後、ついにリンカーンは奴隷解放宣言を発布した。南北戦争は奴隷解放戦争となった(注2)。リンカーンは「人民の人民による人民のための政治を作るのだ」と言って北軍を励ました。 最も多くの血が流れた戦争だった。 お互いに多大な犠牲を払い、戦争が終わった。北軍の勝利、リンカーンの勝利だった。 アメリカ分断の危機はこうして、回避された。 そして奴隷は解放された。彼ら黒人は自由の身となった。 南軍の降伏から4日後、リンカーンは首都ワシントンの劇場で暗殺された。 56歳の生涯だった。 政府と議会は奴隷制を廃止し、黒人に自由を与え、市民権を与えた。 それでも黒人と白人が肩を並べるのを快く思わない人たちがいた。彼らは秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)を作り、黒人を差別し、暴力等をふるった。今でも少数ながら、KKKは現存しています。 (注1) 当時、黒人が南部のプランテーションに連行された関係で今でも黒人は南部に多く住んでいます。 (注2) 南北戦争が始まってすぐに奴隷解放宣言を出さなかったわけ→当時合衆国側にとどまった州と、合衆国から脱退した州、そして奴隷州だが合衆国に忠誠を誓った州(境界州)とがあった。リンカーンは奴隷制度を出すことにより、境界州が敵側(南部)につくことを恐れた。しかし、イギリス、フランスが南軍に味方するとの情報をもとに、奴隷解放宣言へと踏み切った。大義名分を得た北軍に対して、各国は表立って南部を支援することができなくなった。 以下はウィキペディアを元にした暗い一面にスポットを当てたリンカーンです。以下、間違っている部分等ありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。 ネイティブアメリカン・・・インディアンにとって、リンカーンという名前はおそらく忌まわしい名前なのではないだろうか? リンカーンが熱烈に師と仰いだ人物ヘンリー・クレイ。彼は言った。 「人類全体からのインディアンの消滅は、世界的には大きな損失ではない。私には、彼らが人種として保存されるだけの価値があるとは思えない。」 彼は、徹底したインディアン排除論者であったし、それを受け継いだリンカーンもまた同様であった。 ホームステッド法。以下Wikipediaから引用する1862年、「ホームステッド法」を可決。これは、すべてのインディアンを保留地(Reservation)に定住させ、父系社会のルールのもと(インディアンの社会は母系である)、彼らに狩猟民族であろうと遊牧民族であろうと、一律にその文化を捨てさせ、農業を強制するものである[332]。」 1862年、インディアン、ダコタ・スー族が反乱をおこした。 「俺たちは10年も前に土地を奪われた。俺たちは狩りをして生活していたのに、狩りを禁止のこの土地へと追いやられた。白人政府は、土地と引き換えに支払うと年金を約束したのに、まるで払ってくれない」 彼らは飢餓状態だった。食べるものにも困っていた。しかし彼らの暴動に対し、リンカーンはジョン・ポープに鎮圧を命じた。 「私の目的は、スー族をすべて皆殺しにすることだ。彼らは条約だとか妥協を結ぶべき人間としてなどでは決してなく、狂人、あるいは野獣として扱われることになるだろう」 ジョン・ポープの声明に、リンカーンはなんら異を唱えなかった。暴動は鎮圧されスー族2000人のうち392人が軍事裁判にかけられ、38人のインディアンが審議されることもなく死刑を言い渡された。彼らが尊敬し敬ってきた酋長、呪術師。彼らもまた、他の者と同様に絞首刑によって罪なき命を落とした。白人で断罪されたものは一人としていなかった。 リンカーンは約束を破った。ダコタ族に払うべきだった年金を払わなかった。それがもとで暴動がおきたにも関わらず、彼はこれを力で鎮圧し、酋長を殺し、呪術者を殺し、ほか多くの命を奪った。そして2年間、ダコタ族への年金を止めたのだった。以後、リンカーンはミネソタ州のダコタ族の保留地を強制没収し、スー族の居留地へと強制連行させた。中には従わない者たちもいた。ミネソタ州は、そうした者たちを絶滅させる政策をとった。それが女であろうと、子供であろうとかまわなかった。賞金首に祭り上げ徹底した絶滅を図った。リンカーンは何も言わなかった。 ナバホ族でも、インディアンが抵抗をしていた。彼らもまた、支払われるべき年金が支払われず窮していたのだった。リンカーンはカールトン准将に討伐を命じた。 「この戦いはお前たちが存在するか、動くのをやめるまで、何年でも続行されるだろう」 カールトンの声明をリンカーンは黙殺した。彼の軍は血の海より現れ、ここに地獄を再現した。彼らは殺した。大人であろうと子供であろうと。それが乳児であろうと彼らに何の関係があったろうか?彼らはもう人としての感情を失っていた。そして、彼らの目にもまた、叫び声をあげながら殺されてゆくインディアンたちが人として映し出されてはいなかったのであろう。彼らは目の前にいる者を殺した。目の前にいなければ追いかけて殺した、トウモロコシ畑、小麦畑に火をつけ焼き払った。炎は壁となり周囲を包囲した。追い詰められた男は殺され、女はレイプされた。 その後、リンカーンはナバホ族8500人を300マイル離れたアパッチ族の強制収容所へ連行させた。行かねば殺される。だが、行けばきっと地獄が待っている。徒歩での連行だった。彼らは振り返った。幸せな日々を思い出していた。 「白人が来るまでは毎日が幸せだった。誰もが笑っていた。笑顔と愛に包まれていた。偉大なる酋長、そして私たちは皆酋長を中心に争いもなく過ごしていた。白い悪魔に殺された母さん、レイプされ自殺した我が恋人。もう何もない。すべてが消えた。一瞬にして」 長い旅路だった。子供、老人、体力のないものは、ついにアパッチにたどり着くことなく、天国へと旅立っていった。しかし、もしかしたら、彼らはそれで幸せだったのかもしれない。たどり着いた先は地獄だったのだから。 男はそこで強制労働を課された。女は米軍にレイプされた。過酷な環境の下、生まれてきた乳幼児は物心つく前に朝露のように息を引き取った。 黒人を奴隷から解放したリンカーン。しかし、インディアンを人として見たことは一度もなかったのではないだろうか?暗い真実は今も光を当てられぬまま、そこに眠っている 以上です。よろしくお願いいたします。

