fishbowl66 の回答履歴

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  • 記憶という脳の働き、その2

    哲学のカテゴリーで、このタイトルの質問をしているので、再度ここで質問させてください。 皆様の回答に接していたら、意識できる記憶と出来ない、あるいはしなくて良い記憶、について知りたくなりました。前回、回答していただいた方、また他の方の知識がいただけたらうれしく思います。 ruehasさんの回答に、意識する記憶としない、あるいはできない記憶についての記事がありましたが、具体的な例など挙げて説明してただけると良いのですが。 よろしくお願いいたします。

  • 「瞬間」というものは実在しないとなぜ言えるのでしょうか?

    「瞬間」というものは実在しないとなぜ言えるのでしょうか?

  • 今の矛盾は資本主義だから?社会主義なら?

     哲学は全く無知でして、カテ違いかも知れませんがよろしくお願いします。  うまく表現できないのですが、「現代の私たち人間って、どんなシステムの下に生きているのだろう?」と疑問に思います。  具体的には、生きていても苦しいのです。  生活費を稼ぐために仕事をしていても、企業は限られた社員数でもっと生産性を上げないといけないので、残業や休日出勤は当然のようになっています(そうでない企業もあるかも知れませんが)。で、休みを削ってまでガンガンに仕事をすることで疲労もストレスも溜まりますので、それを少ない余暇時間で解消しようとすればどうしてもお金で時間や娯楽を買うようなことになってしまいます。それをやろうとすることで更に給料が必要になったりしますよね。  企業も、生産性を上げていけば今の時代は環境破壊や資源枯渇の問題にも影響がありますから、(本来は全く相容れない方向性なんでしょうが)生産活動を亢進させる一方で、CO2排出量の削減枠なんかをお金で買っちゃう必要が出てきたり。それでまた、企業も社員を益々働かせて利益を上げないといけないでしょう。  「こんなことなら、もう経済成長なんか諦めて、サスティナビリティって奴で、平坦な経済活動を維持していけばいいじゃん!」って思っても、最近ニュースで将来の年金制度を維持するためには毎年1%程度のGDP上昇を前提に考えないと試案すら成立しなそうなシビアな予測で、とても「今の経済水準を維持できれば・・・」なんて言ってられなさそうです。  もちろんこういう出口のない状態は日本だけではなく、現代は世界規模で経済が循環していてもっと複雑なのでしょう。    つまり、今の私たちの生活は、全てが金に牛耳られているのではないか?という疑問です。(例えば数年前は、アメリカの武器製造会社が政府に賄賂を渡して中東に武器輸出し、それが内紛だかテロだかの温床になっているとかいう報道があったような気がします。お金儲けという経済原則の前には、世界平和だって相対的に貶められるということだと思いました。)  私たちが今生きているこのお金から逃れられないサーキュレーションって、これが「資本主義」というヤツですか?資本主義社会が高度に発達していくということは、こういう歴史的な必然をたどるのですか?  軍事すら、政治すらお金の力には勝てません。とすれば、この今の社会のシステムというか枠組みを止めて新しい枠組みを模索したい。  もし今の枠組みが「資本主義」なのであれば、それに代わるものといえば「社会主義」くらいしか思いつかないのですが、社会主義ではお金に換わる私たちの生活の価値の基準って何になるのですか?そしてそのことで、今のようにお金の消費に常に追いまくられているのにも関わらず更にお金を追い求めなければ持続しないというサーキュレーションから逃れられますか?

  • 持続と記憶(ベルクソン)

    持続と記憶の関係はどのようになりますか。

  • 外見で中身は分かるか

    あえてこのカテゴリに投稿させてもらいました。 人の内面は、外見からどこまで推測する事ができるんでしょうか? 服装や髪型は、その人の社会的地位や見せたい自己像などに影響されると思うので、なるべくそれ以外の部分でお願いします。

  • する、しない、以外の人間の選択肢

    結婚するべきかどうか悩んだ時期があります。 最終的には結婚する事にしました。 結婚する、結婚しない。 結婚に限らず、人間には、 する、しない、の二つの選択肢しかないように思われます。 それにもかかわらず、 どちらの選択もしていない状態になっている 物事はとてもたくさんあります。 2つの選択肢しか無いにもかかわらず、ほかに何かあるような気がして 悩んだり、欲深くなったりもしてしまいます。 する、しない、以外に、人間には選択肢はないのでしょうか。 する、とも、しない、とも決めていない状態は しない、に含まれるのでしょうか。

