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「生きたい」と思いつつ死んでいく子供達が存在するということについて

アフリカなどで「生きたい」と思いつつ貧困にあえいで餓死しなければならない子供達が存在することは、TVの報道などで、前から知っていました。 この事実に対して、以前の私は「気の毒ではあるけれども、どうなるものでもない」という割り切った考えでした。 政治、戦争、宗教等、様々な問題が背景にあり、一朝一夕に解決策が求められる問題ではないという見解でした。 しかし、お恥ずかしい話、自分に子供ができ、子供が「生きるためのパワーの塊」なのだと知った時、襟を正された気がしました。 子供は何の疑いもなく生きることを求めます。子供は生きるために泣き、そして叫びます。それは、アフリカなどの貧困にあえぐ地域の子供も同じことでしょう。 TVの画面を通してですが、食料がなく、母親の出ない母乳に吸い付きながら体が痩せ細り、餓死するのを待つしかない状態の子供の姿を見ました。 食料がとれず、意識が朦朧とする中で、目の前で餓死してゆく我が子を目の当たりにする親の思いはいかばかりかと考えると、今までの私の「どうなるものでもない」という考えが、本当にそれで割り切ってしまってよいのかと思われるようになりました。 その子供達は、難病に罹ってしまったわけでもなく、不慮の事故にあってしまったわけでもなく、ただ、少しの食料さえあれば死なずにすむところを、その少しの食料がないために死んでゆかなければならないのです。あんまりです。 今の私に出来るのは、そういった恵まれない子供達のために、少ないながら寄付をすること位しかありません。 ・・・さて、私のこの意識の変化は、単なる親ばか、独りよがりによるものでしょうか。もしくは偽善でしょうか。 皆様の御意見をお聞かせ下さい。

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回答No.1

私は独身で子供もいませんから質問者さんとは立場は違いますが、偽善とは一概には言えないと思います。 今まで現実味が無かったものが身近に感じられるようになった、ということではないでしょうか。 例えば、私が住んでいる福岡は地震には縁遠い土地でしたので、これまでほとんど地震らしい地震の経験がありませんでした。 阪神大震災や新潟中越地震などの時も「大変だ」「何かうちも非常用の準備をしなければ」と思いつつも、せいぜいやったことはそれぞれの地区に心ばかりの寄付をしたり、家の猫のご飯を別に確保しておく程度のことでした。 ですが、今年の福岡西方沖地震を経験してから、他人事では済まなくなりました。 地震に脅かされる人々の恐怖や不便さが、阪神大震災で被災した人たちには遠く及ばなくとも、多少なりとは実感できました。 今は非常用持ち出し袋の準備などをしています。 話はそれましたが、それまで分からなかった立場の出来事が、自分のこととして受け取れるようになったということで、親ばかや独りよがりとは違うのではないかと思います。

satorya
質問者

お礼

「現実味が無かったものが身近に感じられるようになった」という御説明で、少し気持ちの整理がついたように思います。自分の視野が拡がったのだと考え、この気持ちを大事にしていきたいと、今は思います。 御回答ありがとうございました。

その他の回答 (9)

回答No.10

 こんにちは。  あなたのお考えは、偽善でも親ばかでも独りよがりでもないです!  私もずっとそう思ってきました。  我々が今後も、しっかりと現状を把握して考えるべき課題です。  アフリカは、古代より非常に問題の多いところです。  貧困による飢えだけでなく、スーダンのダルフール地方の虐殺の現実などご存知ですか?  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%B4%9B%E4%BA%89  子供たちは、5歳ぐらいの子が拉致されて麻薬を打たれ、少年兵にされたり、女の子は老若問わずに集団レイプされたり(子供も含む)、筆舌に尽くしがたい生き地獄にさらされています。    私も、寄付だけでも多くの子供たちを救うのなら、少しずつでもしたいと思いますし、現状を放置している国連にも、抗議文を送りたいと日々、思っています。    私たちは日本に生まれ、戦争もないし経済的にも恵まれています。こんなに幸せでいいのかなっていつも思いますよ。でも、彼らのために何かをしようと考えるにあたり、何ができるか、そして我々はどう生きるかということを考える糧にもなると思うんです。