  • 戦後の日本におけるCIAの対日植民地戦略

    やっと「従軍慰安婦」は韓国人とトロイの木馬となった在日韓国人やパチンコ議員たちによって用意周到に計画された「捏造」であったことが社会的に認知された。が、これよりも深くもっと昔から同じような手口で繰り返し捏造されたもの。 それが関東大震災の時に起こったとされる「朝鮮人大虐殺」というものである。在日韓国人朝鮮人のいうところの「関東大虐殺」である。連中、大げさな呼び名が好みらしい。 「従軍慰安婦」は、吉田清治なる自称ジャーナリストによって書かれた小説がひとり歩きして、それを日本の在日韓国人系の左翼の弁護士、ファック島みずほ銀行こと、福島瑞穂や、パチンコ議員の河野洋平やその取り巻きたちが生み出した架空の捏造話だった。 それを犬エッチKがワールドウォッチで取り上げて、全世界とただでNHKを見ている韓国人に広めたのであった(NHKは日本人より韓国人から受信料取ったらどう?)。そして、それを朝鮮日報日本支社の赤日新聞こと朝日新聞が執拗に取り上げたのであった。 「南京大虐殺」もまた、吉田の代わりを作家の本多勝一が、福島瑞穂の代わりを田辺誠書記長が果たして行われた捏造であった。 これらの捏造事件の共通点は、 実際には、やられた被害者が加害者にされ、やったほうの加害者が被害者面した、ということである。 南京大虐殺は、普通のシナ人を虐殺したのは、国民党+共産党(パルチザン)であった。そして、中国人よりずっと多く殺されたのは、当時中国に入植して中国を近代化していた日本人の婦女子であった。                                                                                                                       ・・・・・・・・・・以上は、井口和基先生のブログ記事ですが御感想をお聞かせください。・・・・・・・・・・ それが、戦後共産党が支那を仕切るようになると、史実を逆転化、意味逆転化したのである。 従軍慰安婦は、もはやスキップ。すでにみんな知っているはず。 ・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・ そして、実はまだ第二次世界大戦が始まるずっと前の大正デモクラシーの平和な日本で起こった大災害、それが関東大震災だった。 この時、大震災の地震による日本人被害者数は、それ以前の日本で起こった同程度の大震災とほぼ同じと推定して、1万人の死者だったと推測された。 ところが、火事火災で亡くなったものが多すぎて、最終的には13万人が亡くなったのである。したがって、関東大震災では計14万人が死んだのである。 問題は、この13万人の死者の大半が、火病を起こして屋根を飛び跳ねて東京中に火を付けて回った朝鮮人の放火によるものだったのである。つまり、東京中で放火した韓国人のせいで13万人が死んだのである。焼き殺されたのである。これを「大虐殺」と言わずしてなんというのか?  また、井戸に毒を入れたのも朝鮮人だった。婦女子を集団で陵辱殺害したのもまた朝鮮人だった。 これに対して、正当防衛として犯罪者である朝鮮人を処罰したのである。 それが、何十年か経って、みんな忘れたのを良いことに、「関東大震災の朝鮮人大虐殺」と捏造したのですナ。手口が全く同じだったのである。 さて、従軍慰安婦や南京大虐殺の捏造はある程度知られてきているから端折って、この「朝鮮人大虐殺」の捏造事件の真実をここにメモしておこう。これは、毎年ねずさんこと、小名木善行さんが記事にされているのでそれをメモしておこう。以下のものである。長いので本文はそちらを読んでもらおう。 今日は関東大震災が起こった日 このときの関東大震災の問題が再燃したのは、関東大震災から30年経って、人々の記憶から当時の不逞朝鮮人の凶行のの記憶が薄れはじめた昭和28年のことです。 タイミングとしては、ちょうど日本がサンフランシスコ講和条約によって主権を回復した年にあたります。 それまで占領統治の、というか植民地統治のセオリーである、「その国内にいる少数民族を手なずけ特権を与えることで、言葉の通じない当該国の民衆を支配する」という古来変わらぬ植民地統治の手法で、朝鮮人たちが厚遇され、また、この頃に終わった朝鮮戦争によって、大量の朝鮮人難民が日本にやってきていました。 難民たちは不法入国者ですが、朝鮮戦争当時の日本には主権はありません。 難民が押し寄せてきても、これを武力を用いて追い払うことも、逮捕投獄することもできません。 ですから、数十万人が日本に上陸していました。 そうした人たちは、本来であれば不法入国者ですから、朝鮮戦争が終わり、半島内の治安が回復した時点で、朝鮮本国に送り返さなければならない人たちでした。 ところが朝鮮半島は、身分差別の著しいところです。 帰れば、「こいつらは俺たちが戦っているときに敵前逃亡して逃げた奴らだ」とののしられるし、戦争が終わったと言っても、いつまた政府によって殺されるかわからない不安な状態にありました。 だからなんとかして日本に残りたかった。 そのために、自分たちはもとから日本にいて、日本人によって差別されてきた弱者だと、とつぜん言い始めたのです。 それが当時の在日朝鮮人たちによる、「関東大震災のときに朝鮮人達がいわれなく6000人も殺された」と言うデマです。 そもそも6000人という人数自体、いきなり降ってわいたような何の根拠もない数字です。 それをいうなら、不逞朝鮮人によって、12万余の日本人が殺されています。                                                                       以上は、井口和基先生のブログ記事ですが御感想をお聞かせください・・・・・・・・・・                                                                  CIAは戦後の対日植民地戦略において、馬鹿(白丁血脈の精神病気質)に在日特権を与え続けるやり方で、馬鹿を下部(代行役)組織のマフィア型のネットワーク社会として使い続けて来ています。                                                    馬鹿が、何故暴力団の下働きをしているのか?                           馬鹿が、何故24時間365日ギャングストーキング活動(指示された通りのステルス型の暴行手口だけを使っての特定個人連続暴行傷害活動)を「専業」でやり続けられているのか?    これはつまり、馬鹿には「金」の心配が一切無いからであり、何もやる事が無いので「さらに金だけを手に入れる」ためにやっているからです。

  • 実は外国人に嫌悪感抱かれ日本はおかしい!?

    ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていくであろう。日本人はドイツ人とは違う。ルーズベルト「日本人は獣である」 「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を"劣等人種"として激しく差別していたことで知られている。一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」 日本人は「謙虚」と言われてますが、あんなのは僕に言わせれば単なる「偽善者」です。そもそも、「つまらないものですが、どうぞ」という言葉を言う意味が分かりません。少なくとも自分は「つまらない」と思ってるものものをあげるってことは、他人をバカにしてるってことです。つまり、「お前にはこんなつまらないものがお似合いなんだ」ということですよね?あと、日本人は褒められても「全然たいしたことないよ」と言って謙遜しますが、日本人で「たいしたことないな」と言われてもキレない人はまれです。つまり、自分では自信があるってことです。ではなぜ堂々と自慢しないのか。答えは簡単です。日本人は他人に褒められたいのです。自慢すると相手が褒める必要がなくなるので、日本人は自慢をあまりしません。 この人の日記を見る限り、日本人受けする「ガイジン」という「建前」の自分を演じつつ、ここでは匿名の日記で「本音」の暴言を吐くという、最悪の「本音と建前」の使い分けをしていることがよくわかります。さすがは日本文化をよく理解していらっしゃることです。 家畜的国民。「遠い森 遠い声」より抜粋させていただきました。地デジ化はあの悪名高いアメリカからの年次改革要望書 2006年版にあった。 テレビは洗脳装置だそうです。 その黒人暴動がなくなったわけは、「牛などへの女性ホルモン投与だった」と聞きぞっとしたことがあります。 血気盛んな黒人男性を女性化....白人も女性化されますが.....それが施策として行われたことが怖い。女性ホルモンをつかうと牛は肥育するし果物はあまくなる。 日本でも女性ホルモンの投与は果物などにもされてきました。 野性動物を家畜化すると、体が小さくなり手足は短くなるそうだ。日本人の体型はまさに家畜のそれに近いw これを幼形成熟(ネオテニー)と表現する事もできるが、家畜化していると言う方がより正しい気がしますネ。 元々、人類は自己家畜化によってある程度家畜化している。その中でも特に家畜に近いのが日本人なのでしょう。 日本人には、徹底して権力に逆らうなというDNAが植え付けられている!家畜化した国民が「死の政治」安倍。 12月21日ハイパーインフレを起こして、日本をデフォルトにもっていく。そして国民から国が借りた借金を踏み倒す。その目論見が着々と進捗している。そうなったら貧乏人は餓死しか道はない。そこで、せめてエネルギーを太陽光発電にしておく。何と、日本の場合は、この利用価値がある。もうすべてが遅すぎる。手遅れになっている。家畜化した国民が、自民党に政権を託すのだから、状況は悪化の一途を辿る。東京の大手メディアが徹底して国民を愚民化する。それで日本民族は、おそらくあちこちの原発が破壊しても、自民党を支持するか、棄権するのである。 しかし、外国はそれではすまない。国民は知らないが、日本はすでに孤立している。日本人には、徹底して権力に逆らうな、というDNAが植え付けられている。「和」が真理よりも論理よりも優先される。大抵の会議は、ガス抜きにすぎない。政府の諮問委員会など、結論はあらかじめ決まっている。バカなことを営々とやり続けるものだ。呼ばれて出て行く学者もまた言葉なき家畜なのである。今年を振り返って、大きな結節点になったのは、特定秘密保護法である。こんな温和しい家畜に、特定秘密を暴露する勇気も問題意識もあろう筈がない。必然性のない、必要性のない法律である。