  • 直観的認識

    目に見えるものの認識というのは必ず以前の認識に規定されているので瞬間的なものではなく連続的なものであると思います。しかし直観的認識というのは以前の認識に規定されることのないという意味で感覚与件と同義であると思います。 つまり認識には既成の概念が必ず含まれているので直観的認識というものは在り得ないということになると思いますがどうなんでしょうか。

  • 直観的認識

    目に見えるものの認識というのは必ず以前の認識に規定されているので瞬間的なものではなく連続的なものであると思います。しかし直観的認識というのは以前の認識に規定されることのないという意味で感覚与件と同義であると思います。 つまり認識には既成の概念が必ず含まれているので直観的認識というものは在り得ないということになると思いますがどうなんでしょうか。

  • ゼノンのパラドックス?

     アキレスと亀の追いかけっこという、ゼノンのパラドックスという話を教わったのですが、よく分かりません。  ゼノンは自分の論理を使って、運動というものが、本当には存在しないということを証明しようとしたらしいです。  しかし、そもそも、どうして「論理がこうだから実際にもそれは存在しない」という結論が出るんでしょうか?  私は「実際にそれが存在するんだから、論理の方が間違っている」というふうに思うのですが。  つまり、ゼノンのパラドックスが証明しているのは、「論理による現実の本当の姿」ではなく、「論理の不完全性」だと思うのです。  論理は、原理的に不完全なものなのではないでしょうか?  みなさんは、論理というものについて、どうお考えですか? 1.論理とは何か? 2.論理は原理的に完全でありうるものか?  この2点についてお答えいただけると、助かります。  よろしくお願いします。

  • 心は自分の中にありますか外にありますか?

    題のとおりですが。 心はどちらにあると感じられるでしょうか? ユーミンの歌にもありますよねー「やさしさに~包まれたなら~」って歌です。 このとき彼女は心を自分の外側に感じてるのですが。 他の方はどうでしょうか?

  • 「役に立つ学問」「役に立たない学問」とは?

    学問の存立する根拠は、「役に立つこと」のみに存しないのはいまさら言うまでもないと思います。しかし一方で「役に立つこと」が学問の契機になることもあります。古代エジプト人は、東方起源の学問を発達させながら、それを例えば測量術や建築術のような実用と決して離さなかったといわれます。しかし古代ギリシア人は、幾何学や哲学、その他の諸学を日常の実用から切り離して、日暮し天空を眺めてすごすような、純粋な精神的境地を開き、そうした境地が人生にとって「役に立つ」つまり意義深いと考えていたようです。 僕は大学で建築を学んでおり、大学院では建築論という建築の哲学みたいなことを研究します。なぜ建築するのか?などについてアリストテレスやウィトルウィウスの本を読み研究しています。こんな役に立たない学問を研究して意味があるのか?と言われるときがあります。大学は役に立たないといわれている学問を研究する場ではないのかと自分では思っています。学問の在り方について教えていただけませんか?

  • あなたは、自分自身どんな存在だと思っていますか?

    あなたは、自分自身どんな存在だと思っていますか?

  • 因果関係とは何か

    因果関係とはどういうものでしょうか?

  • ミル『自由論』の解説・要約

    J.S.ミル『自由論』を読もうとしました。 しかしあまりに文章が難解で、かつ整理されていません。 読破するには膨大な時間を要することを鑑みて断念しました。 (当方、哲学の門外漢であり原点を読破する必要性は感じていません。) とはいっても、主張の概要を理解したいと思っています。 つきましては、ミルの主張の概要をまとめた書物があればご紹介いただけますと助かります。 よろしくお願いします。

  • 関係こそが自我の因子

    人の回答を書いていて気づいたのですが。 私という自我は他人や社会との関係によって存在している。もっと言えば関係こそが私という自我そのものじゃなかろうかと。 もし、この世にたった一人で生まれたとしたら私という自我は発現しなかっただろうと思われます。 ・人が悪を嫌うのは他者との「関係」が壊れることにより、自我もまた損傷するため。故に悪とは他者との「関係」を破壊する行為の総称。 ・人が孤独を嫌うのは自我の因子である「関係」を本質的に必要とするため。 ・人が死を嫌うのは肉体が死ぬと、他者と関係することができず、それによって「関係」そのものである自我も消滅することを知っているため。 死とは「関係」の消滅である。それゆえ未知の死を恐れることができると思われる。 こんな感じで、私の中では点と点が線でつながってきたんですが、どっか間違ってます?

