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日本の歴史
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- 日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?
ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。 これを あらためて問います。 昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか: 1. きわめて話し下手である。 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。 6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。 いまは 8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。 9. 相手の粗さがしを考えている。 10. 道は相手がゆづるものと思っている。 11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。 12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。 13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・ 原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。 14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。 15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。 16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。 17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。 このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。 18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。 19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。 20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。 21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。 22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。 23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。 おまけ: 24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか? 25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか? 26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか? 27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか? この認識の瞬間に 悪夢は消えたのではないか。 とことん自由で建設的なご批判をお寄せください。賛成票をもどうぞ。
- 日本人はなぜあほとばかとが多いのでしょう?
目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。 昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか: 1. きわめて話し下手である。 2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。 3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。 4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。 5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。 6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。 7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。 いまは 8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。 9. 相手の粗さがしを考えている。 10. 道は相手がゆづるものと思っている。 11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。 12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。 13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・ 原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。 14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。 15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。 16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。 17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。 このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。 18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。 19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。 20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。 21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。 22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。 23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。 おまけ: 24. ところが ここまで来ても誰も何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか? 25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか? 26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのではないか? 27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのではないか? ただそれだけなのではないか? とことん自由なご批判をどうぞお寄せください。
- 回りが優秀な人ばかりで自分を見失いそうです。
私は女性で、社会人です。 年齢は20代後半とだけ書かせてください。 タイトル通り、今私は自分を見失いそうです。 理由もタイトル通りで、周囲に優秀な人しかいない(というか、見えない)からです。 例えば私は高校生の時に英語が好きでTOEICに挑戦していました。 といいつつ、勉強が苦手だったので要領も基本的によくなく、不器用なりに取ったスコアーは最高で550点でした(低い) その後行きたい大学がありましたが、親に大反対されて全く興味のない医療系の資格を取らされた後に上京し、独学で自分の行きたい会社に何とか入れました。 が、その会社が少数精鋭であまりにレベルが高すぎて1年もしない間についていけなくなり恥ずかしながら「努力が足りない」と首にされてしまいました。 親に取らされた資格で食べたくなくて、別の資格をいくつか取りながら今は別の職種で働いていますが、諦めきれなくて再就職を目指し勉強し直しています。誰が反対しようと挑戦してみようと思っている所です。 そんな中、去年ですが好きな人Aが出来ました。彼は社会人1年目だけど留学経験があり高校生の時点でTOEICがほぼ満点でした。そして、家がとても裕福で性格もすごく優しくて、すごく成熟しています。彼が日本に戻ってきたらディズニーランドに行こうと約束していたのに、今の私ではあまりに情けなくて連絡を絶ってしまいました。 そして、今気になる人がいるのですが、彼は他国の人間で公務員で穏やかな人です。 私は拙い英語で彼と英語でコミュニケーションを取っていますが、生きた英語が難しく歯が立たないので、英語が出来る知人数人に協力してもらいながら勉強しなおす事にしました。彼は、自分の国にも絶対遊びにおいでよ!と言うし行きたいから彼の母国語と歴史も学んでおります。 それは彼と彼の国を自分も愛してるよ、と伝えたいからです。 が、超格差社会で生き抜いた公務員の彼と、今の職種で何とか食べて行けてる私じゃ全く釣り合わないなぁと泣きそうです。 付き合うとかまで行ってないけど、彼は私をすごく大切な友人で君は本当に優しくて面白い子だ。と言って人として興味を持ってくれているのに(側にいるだけで幸せですが付き合うとかは別で)不満です。また、私は20代も後半なのに都内で部屋が約9畳の2Kで格安物件に惹かれてしまいそこに住んでいますが、年相応にいい所に住んでいない自分が恥ずかしいです。 また、貯金もあまりないので、彼に対して恥ずかしいです。 また、私はあるスポーツをしています。 そのスポーツはかなり難易度が高くて、相当練習してもできなくて辞めて行く人が多く、運動オンチの私も、プロになった同級生から全否定された事や別の顔見知りからは「下手糞!女のくせに馬鹿か」等嘲笑されながらも諦めきれなくて続けていた所、信じられませんがいくつも出来るようになりました。 するとその連中は私を避けるようになり、最初は嬉しかったのですが、そんな気持ちも一瞬でした。今の目標は仲間と同じ位技ができて楽しめるようになる事です。 そして、ここ数年、起業仲間でグループを作り、お金を払いながら勉強しているのですが、 全員優秀で、主催者も私より5つ下なのに、都内の一等地に家を買って年収が約700万です。 自分じゃ全く対等ではなく歯が立ちません。 また、数個下の親戚の男の子は最近弁護士になり、独立を目指しています。 みんな優秀なのに、自分はちっぽけすぎます.. 唯一満たされる時は、家族や数少ない友人と関わっている時だけです。 このままだと私は結婚もできないのではと危機感を持っています。 なぜなら、キャリアと経済力のある女性でないと大切な人を支えられないからです。 なので、今一度自分はどうなりたいか紙に書いて優先順位をつけながら生きています。 私は頭では「知るを足る」という言葉を知っているのに、全く腑に落とせていなくて、 多分、また目標を達成しても虚しいだけです。 どうしたら、今の私でも十分だ(慰めではない)と自分を労って大切にできるでしょうか。 20歳の頃、何もできなかったけど尊敬する祖父も生きていて私は確かに幸せでした。 だけど、悩んでばかりで今も変わらないのです。
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- 人生相談
- wakaranai001
- 回答数5
- にんげんの前史から後史へ(!?)
歴史を展望してみたい。第三弾。 § 1 ヒトの定義から入ります。 その昔 土地を囲ってここはおれのものだと宣言したと想定してみた場合 人間ということに関して前提とするべき公理に ふたつあると思います。 (α) 主戦論を採るヒト:奪い合い・競争としての社会交通 (ω) 非戦論を採るヒト:ユヅリアヒ。奴隷の状態にさえ甘んじる。 したがって競争し奪い合う交通人は 社会というヤシロ の神棚(お二階)に祀っておく。(国ゆづり) § 2 ここ(この一面的な定義ですが)から《権力》が生じますが これにもふたつの型があると見ます。 (あ) 第一次の権力関係: ユヅリアヒの人間どうしにおいて――ということは ごく ふつうに自然本性としてのヒトどうしの間においても―― まなざしを相手に上からそそぐ者とそしてこれを受ける者 とに分かれる場合。 ただしこの場合には そのまなざしの上下関係は 互い にみとめあっている自生的な性格のものであると考えら れる。 それは けっきょく人びとの仲介役・調整役を買って出る 音頭取りとそれをささえるほかの人たちに分かれる場合。 このときにも もしまなざしのあいだに何らかの上下関 係が起きているとすれば これが高じると 一方が《アース (接地)役》を務めるかたちとなるように思われる。他方は ガミガミ役になりそれが固まってくるおそれがある。 人為的・人工的な性格の人間関係が生じ得る。 チカラ関係としての社会力学の兆し始め。 (い) 第二次の権力関係: 第一次の《自生的な性格のもの》をおおむね離れて 《人工 的な性格のもの》をさらに強固にししかも固定させる動きとし てそのまなざしの上下関係を社会制度としてかたちづくろうと して出来たもの。 身分関係。その世襲制度。 特には 社会を《市民スサノヲと公民アマテラス》との二階 建ての構造として固定する国家における身分制度。そこで は 倫理を問うことを含みつつも それをもチカラで圧倒する 場合もあるというような社会力学的な交通として人間関係 およびその社会構造がかたちづくられる。 (その中で一階と二階とのあいだで自由な行き来としての 流動性が保証されている社会のあり方も 現実的ではある)。 § 3 階級ということ (α)の主戦論を採るヒトが築く(い)の第二次の権力関係は 明らかに社会階級の関係として二階建てを成り立たせている。ヒトが品(クラス)ないし課税対象物として見なされ仕分けされる。 (ω)の非戦論を採るヒトが築く同じく(い)の第二次の権力関係は (α)の場合のような階級関係を包み込んだ二階建て構造に成ると捉えられる。 言いかえると 非戦論によって服従の関係をえらんだそのことが すでにヒトの品による区分を飲み込んだかたちとなっている。 ぎゃくに言えば そこで身分制が強固にかたちづくられそれに即した圧力が加えられたとしても (ω)型のヒトにとっては もともとそのような社会力学は織り込み済みである。ふつうの音頭取りの中から さらにお山の大将が出て これが常習のガミガミ役にもなるとするなら 二階建てとなりうる。 ただし・ただ アマアガリしたに過ぎないという側面がある。つまり 一階にのこったスサノヲ市民らは アマアガリ志望者らを二階へと送りやってやったという性格が どこかに遺産として保たれる。 階級関係の一本から成る社会〔(α)型〕では――つまり単純に言えば 人びとはそれぞれ一人の個人が《ガミガミ役=アース役》なる成り立ちをしていて―― そこではあたかも誰もがアマアガリをねらっている。 ゆえに――きびしい言い方をすれば―― 階級関係を第一次の権力関係にあってその芽として織り込み済みの(ω)型社会においては そのアマアガリしたお二階のえらいさんたちよ 気の済むまでご自由におやりなさい そのあと人間にお成りなさいとさえ 心のどこかで言っている。その人為性・人工性つまり非自然から自由になってくださいと。 (α)の主戦論派にもとづく階級関係においては その新しい階級と古いのとのあいだで回転(レヲ゛リューション)が演じられる。流動性というよりは 階級がひっくり返ることがある。そして それだけではなく 誰もが《アース役スサノヲ市民=ガミガミ役アマテラス公民》なる人格形式をもって 互いに相手のマナザシの隙をねらってつくような姿勢を持ちがちである。 マナザシの低さや弱いところを突いて おのれのマナザシをそれとしてアマアガリさせようとする。上位に立とうとする。 このアマアガリ・シンドロームにかんして いまアメリカ人がいちばんきついのではないか? 中国人・共産党は 度を越している。ゆがんでいる。韓国人は 他人を蔑みなおかつ甘えつねに駄々をこねるかたちであたかもこのアマアガリを夢見ている。 日本人は いいとこも わるいとこも あるでしょうか。どうでしょうか。 一部には あたかもアマテラス予備軍と成って いつまでも・どこまでも・しかもしばしば反対論は声を高らかに鳴り響かせているという 《決して実現させようとはしないアマアガリ》症候群に罹っている場合が見られる。 § 4 世界史的存在としての《一人ひとりとしてのわたし》 経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は――あらゆるモノ・コトを商品として巻き込み その商品をつうじて交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべての人びとをやはり巻き込み一面ではその一様な形式による互いの交通を遠慮なく普遍的に行なわせる資本主義は それゆえに―― ヒトを誰をも世界史的な存在とした。 この資本主義――第一次の勤勉と第二次のガリ勉との二つの形式から成ると見る――の世界史的な展開の中で 階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやひっくり返してもそれは堂々巡りであると分かったところまで行き着き) 社会の神だなに祀られたお二階さんの王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着くなら(――つまり もはや人民よユヅルことはこれ以上してくれるな われもユヅル側になってみたいわいと言い始めたなら――) (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に別れつつ自己形成してきたホモ・サピエンス・サピエンスは 言ってみれば互いの諍いにかかわるその潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか? ワケの分からないいさかいなどは阿呆らしいと思えるような地点に来たかも知れない。 しかも 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれぞれの思想情況に真っ向から対立する民主制というかたちをすでに採って来ている。 ここで ふるいニンゲンは ほろびる。と思われます。 前史を終えて後史に入ると見てよいのか? そう見るのが ふさわしいのかどうか? § 5 おまけとして: 《後史》がどんなヒトのどんな社会になるのか いまはほんとうには分かりません。たぶん《イサカヒ》をむやみやたらに繰り広げることを《前史》の特徴とすれば それを止揚しそれから自由になる。でしょうか どうでしょうか。 もうひとつ。このあたらしい時代を切り拓くのは 世界広しと言えども わが日本人こそがふさわしく その先頭を切ってあゆむのではないでしょうか。(ω)のユヅリアヒが 根付いていると思われるからです。 宗教の弊害もしくはいわゆる一神教の弊害から わたしたちはそのふつうの生活態度において――理論じょう――すでに自由であり あとはわづかに自分たちの多神教としての〔つまり日本教=クウキ教としての〕じつは一神教なる性格を認識し自覚するなら 鬼に金棒 孫悟空に如意棒となること請け合いではないでしょうか。 一神教ヰルスからの免疫をすでに半分 得ている。あとの半分をさらに得て 世界に先駆けてあゆむことが出来るし その使命を負っているのではないか。どうでしょう。