集団的自衛権行使もまた、必然性・必要性のないものなのだ。中国・北朝鮮の脅威など、政治的に作られたものにすぎない。安保ムラに住み着き、安保で食う者たち。その者たちには脅威が必要なのだ。なければ意図的に作り出す。その先にあるのは、戦争をする国から、戦争なくては食っていけない国家への堕落である。これこそ、米国が意図した究極の日本改造なのである。ブログランキング・にほんブ ログ村へ 絶望の国、日本の若者の自殺率世界一!貧困国、冷酷な安倍政治「希望」がなければ、自殺はもっと増える!想像がつくと思いますが、自殺率は失業率と非常に強く相関しています。若年層では、これから先、生活が悪くなっていく。という意識の割合(希望閉塞率)のほうが、自殺率と強く関連しているのです拙稿「性別・年齢層別にみた自殺率と生活不安指標の関連」『武蔵野大学政治経済学部紀要』2009年)。日本の社会は希望をチラつかせながら搾取する傾向があるため、それに気がついた若者が絶望して自殺をしてしまうことがあると思います。日本の若者の自殺率世界一、我々大人が日本を再生していく気概を - るいネット日本の若者の自殺率世界一、我々大人が日本を再生していく気概を   日本の若者の自殺率は世界一に、この収束不全の状況は一体どういうことか。気概のない若者が情けないのか。いい大学→いい就職のレールの圧力が高いのか。これまでの大人がつくってきた日本社会がおかしくなっているのか。日本再生は、待ったなしです。【絶望】日本の若者の自殺率、名実共に世界一へ!欧米諸国は減少するも日本や韓国では増加!☆絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している以下、ネットの反応日本の社会は希望をチラつかせながら搾取する傾向があるため、それに気がついた若者が絶望して自殺をしてしまうことがあると思います。 また、大学卒業⇒就職のレールから落ちてしまうと再起が難しいという構造も、これに拍車をかけていると分析することが出来るでしょう。就職は年齢ではなく、スキルや能力で判断するべきで、誰もが努力をすれば働ける環境を整備する必要があります。他にも失敗した時に備えて社会的な受け皿や仕組みを作るべきで、国が積極的に動き出さないと自殺率が大きく変わることはないです。 と言っても、今の安倍政権は生活保護等の社会福祉を削る方向で動いていることから、自殺率が増える可能性のほうが高いと私は見ています・・・。山本太郎、この国は1日に5人が餓死する! 6人に1人が貧困!今国会ではとんでもない法案が、富裕層優遇!/20歳から64歳までの単身女性の3人に1人が貧困という状況に置かれている。6人から7人に1人が貧困という状況で、どうして取るべきところから取れないようにしていくのか!日本人劣化作戦 別名、日本人家畜化政策とも呼ばれている。 日本人に少しの便利と少しの贅沢を与えておけば、重要なことには気づかないとされ、今まで良いように使われてきたのだ。 これは戦後、アメリカの植民地となった日本の宿命だろう・・・ だが、早くここに氣付き、洗脳教育から脱出するべきだ。 ↑ あるサイト⁉の一部分の文章を見てかなりショックなんですが・・・。 私たち国民は本当は外国人に嫌悪感を抱かれていて、日本はおかしいのですか? ※私も日本はおかしいと思っています。 私も日本はおかしいと思ったのは海外寄りになって、また、ネットで日本の真実に偶然遭遇して知ってきているからなのもあります。 なので、洗脳マインドコントロールから脱しました。 テレビを見ないのもあると思いますが・・・。 国民の少数派の方々もそういう人たちが増えているし、何とか目を覚ましてほしいと真実を広めようと努力をしている方ももいるそうです。 日本は外国人に利用又は駒にされてるのでしょうか・・・。 しかし、上記の文章を信じていいのか、分からなくて疑心で疑問で質問しました。

