• 締切済み

生きづらいと思うとき

当然のことかも知れませんが、 会社というのは血も涙もないと思える事が多々あります。 人間同士も、それぞれが自分の思いのみに生きていると実感する事が多いです。。 でも、自分の利益に忠実だったり、自己主張の強い人のほうが、トクしたり、幸せをつかんでるようにも見えます。 正直に生きたり、誰かを思いやったり、助けたり、 そういう事考えていると、 だまされたり、つけいれられたり、恩をあだで返すような事されたり、、 世の中ってシビアだと思いませんか。。 きれいごとを捨てて、自分で自分を守っていかないといけないですね。 さびしくなります。人と関わるのがますます怖くなり、内にこもりたくなります。 みなさんはどうですか?

みんなの回答

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.8

レスありがとうございます。 お気持ちは、よく分かるつもりですよ。しかしいずれ、貴方様も変わっていくでしょう。 今これだけ悩んでいらっしゃるのだから。 スキを見せていい相手、見せてはいけない相手がいるということです。 ハゲタカやハイエナにスキを見せてはいけませんが、しかしてそんな人ばかりでもないのです。 そして、逆のことも考えてみて下さい。 貴方様が、ご自身の中にある本当の優しさを隠したなら、 貴方様を信用した誰かを、貴方様は傷つけることになりはしませんか? まるで貴方様が誰かに傷つけられたように。 人にされて嫌なことを、誰かにしてしまうことにも成りかねないのです。 そんなことを繰り返してしまえば、ますます世の中を「砂漠のようだ」と感じてしまいます。 どんどん良い人が、貴方様の回りから去っていってしまいます。 愚痴はできる限り言わないことです。うんと厳しく理想主義的に捉えれば、 「愚痴=甘え」です。…まぁしかし、私も愚痴る時もありますが(汗笑)。 誰のせいにも何のせいにもしないで生きようとすれば、愚痴はうんと減ります。 失礼ながら、今貴方様が「優しさ」と思っているものには、実は「甘え」も混ざっている気がします。 本質的に貴方様が優しい人なのは間違いありません。 しかしその優しさを強くできたら良いのです。真の強さは優しさです。真の優しさは強さです。 自分は誰かに傷つけられた。私を傷つけた人がいる。 それなら私は、その人のように誰かを傷つけたくない。 私は、私を傷つけた誰かと同じ人間になるのは嫌だ。 そのためには、強くなるしかない。 人に傷つけられても、自分は人を傷つけないためには、 優しさを捨ててはいけない。 今の優しさを強さに変えなければいけない。 誰のせいにも何のせいにもしないで生きる、強くて優しい人を目指しましょう。 私とて修行の途中です。

kiise2676
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 アンケートカテなのに悩み相談みたくなってしまってますね。。 回答者さまは私と違って強い方なのですよ。 ネットの掲示板では、悩んでる人を皆で叩いてる、会社では心病んで休職する人がいる・・・ 優しい人にはこの社会生きづらいと私は思うのです。 私は、相手が悪い人でも、生まれつきそうではない、と同情してしまうので、深く自戒したいと思っています。さらに、傷つけた人と同じになるという解釈は全く正しいと思いません。 愚痴言うのも悪いと思いません。愚痴を言い合える関係があればかなりの人が救われると考えます。 でもここではそれを望んでも難しいです。皆、孤独です。(甘えてるって言われそうですね) 目の前の人をありのままで受け入れること、その気持ちに共感すること、正論で人を裁かないこと、考えを押し付けないこと、大切だと思います。 その一方で、自分自身を救えずして他人を救うこともできないと。 生きづらい人を甘えてるとしか見ない人も多いでしょう。 ありがとうございました。