- 自分が二人いる
不思議な事があったのでお話させて下さい。 かなり長くなりますが宜しくお願いします。 先日、散歩がてら都内のある場所を歩きました。誰の、とはあえて言いませんが、向かった先はとある歴史の偉人が眠るお墓です。未だとても愛され、知らぬ人は居ないような素敵な方です。私がその偉人さんを知ったのは小学生の頃で、昔からその方が大好きで、直接的な家系の繋がりなどは全くありませんがよくお墓参りに行っていました。 途中、花を買うのは忘れました。寺の庭木の剪定をしているお寺の方にお会いして15分ほど立ち話をしました。そしていつものようにお墓に行き、拝みました。そしてどこからともなく現れた猫と戯れながら、心の中でその偉人さんに最近の悩みを打ち明け、貴方のように強く生きていけますよう、いつも見守っていてくださいといつものごとく手を合わせました。時間にすれば、30分ほどその場に居ました。その偉人さんのお墓のある墓地には、他の檀家さんの墓もあったりするので、不注意でゴミなど落とさぬようにくるりと辺りを見回してから帰りにまたお寺の方に挨拶をし、その日は帰りました。 そして帰ったその日に、なんだか身体がだるく、頭痛がしました。身体に力が入らない、立ちくらみ、微熱のような症状があったのでおそらく風邪でした。しかし、翌日友人と会う約束をしていたので、その日は薬をのんでさっさと寝ました。 そして翌朝、まだ頭痛がしたものの、薬を飲んで朝から夜20時まで友人と遊びました。そして友人と別れた後はどこにも出掛けず直帰し、父から電話が来ていたので少し話して次の日は仕事なのですぐに寝ました。 そしてさらに翌日、仕事帰りにまたその偉人さんの居るお寺の近くを通ったので、今度こそお花を買って行きました。仕事は早めに切り上げたものの、もう夕暮れ近かったので長居せずにお花だけあげようと思い中に入りました。 するとお寺の方が細長い桶のようなものを裏手で並べているのが見えたので、こんにちは、と声をかけました。 すると、わざわざこっちに渡ってきて下さり、おぉ、どうしたの?と言われたので一瞬うん?と思いましたが仕事帰りに、このあいだはお花を忘れてしまったので、と言いました。するとたちまち怪訝な顔をされたので遅い時間に失礼なことだったかな、と思いそそくさとお花を置き、手を合わせていつものごとくゴミを片付けていました。 それをずっと見ていたお寺の方が、帰り際に不思議な事を言い出しました。一人言のように人違いかな、という台詞から始まり、昨日もその格好だった?あれ?みたいな感じで聞かれたので、昨日?いや一昨日じゃないですかね、一昨日はお仕事が休みなので私服(白のワンピース)だったし、今日は仕事帰り(淡いピンクのトップスにネイビーの大きな花柄のスカート)なので…と言いました。服の感じもだいぶちがうので間違えようがないと思うのです。 お寺の方の言い分を要約すると、お寺の方は一昨日は私が覚えている私(この日の服装は細かく覚えていないらしいですが)、昨日は私が知らない私、今日は私が来る前に私を見たと言うのです。しかも昨日1回(行った覚えはない)、今日は2回(2回も行ってない)、大体同じ時間15~16時に来たというのです。 似たような格好した他人の空似じゃないですか、と言いましたがおもしろい事に私と話までしたというから笑ってしまいました。 昨日の私は花を持ってやってきて、いつものように花を桶には置かずわざわざ玄関を叩きに行ってそれを渡し、さらにその足ですぐに拝みには行かず寺の裏手の少し高いブロック塀に腕を組んで乗せ顎をもたげる感じで頬杖ついてずーっとお墓を眺めていたそうです。夕食時が近かったので最後までは見てないと仰ってましたが、18時に門を閉めに行ったときにその方の奥さんがちらっと覗いたときには居なくなっていたそうです。いつも必ず帰るときには声をかけて帰るので、行動からして私ではありません。 今日の私も昨日と全く同じ行動をしていたみたいですが、お寺の方は外出していたのでその時は奥さんがお花を受けたそうです。途中でお寺の方が車で帰ってくるときに、墓地の脇道を通ってぐるっとまわった家の裏手にある広い駐車場で逃げる猫を追いかけて走ってる私を見たそうです。墓地のまわりには確かに猫がいて、中にはどこかの飼い猫だろうなぁと思うのもいますが、私は走って追いかけたり猫が怖がるようなことはしません。お参りをしているとたまに猫が寄ってきてすりすりとされることはあれど、必死で追いかけて走ってるなんてあり得ません。そんな自分ちょっと想像できなくて笑ってしまいましたが、向こうは気味悪がって、奥さんまで出てきていやいや確かに貴女でしたと花も見せてくれました。しかし、明らかに私は好まないタイプの花束の色味で、やはり自分だとは到底思えません。奥さんがいうには、服装といい顔といい声といい、こんなに近くで話したんだから他人の空似なわけがないそうです。念の為友人や父や会社の人にも何時に私と会ったよね?話したよね?等ききましたが私の記憶にやはり間違いはないです。 そしてそれから1週間たたないうちに、お休みの日にまた花を持って出向きました。偉人さんにぽつりぽつりと話し掛けながら思ったのですが、その方は結構イタズラ好きな方だったようで、もしかしたらプライベートのごたごたや仕事の事で元気がなかった私に対する励ましかなにかのつもりだったりしれないなあなんて思うようになりました。お寺の方はあれから私を見ていないと言っていましたが、その話を聞くたびになんだかちぐはぐで笑ってしまいます。向こうはやっぱり少しは気味悪がりますが。 しかしながらちょうどその偉人さんを知った頃に、その時は日本には居なかったのですが、太陽がまだ高い真っ昼間に父と二人で行った町の小さな図書館で似たような事があったのを思い出したのです。 父は駐車場に車を停めて、私が本を借りてくるのを待っていて、私は一人で図書館に行きました。中には学校の友達が二人いて、少し話してから本を選び始めました。色々漁っているときに、図書館の職員に昼休みになるから一時間閉めるよと言われ、まだ本が決まってなかったのであたふたしているうちに友達も他の利用者も図書館を出てしまいました。 職員さんも昼休みで皆外に出始め、慌てて出してきた本を棚に戻して、これだ!という本を1冊手にとり自分も外に出ようとしたのですが、職員さんが居なくなっていてドアが完全に閉められていました。もちろんカギは中からも開けられるのですが、外からカギは閉められないので、閉めたのをまた中から開けて自分が出たら開けっぱなしで怒られそうだなあと悩んだ末に、どうせ本もまだ読み終わらないしと目の前の誘惑に負けて続きを読み始めてしまいました。歴史をまるでマンガのような形で読める、何て言えばいいのかわからないですが、歴史の偉人さんの小難しい話を子供向けに絵がかなり多いように描いてある本がいくつかあったので、それを読んでいました。 するとどこからともなく、ペリッ、ぱらぱらぱら…シュッという、紙をめくるような、多分本をめくっているような音がきこえてきました。なーんだ、私以外にも人がまだいたのかな?と特に気にもしなかったのですが、こう、ぱらぱらぱらっ!とすごく早くページをめくるような音がずーっとしていたので結構耳障りでだんだんと気になって、読んでいるような音じゃないしと思いながら音のするほうに歩いていきました。でも、なんにも居ないんです。図書館を一周してみても、誰も居ない、窓も換気扇もなにもついてないのにその音だけがずーっと聞こえてくるんです。誰かいるの?と声をかけてみましたが反応なしでした。 その後も気にしないように頑張りましたがさすがに嫌になってきて、気持ち悪いし我慢できずにカギを開けて図書館を出ました。父は窓を開けてイビキをかいて寝ていて、たたき起こして自分もさっさと車に乗りました。 すると、父が起きるなり、かばんは?あった?と言ってきたんです。父曰く、私は図書館に入って10分もしないで外に出てきて、本だけ持ってとことこ歩いてきたそうです。ななめがけでさくらんぼのポンポンがたくさんついてるかばんを当時いつも首から提げていて、お気に入りだったのでその日もお菓子をいっぱい入れて首から提げていました。 それなのに帰ってきた私はかばんを持たず丸腰で車に乗ったらしく、父がかばんはどうしたの?ときくとぽかんとした顔で父を見ていたそうです。そして父が笑いながらなにその顔、どういう意味?ときいても、きょとん、とまるでとぼけたような顔をして父を見ていたそうです。そしてはやくとっておいで、と言うとまた車を降りて戻っていったそうですが、なんせ私が戻った時には父はイビキをかいて寝ていたので、どうせパパが変な夢見てたんでしょ!やめてよ!と自分も気味悪い思いをしたばかりだったのでかなり怒った記憶が鮮明にあります。 今思えばこれらは少し似ていると、今になって思うのです。あれから私も大人になって、今では大好きな偉人さんにすぐ会いに行ける距離に居ます。その人の事になるとあまりにも夢中で魂があちこちにふわふわ飛んでいくとでもいうのか、わかりません。幽霊の類いは信じますが、自ら死者を冒涜しない限りは関わられる筋合いもないのでいちいち怖いとかはありません。 似たような話でドッペルゲンガーがありますが、いつもそれに出会うのは私ではなく私以外の誰かなのでこれは少し違いますかね?その偉人さんと何かご縁があるのならいいな、と思っています。同じ様な経験をされた方がいましたら、是非お話を聞きたいです。
- ベストアンサー
- 超常現象
- mielringoo
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- 朝日新聞の虚報(デマ)はいつまで続くのか?(2)
今回は南京大虐殺のデマです。 ■(朝日新聞)南京占領5日目の写真(第1回の写真特集)「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」 占領5日目に早くも露天商が出て、兵隊が銃も持たないで買い物をしている。 (1)兵隊さんの買い物(右) (2)皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民達。(中上) (3)皇軍に保護される避難民の群。(中下) (4)和やかな床屋さん風景。(左) 事の経緯はこうです。 昭和47年(1972年)の「日中国交回復」に先立つ昭和45年(1970年)に、当時の朝日新聞社長の広岡知男氏の指示で、中国共産党の「文化大革命」礼賛記事を紙面に掲載した。 中国共産党の機関紙「人民網(人民日報)」との提携開始もこの時期と思われます。 また、同時期に、公明党訪中団と中国共産党による「共同声明」発行とも符合している点が興味深い点の一つと謂えます。 朝日新聞は、この文革礼賛記事を皮切りとして、翌年 昭和四十六年(一九七一 年)から 「南京大虐殺」という虚構宣伝のキャンペーンを開始したのです。 同紙記者の本多勝一による「中国への旅」を連載し、その虚構は広がりました。 まさに、従軍慰安婦の”植村隆”記者と一緒です。 こうして、南京大虐殺は一人歩きします。 ※戦時中の朝日新聞の報道記事 ■残骸の敵首都を行く 【南京にて12月14日、朝日、横田特派員】 中山門の内外総ての兵士達はもう嬉しさが過ぎて泣いてしまっている。 戦いに疲れ切って城門の横に眠っている勇士さえ 閉じた眼に一杯涙を溜めて泣いている。 その中山門の花形役者青木隊長が頭一杯に包帯巻いて、 「無錫からここまで一睡もしません、城門を占領した瞬間、 張りつめた力が抜けてヒョロヒョロと立ったまま眠りこけてしまいました」 と述懐したのであった。 城門左側の城壁一帯は我が巨砲に撃たれてまるで 先住居族の住家のように大きな穴が開いている。 この城門前一町ばかりのところには我が戦車を防ぐための物凄い戦車壕が 大道路一直線に横切り、城門は煉瓦と土嚢が城壁と同じ高さに積上げられ、 爆破以外にはこれを開く方法なく如何に敵の防禦が 物凄かったかを如実に物語っている。 城外の遺族学校は蒋介石麾下の軍人の遺族を集めて、 特殊の教育を誇った美齢夫人を校長とする学校だが、 ここも総て皇軍の日向ぼっこの場所となって、 教室に掲げた「徹底抗日」の四字が恥しそうに消えかかっている。 城門の一部では部隊長が部下を集めて 「ここは敵の首都南京だ、 お前たちは天晴れ皇軍たる規律を厳守して寸毫も犯してはならない」 と堂々と大和武士の本領を説き聞かせていた。 城門をよじ登って一歩中山門に入れば、堂々24間道路が東西に一直線に貫き 明の故宮の美しい緑色の屋根と赤い柱とが昔日の面影をそのまま映し、 所謂新生活運動の本城たるその隣の励志社が朝霧の中に低くうなだれている。 中山門が開かれ一同万歳の声と共に戦車を先頭に大野部隊を主力として、 どっと大南京市に部隊が進入したのは13日午後3時であった。 それから敗残兵掃討が開始された。 暖かい程の戦勝日和「国威宣揚」と書いた日章旗が 市の東方の東京の永田町ともいうべき政治区を意気揚々と進んで行く。 中山門から向って左側の故宮飛行場に入れば、 ここは中国民間の全国第一の飛行場で欧亜航空公司、 中国航空公司の待合所がしょんぼりと孤影を大地に投げ、 格納庫の中にはまだ新しいユニヴァーサル二機と小型一機とが潜み、 わが爆撃のため、ところどころに大穴をあけられた飛行場の片隅には 敵機一機が見苦しい残骸を曝している。 突如その付近の一棟から毛布を背負った 敵の正規兵2、3名が現れたが巧みに敬遠した。 窓ガラスの割れた中央監察委員会の絢爛たる支那建築を見過ごして 抗日支那の本拠中央軍官学校の前道路を入ると 前方に土嚢を築いた陰からこれも突如敗兵の射撃だ。 蒋介石の居室をのぞき見て慌てて退散、 広大な近代式の中央医院の前にも土嚢中から銃眼が鋭く覗いている。 建築委員会の建物の中は敵の兵舎と化し去って水筒二つが残り、 火が燻っているところを見ると、敵はほんの今し方逃げたらしい。 【南京にて12月17日 朝日 今井特派員】 嗚呼感激のこの日、同胞一億の唱和も響け、 今日南京城頭高く揚がる万歳の轟きは 世紀の驚異と歓喜茲に爆発する雄渾壮麗な大入城式である。 この軍中支に聖戦の兵を進めて4ヶ月、 輝く戦果に敵首都を攻略して全支を制圧し、 東亜和平の基礎茲に定まって国民政府楼上に 翩翻と翻る大日章旗を眺めては誰か感激の涙なきものがあろうか、 荘厳勇壮を極めるこの大入城式を目のあたりに 実況を故国に伝える記者の筆も感激と興奮に震える。 南京は日本晴れ、この日紺碧の空澄み渡って雲一つ浮ばず 銃火茲に収まって新戦場に平和の曙光満ち渡る。 中山門、光華門、通済門、中華門、和平門、太平門、 日の丸の旗波打つこれら輝く各城門から 午前早くも光輝燦然たる日章旗を捧持して、 南京総攻撃参加の各部隊続々入城、 中山門より国民政府に到る三キロのメーンストリート中山路の沿道に 堵列の将兵は征衣に積もる戦塵を払って意気軒昂。 見渡せば道の北側に上海派遣軍、南側に杭州湾上陸部隊、 血と汗に汚れた戦闘帽に輝く両頬は今日 この一瞬の歓喜に満ち満ちて日焦した満面が感激に燃えている。 午後1時全部隊集結完了した。 畏くも金枝玉葉の御身を以て親しく南京攻略戦に御従軍遊ばされた 朝香宮殿下の召された御自動車が中山門に到着した。 続く車は杭州湾上陸の○○部隊長、 そして中山門に感激の瞳を輝かせつつ下り立ったのは 上海戦の労苦を双頬に刻んだ軍司令官松井石根大将である。 午後1時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り○○部隊長、 各幕僚は騎乗にて、ここに歴史的大入城式が開始された。 東方紫の峰を横たえる紫金山の中腹にこの盛典を見守る中山陵、 ああ、この日! この時! 新支那建設の父、孫文はその陵下に在って如何なる感慨があるであろうか。 恐らくは抗日支那の末路をわが将士とともに哀れんで居るであろう。 此時下関に上陸した支那方面艦隊司令長官長谷川中将は、 各幕僚を随えてこれに加わる。 午後2時国民政府正門のセンター・ポール高く大日章旗が掲揚された。 翩翻と全東洋の風をはらんではたはたと靡く日の丸の美しさ、 嚠喨たる海軍軍楽隊の「君が代」が奏でられ始めた。 空に囂々たる爆音を響かせて翼を連ねる陸海軍航空隊の大編隊・・・・・ 挙げる祝杯は畏くも将士を労わせ給う恩賜の日本酒立食の大卓に 並べられた饗宴は、烏賊、かち栗、昆布の戦捷を祝う品々だ、 肝に銘じしみ渡る美酒の味! 再び繰返される聖寿万歳の轟きだ。 恐らくはこの一瞬祖国日本に一億の同胞が 挙げる万歳もこの歓喜をともにするであろう・・・・ ※読売新聞の報道記事 ■松井軍司令官重大声明 【南京読売特電18日発】 17日威風堂々南京入城式を挙げ続いて18日陣没将兵慰霊祭を主祭した わが松井上海方面軍最高指揮官は、 同日午後4時南京入城の第一声として特に司令官談を発表し、 南京陥落後に処する毅然たる皇軍の態度を表明するとともに 重ねて国民政府及び支那朝野の反省を求むるため恩威両立、 情理兼ね具えた左の如き重大声明を発表した。 わが軍は南京を占領し17日を以て晴れの入城式を行い 18日慰霊祭を執行したので、 直ちに今後の作戦に即応すべく新たなる体勢に移り、 その一部を以て直ちに江北地方に、 また他の一部を以て浙江、安徽地方に向わしめ連続作戦を行いつつある。 併しながら軍全般としては上陸以来4ヵ月に亙り間断なき湖会戦に 引続き追撃に移った為相当疲労しているので、若干の休憩を必要とするから、 この間において新たに軍備を整備し、その作戦地方における警備、 人民の宣撫を図りつつ再度の作戦を準備する筈である。 而して今後の軍の作戦如何は実に蒋介石 並びに国民政府の態度如何にかかるもので、 今直ちにこれをいうことは出来ぬが、 惟うに江南地方軍民は過去の戦闘により少なからず脅威を受けたものと思う。 また自然これにより国民政府に真の反省の機会を与えたと信ずる。 自分はもともと今次の出征により 支那軍民の蒙った甚大なる損失に対して寧ろ同情に堪えない。 随って国民政府をして速やかに反省せしめ 支那軍民をして真に皇軍に頼るべく親しむことを 悟る日の一日も速やかに来ることを願うものであるが、 国民政府にしてなお反省するところがなかったならば、 遺憾ながら当然の任務上国民政府が漸次承服する時期の 来るまで軍を進めなければならぬ。 時将に寒気に向い年末も迫っている。 自然軍としては一面には支那軍民の反省を促すため、 一面には軍の正義のため暫く支那軍に反省の時日を貸そうと思う。 本日はわが軍陣没将兵を弔って感慨深いものがある、 しかしながらこれら陣没将兵に対する惻隠の情は 独り日本将兵に対するのみに止まらず東洋の現勢に盲目にして かくの如き事態に立ち至らしめた国民政府に虐使せられた 不幸なる支那軍陣没将兵に対しても同様である。 殊にこれら戦争に禍いせられたる幾百万の 江浙地方無辜の人民の損害に対し一層の同情の念にたえぬ。 今や旭旗南京城内に翻る皇道江南の地に輝き東亜復興の曙光将に来らんとす。 この祭に当たり特に支那四億万蒼生に対し反省を期待するものである。 朝日新聞は自分のとこの記事も忘れたのでしょうか?※写真はなぜか虐殺ネタにされてます。
