fishbowl66 の回答履歴

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  • 「お金」は「目的」or「プロセス」?

    あなたにとって、 「お金」は「目的」or「プロセス」? 他の表現があれば、ご自由に書いてください。

  • サンデルの言う「正義」とは?

    サンデル教授のことは記事で少し読んだだけなのですが 「正義」や「人間の幸せ」等、真偽で表せない議論を見るとどうしても胡散臭く見えてしまいます。 例えばその記事であった議題なのですが まず前提として国家に武力で勝てない以上、我々には法律を守る義務があると思います。 それを踏まえると >漂流ボートでの食糧確保、殺人は許されるか 法には触れるので逮捕。 許されるかどうかではなく刑の重さを議論するべきでは? >イチローは高額の年収に値するか 需要と供給、市場が決めること >合格ラインに届かなかった多額寄付者の大学入学を認めるか ルール厳守。無ければ自由に決めればよい。 >指名手配された兄を警察につきだすか 法律次第。 邪魔したなら公務執行妨害などが適用されるかもしれないが 協力する義務はないのではないか。 >自国民と他国民、災害時にはどちらを救う? 任意。 >オバマ大統領は原爆の責任を謝罪すべきか? 任意。 ただし戦争なのでお互い様の部分はあれども市街地への攻撃はルール違反のはずです。 「アメリカ大統領」という地位はそういう立場にあるのでは? と、私でしたらこのように即答するのですが議論する事によって何か変わるのでしょうか? また、このような議論というのは本来どのような学部学科の方たちが何のためにするものなのでしょうか?

  • 日本語とはどういう言語か。

     この探究におつきあいいただければありがたいです。  まづことばの生成するところを仮りにしめします。      *  奈良(ちなみに na-ra=地‐ら⇒奈良。cf. no-ra=野‐ら)の三輪山あたりの地で のちに《たたなづく青垣 山隠(ごも)れる》と形容されたその風景を見て われらが祖先の誰かが    HA.....  と発出した。この場合 ただ ハアーッという息の音を出しただけかも知れない。溜息をついただけかも知れない。でも その主観の内には何らかの心の動きが あったはずです。   HA.....SI。  というふうに続けて 舌や口の筋肉のはたらきにものを言わせて さまざまな形にして発声した。音で いま目の前の世界の風景を切り取ったわけである。また その心の状態を 取り立てようとしたことになる。   HASI . / はし。  こうなると 心の状態が あたかも意味をもって表わされたかに思える。  ――愛(は)し。  つまり これは 中心主題相の子音/ h / と指定相・断定相の子音/ s /が働いたと《あとづけ》して捉えられる事態ではある。ここに 自称相 の子音/ ’(=ア行子音)/で    ’u = う。     'u-ru = うる(⇒裏・裡・心)。  と作って これを添えれば    うる‐はし。(心愛し・麗しい)   とつなぐ。いまの心持ちをそれとしてさらによく取り立てて表わすことができた。  ところで はじめの《 HA.....》は 主観内面のことでもあれば その心の動きを感じさせてくれる目の前の山々の姿でもある。つまりここで 一気に文として扱えば それは 主題の表明になる。  そのための語彙を考えよう。《山》のことを どういうわけで《やま》と言ったか分からないが 人はこれを得る。そして さらに 《所》の意味の《と》を得て これらを合成すれば 《やま‐と》のかたちにつくった。  文としては 主題(問い)と論述(こたえ)から成る。つまり    やまと(山‐処)‐は うるはし。  人間は その思いを 表わさずにはいられない(!!??)。その内容を充実させようとする。    やまと‐は・・・・・ほ・・・・・うるはし。  と表出する。《ほ》は 突出したものの相を表わし 《穂・帆・秀》であろう。ここにさらに《ま / ろ / ば 》をも添えて   やまと‐は ま‐秀‐ろ‐ば〔なり。 それゆえ〕うるはし。  と来る。こうなれば 意思表示としての言語は 文による表現を基軸として さらに文法規則としても やがてその現在にまで至る姿を現わしてくるものと思われる。      *       *      *  ☆ ここで   やまと‐は ま秀ろば‐なり。  の文を分析します。いきなりですが:    ○ 日本文の二重構造 ~~~~~~~~~~~~~        やまと‐は     〔すがた‐が〕     ま秀ろば‐なり。    _______________________    (α) 主題提示層における分析( A‐ハ B-ガ C-ナリ / C‐スル。文型)    《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》    中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐法活用(断定法)    ・《やまと》を主題として提示します。それについては《姿》が どうであるか    と言えば  《秀である》。という表出ないし表現の運び。    (β) 論理提示層における分析(いわゆる S-V-O。 ないし S-V-C.文型 )    (1) やまとガ                秀‐ナリ。        主格( S )              補語( C )‐述格( V )       ・ Yamato               superb is.    (2) やまとニツイテイエバ 姿ガ     秀‐ナリ。        補語( C )      主格( S )  補語( C )‐述格( V )      Talking of Yamato,    its landscape      superb is.   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 二重構造というのは  (α) 主題提示層( A‐ハ B-ガ C-ナリ / C‐スル。)  (β) 論理提示層( S-V-O. )    これら二つの提示層を持つと見るゆえです。ところが 英文などでは (β)の直線的な論理形式一本から おおむね 成ると思われます。  ここらへんから 探って行きたいと思うのですが いかがでしょう。情報交換をよろしくどうぞ。

