dokidokinのプロフィール

@dokidokin dokidokin
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  • 登録日2006/07/10
  • 命題「死刑はは悪法である」

    1)「死刑はは悪法である」という命題を、展開し「よって被害者遺族であろうと死刑を望むことは悪である」と結論に至った場合または、 2)「人の死を望むことはあさましい」という命題を「それは死刑についても例外でない」「よって死刑を望む被害者はあさましい」といった結論が出た場合、反証にたる論法とはどんなものありますか? 2)については中前提とした「それは死刑・・・」に短絡があると思われますが。 蛇足ながら「死刑制度の是非」を質問するものではないですし、命題であるその性質上、「命題間違っている」といったご回答はご遠慮ください。(間違った命題なんて存在するはずもないですので) この質問に至った経緯を簡単に話しますと、アンケートカテで、「被害者遺族が死刑を望むことの誤り」について質問したところ、死刑の是非についての解答ばかりで、「誤っている、誤っていない」といった解答殆どはつかず、再三再四、回答くださる方の持論に付き合っていたら、論争に発展したと判断され削除されました。(まぁそうなるとは思っていましたが) よろしくお願いします。

  • 「悲しみ」の原因は「時間」ではないか?

    エントロピーが増大していることが、「悲しみ」と「焦り」そしてその諦念に乗った、人生論的悲観論と直結しているのではないでしょうか。 思い出に浸るというのは、私の場合ですが、精神的苦痛をもたらします。やり直せないからです。もっといえば、時間がたつにつれ、人生面白くなくなっていくからです。 もし、多少なりとも、年をとる事が美しさを増していくようなことだとしたら、あるいは、肉体的可能性を増大させるようなことだったらば、後悔や感傷はなくてすみます。多くの悲しみもなくなります。 自然的なエントロピー増大の中に生きることは、人間のように思考できる生物にとっては不幸なことではないでしょうか?

  • 仏教の殺生について

    仏教の世界では生き物を殺してはいけないというのは当たり前としている、ということはわかるのですが この前、蜘蛛の巣に絡まった生き物を助けたことがあったのですが、この場合、仏教の世界では助けるべきなのか助けずに傍観するほうがよいのかよくわかりません。 というのも 助けた場合、助けられた生き物は死なずにすみますが、逆に蜘蛛にとっては、捕まえた虫を逃すというのは死活問題になりますから、逆に間接的に蜘蛛を殺生(殺生にならなくても、いじめた)ことになるのでしょうか?

  • 世の中は全て二択

    これは、単なる私の「思いつき」で宗教や学問などに影響されたものではありません。(たぶん) 私は寝つきが悪く、いつも布団の中であれこれ考えてしまう癖があるのですが、先日「ふっ」と思いついたのです。 世の中は、全て二択で構成されている。宇宙も地球も歴史も全てです。 二択とは、有と無、YESとNO、表と裏などの反意語?です。 今では考えれば考えるほど、この「思いつき」が正しく思えてきます。 質問します。 この「思いつき」は間違っていますか? また、同じような考えの人はいますか?

  • 存在の始まりはどこ。。??

    全ての物事には始まりと終わりがあります。であるならば宇宙が存在した前ってのも存在してた訳で更にその前もその前も考えれちゃう訳で。。結局始まりって何だったのか?科学から哲学に入り込んでしまいました。神的な存在が始まりを創造したのだろう。。と勝手に結論だしたら、じゃあ神の前は?って自己矛盾に陥りました。この悩みのパラドックスに答えられるとゆうツワモノの方お待ちしております。