    • yufy62
    • 回答数10
  • 日本語訳をお願い致します。

    In Poland, the key provisions were to become fundamental laws that overrode any national legal codes or legislation. The new country pledged to assure "full and complete protection of life and liberty to all individuals...without distinction of birth, nationality, language, race, or religion." Freedom of religion was guaranteed to everyone. Most residents were given citizenship, but there was considerable ambiguity on who was covered. The treaty guaranteed basic civil, political, and cultural rights, and required all citizens to be equal before the law and enjoy identical rights of citizens and workers. Polish was of the national language, but the treaty provided that minority languages could be freely used privately, in commerce, religion, the press, at public meetings, and before all courts. Minorities were to be permitted to establish and control at their own expense private charities, churches and social institutions, as well as schools, without interference from the government. The government was required to set up German-language public schools in those districts that had been German territory before the war. All education above the primary level was to be conducted exclusively in the national language. Article 12 was the enforcement clause; it gave the Council of the League of Nations responsibility for monitoring and enforcing each treaty.The three South Caucasian republics of Armenia, Azerbaijan and Georgia as well as the Mountainous Republic of the Northern Caucasus each sent a delegation to the Paris Peace Conference in 1919. Their attempts to gain protection from threats posed by the ongoing Russian Civil War largely failed as none of the major powers was interested in taking a mandate over the Caucasian territories. After a series of delays, the three South Caucasian countries ultimately gained de facto recognition from the Supreme Council of the Allied powers, but only when all European troops had been withdrawn from the Caucasus except for a British contingent in Batumi. Georgia was recognized de facto on 12 January 1920, followed by Azerbaijan on the same day and Armenia on 19 January 1920. The Allied leaders decided to limit their assistance to the Caucasian republics to arms, munitions, and food supply. The Armenian delegation was represented by Avetis Aharonyan, Hamo Ohanjanyan, Armen Garo and others. Azerbaijan's mission was headed by Alimardan Topchubashev. The delegation from Georgia included Nikolay Chkheidze, Irakli Tsereteli, Zurab Avalishvili, and others.

  • 究極の二択(嫌いなのは中、韓どっち?)

    タイトルまんまです。理由もお願いします。 僕は韓国が嫌いです。 余りにも日本に対する態度が許容範囲を越えているからです。 まだ中国の方が、自制コントロール出来ていると思います。 皆さん、どうですか?

  • 在日韓国人で信仰

    在日韓国人で信仰するとしたら、どんな宗教が考えられますか。 終戦後、千葉や埼玉に近い23区に家を建てた人の二世です。 ご両親を土葬で送っています。 何か宗教紙を購読されています。

  • 訳してください

    He elaborated that by definition minority groups cannot practice racism when being bigoted because they are gaining no particular advantage. とあるのですが、 (He elaborated that以降です)「マイノリティーは特別な優越点がない為、偏見を受けた時差別できない」と言う事でしょうか? practice racismがよくわかりません。 わかるかた、わかりやすく日本語にしてほしいです。 よろしくお願いします。

    • wxw
    • 回答数4
  • 内紛をやってる国は

    内紛に忙しくて海外とは戦争はしないのですか?