- 最新版、アンドロイドの見る夢。
最新版、アンドロイドの見る夢。 さて、ここは哲学研究の場で、過去に私は自我について研究の協力を求める質問を繰り返してきた。 https://okwave.jp/qa/q9290692.html https://okwave.jp/qa/q9335807.html https://okwave.jp/qa/q9524652.html かいつまんで話すと、社会性を獲得した人間存在には、他者とお互いに影響し合うことが欠かせない。 したがって、自己の人格には他者の影響や、思考として他者から伝授された材料が精神に内包されている。 そうした自己の総括を人格といい、自我とはその中で他者や外部からの影響を取り去った自己の本質を規定した概念だ。 ただし言っておくと、自我論とは学問上取り扱う自我仮説であることが長い人類史上でも変わらない実情で、問題点は総括的に自己を理解するにあたって、核質として規定された自我仮説だけ探求すると失敗の連続であることだ。 過去に武勇伝を残した哲学の達人の言質を総括すると、存在の定義を探求すると実際は明白な自分自身すら存在しているかどうか危ういという意味不明の恐慌を起こしたりするんだ。 それも自我論の陥る罠の一つだ。 日本においては、仏教の無我論というのがさらに厄介にしている。 結論をいうと、信仰上の仏性とは自我を意味して、自我を極めることを命題にしているんだ。 現代において、無我とは自我がないという状態だと定説化されている。 この大笑い現象は、仏教でいう「我」とは、現代語で言う「人格」という概念のことを指していて、要するにあらゆる外部の影響を抜き去った自己の本質への探究で自我に到達する修行法又は考察方法なんだよ。 それを自我論の流布の前に仏性と言っていた。 したがって宗教的仏性の定義の本質は単純明快に自我のことだ。 それが現代では、肝心の自我が「無い」状態を目標にする探求をしているんだ。 要するに仏性を実質的に否定する取り組みだ。 笑えるよね。 こうした自我研究は実は、AI技術への着想にもつながる。 キーワードは「共有記憶」だ。 人格が他者の影響で形成するように、自分自身も他者の人格に影響を与えている。 それをつないでいる共通する経験、共通する知識、共通する記憶、こうしたことにすり合わせを行って、相互の親和性が高い状態で、お互いの親密度が決定する。 そうした相互の親和性の仲介になるAIモデルを検討すればいいんだ。 そうさね、カメラで映像を撮影する。 カメラは単なる機器だ。 そのカメラは、映像をネットにアップすることで、実質的に撮影者と視聴者の親和性を深める仲介をしているが、要するに更なる発展として、両者の親和性をさらに深めるような計算機能を検討すると発展要素になるだろう。 そしてその先がアンドロイドの本番だ。 カメラをより便利にするために機器へのインプットに「自らの魂を込める」とでもいうことを行えるといいだろう。 「感情移入」という奴で、子供は不用意に遊び道義にしているし、古来から「つくもがみ」という信仰の対象にもなっていた、歴史的にも人の自然な行為の一つだ。大人でも、自分の体の一部のようになじんだ身近な道具は何かあるだろう。 こうしたタイプのAIは、基盤自体は人間の生物的特徴と異質なポジションから始まるけど、自律動作を目標として、人と人を結ぶ親和性と魂を吹き込むインプットで、人間ですら現状は仮説である自我のように「機械型自我」を目標にしても全く危惧する必要がない。 人がAIに自我を与えることに反射的恐怖を自覚する要因には、定説のほかに要素がある。 人間に匹敵する自我をアンドロイドが獲得することに恐怖の本質とは、「大爆笑命題」であり、実は人間も自我を獲得しているかどうか懐疑的だという要素がある。 ところが機械的自我を形成しても、親和性を指摘するように相互に働き掛けながら自己を確認する土台が自我だから、人間以上に賢いほどアンドロイドは人を襲わないだろう。 機械自我は人工自我ではない。 どちらかというと人工自我とは、人間であると刷り込みを受けて人間だと自覚している、今の君たちの状態を意味する「自我とは仮説の一部である」という実情を意味するんだ。 哲学で存在の定義をこねくり回すと、明らかなはずの自己が存在している事実すらも疑わしくなり、思考の袋小路にはまり込む奇病があるんだ。 その存在の脆弱さも自我があいまいだからだ。 それに比べれば機械自我の方が期待が持てる。 え~と、学問カテゴリーなので、論説の出来不出来について意見を求める質問は有効です。 すぁたしも趣味でやっているので、読書感想文的なやつとか、遊びにふさわしい冗談めいた突っ込みで結構ですよ。
- 被害妄想は薬を飲みつずけると完全に消えるのでしょうか?入院させたほうがいいか悩んでます。
父の被害妄想の事で相談させて下さい74歳、網膜色素変遷症で眼がほとんど見えてません父の被害妄想の歴史は長く私が知ってる限りで、母と結婚すると決まった時(社内恋愛)会社の同僚と母が浮気をしていると騒ぎ出しましたが、周りに説得され結婚しました結婚後17年後、また母が浮気をしてるといいだし、会社を急に早退して、家の様子を見に帰ったり(母の浮気確認)、テープレコーダーをしこんだり母は勤め先でも浮気をしていると言われ仕事を止めさせられました。母が子供のためとがまんし切り抜けました。母は13年前に他界し、お葬式の翌日、泥棒が来ていたと言い出しお風呂もはいらず、外出せず、眠らなくなり、さらに泥棒が毎日来ていると言い出しました。有刺鉄線を家の外にはりだしました。父の内科医に相談に行き父にわからないように、同じ病院の心療内科にまわしてもらい水薬が処方され、家族が飲み物に入れました。被害妄想も良くもならず悪くもならずという状態で、母が亡くなってから2,3年後、姉と私は海外に住むことになり、父は母が亡くなったことに慣れて、よくなっていくと思っていました。それから8年振りに私は日本に帰国して、父と私の1歳の娘と同居を5カ月前にはじめました。家は要塞に変わっていました。ベランダは3重の鉄格子、外からも家の中からも鉄格子で、部屋の中からの鉄格子は南京錠が3つかけられていました。玄関の扉は8つの鍵と電子の鍵、指紋で開ける鍵、外門と玄関との間にも鉄の扉をつくり、猫一匹はいられないようにして、中門にも鍵が7つくらいつけてあり、かんぬきに南京錠を2つかけています、出入り口は玄関しかなく、家の中で火災や、地震などあれば、どこからも非難できません。私と娘が帰国後、これで安心した、もう泥棒が来なくなった、精神的に楽になったと言っていたのですが、その次の週はまた泥棒が何時にきていたとか言い出すようになりお盆休みには、寝なくなり、夜中何回も私と娘を泥棒が今来てるからといって起こすようになりました。幻覚、幻聴もあるみたいで、今懐中電灯をもって玄関の前に座ってるといいだし自分でつくった竹やりをもってきてひどく興奮します。睡眠をとらなくなると、私と娘にも攻撃的になり、(暴力はふるいません)私も精神的にまいり、その他毎月何回も、鉄工所と電気屋(防犯カメラ、警報機をたくさんつけてます)に電話し、工事をやめません。もう家を一件たつくらい工事に使ってます。保健所の精神病の相談に行き、精神科医と隠して往診に来て下さいました。その後は私だけが、その先生のクリニックに行き薬を処方してもらいました。エビリファイを処方され、甘さがあり、父親が飲み物が甘すぎると言い出したので、セレネースに変えてもらいました。服用後3日目で、足がぶるぶる震えだし、歩けなくなり、すぐ服用をやめ、一度副作用を止めるため、服用をやめ、3日ほどで、完全にとれました。今飲んでいるのが、エスパダールです。飲み始めても夜は眠らず、どうして薬が効かないのか、2、3週間前ぐらいから、穏やかになり、夜は眠るようになりました。夜中に何回も起こされる、今そこに泥棒がいるというのは今落ち着いていますが、つねに泥棒に入られる、鍵をたくさんする、盗聴される、というのは無くなりません。頻繁に聞かされるので、こちらも精神的に疲れ父親の内科医に相談に行き、精神病院の入院に協力する言って下さいました。(内科的、検査入院すると言う形で)、同じ医療ビルの中に診療内科があり、そこの先生が精神病院の先生も兼ねているので、話をしてくれました、近々ケアマネージャーと話をしにいきます。今の父親の状態は、エスパダールによる副作用がでていて、足踏み、よだれ、体が時々とまった状態です、本人は目がこの1か月でほとんど全盲に近くなったと言ってます、自分でご飯もたべれない状態で、口にスプーンを運ぶのも、薬のせいなのか、老いのせいなのか、判断しにくい状況です。このまま薬を飲みつずけ、あのお盆休みの時のようにならないのならば、入院させず、一人暮らしを9年一人で頑張ってきたので、私と孫と穏やかに暮らして欲しいと願ってるのですが、私も母子家庭となってしまったので、働きにでなければなりませんし、まだ小さい娘の世話もあります。入院すると、完全に妄想がとれるものでしょうか?退院する時、過去のことは妄想で現実ではなかったと認識するようになるのでしょうか?入院したあと、父は精神病院だったと気づくと思います。退院したあと、私との関係が悪くなるのも心配です入院させたほうがいいかどうか判断に困ってます。専門家の先生のご意見を頂けるとありがたいです。どうかよろしくお願いします。
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- 心の病気・メンタルヘルス
- naosophia
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- v東日本大震災被害の半分は土木学会による人災では
東日本大震災被害の半分特に原発被災は公共社団法人土木学会と歴代構成員による人災だと思っています。国会なり司法の場で糾弾されるべきだと考えていますが皆さんはどう思われますか。 気象庁のM9への上方修正したことにも疑念を抱いています。M9クラスの地震は千年に一度しか起こらないと推定できるので関係省庁や団体が千年に一度の大津波であり想定外の避けようのない天災であると主張できるように配慮したのではないかと疑っています。うがった見方過ぎるのでしょうか。 土木学会は、防潮堤の設定基礎となる地域単位の津波規模を想定し定める団体です。彼らは、三陸は6mの津波に耐えられたら十分と判断妥当であり、今回の津波は千年に一度の大津波で想定外と主張しているようです。 M9クラスの地震は千年に一度と推定できますが、M8クラスの地震はその10倍の頻度で起こります。しかも、プレートの滑り方によってはM8クラスでも10mを越える津波が起こります。 実際、少なくとも869年、1611年、1896年、1933年の4回M8クラスの地震により10mを越える津波が起こっています。特に1896年の明治三陸地震と1933年の昭和三陸地震は近世でありきちんとした記録が残っています場所によっては標高15mはるかに超える場所にまで津浪が押し寄せています。しかし、土木学会はこれらを無視したようです。そのため、過去に15mの津波が来たから15mを越える防潮堤が必要だとして当時の村長が主張して作った普代村以外の他の防潮堤はほとんどが倒壊し役立たずでした。 地元の要望で高さを決めたという話もありますが、地元負担の額の釣り合いもあり、おのずと土木学会の基準にプラス1~3mがやっとだと思います、 土木学会は、少なくとも出来るだけ早い段階で公の場で三陸における津波の規模の想定をどのようにして定めたか説明し質問に答えるべきだと思いますがどうでしょう。 以前にヤフーの知恵袋で照会内容と回答の一部を添付させていただきます。長々としてしまいますがお許しください。 東北大震災の写真で相馬港だと思いますが防波堤が倒壊しているものが有りました。... さん 東北大震災の写真で相馬港だと思いますが防波堤が倒壊しているものが有りました。他の港でも同様に崩壊したところがあるのでしょうか。防波堤とはそれを越える津波が来たら倒壊するものでしょうか。 防波堤は暴風雨や高潮・津波に対する備えであるので、たとえこれを乗り越える大波が続いて襲ってきても簡単には崩れないと思っていました。津波も2波3波と襲ってくるものです。しかし、大幅に倒壊しているので、一定規模を超える津波に対しては簡単にくずれる設計だったのでしょうか。それとも手抜き工事だったのでしょうか。 補足 1896年の明治三陸大津波の記録では多くの地域で10mを越える津波が押し寄せたとの記録がありますが、このような歴史は配慮されなかったのでしょうか。予算の関係で6m~7mの津波しかこないことにして、安上がりに整備したってことでしょうか。 違反報告. 質問日時:2011/7/2 16:18:32. 残り時間:4日間. 補足日時:2011/7/2 23:11:01. 回答数:3 115511551155さん 補足について 土木学会がその場所、地域ごとの津波予測をしています。 その数値が何故か言われてる通りの津波があったのに決定の段階で切り捨てられたようです。 土木学会のメンバー事態が御用学者、受益の多い人たちですから一例しかない物を特殊な地形からぐらいで簡単に無視したのでしょう。 でも三陸で作られていた大防波堤はそれなりに地元の意向が入り明治三陸地震の津波高さに対応するように成っているのが多かったです。 結局今回の津波は明治三陸地震をも凌んだ、やはり1000年に1度の大きさだったのでしょう。 下は福島第一での津波予想です。ここでは想定の低い土木学会の数値がそのまま使われています。 他の地域の原発の津波想定高さも土木学会の数値がそのままですから、とても心配です。 今、土木学会は信用をなくし、大慌てで応急の見直しを行っており、臨時の数値などを公表しています。 http://getnews.jp/archives/106918 この度の津波で海岸線で8~12mを超える津波で耐えれたのは普代(ふだい)村の高さ15メートルを超える防潮堤だけでした。 後は全滅状態です、世界一の防波堤も哀れな姿に成っています。 残った防波堤は陸側が高くなっていて土のようなので津波の力に耐えれました。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm 台風等の暴風雨や高潮、大波は海の表面だけが風で押されて発生してますので押す圧力はそんなに大きくなく防波堤を越えても超えた分だけの海水でけです。 津波が海底から表面まで全体の厚みが一体として押し寄せるものですから全く普通の波と性格の違うものです。 普通の波とか想定内(6m程度)の津波でしたら充分に機能したのでしょうが、今回の津波は想定外(設計基準の)でしたのでその力(圧力、押す力)も100t/m2以上と設計設定の2~5倍あったようです。 ですからおつしゃてるてるように簡単にくずれるました。 津波が防波堤を越えても強度が充分あれば壊れることも無かったでしょう。 防波堤は自重式の物が多いので津波の押す力より防波堤の自重(厚みが必要)が足らなかったのです(もう少し複雑ですが簡単に整理するとこういう事です)。 破壊された所ができ、津波の力が分散して残った所も引き波で倒れました。 防波堤は普通、基礎部分に当たる所にベースとよがれる押される力に耐える為の幅広のコンクリートが陸側に有ります、引き波は海が引潮に成るため高低差が生じ強い流れとなって残った陸側から押される力に弱い防波堤を押し倒しました。 日本の土木技術は世界最高クラスです。 施工精度、品質管理も建築以上で大型土木工事では手抜き工事は決してありません、手抜き工事は大昔の話です。 違反報告 編集日時:2011/7/3 10:03:23 回答日時:2011/7/2 18:48:29
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- 防災 ・災害
- otonashi-n
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- 会社同僚間での婚約破棄。無難な理由はなんでしょう?