  • Nahnom
  • ベストアンサー率7% (49/632)
回答No.7

自己責任論。

kiise2676
質問者

お礼

そうですね。すべては自分の責任ですよね。ありがとうございます。

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.6

そうですね。分かるつもりですよ。 特に若い頃は、私も貴方様のように考えたこともありました。 そして実は今でも未だ、貴方様のような気持ちになることも、しばしばあります。 今度は… 又かよ、と、うんざりすることもあります。 よって、正直やや背伸びをして申しますが(苦笑)、私の場合、今と若い頃の違いは、 今は世の中のシビアさを、当たり前と受け止めていることだと思うのです。 良いもの、正しいもの、穏やかなものを受け入れるのは、楽です。 しかし、悪しきものも又、受け入れなければいけないのです。 まぁ本来、苦楽の問題ではありませんが。 それは決して悪に染まるということではありません。 悪しきものに抗議したり、戦うことも必要でしょう。時には自分とも、です。 しかし、どうしたって天使も悪魔もいるのですよ。悪魔は決していなくなりません。 世の中にはハゲタカのような人もハイエナのような人も、いるのです。必ずいます。 これは絶対的な事実なのです。 ですから、悪しきものが存在する世の中の部分についても、認めているのです。 認めているというと語弊がありますか。悪を許すということではありません。 受け入れている、という言葉になりましょうか。 ですからつまりは、コペルニクス的転回なのです。 世の中は、良きにつれ悪しきにつれ、シビアなものだ、と。 これを「前提」として生きているのですよ、今の私は。そこが違うところです。 (これは、諦めではありません。ニヒリズムでもありません) だからこそ、人の優しさに出会えば、これにかけがえのない価値を感じるのです。 有り難いものだと感じるのです。 なかなか無いもの。貴重なもの。有ることが難しいもの。~「有り難きもの」です。 ナカナカ言葉で説明しても、心境までは伝わらないかも知れません。 貴方様が一通りのご苦労をされて、あと一歩というところまで来ているならば、 僭越な言い方になりますが、私の説明で分かっていただけるものなのかも知れません。 又それは、厳しい言い方をすれば、甘えを乗り越える、ということだとも思います。

kiise2676
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は回答者さんほど、多分苦労してないし、人間も出来てないと思います・・。 お人よしだと世の中は渡っていけない、スキを見せたらだめなんだ、、とか、常々思ったりします。愚痴を言って、ただ聞いてほしかったのに、説教されて逆に傷つき、もう二度と言うまい・・・そんな経験ってないですか? だから、いつも、無難な言葉つかったり、ごく浅い付き合いにとどめておいたり。会社でも無難にしていれば立場が悪くなることもないですよね。 でも、本当の自分をどこかに隠しているんだと思うんですね。 人を信じることも出来なくて。 でもこの砂漠で生きていかないといけない。。 特に考えるのが、優しさを捨てることです。 生きていればつらい事に沢山遭遇するから、こんな事考えるのはまだ甘いんだと思いますが、付き合ってくださってありがとうございました。 いろんな方の考えや意見が聞けて、とても参考になりました。

noname#108027
noname#108027
回答No.5

訂正版 No.4の回答の者です。 最後の文について、「うらそうに」→「えらそうに」と訂正させてください。申し訳ありません。

noname#108027
noname#108027
回答No.4

質問者様のお気持ちは、(「わかる」と申し上げてはおこがましいのですが)重々お察しいたします。 私は、長年にわたるいじめも高校生の時ひどさのピークに達したのですが、学校の教師はいじめの事実をよく知っていたにもかかわらず、私を存在していないかのように扱い、逆にいじめっ子たちはかなりかわいがっていました。いじめっ子には自分の利益に忠実だったり、自己主張の強い人間が多かったのです。  通っていた高校の生徒・教師ははっきり言って恨んでいますが、それでも、同じことを仕返してやろう・彼らと同じ狡猾さを持とう・きれいごとを捨て自己中になろうとは決して思いません。自分が恨んでいる人間と同じ考え方の人種になったところで、自分で自分が許せなくなるだけです。  ならばこそ、地味でダメな人間でも構わないから、そのいじめっ子たちのように「ある意味何も考えていない人間」ではなく、芯の強い、そしてほんのわずかでも他人を影から支えられるような人間になりたいと思います。簡単なようで結構難しいのですが…。  質問文をお読みしていても、質問者様の優しさ、純粋さは最高の天才だと感じます。それを無駄になさることは、少しもったいなく感じます。優しさを保つのが難しいのは重々承知しているのですが…。  では、長々とうらそうに大変申し訳ございませんでした。  

kiise2676
質問者

お礼

ありがとうございます。 つらい経験をなさったのですね。本当にひどかったんですね。よく耐え抜かれましたね。いじめの記憶は何十年たっても忘れられない深い大きな傷だと思います。 そんな経験をなさっても、 芯の強い、そしてほんのわずかでも他人を影から支えられるような人間 になりたいと願えるって、すばらしいですね。誇り高いです。 いじめっこのようにならないまでも、何も感じなければ、ラクだと思います。でも、違うんですよね。 マザー・テレサさんが来日された時、日本はカルカッタよりも貧しいとおっしゃったそうです。 回答者さまの文章を読んで本当にそうだなぁと思いました。 ここで自分になにができるんだろう、と自問自答しています。 ダメダメな私も、人知れず誰かの役にたちたいです。

