- ベストアンサー
史上最高の外交官は誰ですか?
アンケート的な質問ですみませんが、 史上最も優れていた外交官は誰だと思いますか? できれば理由・エピソードなども一緒に書いてくれると助かります。 一人に絞りきれないときは複数の人物を挙げていただいても結構です。 それと、日本は経済力は高いのに外交力は低いらしいですが、 そんな日本においても外交力の高かった人物は誰だと思いますか? 一人でなくても結構ですので、この人は凄いって人がいたら教えてください。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ヘンリー・パーマストン卿じゃないかな 1850年代から60年代の英国首相と外務大臣務めた人 クリミア戦争を勝利し、インドの植民地化に成功、フランスが建設したスエズ運河を実質的に奪い、日本との国交を樹立した人。 パクス・ブリタニカの象徴的人物です。その頃に外交官となったアーネスト・サトーが日英同盟の立役者であることを考えると19世紀後半から1920年までの英国外交を築いた人といっても過言ではありません。 日本ではやはり小村寿太郎でしょう。ポーツマス条約は批判の対象とされていますが、あの大ロシア帝国から領土を奪った偉人であることを忘れてはいけません。ロシアの失地ってこれしか無いはずです。
その他の回答 (10)
現代史では周 恩来がいいですね。毛沢東に失脚を画策されながらも、毛沢東にその外交力ゆえに存在を認めさせ、最後までNo.2を保ち、死後も評価、人気が落ちていません。 日本では小村寿太郎です。ポーツマスでもそのとき限りの暗号を作り、電信室を作り、日本との密な連絡の上にウィッテと渡り合っています。 アメリカでもそのやり方が賞賛されたようです。 吉村 昭「ポーツマスの旗」を読んで感激しました。獲った領土よりも外交の本来あるべき姿を実現しています。
お礼
中国以外では独裁者・虐殺者としか評されない毛沢東に比べて、 周恩来は評価が高いですね。 しかも、実力はあっても信用できない奴は暗殺していた毛沢東に 失脚を画策されながらも結局生き残っているのがまたすごいですね。 小村寿太郎についておすすめの本を挙げてくれてありがとうございます。 近くの図書館にあるみたいなので読んでみようと思います。
- tra55
- ベストアンサー率10% (5/48)
外国のかたは、よく分かりません 日本の人物で、しかも本職の外交官で ないですが「高杉晋作」を挙げます。 長州藩が西洋船を砲撃したので西洋連合軍が 艦隊を出して長州を攻め、長州の砲台へ 海兵隊をあげて占領 その戦争の講和交渉の場が設けられたのですが 長州藩では、誰が、代表になって交渉するか 人選が難航、負け戦の降伏交渉みたいものですから 誰も、そんなことはススンデやる者は皆無 とうじ長州藩は保守派が急進派を粛清して 藩政を牛耳り高杉は急進派で保守派に逮捕されて 獄中にいました、晋作は放免されるのを条件に 講和の長州代表をするのを引き受けました。 先日まで獄中にいたものが外交代表を担当するのは 体裁わるいため晋作は宍戸刑部という偽名を使い 公家のような黄色い着物を着て交渉の席につきました。 西洋側は長州に賠償金と領土の割譲を要求 晋作は、一貫して、幕府に文句をいえといい続け 相手が食い下がってきたら日本の歴史を 神代から幕末までの細かい彼が知っていた全ての 歴史事実を西洋外交官に語っていき相手を ケムリにまいて西洋側の要求をシャットアウト して交渉は、長州は奇跡的に賠償金も領土差し出しも なくて済みました。 しかし長州の攘夷派の過激分子が高杉が西洋人と 話し合いをしているケシカラン晋作を斬れと いう動きが出てきたため晋作はアホらしくなって 長州から九州へ、タカトビしてしまったそうです。
お礼
高杉晋作は名前しか知りませんでしたが、そんなに凄かったんですね。 しかもイギリスを含む列強4国相手に賠償金も領土もなしってすごいですね。 回答ありがとうございます。 面白かったです。
- hamaendou
- ベストアンサー率35% (120/336)
私も、小村寿太郎かな たしか、140センチにも満たない 体で堂々ロシアと渡り合い あと少し時間がかかれば、日本が 持ったかどうかという、際どい 戦を戦勝国として治めた。 あそこで負け戦になっていれば この国はどうなっていたか、 善い方に転んでいたか? 酷い事になっていたか?