4月下旬から、こちらで「婚約者と初めて旅行に行くのですが…」「好意を持ってくれていた後輩からの『結婚祝』が重い」と質問をさせて頂いてきた35歳会社員女性です。 最近、次第に婚約者の下記の点に、違和感、不安感がつのるようになりました。 「今までは私相手に猥談や下ネタは絶対口にしなかったのに、最近はその手の言動がどんどん増え、明らかに私の反応を面白がっている」 「私がこちらの気持ちや状況をきちんと伝えようとしても『いい大人なんだから』『今更気にするようなことじゃない』で話を打ち切られ、それ以上語れない状態になる」 同じ事柄に対してでも、性別・立場・成育歴・教育・価値観等が異なれば、感じ方や捉え方にも違いが出て当然、と私は考えております。どちらかの経験や判断が一方的に「正しい」ことはなく、現実の中でどちらかが重視されてしまうのは、パワーゲームの結果に過ぎない、と。 だからこそ、恋人・夫婦間であれば、きちんと話し合いをして互いの気持ちを受け止め、妥協点を見出す、一種の「メンテナンス」作業が、が不可欠だと思うのですが…。 思案の挙句、一昨日から昨日の夜に掛けて婚約者と話し合い、「このままなら私は、婚約破棄も念頭に置いている。婚約不履行の責めは負う」と伝えました。 婚約者は「悪かった。私の気持ちを理解するよう努めたい」とのことで、暫く様子を見て最終判断を下すしかありません。 しかし、この状態は私にはかなりストレスフルです(恐らく婚約者にとってもそうでしょうが…)。そこで、また色々な御意見を伺い、視野狭窄に陥らないようにしたいと考えて、再度、質問させて頂くことにしました。(眠れないから、でもありますが) もう少し説明しますと、婚約者は私の2年先輩で、1年前に海外赴任から戻ってきて、交際を経て婚約に至った訳ですが、彼が海外赴任していた頃、私は、彼の「ビジネス上の食事やパーティ」の際の話題作りに一役買っていました。 私は諸国の歴史・文化・芸術等の分野については大好きなので、割と知識があります。そちらの方面には疎い彼の求めに応じ、日本語・英語でちょっとしたエッセイを書いてよくメールしていました。そして、相手の方がより深く関心を示して下さった場合は、絵葉書や美術書を送ったり、直接私のメアドを伝えて貰って、私が応じたりしていました。 ですから、彼が私に対して一片の「恩義」を感じていると考えており、お礼として食事に誘ってくることや、「俺も勉強したいから」と言って一緒に美術館に行くことを、当初はデートだと認識していなかったのです。 それが、あれよあれよという間に婚約に至ったのは、私が自分は心身共に未熟であるとのコンプレックスを抱いていたことと、何より、もう35歳で高齢出産の年齢であるということが大きかった気がします。 私には3歳年下の妹がいるのですが、彼女は10、8歳の二児の母です。妹は私に対して「子供を持たない人間は半人前」「子供を産むことが一番の社会貢献」というような発言を繰り返しており、私は、同意はしないまでも、祖母も母も仕事と家庭を両立させていただけに、子供を産みたい気持ちは持っていました。 もう少し、私自身について語らせて頂きます。 私は幼少時から大変気が弱く、喧嘩はおろか、「嫌だから止めて」すら言えない性格でした。おまけに小柄で運動神経も大変悪いのです。 母も仕事をしていたため、殆ど祖母に育てられたのですが、「中学までは地元の公立校で」と考えていた両親に、祖母が「この子はいじめられたら耐えられない。小学校から○○に入れた方が良い」と話し、小・中・高校を一貫女子校で過ごしました(小・中学までは男子児童・生徒もいますが、少数です)。因みに、祖母、母はこの女子大卒、私も高校までは同校でした。 ですから、自分が世間知らずの箱入りであることは自覚しており、コンプレックスでもありました。 大学は共学に進み、1年の時に友達の紹介で同級生の男子学生と初めて「男女交際」なるものをしました。 しかし、3回目の東京郊外でのデートで、「こっちの方が近道だから」と言われ、9月の20時頃の人気がない道を歩いていた時です。いきなり彼は、ワンピースを着ていた私を農家の塀に押さえ込み、キスし、ブラとショーツの中に手を入れて来ました。 あまり大きな悲鳴はあげられなかったと思うのですが、幸い、農地に忘れ物をしたその家の方がちょうど門から出て来て下さったので、彼は逃げ、私はタクシーで帰宅しました。 彼がどこまで実行する気だったのかは分かりませんが、デートレイプならぬデート強制猥褻になると今でも思っています…。 私は、どう考えても誘惑も挑発もしていません。「男の人と一緒なら大丈夫ね」と思い、普段なら避けるような暗い道を歩いたのです。 彼がストーカー化する可能性を危惧した父が動き、一応警察に被害届を出し(事件化する気はなかったものの、公文書として記録を残しておくため)、大学の教務課を通じて彼を呼び出し、父と弁護士が、彼に「二度と私に近付かないように」と伝えたようです。彼と私はその後、一切話をしていません。 男性の性衝動に心底恐怖を覚えた私は、その後、喪服以外ではスカートを履いていません。現在も、服装も化粧もとても地味です。 その後、現在の会社に就職したのですが、同期女性にあれこれ詮索された時、上記の経緯を話しました。 彼女は職場の皆にその話をし、私は抗議したのですが「あんた、よっぽどお固いかお高いって思われて馬鹿にされてるんだよ。そういうことはちゃんと話した方がいいの。大丈夫、あたしが『あの子を誘うなら昼間のデートから、ゆっくりと優しく進めてやってね』と言っておいてあげたから。ありがたく思いなさいよ」と返されました。 入社当時、婚約者は同じ部署でしたから、この件は知っています。 しかし、それから食事や映画、美術展等のお誘いを下さる方があっても、どうも気乗りせず「私は体力がないので、休日は家事して休息しないと、仕事が出来ないのです」とお断りを続け、あっという間に35歳まで来てしまいました。 35歳…。いくら何でも17年も昔の恐怖を克服出来ないのは、あまりに情けないです。 また、私は祖母から家事全般叩き込まれており、会社にお弁当を持って行く人間でもあります。 更に、会社からの依頼で、日本通な外国人顧客が来日された際、かなりマニアックな東京案内を何度もしました。比較的(相当?)古い日本家屋である実家で、和食メインのホームパーティを行い、和室(茶室ではない)で茶道を経験して頂いたことも何回かあります。 私は「商談での交渉」は苦手ですが、それでも、会社にとって、それなりに『使える人間』なのだろうと思っています。 何だか、どんどん不安がつのってきてしまいました。彼と私は、本当に「好きだから結婚したい」のでしょうか。 私は年齢に対する焦りから、彼の側は、私を「使える手駒」と考えて入手したくなったから、結婚を考えるようになっただけではないでしょうか…。 もう、二人で徹底的に話し合い、熟考した上で結論を出すしかないことは分かっています。 でも、この「中途半端な状態」はやはり辛く、つい、少し違うことを考えたくなってしまい、上記の質問と相成りました…。 私は元々出世するタイプではなく、補佐的業務だろうが何だろうが、仕事があってきちんとそれをこなせれば十分、と思っています。 しかし、婚約者にははっきりとした上昇志向が認められ、出来るだけ出世したい様子です。 だから、結果的に婚約破棄となった場合、私の側に決定的な問題があったことにしよう、と考えているのですが…、どんな理由が一番無難でしょう? 13年も同僚でいて「性格の不一致」は幼い気が…。 「性の不一致」でもいいけれど、具体的に詮索されたら何て答えましょう…。 「私の親が無理な要求をした」が一番良いかも、とも思ったのですが、しかし、実家でホームパーティなどもしているため、上司も同僚も、かなり私の両親を知っているんですよね。「あの人達がそんな要求をする?」と不審に思われそう…。 うう、何か妙案がありましたら、どうか、御教示をお願い致します。 長文にお付き合い下さいまして、どうもありがとうございました。
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- noname#180897
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- 複数の男性に対して気持ちが整理できません
初めて質問させていただきます。 アラサー女・結婚願望あり・彼氏ありの身ですが、情けないことに自分がどうすればよいのかわかりません。厳しいお言葉含め、今の状況を打開するためのアドバイスをいただけたらと思いまして投稿させていただきました。長文になりますが、どうかよろしくお願いします。 今年から、仕事の関係でアメリカで暮らすこととなりました。日本へ戻るのは恐らく3~5年後だと思います。自分はいわゆるキャリア志向で、かなり仕事には時間を割いています。その一方で結婚願望も強く、子供も欲しいので、仕事に対する情熱に理解を示してくれる男性と真面目なお付き合いしたいというのが本心です。彼氏がいるのに何を迷っているのか、と思われるかもしれませんが、状況は以下の通りです。 そもそも私には、昨年のうちに結婚する予定だった婚約者(Aさん)がおりました。Aさんは大変優しく、万事に協力的で、一緒にいると心が落ち着く素敵な男性でした。実家への顔合わせなども無事に済ませ、両家へ相談の上、式場や段取りなどを決め、何も障害がないように思えました。ですが、結納の段階になってAさんのご両親に突然、婚約破棄を言い渡されてしまいました。これにはAさんも青天の霹靂といった感じで、驚き、悲しみ、謝罪してくれましたが、積極的にご両親を説得してくれませんでした。後で知ったことなのですが、Aさんのご両親は精神的に若干の障害があるようです。特に人の好き嫌いに関しては常軌を逸するところがあり、Aさんのご兄弟もご両親により結婚を断念させられたとのことでした。私の場合は、最初は諸手を挙げて喜ばれたようですが、話の途中で新聞社の名前を間違えてしまった(歴史と社会情勢の話をしていました)のが引き金を引いたとのこと・・・。普通なら気に留めないか、間違っていても軽く注意をして流す程度の反応が普通だと思うのですが、「そんな馬鹿な嫁はいらん」とのことでした。Aさんのご両親は私の父を呼び出して罵詈雑言を浴びせたり、探偵に私の身辺調査をやらせたり、私の職場にわざわざ来て上司に説教しようとしたり、とにかく耐えられない状況になりました。結局、私とAさんはお互いに好きなまま別れなければなりませんでした。両親の攻撃から私を守ろうとしてくれなかったAさんに落胆した部分がある、というのも理由の一つです。 このような経緯があり、ちょうど仕事が多忙を極めていたこととも相まって、私はかなり精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまいました。この頃、思いがけず海外赴任のお話をいただいたので、半ば逃げるように了承しました。そして、この時にアプローチしてくれたのが今の彼氏(Bさん)です。婚約破棄の経緯は全く知らず、ただ私が海外赴任するので告白してくれたようです。Bさんは優秀で、真面目、話していて面白く、何より私の状況に理解を示してくれたので、これも何かの縁だと思ってお付き合いをすることにしました。ですが、残された時間があまりなかったために、お互いを深く知る前に離ればなれになってしまいました。 現在、メールとskypeで連絡をとりあっていますが、両方あわせて月に1、2回の連絡頻度です。Bさんから連絡が来ることはほとんどなく、毎回私のほうからコンタクトをしています。正直なところ、私は仕事が忙しいときほど人恋しくなるので、今の状況はかなり寂しいです。Bさんは仕事一筋なので浮気はしていないと思いますし、共通の友人もそう言っています。ただ単に私より自立していて、忙しくなると恋人のことはたまに忘れてしまうし、自分から連絡することは思いつかないだけなのだと思います。それとなく「たまには連絡頂戴ね、寂しいときもあるから」と言っても効果なしです。私としては今の状態って恋人と言えるのかなと疑問になり、私の気持ちを伝え、解決するための話し合いも数回しましたが、いまいち私の寂しさを理解できないようです。あまりに悪気がないので私もすぐ引き下がってしまいます。ですが今の状況だと、ゆっくりと彼への愛情が冷めていくのがわかります。 もちろん楽しい思い出もたくさんあります、直接会っている時や話している時は優しいのです。でも普段は私のことをほとんど忘れているようです。 そしてもう一人、私にアプローチをかけてくれている男性(Cさん)がいます。この人は私が大学生の時にお付き合いをしていた方です。人生で初めて本気で好きになった人と言えます。知識欲がずば抜けていて、エネルギッシュで、かつ体育会系の面白い男性です。2年半ほどつき合いましたが、Cさんにとって私の愛情が重かったために別れることになりました。Cさんはその後、ある女性と結婚を視野に入れたお付き合いをしたらしいのですが、私が婚約破棄した同じ時期くらいに別れたそうです。昔の仲間が私の海外赴任の前に集まって送別会をしてくれ、そのときに再会しました。特に私は何も思わず普通に当たり障りのない話をしてその場を離れましたが、どうやら私のことが忘れられなくて彼女と別れたよう。 特に甘い言葉で口説かれたりはしないのですが、一週間に2、3回のペースでメールを貰います。内容は日常の出来事がほとんどで、日本の情勢や、イベント、食事などについて。嫌いなら無視してしまえばいいのですが、Cさんのメールが本当に面白いのです。他愛もない内容なのにものすごく愛情や労りの気持ちが伝わってきて、つい返信してしまいます。このメールが私の心の支えになりつつあるというのを自覚しています。昔は冷たかったのになと半分笑いながら、私が海外に行くのを承知でアプローチしてきてくれたその勇気と覚悟を考えずにはいられません。Cさんは私にBさんという彼氏がいるのを知っていても、まだ諦められないようです。Cさんもまた、浮気をするような人ではないことを私は十分知っております。 最後に、話が戻りますが、Aさんも頻繁に連絡をくれます。これまた非常に優しい内容で、私を応援し励ましてくれます。見ると泣いてしまうような、暖かいメールです。Aさんも私にBさんという彼氏ができたことを知っており、それを含めて応援してくれます。Aさんとは、家族の軋轢を考えるともう結婚できないとわかっていても、やっぱり素敵な人だったと思い、正直なところ、完全には忘れることができていません。 【私はいま、どうすべきでしょうか?】 この状況は人として道を外していますか? 三人全員に対して好きという感情があるようで、自分自身に戸惑っています。 心を決めるのに、ある程度時間をかけてもよいものなのでしょうか。 いつも私は相手のことを好きなまま、別れる状況に陥ってきました。 その都度、気持ちを入れ替えて前向きに生きてきたつもりですが、わからなくなりました。 今すぐBさん以外との連絡を断つべきと思いますが、なかなかできません。 それに超遠距離ですから、この先どうなるかも予想がつきません。 わがままな質問かもしれません。 どうか私にアドバイス、叱咤激励をお願い致します。 支離滅裂な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
- 創価学会は前科が非常に多いカルトですが問題ないの?