  • 英文を和訳して下さい。

    In spite of the country being under Allied blockade, the Hungarian Soviet Republic was formed and the Hungarian Red Army was rapidly set up. This army was initially successful against the Czechoslovak Legions, due to covert food and arms aid from Italy. This made it possible for Hungary to reach nearly the former Galician (Polish) border, thus separating the Czechoslovak and Romanian troops from each other. After a Hungarian-Czechoslovak cease-fire signed on 1 July 1919, the Hungarian Red Army left parts of Slovakia by 4 July, as the Entente powers promised to invite a Hungarian delegation to the Versailles Peace Conference. In the end, this particular invitation was not issued. Béla Kun, leader of the Hungarian Soviet Republic, then turned the Hungarian Red Army on the Romanian Army and attacked at the Tisza river on 20 July 1919. After fierce fighting that lasted some five days, the Hungarian Red Army collapsed. The Royal Romanian Army marched into Budapest on 4 August 1919. The Hungarian state was restored by the Entente powers, helping Admiral Horthy into power in November 1919. On 1 December 1919 the Hungarian delegation was officially invited to the Versailles Peace Conference; however, the newly defined borders of Hungary were nearly concluded without the presence of the Hungarians. During prior negotiations, the Hungarian party, along with the Austrian, advocated the American principle of self-determination: that the population of disputed territories should decide by free plebiscite to which country they wished to belong. This view did not prevail for long, as it was disregarded by the decisive French and British delegates. According to some opinions, the Allies drafted the outline of the new frontiers with little or no regard to the historical, cultural, ethnic, geographic, economic and strategic aspects of the region. The Allies assigned territories that were mostly populated by non-Hungarian ethnicities to successor states, but also allowed these states to absorb sizeable territories that were mainly inhabited by Hungarian-speaking populations. For instance, Romania gained all of Transylvania, which was home to 2,800,000 Romanians, but also contained a significant minority of 1,600,000 Magyars and about 250,000 Germans. The intent of the Allies was principally to strengthen these successor states at the expense of Hungary. Although the countries that were the main beneficiaries of the treaty partially noted the issues, the Hungarian delegates tried to draw attention to them. Their views were disregarded by the Allied representatives. Some predominantly Hungarian settlements, consisting of more than two million people, were situated in a typically 20–50 km (12–31 mi) wide strip along the new borders in foreign territory. More concentrated groups were found in Czechoslovakia (parts of southern Slovakia), Yugoslavia (parts of northern Vojvodina), and Romania (parts of Transylvania).

  • 人間が社会進出する事は善い事でしょうか?

    人間が社会進出する事は善い事でしょうか?

  • みんな死にたいんですか?

    みんな死にたいんですか? 死にたがってるけど、死にたい気持ちを隠して、あたかも死にたいなんて思ってないように見せて、死にたいのを我慢して頑張っているのですか?

    • noname#234704
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  • 日本はなぜ捕鯨をやめられないか?