  • 力の概念

    哲学の文脈において力の概念にはどのようなものがありますか? 例えばベーコンの「知は力なり」やニーチェの「権力への意志」など。 ご存知でしたら宜しくお願いいたします。

  • あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください

    神話・伝説・物語など虚構上の人物でもかまいません。有名・無名も問いません。反面教師として悪名高き人物も受けつけます。 思想に焦点をあてたいとは 思っていますが 思想と言っても 気持ちや癖(エートス)から生活態度そして世界観までを含むわけですから 広く自由に紹介してください。 呼び水のごとく たとえばの話です。昔の日本人は立派だったと言わんばかりに 司馬遼太郎は 日露戦争までの日本人を讃えています。特に中国侵略と太平洋戦争時の日本人が異常であるという脈絡で言うのだと思いますが 立派さのほうについては 司馬に呼応して 山折哲雄が紹介している例があります。 山折の挙げる長谷川伸著《日本捕虜志》からの引用を そのまま掲載します。《日露戦争における上村彦之丞とリューリック〔号〕乗組員救助》の中の話だそうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 出雲〔号〕に収容されたリューリック乗組員の一ロシヤ将校が 艦内に飼われている小鳥は前々からここにありしかと問うた。 日本人通訳が いやいやあれはリューリックの溺者を救助にいったものが 救い漏れは最早ないかと 救助艇をあっちこっち漕ぎ廻していると 浮いていた板にあの小鳥がとまっていた。大海の中だし放って置いては 小さい翼では飛べまい 可哀そうだと捕えてきて ああして飼っているのだと答えると  ロシヤ将校は涙をうかべ あれは私の飼っていた小鳥でした。われわれは北海で奈古浦丸を撃沈して以来 金州丸・常陸丸・和泉丸と撃沈し 佐渡丸も破壊したのだから その報復を今こそ受けると思いの外(ほか)かくも優遇をうけつつある。日本人はどうしてかくまで義侠なのかといい 神に黙祷を捧げた。 (長谷川伸《日本捕虜志》昭和37年版 p.169――司馬遼太郎・山折哲雄:《日本とは何かということ―宗教・歴史・文明》1997 所収。読みよいように 段落分けなどしました。) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・上村彦之丞→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E5%BD%A6%E4%B9%8B%E4%B8%9E 昔は 余裕があった・いやいや 今が捨てたものではないうんぬんを どうぞ。

  • 夢からアプローチする唯物主義の否定の反駁募集

    あまりの文字数制限に唖然とした。脳の覚醒時と睡眠時では、覚醒時の方が高い能力を有する筈。睡眠とは脳が寝ている状態だからだ。レム睡眠時には夢を見る。これは特殊な事だ。何故なら、夢は映像体験である。眼を閉じているのに“見る”という感覚体験をするからだ。覚醒時に眼を閉じても“見る”事は不可能である。覚醒時の思考は睡眠時の夢に遠く及ばない鈍い“気がする”程度の事である。それは感覚体験でなく、神経のパターンの再現である事による、脳の能力の限界ではないのか。それなのに、能力の劣る筈の睡眠時に、覚醒時を遥かに凌駕する力(映像体験能力)を発揮するのはおかしいではないか。もし、脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。

  • 悪い事

    どのカテゴリーに質問しようか迷いましたが、結局ここに質問することにしました。 間違ってたら言ってください。 『悪い事』を子供(小6~中3)に教える際に、道徳的概念と宗教的概念を一切使わずに教える事が出来るかどうかを教えてください。 また、大人に対して言うならどのように言うべきか教えてください。

  • 夢からアプローチする唯物主義の否定の反駁募集

    あまりの文字数制限に唖然とした。脳の覚醒時と睡眠時では、覚醒時の方が高い能力を有する筈。睡眠とは脳が寝ている状態だからだ。レム睡眠時には夢を見る。これは特殊な事だ。何故なら、夢は映像体験である。眼を閉じているのに“見る”という感覚体験をするからだ。覚醒時に眼を閉じても“見る”事は不可能である。覚醒時の思考は睡眠時の夢に遠く及ばない鈍い“気がする”程度の事である。それは感覚体験でなく、神経のパターンの再現である事による、脳の能力の限界ではないのか。それなのに、能力の劣る筈の睡眠時に、覚醒時を遥かに凌駕する力(映像体験能力)を発揮するのはおかしいではないか。もし、脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。