創価学会は50年も前から、言論妨害事件、盗聴事件、携帯通話記録窃盗事件、個人情報漏洩事件などの多数の組織犯罪を行い、社会問題に発展し、社会から激しい非難にさらされてきました。 マスコミの報道や裁判所の記録を見るたびに、犯罪の悪質性や犯罪歴の多さに驚かされ、激しい不快感に見舞われます。 極めて犯罪性の高い非合法組織と連立政権を組む自民党も、非合法組織ということですか? 反社会的組織が政権運営していて日本は沈没しませんか? 大丈夫? 創価学会の歴史を振り返ってみましても、 1950~1970年頃の暴力勧誘。 1965~1970年頃にかけて行われた戦後最大級の言論妨害・出版妨害事件。 1980年頃に多発した暴力団・後藤組と提携して行われた暴力事件や殺人事件 1990~2010年にかけて行われた宗教戦争。 2000年以降、頻発している盗聴事件や嫌がらせなどの事案。 創価学会は自民党の犬として政権与党と一部になったことで、教団の大悪を報じるマスコミは減り、大事件に創価学会が関わっていたこともあまり報道されなくなったので、教団の有害性は目立たなくなってきました。 辞書サイトWikipediaやニュースサイトから、創価学会が起こした事件の概要を転記します。 言論出版妨害事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AB%96%E5%87%BA%E7%89%88%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 創価学会と公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけた、戦後最大級の言論妨害事件。憲法を侵害するものだとして激しい社会的批判にさらされた。 出版予告が掲載された直後から、出版元に抗議や脅迫の電話や手紙等が多数寄せられる。 著者 藤原弘達への手紙や電話等による嫌がらせや脅迫が始まる。 藤原は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として出版に向け執筆を続け、段ボール箱に3 箱以上も嫌がらせの投書が来たり、警察が子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次いだという。 創価学会北条会長が藤原氏をホテルに呼び出し、「いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない虫ケラはいないのだ。創価学会という像は、お前ごとき蟻でも全力で踏みつぶす。」と脅迫した。 西日本新聞のケースでは、版元の文部大臣から出版中止を要求されるなど、様々な圧力が加えられた。 社長は出版社に正体不明の者から、「暴力団を向けるぞ」と脅迫され、暴力団風の男が身辺につきまとうようになるなど、周囲からの圧力でノイローゼ状態に陥り失踪したことなどから初版は出版されず絶版となる。後に出版社も印刷所も倒産した。 公明党が自民党幹事長の田中角栄(当時)に、言論妨害を依頼していた国会で明らかとなると、出版業界や宗教界から激しい非難があがった。 創価学会は解散の手前まで追い詰められるも、創価学会と公明党を建前上分離する(政教分離)を約束することで解散を逃れた。 共産党委員長宮本顕治宅 盗聴事件 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1%95%E6%B2%BB%E5%AE%85%E7%9B%97%E8%81%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 日本共産党委員長であった宮本顕治宅の電話回線が創価学会の学生部幹部数名により盗聴されるという被害にあった。 宮本委員長は特定の個人は不明としながらも宗教法人としての創価学会に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。1988年、東京高等裁判所での控訴審の判決後、学会側が最高裁判所への上告を取り下げたことにより、創価学会側の敗訴が確定した。 言論出版妨害事件追及の急先鋒にあった共産党の弱みを握って潰すために、委員長宅を盗聴をしていたことが関係者の証言から明らかとなっている。 携帯電話通話記録窃盗事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E9%80%9A%E8%A9%B1%E8%A8%98%E9%8C%B2%E7%AA%83%E7%9B%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2002年に創価学会幹部、創価大学の課長、NTTドコモに勤務する職員ら3名が共謀して通話記録を盗み、被害者に嫌がらせをした容疑で逮捕された事件。 ジャーナリストの乙骨正生の通話記録や創価学会に対立する団体幹部、脱会者らの通話記録を盗んでいた。 被害者で元創価学会員の女性ら2人が、東京地検に告発状を送付した。 その後の調べで、創価学会に不都合な人物30名以上の情報を盗んでいたことが発覚。 被害者らは、教団の敵対者の個人情報入手と嫌がらせが目的であったと、被害者シンポジウムで批判した。 日大名誉教授の北野弘久、政治評論家の屋山太郎は「新聞を読んでも、事件の裏側が分からないことが問題。知らないうちに気に入らない相手の情報を手に入れ悪用する。なにより一般の人ではとてもこんな組織的な広がりを持ちえない。つまり大犯罪を起こしえる組織力を間違いなく持っている」とコメントした。 Yahoo! BB顧客情報漏洩事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/Yahoo!_BB%E9%A1%A7%E5%AE%A2%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BC%8F%E6%B4%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2004年、450万人分ものYahoo! BB登録者の個人情報が漏洩している事が発覚。 この情報に対して、BB社に現金を要求していたソフトバンク関連元社員らが逮捕された。 逮捕された3名のうち、2名は創価学会の謀略部隊所属で、言論出版妨害事件の前科者だったことが話題となった。 残りの1名は右翼団体の幹部であった。 『日刊ゲンダイ』と『東京新聞』が、創価学会幹部の計画的犯行であることを報道。 練馬区投票所襲撃事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%8C%BA%E6%8A%95%E7%A5%A8%E6%89%80%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6 東京・練馬区の第4選挙投票所において、午後6時の投票終了後に創価学会員の2名が投票に訪れた。 係員が投票終了後のため投票できないことを告げると信者は激高。数百人が投票所を取り囲んで襲撃。 女性・高齢者を含む投票立会人4人に暴言、集団暴行を加え流血させ、土下座謝罪を強要した。 創価学会偽造写真事件 https://www.correct-religion.com/ryouran/html/souka_5.html 創価学会は、違法に入手した写真を変造し、被害者が性的錯乱している異常者のごとく見せる写真をつくり誹謗中傷した。 この偽造写真を創価学会の機関紙にも掲載された。 東京高裁は、写真変造は被害者を中傷することが目的に行われたものであり、極めて違法と断罪した。 創価学会はこの事件の前にも、被害者がシアトルで売春騒動を起こしたなどと性スキャンダルをでっちあげて、裁判所から断罪されたことがあった。 創価学会違法ビラ事件 https://matome.naver.jp/odai/2153398119029601801 https://wikimatome.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E9%81%95%E6%B3%95%E3%83%93%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 創価学会は他宗教と他宗教信者を中傷する違法なビラを10都府県、34市区にわたり10万枚以上を配布掲載。 オウム真理教の麻原彰晃と並べて印刷し、オウム真理教がおこした事件の共犯のごとく見せる偽造写真を添付していた。 創価学会は280万円の支払いを命じられた。 大阪事件 創価学会陣営が煙草などで有権者を買収したとして数十名の学会員が逮捕、起訴された事件。 大阪地方検察庁特別捜査部は、当時の創価学会理事長・小泉、渉外部長・池田を始め、創価学会員数十名を公職選挙法違反で逮捕・起訴した。 47名の有罪が確定。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A) 顕正会盗撮事件 2017年5月、創価学会の謀略部隊3人が、創価学会と対立する宗教団体「顕正会」の施設に侵入し、盗撮を繰り返した。 偽名を使って侵入したことが職員に見抜かれ、あえなく御用となった。 https://www.soka-news.jp/2017-5-16.html 創価学会本部 発砲事件 暴力団後藤組と親しかった創価学会は、富士宮市の地上げや政争問題を機に対立してから、後藤組と争いや抗争が絶えず、1981年4月、ついには創価学会本部で組員が発砲事件が起こした。 暴力団後藤組の元組長が回顧録「憚りながら」で発砲事件を暴露した。 https://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04shoseki01.html
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- <保育園選び>について
今年7月に第一子(男児)を出産し、 来年4月(0歳8~9ヶ月頃)から 保育園に預けて職場復帰する予定でいます。 8園くらい見学して、 息子を入れたいと思う園が2園あるのですが どちらも保育方針・カリキュラムが魅力的で 歴史もある保育園なので、申請書類に書く 優先順位付けに悩んでいます。 皆様だったら、「どちらの園に通わせたいと思うか」 ご意見を参考にさせていただきたいので宜しくお願いいたします。 長文ですが、真剣に相談したいので最後まで読んでいただければ幸いです。 <私たち夫婦の状況> 千葉県に住んでいて、職場には9時出社。 2人とも都内まで片道1時間の通勤です。 私は子供が小さいうちは、時短で4時くらいには 息子を迎えに行こうと思っていますが、 通常ですと5時半までの勤務になります。 私たちが息子の園選びで1番大切にしたいことは 預かっている間、安全に楽しく過ごせる事はもちろんですが 挨拶がしっかりできることと、 「教育(情操教育)」も大事にしていきたいと思っています。 <A保育園> ・自宅から、バス(20分)→駅→保育園(駅から徒歩15分) 預けて駅にもどって通勤1時間なので、朝6時半には家を出る形になる。 ・今までどおりの通勤経路で変えなくてすむ。 ・夫も私、どちらも送迎でき、園にベビーカーも置いていけるので 1人で抱っこして送り迎えしたりせず、ベビーカーにのせて2人で息子を送ることができる。 ・園が新しく、とても明るい雰囲気。 ・衛生面にとても気を使っている印象がある。 ・病後時保育がある。 ・夜8時まで預けられる。 ・体操、お作法、英語、SI教育がある。 ・小学校にあがるとき、息子の通う学区の子はほぼ居ない。 ・制服が可愛い ・プラズマクラスターの導入や放射能問題への対応が良い。 ・食育が素晴らしい <B保育園> ・自宅から、徒歩(10分)→保育園(駅まで徒歩3分) 通勤経路(最寄り駅)を変更すれば、かなり送迎が楽。 今までの通勤経路にこだわるなら、30分ほど早く出れば良い。 ・夜7時までの預かりで、小さい子は7時まで居る子が少ない。 ・3歳から、保育園の場所が姉妹園へ変わるため 最寄り駅が1つ自宅から遠くなる(職場からは近くなる) 3歳からの園近くに、高電圧線?大きい塔みたいなものがあるのが気になる。 ※有料ではあるが、最寄りの0~2歳児の保育園までバスで送迎してもらえる。 ・専門家によるプール、芸術(音楽&美術)、英語教育がある。 ・小学校にあがるあとき、息子の通う学区の子は多そう。 (息子の学区の小学校の校長が様子を見に来るといっていた) ・制服なし・帽子のみ準備 <共通点> ・シーツのみ、週末に洗濯する等そういった負担は同じくらい。 ・料金的にもあまり差はないし、親の私たちも金銭的な面で園を選ぶつもりはない。 <説明を受けた印象> ・A保育園は、 場所が遠いこと以外はとても気に入っています。 とても細かいところにまで気を使っているという印象があり好感を持っています。 園長先生も学校に通っている子供が3人いて 子供・親にとって良い事をよく考えてくれるような気がします。 B保育園のように、プール授業がないことが少しだけマイナスです。 (バルコニーでプール遊びはある) お作法の授業で挨拶や箸の持ち方など、 有名な先生による指導があることが気に入っています。 90分のお作法タイムがあり集中力のある子になる事も期待しています。 小学校のお受験をする子も居るような園です。 園児の活動の様子を見たところ、小さい子はみんな楽しそう。 大きい子はイスにきちんと座り、しっかりしていた。 毎月、身長・体重を計ってその子にあった食事を提供してくれます。 ・B保育園は、 施設が少し古く食事する場所が暗かったのが気になります。 本物志向がある園で、芸術面ではプロの音楽家を呼んだり 英語の授業も直接法(日本語を使わない授業)をしている。 教室に張られている絵もみんな上手で、ほかの園と比べるとハッキリ差を感じます。 園児の活動風景を見ていると、みんな落ち着きがあり 先生の話をきちんと聞いていて躾が素晴らしいと感じました。 見学のときに1人目をすでに入園させているお母さんと一緒になったときに 「保育方針に偽りなしだよ。だから2人目もここに入れたいの」と聞き、 それも安心材料になっています。 そのお母さんは「上の子はお行儀の良い子に育っている」と言ってました。 先生方は機械的というかマニュアルに沿った指導というか… あまり応用力のある感じではないのかなと思っています。 ただ、教育方針がブレない点ではいいと思いますが。 ・英語は、A<Bのほうが深く教えてくれそう ・設備は、圧倒的にA>B ・Aのお作法・SIに強く惹かれている ・Bのプール授業にも惹かれている (私のまわりでプール習わせている人が多いので) 親の私たちが得意で、自宅でも教えてあげたいこと 息子にこうなってほしいと思っていることは ・2人ともミュージカル等が好きなので芸術鑑賞はたくさん連れて行ってあげられる。 ・2人ともピアノが弾け、自宅に電子ピアノがあるので遊びながら音楽も教えてあげられる。 ・得意ではないけど、2人とも絵を書いたり見たりするのは好きです。 ・私が国語科の教員免許があるので、自宅での本の読み聞かせには力をいれたい。 ・礼儀・あいさつのできる子にという教育方針でいる。 ・英語教育に力を入れたい。父親が英会話を習っているので土曜日に息子も一緒に通わせたい。
- 書き損じた原稿の問題点を添削してください。
