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千と千尋~千尋は何で簡単に分かったの?

opacityの回答

  • opacity
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回答No.6

No.5の者です。 >千尋はどんどん独りで成長しちゃって、観客は置いて行かれるわけですから。 うん~、確かに。宮崎さんの中では万人にシンクロさせる要素がきっと少ない作品なんだと思います。でもこの気持ちはそうだなって思います。置いてかれるって言うか、自分が乗れないんですよね、その波に。確かに寂しいですけど、そうなっちゃったら納得できるまで見るか、後付けでそれなりの解釈するしかないと思うんですよ。そういう取られ方もしちゃってるんですね。でもまぁ、千の成長が全てではないんだと思いますよ、あの映画は。他にも人のこととか・・そうですね、人と神様の違いって、宮崎さん面白く書く人だと思うんですよ。宮崎さんの神様ってひどく本能的で、野性的で、恐い印象あるんですよね。とてつもなく大きい存在なんだけど、頭がいいとは思えないんですよ。バカに見える。それこそもう獣の次元ですよ。でもだから人間てトコが浮き彫りになるんですよね。今回多いじゃないですか、そういうの。だから余計にシンクロしにくい要素なんだと思うんですけど、そこがね。人間ドラマが誇張されるのはいいんだけど、シンクロしにくくなっちゃうんですよ・・と思うんですが。カミサマの領域なんてのは人によってかなり解釈が違うんだと思うんです。だから、その要素が大きい作品は人によってかなり解釈が違ってきちゃう。もちろん宮崎さんには宮崎さんなりの解釈あってなんだと思いますが、観客には観客でそれぞれ違う解釈しちゃうんじゃないですか。それで乗れないってのは・・やっぱあると思うんですよね。 まぁ全ての映画や、他の本でも漫画でも・・全てにシンクロ出来る人ってそんなにいないと思うんです。自分がシンクロしないところはコレも一つの考えとして保留するとか妥協するとかして読むんだと思うんです。で、自分に響いたトコが面白いんだって、そこを広げていくんだと思うんです。 なんだか前よかよく分かんないと思うんですが・・。長いレス付けてもらってちょっと考えたことなかった事書いてあったからついつい。 失礼しました

misoka
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 > 宮崎さんの中では万人にシンクロさせる要素がきっと少ない作品なんだと思います。 いろいろと、いち観客としては「?」の残った作品でしたが、 制作側としては、意図があってしたことなのでしょう。 ただ、制作側の意図といっても、 私自身はあまりそういうことに頓着しない主義ではあります。 時間を置いて見たときに、以前は分からなかったことが 分かるようになる、とか、そういうのを一応期待する、 というところでしょうか。 ところで、 雑誌の中には、この映画のことを「分かりやすいシンプルなストーリー」 などと紹介しているものもありましたが、 こうやっていろいろ考えてみると、実際はそうでもないようにも 思えてきます。 むしろ、ひとクセもふたクセもある感じですよね。 「神さま」観が、ちょっと変わっている、というのは、前作 『もののけ姫』のときもそうだったと思います。 最後の方なんか、ほとんどモンスターみたいでした(^^; あれはあれで、この作品とは「神さま」の役割(種類?)が 違うのだとは思いますが、一般的な、いわゆる「神」とは違っています。 それから、この作品、世界観もかなりヘンテコですよね? 和風といえば和風なのですが、どちらかといえばアジアふうの舞台 (食べ物の過剰な並べ方は、アジア特有か?)に、 和風な人物が登場するくせに、リーダーの湯婆婆とかは、 西洋の魔女みたいなキャラですし(小道具も西洋風でした)、 実に妙な、混沌とした世界です。 もっとも、こういう「ワケ分からなさ」というのは、楽しくて いいのですけれどね。というか、これが魅力とも言えるのでしょうし。

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