  • 差延と、〈差異と反復〉

    デリダのいう「差延」と、ドゥルーズのいう〈差異と反復〉が同じことを指しているように思えてしまうのですが、どなたか詳しい方、この二つの概念の違いをご教示いただけませんでしょうか。 どうぞよろしくお願いします。

  • 木村敏著の『時間と自己』の解釈について質問です

    木村敏著の『時間と自己』のP46の16行目からの 時間において数えられるものは、そのつどの「今」であるが、今は、それがつねに今であるという点では同一であるけれども、そのつどの具体的なあり方においては異なっている。今はある意味ではつねに同一であり、ある意味ではけっして同一ではない。したがって時間が連続しているのも今によってであるし、時間が分割されうるのも今においてである。今はけっして時間の部分ではない。 がよく分かりません。 どう解釈すればよいんでしょうか? 教えていただきたいです。

  • 非現実的な質問かもしれないけど

    なんで、世の中はお金なんだろうねえ。 愛とか正義とか言っても お金が 無ければ、 生きる権利がない (食うことは、おろか、住むのにもお金が必要) なのは、 どうしてか? 愛とか正義 があってもお金がなければ生きることができなく、 この国の官僚とかは、あらゆる悪を働いてでも、 手段を選ばずとも、 お金をあつめようとしている。 哲学は、そもそもこの問題を解決するための学問ではなかろうか 生きる意味を問うことは、本当はどうでもいいはずだ。 だけど、人間の内面を無視して、 貨幣特権主義一辺倒で、 生きるのにものさしをつくるのは、やはり問題だ。 所詮哲学は、お金にならない、 お金に関係ない、 と言われればそこまでだが、 哲学はその難問を解決しなければならない。 お金の問題を放置して、死後の 世界がどうこういうのは間違っている。 (お坊さんが、世の中は汚い。お金が汚い。 とか言ってるクセに、自給自足の生活をせず、 お金で生活しているのことに すごいおおきな矛盾を感じているのは 自分だけではないはず………) そもそも、生きるのに、対価(お金) が必要で、そのために、お金を集めよう とたとえ悪いことでも謀ろうとする のは間違っていると思う。 というか、 もう、世の中全体が、 命を削ってでもお金を集めようとする 風潮がある。

  • 哲学・政治学本が好きです!

