体罰に賛成ですか?反対ですか?

このQ&Aのポイント
  • 教育現場全体における体罰の賛否について、皆様からの意見を募集しています。
  • 最近の未成年者の事件・事故を受けて、現代の子どもたちは甘やかされすぎていると感じる。
  • 一部の中学生・高校生の精神年齢が低く、親の教育も重要だと思う。
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体罰に賛成ですか?反対ですか?

【教育現場全体における体罰に、賛成ですか?それとも、反対ですか?】 高校の体育会系の部活動に限らず、教育現場全体での【体罰】の賛否について、皆様からの御投稿をお待ちしております。 私は、教育現場全体における体罰に、賛成です。 最近の未成年者の事件・事故のニュースを耳にするたびに、現代の子どもたちは、あまりにも甘やかされていると思えて仕方がありません。 あまりにも身勝手な動機による事件…人として、「やって良いことと悪いことの分別すら、中学生・高校生になっても出来ないのでしょうか。」 以前、仕事を通して、何人かの中学生・高校生に質問をしたことがあります。 私:「家で、お父さんに叩かれたり、殴られたことはある?」 生徒:「ない。」 私:「もし、家で、お父さんに叩かれたり、殴られたりしたら、どうする?きちんと反省出来る?」 生徒:「そんなのムリ!多分、やりかえすし。大人の人が考えている以上に、ウチラの腹のなかってドス黒いし。」 実際の会話をなるべく忠実に再現したつもりですが、とにかく、現代の中学生や高校生は精神年齢が低すぎる、また、時には、子どもの教育よりも、まずは親の教育を先にしなければならないという場合も見受けられます。 叱られたら、すぐ泣く。それも、中学生や高校生にもなって…。 私が子どもの頃は、「男は泣くな!!歯を食いしばれ!!」と良く諭されたものです。 以上の点から、私は、教育現場全体における体罰に賛成です。 正当な理由があれば、それが、後々の生徒自身の成長、社会全体の利益(公共の福祉)に繋がるのであれば、昔の言葉で言う【愛のムチ】は許されて然るべきなのではないでしょうか。 この問題に関しても、賛否両論に分かれると思いますが、皆様からの御意見・御回答をどうぞよろしくお願い致します。 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

noname#198699
noname#198699

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  • tomban
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回答No.11

反対です。 …というか「体罰には効果が無い」というのが、現在のところの私の結論です。 イジメを例にしますね。 昔のイジメは、認識として「社会的に憎むべきもの」でした。 あってはならないもので、行うものは糾弾されましたし、誹りを受けました。 子供のイジメということだからこそ大目に見られては来ましたが、それでも社会の和を乱す行為ということであり、親などは恥ずかしい思いを感じたものです。 白黒がハッキリしていましたから、対策も今に比べると果てしなく容易だったと思われます。 正誤はハッキリしていたし、イジメを行う生徒がいかに「自分の感情」があったにせよ、もしそれによって「イジメ」を行ってしまったならば誹りを受けること、自分が悪役になってしまうおそれがあることは、例え小さな子供でも肌身に感じられたはずです。 それくらいにハッキリした秩序というものがありましたので、イジメを罰せられるということは当人にとっても「了解済み」でもあり、その上で自分の感情と、社会的な秩序とのバランスに悩みながら、イジメを継続していたものと思われます。 「自分が悪いのだから、是正して欲しい」という感情があったはずなのです。 自分でどうにも出来ないからこそ、他者の力「権力」というものを借り、自分に言い聞かせていくという方法です。 昔の体罰は「問題を起こした者が心の何処かで望んでいた手段」でした。 それゆえに成立もしたのです。 もちろん中には、それを理解せず、闇雲に強権発動する先生もいたでしょうが、そういった先生はそのうちには淘汰されていったものです。 先生という立場は、それくらいに絶対的であり、同時に重い責任を課せられていたのですね。 今の現状は「自由意識」というものを大きく履き違えた、社会の大人たちの責任です。 自由には必ず「制約」が存在し、制約を守れないものには自由を行使させるべきではない、という「原則」を全くこころみること無く、教育現場で「自由平等」という意識を教えこんだ罪は大きなものがあります。 それに加え、自由の名のもとで「義」というものを疎かにし、無軌道な競争原理を展開してきた「バブル時代」があります。 その中で、社会的倫理観というものは崩壊し、霧散しました。 社会悪という概念も消え果てました。 そしてそれは、現在でも何ら変わること無く継続中なのです。 大人(親)の中にも、子どもたちの中にも、最早「自省」という概念はありません。 社会も「規範」を失っています。 そういった社会であり、教育現場でもありますから、もし「体罰」というかたちを取ってしまうなら、そこでの互いの関係性は「上書き」になってしまい、子供が自ら積み上げようとした経験は、その時点で「過去」になり、自己の成長という、一番必要なファクターを放棄したままで成人してしまうことになってしまいます。 「何も出来ない子どもたち」は、大人の「自由という嘘」と、競争原理と、そして大人の「怠惰」が生み出したものです。 …現在の日本社会は、こと教育という観点から見るならば「ズタズタ」というのが、私の偽らざる感想です。 あまりにも酷すぎますし、是正を促すには問題が大きすぎます。 政府も全くその点の反省はありません。 残念ながら、今のままの社会で「体罰」を奨励してしまうと、おそらく「恐ろしい結果」を招いてしまうだろう、というのが、私の偽らざる意見なのです。 問題は恐ろしく深く、そして厄介です。 我々の国は「泥沼に踏み込んでいる」ということを、各自が認識していくしか無いのでしょうけどね。

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noname#197347
noname#197347
回答No.2

確かに、今の子たちは甘やかされていると思います。 しかし、だからと言って「体罰」をすればよい、と言うのは間違いです。 時代が違います。 逆に「困ったら体罰すればいいや」なんて、甘いことを考えている大人が多いからこそ、子供にやり込められてしまうのです。 私は、すべては「親の責任」だと思います。 自分の子供にこびを売り、機嫌を取って、嫌われないように、友達感覚で仲良く、なんてことしか考えていないから、「自分の子供を叱ることができない」のです。 それで、何か困ったら「教育はすべて学校の責任」ですから、そのこと自体「教育上良くありません」。 まさに、ブラックジョークの世界なのですが、我が子を教育できない親からしてみれば真剣そのものです。 その子を愛し、その子にあった一番最適な教育をできるのは、親しかいないのです。 その親が、教育を放棄しているのですから、まともな子供に育つはずがありません。 とかって書くとすぐに「この子は何も悪くない。悪いのはすべて両親だ」なんて、すぐに甘いことを言うのも日本の特色です。 どこまでも、子供を甘やかす仕組みが日本では、すでにできあがっています。 それを変えるのは、そんな馬鹿親たちばかりでは、到底無理というものでしょう。

noname#222486
noname#222486
回答No.1

反対 学校教育法(昭和22年法律第26号)の第11条において、校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできないとされている。ただ、この規定に対する(刑事上の)罰則はない。 学校教育法第11条にいう「体罰」とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する 1.身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る・蹴るの類)は体罰に該当する 2.被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(端坐・直立等・特定の姿勢を長時間にわたって保持させる)は体罰に該当する 学校における体罰では、教育という名のもとに体系化された罰則の一部に組み込まれていた。無論独自の罰の様式を開発する教師もいなかったわけではないが、今の教育者はご自身も、体罰の経験がないので、歯止めをしらないその一部は明らかに児童虐待です。

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