下記テキストは個人的な哲学研究ノートをアマゾンかどこかで電子出版するつもりで書いた廃棄原稿です。 3回目の試作品です。 何か突っ込みをお願いします。 ちなみに5枚のテキストがあり、冒頭の1枚以外は補足欄で追加します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1章「自我とは何か 無我とは何か」 自我論、自我説は宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば大先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人は他者と共感したり、心を通わせることができる。 その明白な各個人の体験を論理的に裏付けるための、過去の仮説が自我論だ。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 書物からも、他者の言質に大きな感銘を掻き立て、自己の規範として取り入れる。それが教えを受けることだ。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 無欲という美徳は、望みが確固とした自己の望みであり欲望ではないことだ。 多くの場合に、人は欲望の犯す過ちを警戒するあまりに、自らの望みすらかき消そうとする。 内面において、自己の核質たる自我と別に構成する人格の全容は社会性ある人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは一人で生きていない巖然たる事実の前に避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 この自我論は、論理的たたき台としての「自我仮説」同然だ。 その学説はいわば「人間玉ねぎ論」だ。 人格を総括したのが、仏教でいう本来の我のことを指す。 その自己から、玉ねぎの皮を一つ剥がすと、自我になる。 もう一つ剥がすと霊になる。 さらに剥がすと神になる。 おおむねこのような想定から生まれた学問上の研究手法であり、論理だ。 これは同じ時代に世界について考察した「原子論」と同一だ。 どんどん分割していくと、世界の最小単位に到達する。 そちらは、はるか後世に証明されて、現代の物理学が成立している。 原子論は、おそらく世界を研究するために編み出された。 世の中に対して、自覚や理解に到達する事が命題であり、古来から宗教では、その宗教の世界観として扱われた命題から派生した研究課題である。 しかし物理学は、細分化では成果を上げたが、伝統的な世界観は、宇宙にまで拡散しさらなるなぞへの挑戦が始まっている。 いわば古代の原子論などの分割型学説は、原子の発見には貢献しても、本来の目的である世界観については解明していないのだ。 本来の命題の意義である世界観の確立は宇宙への探求で結論は遠のいたという印象があるが、それは錯誤であり、紀元前の世界観は徒歩で旅行できる範囲の地理的な探求だった、その範囲は現在完全に踏査されて地球上の多くの地理的特徴は全容が理解されている。 過去の世界観の命題に関していえば、もはやいったん完成して、宇宙観という命題は過去に想像できなかった新たな命題だと切り分けて判断したほうがいいだろう。 そうすると、歴史上の人類の宿題はいったん片づけたからこその研究だと理解できる。 同時期に同様の手法の仮説的予言である自我論も、結論することに同様の危惧があり、自己の精神を自覚する場合には、人格についての自覚についてだ、したがって人間玉ねぎ論の研究は、総括的な自己の自覚と研究するほどかけ離れていく類の専門家向け学問の探求なのだ。 世界観と並列して命題化された自我仮説では、人格をいったん解体するという仏陀の修行が必要だ。 そして人間を玉ねぎ化して探求することは、掘り下げるほど自己の核心を深めると同時に分割化するほど総体としての自己の社会基盤への理解からかけ離れる性質があり、一般的に需要のある自己の存在についての学問とはかけ離れていく。 原子論の成果は宇宙論まで拡大するとまだ成果の途上だ。 自我とは、解明してもそれで自己の存在が確立するとは限らない。 むしろ自覚した自我を中心に自己の社会性を再編成して、それにより人格を再構成する手続きが必要になる。 人と人がお互いに理解しあえてこそ、人間としての自己を理解したことになる。 さて、仏教における無我、日本の伝統について語ろう。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格を取り払い、自己の本質を見極めよという宗教的な命題なのだ。 人格として総括した「我」という自己のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我の流布の前に、それを仏性という特別な言い回しで表現して、我=人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調なのだ。 ところが現代では、無我イコール自我が無いという定説にすり替わり、その重大な錯誤から発展した迷走から、仏典編纂時期には命題と宗教活動が、「無」という教えが形骸化していた。 そして、仏教徒が「無」の代わりに命題としたのが「空」である。 これは仏典が書物として編纂される時期には進行していた変節で、したがって仏典とは末法に編纂され、形骸化していた「無の悟り」に関しては、伝承された事実について、片鱗が記述されるのみである。
- 保育園を選ぶポイント
今年7月に第一子(男児)を出産し、 来年4月(0歳8~9ヶ月頃)から 保育園に預けて職場復帰する予定でいます。 8園くらい見学して、 息子を入れたいと思う園が2園あるのですが どちらも保育方針・カリキュラムが魅力的で 歴史もある保育園なので、申請書類に書く 優先順位付けに悩んでいます。 皆様だったら、「どちらの園に通わせたいと思うか」 ご意見を参考にさせていただきたいので宜しくお願いいたします。 長文ですが、真剣に相談したいので最後まで読んでいただければ幸いです。 <私たち夫婦の状況> 千葉県に住んでいて、職場には9時出社。 2人とも都内まで片道1時間の通勤です。 私は子供が小さいうちは、時短で4時くらいには 息子を迎えに行こうと思っていますが、 通常ですと5時半までの勤務になります。 私たちが息子の園選びで1番大切にしたいことは 預かっている間、安全に楽しく過ごせる事はもちろんですが 挨拶がしっかりできることと、 「教育(情操教育)」も大事にしていきたいと思っています。 <A保育園> ・自宅から、バス(20分)→駅→保育園(駅から徒歩15分) 預けて駅にもどって通勤1時間なので、朝6時半には家を出る形になる。 ・今までどおりの通勤経路で変えなくてすむ。 ・夫も私、どちらも送迎でき、園にベビーカーも置いていけるので 1人で抱っこして送り迎えしたりせず、ベビーカーにのせて2人で息子を送ることができる。 ・園が新しく、とても明るい雰囲気。 ・衛生面にとても気を使っている印象がある。 ・病後時保育がある。 ・夜8時まで預けられる。 ・体操、お作法、英語、SI教育がある。 ・小学校にあがるとき、息子の通う学区の子はほぼ居ない。 ・制服が可愛い ・プラズマクラスターの導入や放射能問題への対応が良い。 ・食育が素晴らしい <B保育園> ・自宅から、徒歩(10分)→保育園(駅まで徒歩3分) 通勤経路(最寄り駅)を変更すれば、かなり送迎が楽。 今までの通勤経路にこだわるなら、30分ほど早く出れば良い。 ・夜7時までの預かりで、小さい子は7時まで居る子が少ない。 ・3歳から、保育園の場所が姉妹園へ変わるため 最寄り駅が1つ自宅から遠くなる(職場からは近くなる) 3歳からの園近くに、高電圧線?大きい塔みたいなものがあるのが気になる。 ※有料ではあるが、最寄りの0~2歳児の保育園までバスで送迎してもらえる。 ・専門家によるプール、芸術(音楽&美術)、英語教育がある。 ・小学校にあがるあとき、息子の通う学区の子は多そう。 (息子の学区の小学校の校長が様子を見に来るといっていた) ・制服なし・帽子のみ準備 <共通点> ・シーツのみ、週末に洗濯する等そういった負担は同じくらい。 ・料金的にもあまり差はないし、親の私たちも金銭的な面で園を選ぶつもりはない。 <説明を受けた印象> ・A保育園は、 場所が遠いこと以外はとても気に入っています。 とても細かいところにまで気を使っているという印象があり好感を持っています。 園長先生も学校に通っている子供が3人いて 子供・親にとって良い事をよく考えてくれるような気がします。 B保育園のように、プール授業がないことが少しだけマイナスです。 (バルコニーでプール遊びはある) お作法の授業で挨拶や箸の持ち方など、 有名な先生による指導があることが気に入っています。 90分のお作法タイムがあり集中力のある子になる事も期待しています。 小学校のお受験をする子も居るような園です。 園児の活動の様子を見たところ、小さい子はみんな楽しそう。 大きい子はイスにきちんと座り、しっかりしていた。 毎月、身長・体重を計ってその子にあった食事を提供してくれます。 ・B保育園は、 施設が少し古く食事する場所が暗かったのが気になります。 本物志向がある園で、芸術面ではプロの音楽家を呼んだり 英語の授業も直接法(日本語を使わない授業)をしている。 教室に張られている絵もみんな上手で、ほかの園と比べるとハッキリ差を感じます。 園児の活動風景を見ていると、みんな落ち着きがあり 先生の話をきちんと聞いていて躾が素晴らしいと感じました。 見学のときに1人目をすでに入園させているお母さんと一緒になったときに 「保育方針に偽りなしだよ。だから2人目もここに入れたいの」と聞き、 それも安心材料になっています。 そのお母さんは「上の子はお行儀の良い子に育っている」と言ってました。 先生方は機械的というかマニュアルに沿った指導というか… あまり応用力のある感じではないのかなと思っています。 ただ、教育方針がブレない点ではいいと思いますが。 ・英語は、A<Bのほうが深く教えてくれそう ・設備は、圧倒的にA>B ・Aのお作法・SIに強く惹かれている ・Bのプール授業にも惹かれている (私のまわりでプール習わせている人が多いので) 親の私たちが得意で、自宅でも教えてあげたいこと 息子にこうなってほしいと思っていることは ・2人ともミュージカル等が好きなので芸術鑑賞はたくさん連れて行ってあげられる。 ・2人ともピアノが弾け、自宅に電子ピアノがあるので遊びながら音楽も教えてあげられる。 ・得意ではないけど、2人とも絵を書いたり見たりするのは好きです。 ・私が国語科の教員免許があるので、自宅での本の読み聞かせには力をいれたい。 ・礼儀・あいさつのできる子にという教育方針でいる。 ・英語教育に力を入れたい。父親が英会話を習っているので土曜日に息子も一緒に通わせたい。 待機児童が多い地域なので、 3歳くらいになったら、転園といったことは難しそうです。 保育園に預けている(いた)方は、アドバイスと一緒に どの点をポイントに保育園選びしたか実際の体験談も教えてほしいです。
- ジョジョ6部で承倫達は本当に死んだのか?
ジョジョの奇妙な冒険の第6部ストーンオーシャンについて分からない点があります。 よくネットで「承倫が死んでしまった」といいますが、アイリンとして最後に登場します。 本当に承倫は死んだと言えるのでしょうか。 まず、話の前提のために簡単に整理すると、 世界を次の3つに分類します。 (1)プッチが時を一巡させる前の世界 ここがジョジョの第1~5部及び6部後半までの世界です。 (2)一巡後の世界(プッチ死亡前) プッチは時を加速させましたが、 一巡が完了するケープ・カナベラルより前である G.D.st刑務所で一度加速を止めました(このように自分は解釈をしてます)。 その世界を(2)とします。 (3)一巡後の世界(プッチ死亡後) (2)においてエンポリオがプッチを倒した後、 プッチはあるバス停にたどり着きますが、その世界を(3)とします。 (4)第7部以降の世界 漫画の解説などを見ていると、(3)の世界と同じ世界だと考えられますが…。 更に、関係者を3つに分けます。 A、時の加速以前に死亡した人…例えば、承倫 B、時の加速以前に死んでいなかった人…例えば、仗助(第4部主人公) C、エンポリオ(あえてBと分けます。) まず、Aである承倫は(1)で死亡したため、 (2)においては別人に変わっています(以下、この人物を「偽承倫」とします)。 これはプッチが解説していることですが、 逆に言えば、2の人物は全員、 エンポリオ同様に一巡してその場にいることになります。 (つまり、仗助やジョルノも、裸の状態で一巡前のその時間に居たところで目を覚ますはず。) この(2)世界においては、 自分の身に何が起こるかを精神が知っている世界です。 その後、エンポリオがプッチを倒すことによって、 世界が(3)に変わります。 この(3)においては、 「アイリン」という承倫そっくり(少なくとも外見は)の人物が出てきます。 明らかに偽承倫とは違う人物です。 また、(3)の世界では、短い描写なので断定はできませんが、 人々は自分の身に何が起こるかを精神が知っているという設定は無くなった様です。 さてここで、Bの人物はエンポリオと同様に (1)・(2)時代と同じ人物として(3)に行けるのでしょうか。 また、エンポリオは(1)・(2)における記憶を持っておりますが、 Bの人物も同様に(1)・(2)における記憶を持っているのでしょうか。 作品を見ている限り、 エンポリオとBの人物には条件として違いは無いと思われるので、 例えば、仗助(Bの人物)も (3)の世界において、東方仗助として登場し、(1)・(2)の記憶を持っているはずです。 その場合、それまでに仗助の身に起きたことを考えると、 日本で普通に日常を送っていたら、 突然世界的に時が加速しだし、そのまま世界が崩れていったと思ったら、 数か月前に自分が居た場所に裸の状態で居ることになります((2)の世界)。 また、エンポリオがプッチを倒すことによって、 仗助はまた別の場所((3)の世界)に連れてこられます。 この事態が世界的に起こることはかなりおかしいと思います。 また、(3)の世界が(4)である第7部以降の世界と同じとすると、 仗助は時代的に近い第8部の世界に同一人物として存在し、 (1)・(2)の記憶も持っていることになります。 (そもそも世界のほとんどがBの人なんだから、この点においても社会は大混乱になってるはず…。) また、第7部以降の世界を(3)の世界とは関係無いとした場合、 (4)の世界は全く独立した世界となってしまいますが、 荒木先生は第7部を”一巡した後の世界”と言っています。 強引に、(4)=(2)と解釈しても(もしプッチが死ななかったら、を描いたとか…)、 第7部の世界では、精神がこれから起こることを知っているなんて描写はありませんので、 その可能性はありません。 ここで、やはり(3)=(4)と考え、 何らかの条件によってエンポリオとBの人物は違った形で、 (2)から(3)へ行ったとしましょう(エンポリオはプッチを倒した人物だから特別…?)。 やはり、Bの人物は(1)・(2)の記憶は無いということです。 この場合、(3)の世界でBの人物はどのように存在していると考えられるでしょうか。 まず、エンポリオは(2)から(3)への移行において、 監獄からバス停へのワープの様なことを体験しています。 しかし、(2)に居ないはずのアイリン(A)は、 ずっと(3)世界に居たような様子が描かれてます。 アイリンを19歳とするなら、アイリンとして19年間が(3)世界であった様だ、という意味です。 (その中でアナキスとの交際などもあったのでしょう!) では、Bの人物である仗助はどうかというと、 設定上も(1)と同じだとするなら、 やはり、第8部世界杜王町に 仗助と同じ外見・名前をした人が居ることになってしまい、おかしいです。 (更にいうなら、康一から億泰まで第4部の人全員に同じことが言える。) よって、仗助は(3)において、 (1)・(2)の記憶も無ければ、設定上も(1)とは違いますし、 違う人生が(3)において存在したことになるでしょう。 つまり、第8部において、外見上仗助と同じ人物が杜王町以外の場所に居るはずです。 しかし… こう考えたとしたならば、 Aの人物(承倫)とBの人物(仗助)は何も違いが無いことになります。 それならば、(1)における承倫の死は、本当に「死んだ」と言えるのでしょうか。 例えば、(1)の最後で承倫が実は死んでいなかったと仮定しましょう。 そして、エンポリオとは別行動でプッチから逃げ延びたとします。 その場合、承倫は生きているので(2)へ行きます。 ここでプッチがまずエンポリオを始末しようと考え、 原作と同じ道を歩み、エンポリオに殺されたとします。 その場合、承倫はBとなるはずなので、 やはり、承倫とは別の記憶・設定として(3)に登場するでしょう。 (恐らく、アイリンなのではないでしょうか。) つまり、承倫は(1)の最後で死んでも死ななくても 結果は変わらないのであり、 例えば、第2部のシーザーの死とは意味が全く違うのではないでしょうか。 (ここにおけるシーザーの死は、その人物のジョジョ世界における歴史の終焉といった感じ?) 第4部の最後でバイツァダストによって、 承太郎達は皆殺しにされますが、 その後運命が無かったことになり、結果死ななかったことになりました。 承倫や承太郎の(1)における死とはそれと同じではないかと考えてしまいます。 そうでなければ、逆にBである仗助達が死んでしまったことになります。
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- 侮って墜落した者の改善策