    哲学・政治学系の本を読むことが好きなので、今度の冬休みにでも、有名なネグリの「帝国」を読んでみようかな… と考えていたのですが、他にも読みたい本がいくつもあるので、時間がかかりそうな「帝国」を省略しようかどうしようか迷っています。 書評などを読む限り、「帝国」のポイントは、 現代の「帝国」は、かつての帝国主義国家と違い、世界規模で、軍事や金融を支配する組織連合のような形で存在している… という現状を指摘することかな、と思うのですが、そういう端的なポイント以外にも、実際読むことによって考えさせられることは大きいでしょうか?それとも、そういうポイントさえ知っておけば、取り立てて急いで読む必要はないでしょうか? 他には、特に自分にとって読む必要があるとかではなく、ただの思い付きみたいなものですが、 バタイユの「エロティシズム」、 ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」、 リップマンの「世論」 等を読もうかな、と思っています。 他にも、最近光文社から新訳が出ているカントの「純粋理性批判」とか、ニーチェの「善悪の彼岸」等も読んでみたいのですが、ちゃんと理解しながら読むのにすごく時間がかかりそうなイメージがあるので、今のところ何となくですが、上記の3冊を優先しようかな・・・と思っています。あと、ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」は読もうと思っています。ノージックとネグリは、東浩紀氏がアマゾンでおススメリストとして公開されていたので特に興味が湧きました。 他に、例えばレヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」とかも、書評などを読む限りかなり良い本だろう、と思うのですが、構造主義などは解説本などでかなり大雑把にですが内容は読んだことがあるので、後回しにしようかな、と思いました。 他にも、フーコーの「言葉と物」もかなり気になっているのですが、「監獄の誕生」をとりあえず読んだことがあるので、まだ後回しにしとこうかな、と思っています。 こっちを先に優先した方が良いんじゃないかという意見、とか、他にもこれが特におススメという本があったら教えてください。

  • 日本は弱腰外交よりほかに何が出来るのでしょう?

     ゆづりあいのおつき合いを目指すために まづはこちらがゆづることのほかに何が出来るでしょう?  そもそもアメリカが中国の海洋政策上の進出を暗黙のうちに認めたから 中国は威張って日本にちょっかいを出して来ているのでは?  * 《暗黙のうちに》というのは 結果から判断してそうなっているのではないか。  漁船船長の釈放をめぐるいくつかの問題は もし日本政府によるその対処の仕方を間違っていると見るならそれは フジタ社員の中国軍部による拘束を軽く見てはいないだろうか?  核武装外交をしないのである限り 弱腰外交の範囲内でしか日本は行動出来ないのではないか? あるいはむしろそれは日本人の心にかかわって そうであるのではないだろうか? やくざ外交に対して どうせよと世論の多くは言っているのだろうか?  このあたりのことをおしえてください。  

  • 自転車を車で運ぶこと

    ことばの話です。 (知っていたり、使っていることがあれば教えてください) 今まで車に自転車を積んで行くことを「輪行」と呼んでいました。 要は自走以外何かに積んで行くのは全て「輪行」の範疇。(持って歩くのは含んでいませんが) ところがウィキベディアをふと見たら、公共交通機関を利用する場合を「輪行」と呼んで、わざわざ「車に積む場合は言わない」と説明されていました。(ウィキが絶対ではないですが、そうなんだ!と) では車に積んで行くことは何と言うのでしょうか? 「車に積んで行く」はもう文章状態なので何か名詞レベルではないでしょうか? 車載でしょうか?でもこれは自転車に限らないですね。 そこで、質問です。 (1)車に自転車を積むことを何と言うのでしょうか? (2)名詞で無い場合、今まで何と言っていましたか?    ・「輪行」に含めていた?    ・車に積んで行く、と長く言っていた    ・自転車の車載 どうでもいい! と言わずお願いします。

  • 存在って 何でしょうか? これこれが存在するって言うものでしょうか?

    存在って 何でしょうか? これこれが存在するって言うものでしょうか? 存在の定義が哲学者 哲学傾向によって違うと思います あなたはこの世に何が存在し また存在してないと思いますか? 教えて下さい。

  • 念通費とは、どういう費用をいうのでしょうか?

    ある電気関係の会社の経費項目に、「念通費」と言うものがあります。 共通で使用する経費みたいなのですが、辞書で調べても分かりません。 「念通」と言う言葉の意味を教えていただけませんか? よろしくお願いします。

  • ドゥルーズの「強度」概念について

    ドゥルーズが、「強度」概念について著作の中で記述している箇所をご存知でしたら教えていただけないでしょうか? 「強度」概念自体についてのまとまった記述として、有名なのは『差異と反復』の第五章ですが、それ以外の著作ではどれに記述されているか、なかなか見当たらず……。 著作名と、章や頁数も教えていただけるとありがたいです。 よろしくおねがいいたします!

  • 存在って 何でしょうか? これこれが存在するって言うものでしょうか?