    政府がIWCを脱退して商業捕鯨を復活させる方針と報道されました。 日本はなぜそこまで捕鯨に拘る必要があるのかと言う質問です。長いですが下記を読んでお答えいただければ幸いです。事実誤認があればご指摘ください。 今年の9月のIWC総会で日本の提案が受け入れられず、ミンククジラの生息数の増加云々にかかわらず商業捕鯨を今後認めない方向性が明らかになった時点で私も正直、IWC脱退しか無いかと思いました。 その後、あるきっかけがありWeb上でいろいろ調べるに至って、日本は捕鯨をやめても良いんじゃないかと思い始めました。ただ、Webで検索すると捕鯨推進派と反捕鯨のページが殆どで客観的な記載を見つけるのがとても難しい。その中でざっくり理解したのは下記のようなこと。 ・日本の捕鯨に反対する最右翼はオーストラリア。そのオーストラリアは元々捕鯨国で特に南のタスマニア州は捕鯨によって栄えた土地。ところがクジラを取りすぎて生息数が激減し、国内で捕獲規制が行われ、最終的には捕鯨そのものを禁止した。アメリカも捕鯨国だったけど(ペリー来航も元々は捕鯨船の停泊基地として日本に開港を求めることも入っていました)やはり鯨の生息数の減少と、ゴールドラッシュによる人手不足で廃れていった。元々は鯨をみんな取りすぎて危機感をもったところから規制が始まっている。 ・IWCでは鯨の生息数の激減を危惧して、1986年に商業捕鯨を全面的に禁止した。 ・その中で、日本が認められた調査捕鯨と、民族的な伝統による伝統捕鯨、それに偶発事故による鯨の捕獲だけが認められた。伝統捕鯨は伝統的なやり方で成形や儀式のための必要最小限の捕鯨を認めるもので、アメリカの原住民などごく一部に認められている。 ・日本は調査捕鯨の枠を利用しつつ、南極近くの海まで捕鯨船を繰り出し年間200-400等のミンククジラを捕獲している。 ・日本は調査捕鯨の結果、ミンククジラの生息数が十分増えていると言うことで、9月のIWCで商業捕鯨の再開を提案し否決された。 ・現実には鯨類のかなりの種が絶滅に貧していて、オーストラリアなどの環境保護的な検知からは、海洋環境の変化とともにもはや生命の生息環境が人間の判断でコントロールできないとして、改めて捕鯨に否定的な意見が出された。 ここまでであれば、そもそも反捕鯨国の集まりであるIWCに、科学的根拠を示しても根本的に無視されることに憤りも感じるのですが、 ・日本で調査捕鯨を行っているのは日本鯨類研究所と言う農林水産省の外郭団体。https://www.icrwhale.org/ ・この団体は東日本大震災の復興資金の一部があてがわれたとも言われ、批判対象にもなっている。ただし、大きな団体ではなく実際南太平洋で捕鯨を請け負っているのは、共同船舶株式会社と言う会社。http://www.kyodo-senpaku.co.jp/index.html 日本鯨類研究所との共同捕鯨事業の運営資金はクジラ肉の流通販売で賄っているとも言われていますが、実際にはシー・シェパード対策費用などがかさむこともあり、全体では採算が取れていない。つまり税金で賄われているところがある。 ・それどころか日本でのクジラ肉の流通は減っていて、調査捕鯨枠をフルに使い切っているわけでは無く、ますます日本鯨類研究所の採算は厳しくなっている。調査捕鯨枠は民間の近海捕鯨の漁業者にも割り振られるらしいが、近海で取れるクジラ肉の品質がミンククジラに比べてよろしくないらしく、漁業者に取って儲かる漁業でもないらしい。 個人的には、海外から反対されると反発もあって、飲み屋でクジラ肉があると頼んだりしていたのですが、決して美味しいものでもなく、また子供の頃の給食に鯨の竜田揚げの人気の無さと、貧しかった学生時代のナガスクジラの缶詰のまずさしか印象に無く、流通でたくさん流れても積極的に食べたいとは思いません。ところが捕鯨推進派のWebページでは鯨の竜田揚げの味を賛美するものまであり、よくわからない農水省と一部の研究所、企業のプロパガンダに巻き込まれている気がします。 で、今回の政府の決定は、国際問題が大きい南太平洋での捕鯨はやめて、IWCを脱退して商業捕鯨を復活されるものの日本の近海に限る方針の様で、正直誰の得にもならず単にメンツにこだわっているようにしか見えません。商業捕鯨を復活させたら、日本鯨類研究所に政府がお金を出す大義もなくなるように思うし、共同船舶(株)が独占して良い漁業でもなくなるはずですが、そもそも流通が減っていて特に人気のない近海の鯨に商業捕鯨を制限し、もし生息数が減って自己規制するようなことになればもともこもない。 流石に政府の判断なので、外圧に対する反発だけとも思えないのですが、なんで捕鯨を続けないといけないのでしょう?

  • なぜ日本人は事実を認めず嘘を繰り返すのですか?

    私はトルコ人です。なぜ日本人は事実を認めず嘘を繰り返すのですか? 日本は第二次世界大戦の時に大勢の若い命を奪いながらも、 「日本の軍隊は悪いことなんかしてない」と今でも主張していますね。世界大戦の時に大勢の若い命を奪いながらも、 「日本の軍隊は悪いことなんかしてない」と今でも主張していますね。 沖縄の大量自決。装備の無い戦闘機での体当たり。爆弾を運ばせて自爆。洗脳。韓国人に対する大量虐殺。 これらは全て紛れもない事実であるにも関わらず日本人は「軍隊は悪くない」「もう昔のこと」と全てを無かったことにしようとしている。外道極まり無い人種であるとトルコの誰もが知っている。 なのに日本人は嘘を繰り返す。それは何故ですか?日本人の残虐なDNAのせいですか?世界の残虐な事件でも日本人のコンクリート事件やアベック事件は非常に有名です。日本人の獰猛且つ冷酷な面がはっきり見てとれる。恥ずかしくないのですか? DNAのせいですか?世界の残虐な事件でも日本人のコンクリート事件やアベック事件は非常に有名です。日本人の獰猛且つ冷酷な面がはっきり見てとれる。恥ずかしくないのですか?