satorya
質問者

お礼

御回答を拝見し、少し、前向きな気持ちで考えられました。ありがとうございます。 >我々が今後も、しっかりと現状を把握して考えるべき課題 そうですね。目を逸らさずにきちんと考えたいです。 >我々はどう生きるかということを考える糧にもなる 「他人事だし関係ないや」というような考えを無意識に持ってしまっている人も多いのかもしれません(以前の私も含めて)。こういったことを皆が本当に真面目に考えることで、少しずつ悲劇をなくしていけるのかもしれませんね。

回答No.9

偽善ではないですよ。子供には何の罪もないです。 ただ食料援助よりもコンドームを寄付すべきだと思います。正直貧困で苦しんでいる状況で子供を育てられないということを産む前にわからなかったのかといつも疑問に感じます。 娯楽もなくやることがないのでSEXしてしまうのはわかりますが産んだ後この赤ん坊はどうなってしまうのかということをもう少し真剣に考えてほしいですね。

satorya
質問者

お礼

新たな視点に気づかせてくださいました。ありがとうございます。 難しい問題ですね。確かにコンドームを寄付することで、不条理に死んでゆく子供を減らすことは可能かもしれません。しかし、それは子供を作ることを抑止する政策を他国に押し付けることにもなってしまいかねませんね。子供が何とか生き延びることができれば、貴重な働き手になるから、その意味では親は、娯楽のSEXではなく子供をつくるSEXを望んでいると思われます。そこで「どうせ死ぬ子供なら産むな」という政策を押し付けるのもまた、不条理な気がしてしまいます。。。

  • kanpati
  • ベストアンサー率27% (166/599)
回答No.8

私も同じような思いを持ちます。でも、何も行動を起こしません。募金も寄付も一切無視し続けます。ユニセフも赤十字も、さまざまな意味で政治が絡んでいると思っています。自分の出した僅かなお金が、本当にTVで見た子供達に届くのならば喜んでお金を出しますが、途中で氷のように溶けて無くなってしまうのでは…。 マスコミも真実のみを報道している訳ではないでしょう。 視聴率のため、スポンサーの為、政治的な要素で、放送する映像には少なからず偏見があると思います。 かわいそうな子供達を見て涙し、その原因を作った国々に怒りを覚えますが、3分後には忘れるようにしています。

satorya
質問者

お礼

その気持ち、すごくよくわかります。 冷静な視点で見ると、そういう現実が浮き彫りになってきますよね。 >かわいそうな子供達を見て涙し、その原因を作った国々に怒りを覚えますが、3分後には忘れるようにしています。 ここが私の中でも葛藤があるところです。 多分、多くの人が、kanpatiさんのように涙し、怒りを覚えるのだと思います。 そこで、忘れることは自分の生活の平穏を保ちますが、忘れることで割り切ることが、今の私には出来ません。 やはり今の私に出来るのは、わずかな寄付と選挙での投票ぐらいなのです。でも、意識を持って、気持ちを忘れることなく、出来ることをやっていこうと今は思っています。

回答No.7

こんにちは. 偽善じゃないですよ! その優しい気持ちを続けて下さい. 例えば質問者様がある人から親切な行為を 受けたとします.質問者様はそれがとても嬉しく感じ 次回,他の人が(今回のご自身と)同じ境遇であったら, 今度は自分が助けてあげよう,とおもいませんか? よく「されて嫌な事は(他人に)しない」という方が いますが,質問者様の状況はそれと同じではないでしょうか? 自分の子供が飢餓で死んだらいやだ、そう思えるから 他の子供も飢餓で死んで行かないように 自分で出来る事をしよう,という事だと思います. 自分が経験してはじめて(同じ境遇の)他人の気持ちが わかるときって多いです。

satorya
質問者

お礼

はい、そうですね。純粋に視野が広がって、見えなかったものが見えるようになったことはやはり、自分にとってはプラスだと思えるようになりました。 御回答ありがとうございました。

