- ベストアンサー
「自分探し」ってどんなことをするのですか?
「自分探し」ってどんなことをするのですか? タイトルのまんまなのですが… 「自分探しの旅に出よう」とか「自分探しをしてみよう」 先日、美容室に行った時にパラパラと雑誌をめくっていたら、こんなページがありました。 じっくりと読むことができなかったので、 何をするのか具体的なイメージが浮かびませんでした。 「自分探し」ってどんなことをするのでしょうか? 教えてください。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。またおじゃまします。 「自分探し」、どうもこれは私達の世代(すみません、「一緒にしないで!失礼な!!」とおこられそうですね)にはあまり理解できない世界のようですよ、まして、お仕事をされていて・家事もされていて・趣味の世界もしっかりお持ちでいらっしゃるご質問者さんには無用の世界だったのではないでしょうか? 多分、もう、いろいろ検索されていらっしゃって掴んでいらっしゃるとは思うのですが・・・、こんなHPもわんさかとあります。「友達の作り方」、そのうえその学校偏・社会人偏なんていうのも分かれて出てきます。こんなの考えられます?? 30過ぎの息子二人と妻も含めてこういう話題についてよく話し合うのですが、息子共もついていけなくなってきているようですよ、でも討論を進めていく・つきつめていくと私達の世代にも責任の一端はあるようです。「少なくとも思春期過ぎまでの自己形成には親が大きく影響を与えているのは確かなので、その責任の一端は背負ってもらわなければ困る。」と、いうのがその言い分でしたね。 これにはまいったものですが、まずは一旦素直に受け入れてこれからどうしていくのがいいのか?現在は最近の若者の世界を理解しようと努めているところです。 回答とならずに申し訳ありませんが、なかなか大変で住みづらくなってきた世の中であることだけは確かなようです。
その他の回答 (3)
- heiwa2
- ベストアンサー率21% (32/149)
そんなものは、ありません。 色々な人と接して、自我が形成されます。 「自分探し」とか言っている人って、もの凄く恵まれた環境に居て、信じ難いほどの方々と接している事実。 ただ、人と接するためには、「何か」が、必要なようです。 通常は、仕事、でしょう。(多分・・ 個人的には、自分なんて無い。無我の境地が、最高の状態かと思います。 (私心が無い、というか) 自分というモノを消すための努力が、本当なのかもしれません・・・。
お礼
そうですか…。 仕事だけに限らず、多くの人と接することで学ぶことは多いですよね。 >無我の境地が最高の状態 >自分というモノを消すための努力が、本当なのかもしれません・・・。 無我の境地、私心が無いということの重みはわかりますが それは何かの事柄に対峙する時の、ひとつの心の持ち様であって 普段は自分というモノを持っていなければ生きていくのに大変な時代かも知れませんよ。 回答者様のおっしゃることは私には難しすぎて… 何だか良くわかりませんでした。すみません。 回答を頂き、ありがとうございました。
- igunition
- ベストアンサー率22% (31/138)
ただの宣伝文句、若しくはうっすらと左の方々の「旅に出れば自分と向かい合える」的な理想論ですかね。 自分は自分の中にいるので、心の中を探すのが正解です。 これを内観法ともいいます。 ある人は「オーイと呼べばオーイと答えてくれる」と言いました。
お礼
なるほど。 ただの宣伝文句でしたか…。 「自分探しの旅」というのは、「自分と向かい合える的」な理想論的な旅のことでしたか…。 「自分探し」というのは、自分の中にいる自分を心の中で探すことでしたか…。 しかし、大業な宣伝文句を考えたものですよね~。 ただし、「己を知る」ということであれば、 人生はいくつになっても「自分探しの旅」とも言えそうですね…。 いろいろ教えて頂き、とても参考になりました。 回答を頂き、ありがとうございました。
- soixante
- ベストアンサー率32% (401/1245)
「自分探し」という言葉は、目の前のやらねばならないこと(勉強や仕事など)から逃避する人間が、自分が何もしていないことを認めたくなくて使われるワードです。 したがって、現実逃避活動に打ち込めばよいと思います。 その場合、徹底して勉強や仕事から逃げてください。でないと、「自分探し」をしているとはみなされません。 ただし、この活動をしていたことを自慢気に話す人間は社会では信用されにくいので注意しましょう。 仮にあなたが学生だった場合、就職活動の面接でこのワードを使用した時点で即落ちますのでご留意ください。
お礼
なるほど。 「自分探し」というのは、何もしていないことを認めたくない時に使われるワードでしたか…。 「自分探し」の方法は、徹底した現実逃避活動をすることでしたか…。 昔は、「放浪の旅」というワードを耳にしましたが、 あれは、特にあてもなく彷徨い歩くような旅の意味だったと思います。 でも「自分探しの旅」は、現実から逃げるという意味があるようですね。 私は50代のオバサンですが、 幸いなことに(?)私の職場には、「自分探し」活動をしていたことを自慢気に話す人はいません。 これまでの面接でも、このワードを口にする学生さんはいませんでした。 いろいろと教えて頂き、とても参考になりました。 回答を頂き、ありがとうございました。
お礼
お礼が遅れて申し訳ありません。 いろいろ考えていました。 や~、私はとんだ勘違いをしていました…。 雑誌のページをめくっていて、チラッと見た「自分探し」という言葉が気になりました。 皆さんからのご回答を拝見するまでは、全く別のことを想像していました。 人はそれぞれ、学業や仕事や日々の生活に追われる毎日の中で、 「自分(の人生)は本当にこれでいいのか?」「自分は社会の中の何なんだろうか?」 ややこしい人間関係に苦労する中で、 「自分の心に正直であるのか?(あるいは正直過ぎではなかろうか?)」 「どこまで強く、どこまで優しく、どこまで純真に、どこまで汚れられるだろうか?」 とか、まぁ…、いろいろと考え迷いながら生きていると思うのですが… そんな中で自分を見つめ直し、 自分の中に、新たな何かの「気付き」を求めること… それが「自分探し」なのかなぁ… そんな風に思っていました。 そこで、自分の中に、新たな何かの「気付き」のキッカケ作りはどんなことがあるのだろうか… と思って質問をして見ました。 てっきり、 ○○をしてみたら、結構、辛抱強い自分に「気付いた」…とか、 ○○をしてみたら、結構、几帳面な自分に「気付いた」…とか、 ○○をしてみたら、案外、この方面に進んだ方がいいような気がした…とか、 そんなご回答が寄せられるのだと思っていました。 ところがギッチョン…!でしたよ~。 そもそも、「自分探し」の言葉の意味が全然違っていました…。 お恥ずかしいことです…。 強引に話を持っていきますが、 回答者様がご家族で話し合われている話題についてですが、 私も、回答者様と同じ気持ちでいます。 私達は、今の若い世代の皆さんに、良くも悪くも「後姿」を見せているだろうか… 「あんな大人になりたい」と思われるような生き方をしているだろうか… などなど、考えると自信はありません。 各家庭で、親としての後姿は見せてきたのかも知れませんが、 社会の中ではどうだったのか…と考えています。 前を歩く私達の世代がくたびれていては、 後に続く若い世代の皆さんには夢も希望も持てなくなりそうですよね。 せめて、空元気でも良いので、元気を出して生きていきたいと思いました。 何だか、訳のわからないことをグダグダと書いてしまいました。 いろいろと勉強になるご回答を頂き、感謝しています。 今後とも、ご指導くださいませね。 よろしくお願いします。 ご回答を頂き、ありがとうございました。