  • 中国かアメリカ、どちらの覇権がいいか?

    アメリカから中国に世界の覇権が移行しよとしていますが、貴方はどちらに覇権されたいですか? https://kamogawakosuke.info/2018/09/28/no-1231-%e7%b1%b3%e5%9b%bd%e3%81%8b%e3%82%89%e3%80%8c%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e4%b8%96%e7%b4%80%e3%80%8d%e3%81%b8/#more-5667 私の知り合いのヨーロッパ人は、常々アメリカのことをボロクソに言ってるんですが、この点に関しては迷わず「アメリカがいい」と即答しました。 同じ白人としての共同意識が根っ子にあるんでしょうか。 さて、現在の日本人は骨の髄までアメリカに洗脳され、アメリカ大好きな日本人ばかりに見えますが、伝統的には1000年以上も中国の傘下にあった国ですよね。 例えば、夏目漱石でも英語だけではなく、漢文にも堪能で漢詩も作っています。 中国は独裁国家だからと不安に思う人もいますが、アメリカの民主主義は表向きだけで実際は独裁国家以上のひどいことをやって来たことは、知ってる人は知ってると思います。 今の日本人には同じアジア人としての共同意識というのが無くなってるように思うのですが、インテリ層などでは根強い中国崇拝意識が残ってるのでしょうか?

  • 琉球とアイヌと東北と九州と対馬は独立すべきですよね

    琉球とアイヌと東北と九州と対馬は独立すべきですよね? これらは日本の土地じゃないし日本の植民地同然です。

  • 海外在住の方にお伺いします

    先進国の海外在住者です。 色々な意味で日本よりも幸せに暮らしている人が多いように見受けられます。 まあその反面、自由過ぎるのかルールを守れない人や、色々な出来事がありますが 海外で暮らしている日本の方限定でお伺いしますが 日本人で海外に住まわれている方は、変わっている方が多いのでしょうか。 また、この国の人はこの傾向があるなど、文句も含めて書いていただいてもかまいませんのでご意見いただければと思います。 わたしは、海外で出会う日本人の方は地方の方ばかりですが 一般常識がない、社交的でない傾向のある方に度々出会っていて これは偶然なのか、少し興味がわいています。 中国の方を嫌う意見をよく聞くのですが、中国人自身が一番同郷の中国の 人々を嫌っているような意見もよく聞いています。 日本の方が書かれていたブログですが、日本人が日本人を嫌っているような内容もあり、事実かどうかは分かりませんが色々な意見があるのだと思いました。 カナダにいるけど日本に帰りたい、日本よりましという逆の意見もよく聞きますが 個人的に、なぜこんな簡単なことが出来ない人が海外には多いのかと思うことが多いです。 買い物をしても間違いは日本とは比べ物にならない程あります。 簡単な計算もできない人も多いです。 日本人の場合は、何か話した際にすべてを100のように捉えてしまうのか ケーズバイケースで観る、考えることが苦手なのかと思うことがあります。 日本の人は記憶することに置いて優秀であるけども、自分自身で考える能力が低いのか教わった話のような話が多いのか、自分自身の意見あまりないようにも見えます。 確かに自分で考えるなんて、学校ではあまりしていなかったように記憶しています。 日本人と、色々な国の人の特徴やお話があればお聞かせください。

  • アメリカで黒人差別があそこまで酷いのはなぜ?

    アメリカでは、犯罪現場の近くに居たというだけで黒人が白人警官に暴行されたのちに逮捕され刑務所送りになったり、黒人少年が突如リンチされてその後加害者たちは逮捕されるも無罪放免で釈放されたり、トランプ大統領誕生後は公に差別罵倒が行われることが珍しくなく黒人の人が済む住居に落書きされたり縛り首の縄が飾られたり、酷いことが繰り返されています。 過去にアフリカやヨーロッパなどでも黒人奴隷の売買が行われていましたが、現在にそれを色濃く引きずり酷い黒人差別が続いているのは先進国ではアメリカぐらいのものです。またお隣のカナダではアメリカのような酷いことにはなっていません。 アメリカでの黒人差別があそこまで酷いのはなぜなのですか?  

  • 先史人類がほろんだ理由はなんですか?食べられた?

    ホモサピエンスが食べたというのは本当ですか?

  • 国民性と民族性との違い

    それぞれの意味は分かっていますが、「日本」における国民性と民族性との違いってなんでしょうか。 国民性はカルチャー的なもの、民族性は習慣みたいなものですか?

  • 韓国はなぜノーベル賞をとれないんですか?

    頭は決して悪くありません。囲碁だって強いし。

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