回答No.6

貴方の意識が変化したことは素晴らしいことだと思います。 そして、微力ながらもできることを始めた貴方の行動力に敬意を表します。 個人でできることは限られていますが この先寄付以外にも何かできることがあるかもしれませんし 貴方の善意が貴方のお子さんや身近な人々に波及していくことの可能性は無限に広がっていると思います。

satorya
質問者

お礼

「可能性は無限に広がっている」 いい言葉です。少し元気が出ます。 御回答ありがとうございました。

  • yubuccho
  • ベストアンサー率8% (126/1550)
回答No.5

意識の変化は親になったことによるものだと思います。 自分は劣悪な環境で子育てをせずに済んでいるけれど、子どもを愛する親の気持ちは万国共通だと思いますからね。ワクチンの寄付をするダイヤルも関心を持ちました。 もうひとつ変わったのが戦争に対する見方ですね。 以前は原爆写真展を見ると怖いとしか思わなかったですが、写真や体験談を見聞すると子供を失くした方々の話が特に悲しく胸に迫ってきます。

satorya
質問者

お礼

仰る通りだと思います。 ただ、自分ができることの限界を思うと、少し気が沈みます。 「自分や自分の子供の身が安全だ」という担保があった上での意見には、どこか偽善臭さが感じられてしまうような気もするのです。 考え過ぎなのかもしれませんが、そこにちょっとした葛藤があり、この質問を出させて頂きました。 御回答ありがとうございました。

noname#37852
noname#37852
回答No.4

お子さんがきっかけで何か新しい見方ができて、良かったんじゃないでしょうか! 私は独身で子供もいませんが、そういうことは気になってはいます。 自分にも少しの寄付ぐらいしかできませんけれど、大勢の人たちの地道な努力が集まって、それが継続することは、馬鹿にできません。。。 しかし、頭では知っていても実感としてピンと来ないことってありますね。何かのきっかけで「あっ」と気づくことってあります。

satorya
質問者

お礼

「頭では知っていても実感としてピンと来ないこと」 はい。よくあります。自分の気持ちの変化を前向きに捉えていこうと、今は思っています。 御回答ありがとうございました。

  • north073
  • ベストアンサー率51% (536/1045)
回答No.3

親になったこともない身でいうのもなんですが、「親」という新しい視点から物事をみるようになった、ということだと思います。そして「親」の視点というのは、かつて必ず「子ども」であったすべての人間にとって、必要なものではないかと思うのです。 最近になって、人間にはいろいろな感情があって初めて社会が成り立っているということに改めて気づかされます。自分の子どもを見て、遠い誰かのために何かをしたい、と思う、その感情も、また、気づかないところで少しでも社会を動かすものだと思います。

satorya
質問者

お礼

自分の気持ちの中で少し整理がつき始めています。 新たな視点を備えたことは、自分にとってプラスなことなのではないかと、そう思えてきました。 以前の視点も大事にしながら、新たな視点で見えるものも考慮に入れながら「自分の考え」を決めてゆくようにしたいと思います。 御回答ありがとうございました。

  • makochi
  • ベストアンサー率38% (496/1279)
回答No.2

決して偽善などではありません。 わずかな額でもユニセフなどを通じて寄付をすることで、確実にそうした子どもたちの命が救われています。 ぜひ続けてください。 日本に住んでいてもう一つできることは、政治を変えるということです。今以上に海外の貧困を真剣に考え、日本のたくわえのわずかでも海外のそうした貧困の状況に援助できる日本の政治家を選挙で選ぶということです。 ちょうど衆議院が解散になりました。海外の貧困状況に対して解決しようという意志のある方に投票するというのも間接的に彼らを助けることになりますね。

satorya
質問者

お礼

仰ることもっともでございます。選挙の投票に行く時は、そのように俯瞰したものの見方できちんと考えた上で、自分達の代表を選びたいと思います。 御回答ありがとうございました。