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江戸時代。城郭の保守・管理。
城郭の維持には莫大な費用を要したと思います。 江戸時代後半、城郭、中でも天守や櫓の傷み具合はどんな様子でしたか。 天守の屋根を葺き替えたとか、壁を塗り替えたとかの記録はあるのでしょうか。 国替えされた大名は、自分の先祖が築城したわけではなく、またいつ“転勤”するのか分からない上、勝手元不如意でそれどころではなかったというのが実情ですか。 よろしくお願いします。
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noname#252332
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- NOMED
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回答No.1
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 大藩の城には豪壮な天守があるものだと思っていました。 現存していないのは、維新後破却されたか、空襲で焼け落ちたからだと思っていました。 そう言えば30年ほど前、鹿児島城を地元の人に案内してもらいましたが、御殿だけだと聞いた記憶がよみがえりました。 彦根城も行きましたが、櫓の一つを天守だと呼んでいるのだと思っていました。 両城共、天守を省いた分、費用対効果抜群で実利的と言えますね。 今の市民は、大きな天守があったらよいのに、と思っているかも痴れませんが‥。 ついでに、今まで訪れた城で、天守がなかった城をネットで調べてみました。 青葉城も天守は建築されなかったようです。 播磨国明石城は、譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として、徳川秀忠より築城を命令されたとwikiにありますが、天守台を築いたものの天守は建築されていません。 もっと他にもありそうです。 お陰様でいろんなことが分かりました。 感謝申し上げます。