「最近のお笑いは……」という『質問の仕方』にうんざり(長文です)
・明確な回答が存在しない内容について、意見を求めることを目的とした質問
・解決すべき問題ではないが、同意や感想を求める質問
という点からこちらにカテゴリーにしました。
自分は「最近のお笑いは……」という、『一緒くたにくくった質問のい仕方』に非常に強い不快感を感じています。
というのも、その手の質問において質問者の「ほとんどの方」が、まるで『テレビのお笑いがすべて』といったような考えであるように取れるからです。
個人個人がこのお笑いが好き、嫌いというのはもちろんかまいません。個人の価値観の違いでしょうから。
しかし、『最近の』という表現はまさに『今の時代のすべての』という非常に大きな意味合いを持っています。この表現を使う以上、それこそ古今東西の漫才・コント・漫談などをすべて網羅したうえで初めて、『最近の』というひとくくりの表現を使えるでしょう。しかし、実際そのようなことはまず不可能であるといえます。
『最近の~』を使う質問者の方の中に、いったいどれほどの方がお笑いのすべてを網羅した人がいるでしょうか?そもそも、テレビでしかお笑いを見ず、ライブにすら足を運んだことがない人がほとんどではないでしょうか?
たとえば「藤崎マーケット」。テレビでしか彼らを知らない人は「ラララライ体操」しかできないと思っている人が大半でしょう。『最近の~』を使う質問者のうち、いったい何人が彼らの練られた漫才を知っているのでしょう。
「オリエンタルラジオ」。「武勇伝」で売れた、ルックスのいいコンビぐらいしか思っていない人が大半です。『最近の~』を使う質問者のうち何人が彼らのテレビではほとんど見せない、ある種の狂気的ともいえるネタの内容を知っているのでしょうか。
「鳥居みゆき」。『最近の~』を使う質問者のうち、何人が彼女のフリートークの腕を知っているのでしょうか。
例をあげればキリがありません。上にあげたのは今、頭に浮かんだほんの一例です。
テレビでしかお笑いを見たことがない人が、お笑いのすべてを知っているかの様に語るのは、プロ野球を一度も見たことがない人が、「珍プレー好プレー」しか見ずに野球のすべてをを語るようなものです。
学校で一人の生徒が問題を起こしたら、その学校の全校生徒が問題のある不良集団の集まりだと言うようなものです。
けしてテレビを否定するわけではありません。テレビのお笑いはあくまで「一部」なのだということです。もちろん自分もお笑いの全てを知っているわけではありません。否、むしろまだまだ知らないことが多いでしょう。
もう一度言いますが、個人のお笑いの好き嫌いは自由です。個人がどのお笑いが好きとか嫌いとかいうことに何ら不快感は感じません、全員に全員、「語るにはすべてを知ったうえで語れ」、などと言うつもりは毛頭ありません。自分だって好きでないお笑いは山ほどいます。
ただ、『最近の』という知りもしない癖に、さも、「私はすべてを知ったうえで言っているんだ」、というような姿勢が不快なのです。
お笑いがブームです。キャラクター重視のお笑いが増えたといいます。それは数多いお笑いのなかで、少しでも目立たなければ売れないという風潮が少なからずあるでしょう。それは悪いことではありませんし、キャラ重視で腕のあるお笑いも数多くいます。しかし、一般の人の中(特に『最近の』を使う、詳細を知らずに語りたがる人)には、ろくにネタやトークも知らずに「キャラだけのお笑い」と認識する人が多いのもまた事実です。
ブームが始まる前からお笑いファンだった人の中には今の現状を良く思っていない人も多いと思います。出来れば、にわかお笑いファンやミーハーがいなくなり、ブームが終わってほしいと思っている人もいるでしょう(ある意味、こういった質問者を作った原因の一つがお笑いブームであるとも考えられますから)。
……こういった自分の考えについて、同意をしていただけるかたはいますでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 なら、遠慮なく書いてみることにします。