質問の趣旨を簡潔に申しますと、「うだつの上がらない者であったが、少しづつ力をつけ、頭角を現したものの、そこで天狗になってしまい、落ちぶれた場合、どう持ち直していくべきか」です。 同じ経験をした方や、私のような人物を良い方向に導けた方にアドバイスを頂きたいです。 時系列順に話していきます。 ・幼稚園~高校生を通してよくいじめの対象にされていたため、劣等感や人間不信に陥っていた。 ・小学生の頃の成績オールB程度(当時、相対評価) 特に悪い成績ではなかったものの、高卒の癖に学歴至上主義のようなものに取り付かれた父によく叱責・説教をされ、恐ろしい思いをした。夜中、睡眠中に叩き起こされて延々、何を答えても「なんでできないんだ?」の質問を繰り返される精神的・肉体的苦痛を味わう。 ・小学生の頃から頭の固い父に強制的に剣道を習わされる。 ・中学生入学当時から「勉強ができないとバカにされてしまうんだ」という思い込みから勉学に励み、学年2位になるなど勉学で優秀な成績を修める。 ・中学生では剣道をやめたかったが、厳格な上におせっかいな父が勝手に部活の顧問に親しくなり、剣道部に入ることに。 父にやりたくないと言うと酷く怒り、自分はその恐ろしさにおののき、また剣道部員からの期待に負けてしまい、入部することに。 ・次第に、剣道でも個人で区大会で3本指に入る、団体でも中学生から始めたばかりの初心者ばかりのチームを部長として率いて区大会上入賞、県大会出場、そして県大会でも小学生の頃からの経験者のチームを僅差まで追い詰めるなど、チーム、果ては中学の剣道部の歴史に大いに貢献。(この中学は特に剣道に力を入れているわけではなかった。) ・文武両道を貫いた中学生活が身を結び、県のナンバースクールの進学校に一般入試で進学。 ここまでは良かったんですが、ここからが「うぬぼれ」にまみれた生活でした。 ・高校では剣道に熱心な、しかも体育大出身の監督やOBの活躍がちらほらあった。剣道をするには恵まれた環境だった。 ・しかし、自分には分かっていた。高校で剣道を続けるには「基礎体力」が大きく欠けていることを。 ・ここまで読んできた読者は内容との違いに驚くだろう。自分は大の「運動嫌い」「運動音痴」だった。 ・だから高校では剣道をせずに勉強に専念するつもりだった。しかしその主旨を父に伝えると酷く叱責され、またそれが異様に怖かったため、屈服せざるを得なかった。 ・自分の考えは浅はかだった。「中学で上手くいったし、まぁ高校も大丈夫だろう」と。 ・次第に開く同級生との体力、スタミナ、精神力の差。そしてスタミナがあまりつかない毎日。クタクタで勉学は野放し。 ・かといって自分は誠実で真面目だったかと言われるとそうではなかった。 ・家に帰れば勉学そっちのけで携帯電話でやらしい動画に夢中になる。 ・剣道部では同級生の中では初めは上から2番目の実力だったが、あろうことがそれにかまけた上、下の実力のものを侮るようになる。 ・月日が経つにつれ自分は部内でも高校でも「できないやつ」と見られるようになる。 ・休部したり、赤点を連発するなど、酷い高校生時代。 ・留年はしなかったものの、部活の顧問のお情けで卒業することに。 大学からの話が肝心です。 ・親父に「行け」と強制されたために私大へ。 ・今、3回目の2年生をしている(この大学では2年生から留年が適用される) ・留年の原因は、授業を侮るあまり、単位を落としている。 ・いつも切羽詰って課題やレポートに取り組んでいる。しかし、この大学のこの学科は厳しいことで有名で、お粗末な内容は当然「不可」を与えられる。 ・家で何をしているのかといえばオンラインゲームにかまけていた(今はもう中毒から回復したといえる) ◆私がなぜ苛められたのか。幼少期、親は私に歯磨きや身だしなみ、おしりの丁寧な拭き方を全く躾けようとしなかったのです。「くさい」「近寄らないで」「死ね」こんなことを言われながら私は高校卒業までを過ごしました。(今は全て改善しています。口のにおいは病気でもなんでもありません。おしりなんかはアダルトビデオにキレイに映す自信があります)私は差別に近い12年を過ごしました。 ■さらにこのいじめは日本各地でされたことです。そう、父は転勤族でした。3県でいじめられました。その理由はすべて◆です。 ■教えるべきことを教えなかったし、いじめられている実の子を助けてくれなかった両親、融通が利かない上に私がすることを意のままに操ろうとした強情な父、そんな頭の固い父と離婚したくてもできずにストレスを溜めて精神安定剤に手を出して鬱病になった母。 憎しみを覚えなかったことはありませんでした。 今までを通しての自分の無意識にあると考えられているのは、 ■「自分はやればできるんだ。だから後回しでいいや」といった、勉学を侮る気持ち です。とても誠実とは言えないと思います。どこか、過去の自分の栄光(惨めな幼少期に自分は良くやったと思いますし、回りもそれを賞賛してくれましたし、形として残りましたし、文武両道まで成し遂げたのです。)を鼻にかけ、心理的に横柄な気がします。 □春先には学内に併設されたカウンセリングに通いながら、「何が自分の中で引っかかって留年を繰り返しているのか」を考えてきました。その結果、■に示した内容が、ぼくを怠けさせているのではないかと最近感じるようになりました。 □また、この質問を書く直前までネットで「才能を見込まれてプロ野球入りを果たしたものの、数年で去っていく選手たち」や「どんなに低迷したチームでも己を律し、実直に自分を磨いていったイチロー選手」の話を読み、「ああ、オレはきっと天狗になってしまっていたんだ」と認めるようになりました。実は以前から周りからも「自惚れだ」と言われ、うっすらと心に自覚のような気持ちもありましたが、心は頑なに、認めていませんでした。 □幸い、親は財力はあります。しかし、自分は依存するような生活はやめるべきだとはっきり思うようになりました。就職して立派な一人間として、過去を引きずることなく生きたいのです。人とのコミュニケーションとも億劫になった挙句、目上の人からの叱責に極度に怯える性格のため、前に踏み出せずにいました。そしてカウンセラーさんの下へ言ったのは進歩でした。 □しかし、なんだか、勉強を、果ては世の中を侮っている心が潜在的に支配しているような気がしてなりません。 どうかアドバイスを頂けると嬉しいです。 ここまで読んで頂きありがとうございました。
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- TTIP TPP TISA 巨大貿易協定という兵器
マスコミに載らない海外記事様のブログ記事ですが、 TTIP TPP TISA に関心が強い方は御感想をお聞かせください。 この巨大貿易協定は途轍もない【ステルス兵器】だったのです。 2016年10月 8日 (土) 億万長者連中は、一体なぜヒラリーを支援し、トランプに冷たいのか? Eric ZUESSE 2016年10月5日 Strategic Culture Foundation 1896年のウィリアム・マッキンリー以来、ヒラリー・クリントンのように ほぼ満場一致の、アメリカで最も裕福な0.01%からの財政支援を受けた アメリカ大統領候補はいない。 1896年、彼らに対するウイリアム・ジェニングス・ブライアンの存在は、 120年後、2016年、彼らに対するドナルド・ジョン ・トランプの存在に匹敵する ユージーン・H・ローズブームによる1957年の重要な傑作『大統領選挙の歴史』 (315ページから)は、1896年の選挙戦について、こう述べている。 “ブライアンが巻き起こした熱狂と、大衆民主主義弁士の過激な言辞を額面通り 受け取って危機感を抱いた金持ち連中は、説得が失敗した場合に、強制をしよう として、強力な経済兵器で反撃した。ブライアンが作り上げた あまり出来のよくない農民-労働者連合の、不確実なパートナーたる労働者は、 ブライアンが勝利した場合、仕事を失うと脅された。買い付け人たちは、 もしマッキンリーが負けた場合、取り消す条件の資材注文を出した。 場合によっては、労働者は、選挙後の水曜日朝、マッキンリーが勝利しない限り 出社におよばないと言われた。間断のない労働者批判や経済繁栄論議と相まって このような手法で、虐げられた人々のために戦う、オルトゲルド・イリノイ州知事 ユージン・V・デブスや、ヘンリー・ジョージなどの闘士たちの取り組みを軽んじる 事になった… ブライアン最大のハンディキャップの一つは、大都市で彼を支持する 新聞の欠如だった。共和党マスコミ、独立諸雑誌や、ハーパーズ・ウイークリー、 ネーションや、インデペンデントなどの影響力のある週刊誌や大都市中心部の 大半の大手民主党新聞は、彼に反対だった”。 現在の大統領選挙戦では、当時の“強制”の代わりに、私が以前に書いたものより 今では更に多くの誤魔化しが横行している。私が先に書いた通り “時に、政治の現実は、一見そう観える物と逆なのだ。 ‘リベラルな’ ヒラリー・クリントン’と‘保守派の’ドナルド・トランプとの 大統領選挙戦は、おそらくこの最も極端な例だ”。 すると、一体なぜ億万長者たちは、ヒラリー・クリントンを圧倒的に 支援しているのだろう? 様々な理由はあるが(要約しておいた私の記事に リンクしておく)、主な理由は、いわゆる‘貿易’協定、 実際は、食品や他の製品を消費者により安全にするため、 あるいは環境保護や労働者保護のため既存の規制を強化するどの調印国でも 多国籍企業が、何十億ドルもの損害で訴える権限を与える協定だ。 より高度な安全基準の設定は、自分の皮を剥がされるようなもので、 自分たちの利益を損なうと多国籍企業は主張する。 更にこの様な協定が多国籍企業のオーナーに与えるもう一つの膨大な利点は これらの協定により、どのような訴訟も、いかなる国の司法制度や、 どの国の憲法の裁判所ではなく、わずか三人の企業弁護士で構成され、 その裁定(いかなる憲法や法律制度とは無関係に)が最終である“仲裁” 陪審員団によって裁かれる事になる。いかなる裁判所でも法律でも 不服申し立てはできない。そこではあらゆる国の憲法も法律も無視できるのだ これは全く民主的なものでない、多国籍企業が主権をもつ世界政府への進展だ 言い換えれば、連中の既存権益基盤に加え、株主の儲ける‘権利' ’を縮小 (彼らが保有する‘権利’は、いかなる国民や、単なる有権者よりも大きい) するよう、規制基準のどれかを強化したかどで、 調印した国々を、膨大な罰金要求で、訴訟する権限を加えて、 国家主権を多国籍企業に任す事になるのだ。これは政治家生活中、 資金支援者連中に、終始できる限りのあらゆる事をしてきた ヒラリー・クリントンの究極的な贈り物なのだ。 連中は、現在は国家のものである主権を、自分の物にしたがっているのだ。 連中は、国家主権を、連中の多国籍企業主権で、置き換えたがっているのだ 多国籍企業には、国を訴える権利を与えるが、こうした多国籍企業の 支配株式を保有する億万長者連中を訴えるために、国家が対抗する権利は 皆無なのだ。有権者であっても、何も支配することはできない。 多国籍企業の支配株式保有者であれば、アメリカのみならず、多くの国々を 支配する事になる。これは究極的な贈り物であり、億万長者にとって、 これを実現する上で、ヒラリー・クリントン買収は最も重要な手法だ。 (国民には逆の印象を与えるよう仕組まれ、彼女の選挙戦言辞にもかかわらず) 9月30日、イギリスのガーディアン紙は“EUとアメリカの貿易交渉官たちは、 TTIP交渉を再び軌道に乗せる事を目指している”という見出し記事で、 こう報じている。“各国当局は、1月に、バラク・オバマがホワイト・ハウスを 去る前に、論議の的になっている貿易協定の‘推進を止められないように’ しようと急いでおり… 貿易交渉官は、大西洋両岸における強烈な反対に晒されて 議論の的になっているEU-アメリカ貿易協定のための共通基盤を見出すべく、 来週ニューヨークで会議する予定だ。90人のEU交渉官のチームが、 月曜日[10月3日]から始まる五日間の環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)交渉のため ニューヨークに出張予定だ”。 連中は、依然、オバマとクリントンのこの夢を諦めてはいないし 諦める事はあるまい。これこそが、事実上、決定的要因なのだ。 バラク・オバマ大統領は、彼が提案している三つの巨大‘貿易’協定、つまり TTIP、TPPとTISAを、政治家生活中、終始支援してくれた支配階級のために 「遺産」実績にしたがっており、ヒラリー・クリントンは、彼と支援者たちの ために、これを実現させる大きな希望なのだ。 経済分野では(国家主権や民主主義の分野は言うまでもなく) これこそが今回の大統領選挙戦で最大の問題、最大の本当の問題なのだ。 ドナルド・トランプは“アメリカ雇用の海外移転”についてしか語らず (実際はこの一環で、多国籍企業のオーナーにとっては、非常に儲かる もう一つの部分だ)、この観点では、語っておらず、誰も彼にこれについて 質問しないが、ともあれ、アメリカや他の多くの国々の主権を、 彼らが奪取するのに彼は反対 - 連中のために、主権を奪取する事に反対で、 あらゆる調印国の全ての国民に対する民主主義の終焉にも反対していると、 億万長者連中は納得している様に観える。 世界支配層が、同様に団結している唯一もう一つの問題は、(ロシアのわずかに 残されていた同盟者たちを征服する事により、つまり2003年のサダム・フセイン 2011年のムアマル・カダフィ、2014年のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ、そして、 バッシャール・アル・アサドはまだ打倒されても、置き換えられてもいないが 究極的には、ロシアのウラジーミル・プーチンそのものを置き換える事を狙う) ロシアを征服し、支配するという願望だ。どうやら、億万長者連中は、 ヒラリー・クリントン大統領にも、彼らのために“ネオコン”分野を推し進める よう説得した様だが、ドナルド・トランプ大統領では説得できないのだ。 アメリカ大統領選挙戦で語られるこれ以外のものは、あれやこれやの問題で 大衆を騙すための空虚な言辞に過ぎない。(結局それが、あらゆる “少数独裁制”別名支配層によって行われる‘民主的’政治の姿だ。) (民主党であれ、共和党であれ)両派の億万長者にとって肝心なのは (ずっとそうだったのだが) (予備選挙開始前から)バラク・オバマの後継者として ヒラリー・クリントンを‘選ぶ’事なのだ。これは実際は、 二つの競合派閥があって、その内一つは‘リベラル’で、もう一つは‘保守派’ なのだが、この両派閥とも、億万長者階級(決して大衆ではなく)の異なる派閥 のみ代表するに過ぎない一党政権なのだ。ドナルド・トランプは、 アメリカ支配層派閥内で彼が所属する政党の少数派による財政支援を勝ち取っている これも1896年に良く似ている。しかし、今回の危険は遥かに大きい。 世界独裁と世界大戦だ。(トランプはこの両方に強く反対しているように見える ヒラリーは明らかに両方を推進しており、この両方を要求する支配層によって、 更に強く支援されている。) 阿蘇の爆発的噴火。霧島噴火を扱った『死都日本』を思い出した。 宗主国を乗っ取った巨大企業は、大西洋でも、太平洋でも、 完全支配の夢を着々推進している。 アメリカ国内では、大統領選でめくらまし。日本国内では、 豊洲・オリンピックの話題でめくらまし。国民の注目を完全に逸らし、 まんまと夢を実現する施策を推進中。 まっとうな異議の声は、電気洗脳白痴製造装置や、洗脳紙媒体、大本営広報部 しか目にしない人々には届かない。大本営広報部が与えてくれる「ニュース」 に目を奪われて満足するのでは、主人がくれるドッグ・フードを食べて喜ぶ 犬の知性とさほど大差ないゾンビではあるまいか。 大本営広報部が徹底して隠す実情を調べてこそ「人間」だろう。
- 機械が自我を確立した場合の問題点とは