    存在って 何でしょうか? これこれが存在するって言うものでしょうか? 存在の定義が哲学者 哲学傾向によって違うと思います あなたはこの世に何が存在し また存在してないと思いますか? 教えて下さい。

  • 中国人民銀行による為替介入は、どうやって元資金を調達しているのでしょう

    中国人民銀行による為替介入は、どうやって元資金を調達しているのでしょうか。 日本の場合は、政府が短期国債や政府短期証券を発行し、その資金で財務省が日銀に委託して日銀が為替介入を行うと聞いております。なぜ短期資金なのかというのもわけがわかりません。まさか、円を売った後2~3ヶ月後に円を買い戻すという話ではないと思いますが。為替介入のたびに国の借金が増えているのでしょうか。一方中国では外貨準備が2.45兆ドルと巨額です。調達する元資金も半端ではありません。中国が日本と同じ方法で行っているとすると、外貨準備が増えると同時に「国の借金」が増えているのでしょうか。

  • 中国人民銀行による為替介入は、どうやって元資金を調達しているのでしょう

    中国人民銀行による為替介入は、どうやって元資金を調達しているのでしょうか。 日本の場合は、政府が短期国債や政府短期証券を発行し、その資金で財務省が日銀に委託して日銀が為替介入を行うと聞いております。なぜ短期資金なのかというのもわけがわかりません。まさか、円を売った後2~3ヶ月後に円を買い戻すという話ではないと思いますが。為替介入のたびに国の借金が増えているのでしょうか。一方中国では外貨準備が2.45兆ドルと巨額です。調達する元資金も半端ではありません。中国が日本と同じ方法で行っているとすると、外貨準備が増えると同時に「国の借金」が増えているのでしょうか。

  • クオリア問題って結局はこうでしょうか

    クオリア問題って結局はこうでしょうか 視覚(赤いリンゴ)を例にすると、 リンゴに反射した光は網膜で電気信号に変換され、その信号は後頭葉で処理されます。 しかし、電気信号はどこまでいっても電気信号なのに、なぜこうして「赤いリンゴ」 として頭の中に表示されるのか? クオリア問題ってそういう問題ですよね? だとしたら、コンピュータを例にするとカメラのレンズから入ってきた光を ハードディスクに電気信号として記録し、もう一度表示したいときはディスプレイに表示します ディスプレイには我々が脳内で思い起こしたのと同じ赤いリンゴが表示されます そこへ更にディスプレイ向きにカメラを配置し、コンピュータの中にフィードバックさせたら 内部では赤いリンゴを見た!とあたかも以前見た記憶を人間が思い起こしたように認識してると思います うまく表現できませんが、ニュアンスを掴んで頂けたら幸いです。 つまり、人間の脳も機械と同じではないですか? やはり人間は機械に還元されてしまうのでしょうか 以前もここや知恵袋で皆様に助けてもらいましたが またこうして還元主義?唯物論?に堪え難い恐怖を感じています。 若干パニックになってるのでそれが原因かもしれませんが どなたか、僕のクオリアに対する見解が間違っているかどうか それと、仮に正しかったとして、万物に希望が持てる考え方を教えて頂けないでしょうか

  • いつから日本人は腑抜けになったのか?

    いつから日本人は腑抜けになったのか? 尖閣諸島の事故の件で、中国の船長が釈放されるようです。 中国の圧力に屈したわけですが、いつから日本人はそんな 腑抜けになったのでしょうか? それとも、民主党だけが腑抜けなのでしょうか? いったい日本は何のために法律があるのでしょうか? ところで、これは哲学カテでよかったのでしょうか?

  • 電子マネーってお金ではないのですか?

    電子マネーってお金ではないのですか? 電子マネーって「マネー、お金」ですよね? ウィキペディアだと 決済サービスでお金ではない と書かれています。 電子マネーって何なんでしょうか?お金ですよね。

  • 新幹線にロードバイクは持ち込める?

    新幹線にロードバイクは持ち込める? 今度千場のツールド千場に出ようと思っているのですが 新幹線にロードバイクは持ち込めるんですか? ものすごく心配です!

  • 単純再生産と拡大再生産について知りたいのですが辞書や参考資料を見てもよ

    単純再生産と拡大再生産について知りたいのですが辞書や参考資料を見てもよくわかりません。 どなたか小学生でもわかるように、それぞれの違いについて説明していただけないでしょうか?