回答No.3

kiise2676さんの仰ることはよく分かります。 昨今の風俗ライター議員のように、ずる賢い人が得をする社会であり、真面目な人ほど損をすることは否定できません。 ただ、kiise2676さんは優しい人なんだと思います。結局、その優しさを捨てない限り分からないのだと思いますが、優しさを捨てて自分が嫌だった人間になれるでしょうか? 類は友を呼ぶと云います。 利己主義の人にはそういった人しか寄ってこないし、利益が大きい人は、不利益なことも大きいのだと思います。対人関係は鏡です。誰かを利用する人は、いつか必ず自分が利用されます。それも寂しいことです。 優しさとは優れるとも書き、強さだと思います。私はそんなに強くないので、限りある優しさは親しい人に留めています。また、私は100円の納豆でも美味しく過ごせるので、もしキャビアしか食べられない人がいれば、それは幸せでしょうか?身の丈に合った生き方が大事なんだと思います。それは誰も責められないと思います。 そういった人や社会に食い物にされないため、最低限の自立は大事なことだと思います。社会を嘆いて引き篭もっていると、私も人の足を引っ張るような人間に成りかねませんから。 取り留めのない文章ですいません。ご参考まで。

kiise2676
質問者

お礼

ありがとうございます。 おっしゃる事、その通りですね。 たしかに、会社も人も利害関係でなりたってると思います。それを道徳ではかる私はちょっとズレてるのかも知れません。。でも。寂しいです、確かに。 相手のために、あえて優しくしない、そういう親切もあるんだと思いました。私はそういう強さに欠けています。 回答者さんのように、親しい人に限定すると失敗もないですね。 自立することは大切だと思います。この社会はサバイバル、頼る人は自分しかいない、そう思いながらまた寂しくなっています。。 ありがとうございました。参考になりました。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

ちょっと違うな。 人間が自分の利益のために頑張るのは本当だよ。 というか、それがないと生きていけないし、守るものも守れないから。 しかし「他人へつくす」ことは、利害を抜きに「やらなきゃいけないこと」なんじゃないの?。 それは「きれいごと」なんかじゃない。 「やらないと、孤立する」から、やるんだよ。 君は「どういうのが理想の社会」だと思うかな?。 みんな優しくて、他人に親切で、弱いものが救われて…そういうのが「望み」なのかな?。 でもね、悲しいことにね「そんな世の中」は、これまで一度だって出現していないんだ。 コツコツと、自分の主張や意思を、社会に問いかけながら弱者は強者になったんだよ?。 どんな時代でも「こんな世の中、いやだ」って言うだけの人を、社会は同情したり、ときには「道具」として使ったりしてきたけど「そんなもの」でしかなかったんだよ?。 厳しいようだけどね、それが現状なんだ。 だからせめて「世を恨む」ことはして欲しくないな。 いろいろな人がいる。 しかし「君は一人」でしょ?。 ほかとは違うんでしょ?。 だったら泣き言言わないで、自分を通すしか生きる道は無いじゃないの?。 恨まなくたって、ファイトは湧くんだ。 戦うことはできるんだよ?。

kiise2676
質問者

お礼

つまらない愚痴に付き合ってくださってありがとうございます。 他人につくすというか、困ってる人を助けるのは当然の事で、自分が孤立するとかあまり考えていませんでした。 会社とか、個人が、利益を追求するのは間違ってないと思います。 でも、その中でも、労働者や業者やお客さんを大切にする意思のある企業のほうが成長するんじゃないか、という思いがあります。エネルギーはまわりまわって返ってくるから。 でも私は甘いのかも知れません? 誰かのお世話をしたり、親切したい、でも、関わって火傷負う事が多いです。 恨んでるわけじゃないんですが、なんとも自分は無力です(泣き言言ってますね)。。 とても参考になりました。ありがとうございました。

noname#101117
noname#101117
回答No.1

そうですね。 人間関係は難しいですよね。 私も、人に尽くしてたまに損した気分になるときがあります。 この世界は、ある程度強くなきゃ、生きられないんですかねぇ。

kiise2676
質問者

お礼

なんとなく共感して下さってありがとうございます。 本当に、強い人ならこんな事を考えないのだと思います。お優しいですね。