お礼
小村寿太郎ってそんなに小さかったんですね。 国力差は外交官にとってプレッシャーをかけるものだと思いますが、 小村寿太郎の場合は身長差からくるプレッシャーもあったでしょうね。 そういったプレッシャーに負けずに有利な条件で和平を結んだ小村寿太郎はすごいですね。 回答ありがとうございます。
- aburakuni
- ベストアンサー率30% (470/1562)
前半の質問は非日本人だと思いますので、「外交官」として挙げるならメッテルニッヒ。 ナポレオン全盛期の欧州で、非力なオーストリアを背負って権謀術策を尽くし、最後はナポレオンを破滅させた一翼を担った。 外交力と言う事なら秦の始皇帝。 范雎(はんしょ)に提案された外交策である遠交近攻を着実に実らせ、初めての統一帝国を実現した。 日本人は正直なので難しいが、戦国後期の京都周りでしぶとく泳ぎ回ったと言う意味で松永弾正、朝鮮出兵時の取り纏め二枚舌と言う事で小西行長。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 ナポレオン時代の外交官としてはタレーランを真っ先に思い浮かべてしまいますが、 オーストリアの国力を考えた場合メッテルニヒの方がすごいかもしれませんね。 日本人の外交官については2名も挙げてくれてありがとうございます。 あまり詳しくないのでとても参考になりました。
何と言っても、プロイセン、そしてドイツ帝国のビスマルクでしょう。 普仏戦争で負けた、フランスの復讐を巧みな外交戦術で 切り抜けた手腕は神掛かっている。関係諸国の利害調整をしつつ、 自国の利益を確保するという、日本の外交官では恐らく見出すことが できないんじゃないかと思う逸材。 ヨーロッパを手玉に取るように、ビスマルク体制を作ったことは やはりデカイ。
お礼
ビスマルクはすごいですね。 分裂したドイツをひとつに纏め上げ、 強国フランス・オーストリアに打ち勝ち、 外交的にフランスを孤立させ、ビスマルク時代と呼ばれる平和を築いて… ドイツは優秀な人物が極めて多い国ですが、 その中でもビスマルクは別格ですね。 回答ありがとうございます。
- mahaze
- ベストアンサー率29% (217/731)
外交力ではないですが、多くの人を助けたという意味で杉原千畝でしょうか。 ナチスドイツ時代に6000人のユダヤ人を助けた人です。
お礼
外交を国益をもたらす対外行為という意味で使うならば 彼もまた立派な外交官といえるでしょうね。 国の命には反しましたが、そのおかげで何千人もの命が救われ、 敗戦に苛まされた国民の心も救われたのですから。 回答ありがとうございます。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
勝海舟と西郷南洲かな。江戸譲渡を殆ど無血で行い、日本の一般国民の犠牲を最小限に抑え、しかも内乱に持ち込まずに、植民地化を虎視眈々と狙う列強から日本を救ったのですから。日本の文化を救い、現在の私たちが植民地化されて日本語まで使えなくなってしまいかねない状況の中で、日本人の存在を救ったのは彼等の外交能力のお陰でしょう。外国にどんな優れた外交官がいたところで、これだけの好成果を上回る外交成果を我々日本人に出してくれた方は人類史の中にはいないと思います。
お礼
なるほど。 外交といえば国と国の交渉をまず思い浮かべてしまいますが、 勝海舟のように内乱を防ぐ能力も立派な外交力のひとつですね。 参考になりました。 回答ありがとうございます。
- wildcat
- ベストアンサー率31% (349/1121)
外交官ではないですが、外交能力では近代史では「妖怪」と呼ばれたロシアの外務代表のモロトフですかね。険悪な仲のドイツと独ソ不可侵条約を結んだかと思うと、日ソ不可侵条約を破棄して宣戦布告するなど世界を翻弄してきた人です。
お礼
モロトフですか。 初めて知りましたが、酷い人ですね。 けれど、外交とはそうあるべきものなのかもしれませんね。 回答ありがとうございます。
- dog-amater
- ベストアンサー率2% (3/119)
白州次郎
お礼
回答ありがとうございます。
- caesar-x2
- ベストアンサー率46% (251/542)
やっぱりベンジャミン・フランクリンでしょう。 彼おいてほかにない。アメリカ独立の父。 彼の才能と努力ですべてが始まったわけですから。 他に上げるなら、 タレーラン=ペリゴール、メッテルニヒ、周恩来あたりかな。
お礼
メッテルニヒはオーストリアの宰相ということくらいしか知りませんが、 フランクリン、タレーラン、周恩来はいずれもすばらしい外交力の持ち主ですね。 回答ありがとうございます。
お礼
>クリミア戦争を勝利し、インドの植民地化に成功、フランスが建設したスエズ運河を実質的に奪い、日本との国交を樹立した人。 パクス・ブリタニカの象徴的人物です。 すごいですね。 イギリスは世界で一番外交に長けた国だそうですが、 その中でも抜きん出ていますね。 小村寿太郎については弱腰の外交官というイメージしかなかったのですが、 ロシアから領土を奪った唯一の人物だったんですね。 決定的な勝利をしておらず、持久力がなく、独力で和平交渉をしてない状況を考えると すごいことですね。 参考になりました。 回答ありがとうございます。