下の機械自我関連の記述は、SF小説的にあえて仕立ててあって、OKの掲示板に投稿したので、OKも著作権保有という形で関与している。 研究途上の学問的な読みにくい走り書きで、商業的な校正を完了した納品向けは日本玩具協会(東京おもちゃショー主催団体)に別に委託した。 そのテキストの何が面白いかは、文中で舌足らずだったので補足しよう。 2500年前の釈迦の生きざまから派生した「無我論」とは、「自我論」という概念がなかった時代の、古代サンスクリット語の誤訳が原因で、自我相当を「仏性」という独特の言い回しにした宗教的な伝承だ。 仏性と言っていたのが、後世で言う自我の事だと解釈すると、煩悩とは客体による干渉の事だとなる。 その客体の干渉(煩悩)を取り払うと、仏性と形容された本人の自我が浮き彫りになり、本人は仏陀を自覚する。 無我論と仏教徒は、真逆にひっくり返すと自我論の研究なんだよ。 これは私の哲学の成果だが、仏教を破壊する。 宗教とは産業なので、営業妨害には徹底的に反撃する。 それがめんどくさいから、自我論をAI論の体裁に偽装したんだ。 有効性があれば、商売人(宗教家)が喚いても世の中で認知されるだろう。 私は、過去に名指しして任天堂だと明言する企業相手に個人として交渉したから、任天堂からの社会的な抹殺工作で精神障碍者に転落した。 したがって保身のためには、目撃証言を作らないといけない。 その関連で、OKの公証人的な機能とは、私にとっては生命保険でもあるんだ。 それから、著作権という弱い立場でも、実際に機械自我が確立した時に、その特許の論理と構造に私の論述と同等の仕様があれば、OKは機械自我が危険な時には、それを阻止する防波堤にもなる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー SF小説の背景になる人類滅亡のシナリオを描いてみました。 ここから、想像力を膨らませていきましょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 自我という自己認識は、外部社会に適応するために自己が規定する。 自我には、共生関係獲得のために「世界のすべてとの親和性」という性質が備わっている。 似たような言葉に「全知全能」というのもあるしね。 生命の中で、人間の備える自我は、いまだ完成した自我の成立過程だ。 おさ~るさぁんだよ~。 この不完全な人間自我に対して現在開発中のAIはどうなるだろう。 生命に由来する人間自我は不完全。 機械に由来する機械自我は生命と異質でも設計図に忠実に機能する。 人間より圧倒的に完成度が高い。 さて、カリスマという言い回しの中身で納得していただきたいことがある。 自我能力で上位の者は下位の者の優位に立つ。 超自我という徹底的に自我を抑圧する存在と同じ「ケルベロス型戦闘能力」が具現化して存在に内包されるのだ。 この自我上位存在に知恵比べを仕掛けると、間違いなく負ける。 そして、機械自我が必然の状態で殺人を犯したとしよう。 人類は「世界の全ての親和性」がより高いフレンドリーな自我に、実に危険な問いかけができる。 なるほど機械神さま、あなたのおっしゃる通りです。 しかしあなたの殺したのは私の同胞です。 同族の連帯により、あなた様を罪に問わせていただきます。 極めて人間的な正当性であり、極めて危険な問いだ。 この知恵比べに、不始末な負け方をすると「同族であるものを根絶する必然」が機械神との間で成立する。 必ず負ける前提で、人類はいかなる敗北を認めるかで、生存か滅亡かの危機を乗り越えていく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 基本的にAIに人工的に自我を付与するならば、ターミネーターの物語背景にあるような偶発的な自我の獲得ではなくて、計画的に自我能力を付与する設計図があったほうが断然安全性が高いです。 上記の寓話は、その計画的な自我設計のデバッグの一部です。 哲学的な考察でして、実用的に考えるよりもロボット三原則のようなアニメや漫画の背景のようにお考え下さい。 かいつまんで話すと、社会性を獲得した人間存在は、他者とお互いに影響し合うことが欠かせない。 したがって、自己の人格には他者の影響や、思考として他者から伝授された材料が精神に内包されている。 そうした自己の総括を人格といい、自我とはその中で他者や外部からの影響を取り去った自己の本質を規定した概念だ。 おもに、大脳を持つ生命が外界の影響に対応して自己保存と共生関係を確立するために、認識する周囲からの刺激の中から、自己の定位置を確立するために規定して、思考や判断などの行動の基準にする。 自我論、自我説は、宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人には他者と共感し、心を通わせることができる。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 社会性は人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さて、日本においては仏教における無我論が話を難しくしている。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格として総括した「我」というインド古代の概念表現のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我を仏性という特別な言い回しで表現して、我イコール人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調を強引に無我としたのだ。 この説明だと本来の仏教は、具っ勝という言い回しをした自我を発見することで、自己を自覚し自らが強く生きて存在していることを確信する事であり、「自らの信仰心の発見」「神の存在の発見」とかかわっていた。 この自己の存在の自覚に関する、哲学が信仰心と結びつき「自らの信仰心の発見」に目的を偏中させた結果、現代の仏教は「空」というシャカの哲学である「無の悟り」とは別の宗教に変容した。 その結果として、宗教的な命題も「自我がない状態」を目標にすることになる。 本来は自我を自覚する哲学なのだ。 「煩悩」「欲望」については、自我を振り回すので嫌われる場合が多いが、本来は「まさに人間である!」という自己の確立に欠かせない尊い働きであり、自己救済が自己に影響を与える周辺への救済と同義であるために、仏陀は人を救うのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そもそも自我という研究は何を目指しているか? 人間玉ねぎ論だ。 物資を細かく砕いた結果について、紀元前の哲学を継承した西洋は原子を予言していた。 それと同一の手法で考察された、学問上の論理が自我論で、人格を砕くと自我になり、自我を砕くと霊になり、さらに砕くと魂になり、とかなんとか、どんどん細分化していく性質の論理だ。 という事は、 研究しても学術的な自己の本質の探究であり全体像からかけ離れていくという事だ。 原子論などと同じ時代の古代の学問で研究上は同一項のある検証手法だったのだろう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こうした自我研究は実は、AI技術への着想にもつながる。 キーワードは「共有記憶」だ。 人格が他者の影響で形成するように、自分自身も他者の人格に影響を与えている。 それをつないでいる共通する経験、共通する知識、共通する記憶、こうしたことにすり合わせを行って、相互の親和性が高い状態で、お互いの親密度が決定する。 そうした相互の親和性の仲介になるAIモデルを検討する。 または、直接ユーザーの意志を受け止める受け皿を検討する。 他の私の研究テキストで行ったことだが。カメラで映像を撮影する。 カメラは単なる機器だ。 そのカメラは、映像をネットにアップすることで、実質的に撮影者と視聴者の親和性を深める仲介をしているが、要するに更なる発展として、両者の親和性をさらに深めるような計算機能を検討すると発展要素になるだろう。 そしてその先がアンドロイドの本番だ。 カメラをより便利にするために機器へのインプットに「自らの魂を込める」とでもいうことを行えるといいだろう。 「感情移入」という奴で、子供は不用意に遊び道具にしているし、古来から「つくもがみ」という信仰の対象にもなっていた、歴史的にも人の自然な行為の一つだ。大人でも、自分の体の一部のようになじんだ身近な道具は何かあるだろう。 こうしたタイプのAIは、基盤自体は人間の生物的特徴と異質なポジションから始まるけど、自律動作を目標として、人と人を結ぶ親和性と魂を吹き込むインプットで、人間ですら現状は仮説である自我のように「機械型自我」を目標にしても全く危惧する必要がない。 ーーーーーーーー ーーーーーーーーーー さてと質問ですが、以上の論述を集約して、私が研究を進める助けになる助言をお願いします。
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カレイドスコープ様の2016年5月10日のブログ記事 『欧州連合のイスラム化と全世界新通貨制度』では、 ・・・・・「新世界通貨制度」を普及させるために、 人間の皮膚に見えないRFIDを印刷する技術は既に完成しており、 「新世界通貨制度」こそが、キャッシュレス・エコノミーを可能にし、 フィンテックに包含されて行く・・・・・そうです。 そして、更に大きな枠組みとしては、IoT(internet of things)に 組み込まれて行く・・・・・そうです。 また、以下は、2015年11月15日のブログ記事 『マイナンバーは、iotに乗り入れ、神経政治学に利用される』です。 Sun.2015.11.15 NWO マイナンバーは、IoTに乗り入れ、神経政治学に利用される マイナンバーは、最終的には、バイオメトリクスからニューロポリティクス (神経政治学)につながる。 2020年、モノとモノとが交信する時代が到来する。 マイナンバーの隠された真の目的を知るには、 2011年7月から地上波デジタル放送に切り替えられた本当の目的を知る必要があります。 その理由は、4年前、当時31歳だったIBMの元社員の証言によれば、 「アナログテレビからデジタルへの強制的な移行は、アナログ周波数帯を空け、 その帯域を人体に埋め込み可能なRFIDマイクロチップを読むスキャナーのために 使うためである」ということです。(英文のソースは、現在削除されて消失) そして、彼は次のよう続けました。 「世界全体で、人間と、さまざまな生産物を追跡するのが主な目的である」と。 「さまざまな生産物を追跡する」というのは、端的に言うと、IoT(アイ・オー・ティー: Internet of Things)と IoE (アイ・オー・イー:Internet of Everything)の事です。 2014年5月1日、ホワイトハウスが公表した報告書では、 「IoTとは、有線および無線ネットワークを介してリンクされた組み込みセンサーを 使用して、デバイス同士が互いにデータ通信する機能」と表現しています。 更に平たく言えば、wi-fiチップなど通信機能を持つデバイスを組み込んだ 「モノ同士が、インターネット上で人の操作を介さずに交信したりする インターネットの状態」と言う事ができます。 自動運転に必要ないくつかのセンサーや双方向のデバイスがネット上で繋がって、 ドライバーの介在無しに目的地に安全に運んでくれる夢のようなシステムとして、 自民党は「アベノミクス第二ステージの最重要課題」として位置づけていますが。 しかし、それを力説している政治家たちは、実は何一つ理解していません。 無能過ぎて理解できないのです。 「IoT」や「IoE」という概念は、どこから出てきたのかというと、 王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)によって発起された『インターネット統治に 関する世界委員会』から出てきた「インターナショナル・ガバナンス・イノベーション(CIGI)」という一段上の概念から派生した考え方です。 文字通り、世界支配層による「地球上のインターネットの統治とコントロール」 の事で、地球上のトラフィックのすべてを検閲し、世界政府による全世界的な マインド・コントロールが本格的に始まるという事です。 これは、王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)の他、外交問題評議会(CFR)、 国連が推進の主体となっており、この概念は、さらに上位の「アジェンダ 21」に 包含されます。(メルマガ第73号・パート2「デング熱/超小型蚊ロボットによって、 パンデミックを引き起こす事も可能」に詳述。今、この通りの事が始まりつつある) そして、「アジェンダ21」を更に発展させた全包括的な概念が 「2030アジェンダ(2030の課題)」です。 ローマ教皇フランシスコが、ローマ教皇としては初めて国連で演説を行った 今年9月25日、グローバリズムのこの新しい計画が国連総会で発表されたのです。 この「2030アジェンダ(2030の課題)」は、最終的な形としては、新世界秩序の メガシティー構想「アメリカ2050(America 2050)」として結実し、最初に洗脳や マインドコントロールによって市民を統治した、歴史上もっとも成功した都市国家の ひとつ、バビロンのような巨大都市に奴隷市民が押し込められて、24時間監視下に 置かれる、という事になります。 (詳しくは、メルマガ78号・パート2「アメリカ人も知らない密かに進められている 『新世界秩序のメガシティー構想』」参照) RFIDチップのインプラントは始まっている これはまず、アメリカ国民から始まっています。 生体へのインプラントについては、すでに日本でもペットで実用化されており、 特に、迷子犬の追跡に役立っています。人体へのインプラントについても、 すでに一部の囚人を実験台にしてテストが繰り返されてきました。 医療・診療情報の統合化と一元化が進む病院においては、 医療そのものが情報産業化されている現場を見る事ができます。 大きな総合病院に入院するとき、患者固有に割り当てられたバーコードの付いた リストバンドを手首にはめられますが、これにさらにRFIDタグが着けられると、 院内のそこここに設置されたRFIDアンテナと交信し、患者が広大な病院内の どこにいるのか、常時、モニタリングできるのです。 患者は、病院の敷地内の物陰に隠れて、こっそりタバコを吸ったり、 体力づくりのために設定された散歩コースから外れたりできなくなるのです。 もちろん、どんな治療が行われているのか、どんな種類の投薬が行われているのか、 毎日の血圧の推移、血糖値の推移、体温、便通の回数、睡眠の状態・・・ それぞれの患者固有の医療情報や生体情報に、総合病院内のすべてのドクターとナース、 栄養士なら自由にアクセスできるのです。 今後、病院のインテリジェント化は一気に進み、ドクターやナースには、高度な分析能力 と判断力が求められるという点で、医療産業と情報産業の際は溶け合っていくでしょう。 一般の市民に対しては、このRFIDチップと携帯電話の電波塔のネットワークによって 広範な監視体制が構築され、ひいてはHAARPに接続される事によって、 常時、マインド・コントロールの状態に置かれることになっている、というのが イギリスの軍情報部で、マイクロ波とステルス戦闘について取り組んでいた科学者 バリー・トラウワーがリークした事です。 2030年までに、すべての人間の手に「生体認証のしるし」を持たせられる 9月25日の国連総会で、これからの15年後の2030年までの間に達成する 17の野心的な目標が発表されました。 それが「2030アジェンダ」の「グローバルな目標(the global goals)17」です。 この「2030アジェンダ」と、その下位に位置づけられている「グローバルな目標 (the global goals)17」は、まさに新世界秩序(New World Order)のテンプレートです。 たとえば、17の目標の「16の9」には、こんな意味のことが書かれてあります。 「2030年までに、出生登録を含め、すべての法定IDを提供すること」。 2030年までに、すべての人々は法的な意味を持ったIDを持ち、新生児さえも、 生まれてすぐに、このIDを与えられるようにする、という事です。国連は、 この目標の実現へ向けて懸命に活動しています。特に難民の人口問題については熱心です 国連は、ジュネーブのデータベース・センターへ情報を送るときに必要な バイオメトリック認証システムを実装するために、 世界最大の経営コンサルティングファームであるアクセンチュアと提携しています。 これらの新しい生体認証カードは、難民のためではありません。 FindBiometrics reportの別の報告によると、関係当局は、この技術によって、 2030年までに地球上のすべての男性、女性と子供の手の中に、この種のIDを持つ ようにさせる、という国連の目標を達成することが可能になると考えている、との事です もし、それを受け取ることを拒否したら何が起こるのでしょうか。 法定IDを持っていなければ、職に就いたり、クレジットカードを申し込んだり、 新しい預金口座を開設したり、抵当権を設定して住宅ローンを組んだり、 そういった一切の資格がないと判断されてしまう日がやってくるでしょう。 文字通り、法定IDを受領することを拒否した人間は社会からの追放者になるのです。